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第七章 アイリス六歳

その53 事件の後始末

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         53

 黄金の長い髪と緑の目をした、現在は六歳の幼女アイリス・リデル・ティス・ラゼルが、そのまま成人したような美貌の女性、システム・イリスの投影した姿は、幻のように消えた。
 アイリスの意識の底で、深い眠りについたのだ。

 数えきれないほどに大広間に充ちていた青白い精霊火は、一つ、また一つと空気に溶け込むかのように光が薄くなり、見えなくなっていった。

「精霊火が消える。ここは精霊の力に満ちた空間ではなくなる」
 カルナックは大広間を見まわした。
「そして、十数年前にセラニスを崇める『狂信者』ヒューゴー老人によって仕掛けられていた、ヒトの生命を吸収する装置が破壊された今、この場所は、ようやく真の意味で『通常空間』に戻るのだ」

「これからが、事件の後始末ってことね」
 ラト・ナ・ルアも、あたりの様子に目を配った。

「カル坊も大変ですね」
 他人事のようにあっさりと言ったのはレフィス・トール。もともと、ヒトの世界に関心はなかったのである。彼らの可愛い弟、カルナックを助けるため、そしてセレナンのいる世界の深層部まで潜りアイリスへの助力を頼んだ、守護精霊(エレメント)たちのために、顕現したのだから。

「なんとかしますよ」
 カルナックは笑った。

 しばらくして大広間の扉が開け放たれた。
 シェーラザードとランギ、パオラとパウルだ。
「ようやく入れましたわ!」
「やれやれだぜ」

「シェーラザード姫、ランギ。『ロイ』の件では、よくやってくれた。パオラとパウルも、ご苦労だったね」
 カルナックは彼らを労う。
「さっきまで、ここは閉ざされた空間になっていたから入れたのは魔法使いのエルナトだけだった。だが、せっかく駆け付けてくれたエルナトを生命の危機に陥らせてしまった、面目ない」

「セラニスが相手じゃしょうがねえよ、カルナック様。あいつはそもそも最初からぶっ壊れてる、始末が悪い」
 苦々しい口調で吐き捨てたランギ。

「エルナト・アンティグアも相当の魔法使いでしょうにね。それにつけても会場の破壊の規模はえげつないですわ。悪辣で陰険な『魔の月』と狂信者のしわざなのですわね」
 こう言ったのは、シェーラザードだ。
 黙っていればやんごとない美貌の貴族令嬢で通りそうな見た目と、それを裏切る強烈な気性の持ち主である。何せ本性はコマラパの師である青竜と白竜を父母に持つ竜なのだ。

「パオラ、あそびたかったな」
「パウルも~」
 ふさふさ尻尾を振り建てて、パオラとパウルは不満を訴えた。
「せっかく、アイリスと、おようふく、おそろいなのに」
「アイリスと、ごちそう! だったのに」

「予定ではアイリスとエステリオ・アウルの婚約承認が終わったら二人を紹介して、みんなでお披露目の手筈だったのにね」
 シェーラザードはパオラとパウルを抱きしめて、耳を軽く引っ張ってやった。二人はクスクス笑う。
 そして、ヴィーア・マルファに抱かれたアイリスを見つけると、大急ぎで駆け寄っていった。
「アイリスアイリス! やっと来れたよ」
「あそぼう! アイリス、どうしたの、げんきないの」

「パオラ、パウル……」
 震えた声で、手をのばすアイリスを、ヴィーア・マルファは、床におろした。
 さきほどまで表層に出ていたイリス・マクギリスは、引っ込んだようだ。本来の六歳幼女アイリスの中にある月宮アリスの意識に交代していた。
「お父さまとお母さまが、エステリオ叔父さまが……たおれてるの、目をあけてくれないの。しんでしまうかもしれないの」
 パオラとパウルに再会したアイリスの意識は、本来の、六歳幼女アイリス(月宮アリス)に切り替わっていた。イリス・マクギリスは奥に引っ込んだ。セラニスとの対峙で、疲れたのかもしれない。

「アイリスなかないで。パオラがいるよ」
「パウルもいるよ。ギィとシェーラも。とうさま、かあさま、やさしいひと。きっと、みんなでたすけるよ」
 何が起こったのか、双子たちは、よくわかってはいなかった。ただアイリスが悲しんでいることを敏感に感じ取って、もふもふの尻尾でくるみ、抱きしめる。

「カルナック様が全て片づけたのでしょ?」
 当然のようにシェーラザードは言う。

「いや、私の出る幕はなかったよ」
 カルナックは即座に否定する。
「システム・イリスの功績だ。きみたちには話したが、アイリスの前世でね。彼女がいなければ、たとえセラニスを撃退できたとしても被害はラゼル邸だけにとどまらなかっただろう。ヒューゴー老には外部の協力者もいた。おそらくエルレーン公国ではない勢力。首都を巻き込む破壊工作だ」
 むしろ楽しそうにカルナックは笑う。
「ところでシステム・イリスの『ルート管理者権限』……これが、また、なかなかの技で……」

「使えそうだ、なんて思ってらっしゃるんじゃないでしょうね、お師匠様」
 すかさずサファイアが釘をさす。
「だめですよ。ヒトを人とも思わない研究バカ(マッドサイエンティスト)はエルナトで間に合ってます。今回は彼が早々に倒れてて幸いでしたわよ!」

 本来ならばラゼル家の令嬢アイリスが六歳を迎えたことを祝うお披露目会場となった大広間は床の中央が爆発したように損壊しているのである。
 その上、百人を超える招待客たちが倒れ意識不明の重体である。
 その中にはコマラパ老師とルビー・ティーレを含め、警備に駆り出された魔導士協会の人員たちもいた。
 そしてエステリオ・アウルもまた。
 彼はアイリスに危害を及ぼすのを厭い、自らの喉を突き、大量の血を失っていたのだが、エステリオ・アウルを器として降臨したセラニスは身体の状態など考慮せずに酷使したのだったから。

 カルナックは広間を見渡し、エルナトが横たわる場所に足を運んだ。
「起きろ! 水の子。水竜王」

 意識もないはずのエルナトに、反応は、あった。
『……精霊の愛し子か、我を呼ばわるのは……よほどの危機でなくばならぬと……おや、エルナトの生命力が著しく低下しているな……呼んだは、このためか』
 エルナトの口からこぼれ出たのは、別人のような声だった。
「そうだ。水の子、我ら精霊(セレナン)に限りなく近き存在、自然界のスピリット。力を貸してくれ。ヒトと精霊の血が夥しく流れた。放置すれば土地に悪影響となろう」

『寝起きの我に、そんな立て続けに言われてもねえ。相変わらず、せっかちな子だよカルナックは』
 目をこすり、あくびをした。
 エルナトの長い髪は、水色になっている。目の色も淡い、水精石色の光を帯びていた。
『面倒ごとはまっぴらだが……《世界》との約定だ、いたしかたないことよ。だが、我はカルナックに無償の愛を注ぐ『精霊(セレナン)』の眷属ではないぞ。別の法に則っている。相応の対価はあるか?』
 ゆっくりと起き上がる。
「けちくさいことを言う、普段からエルナトに影響を与えているのだろう。あれの、異常なまでの探求心、知識欲。おかげでマッドサイエンティストなどと呼ばれている」
 カルナックは苦笑いをした。

「確かに」
 呟いたのはヴィーア・マルファ。
「兄様の研究に熱心なことは、いささか度をすぎていると思っていました。『深き水のお方』の影響でしたか」

『おや、ひとのことは言えぬであろ、《火の娘》よ』
 水色の髪をしたエルナトが、笑う。
『そなたの辛抱きかぬ短気ぶり、ヴィーア・マルファに影響を及ぼしているのであろう?』

「お言葉ですが、水の方。わたしの短気は生まれつきです。『妾は節度をわきまえておりまするぞ』お構いなく」
 ヴィーア・マルファの苛立ちに、わずかに、別の人物の声が重なって響いた。
 長い髪は深紅に彩られ、炎のようにたなびいた。瞳も同じく、ファイヤーオパールの橙色に燃える。

 エルナトとヴィーア・マルファは通常のヒトとは違う『精霊融合』の状態にある。幼い頃に火災で死にかけ、一命を取り留めたときに起こった現象だ。エルナトは水と、ヴィーア・マルファは火と。

 瀕死の二人が蘇生したことを、両親のアンティグア夫妻はたいそう喜んだ。特殊な状態にあることなど、なんでもない。生きていてくれたのだから。
 たとえエルナトが優秀な魔法医師でマッドな研究に打ち込んでいても。ヴィーア・マルファが、貴族の子女でありながら女性らしいたしなみ、裁縫、料理、掃除など一切できなくて脳筋な残念美女でも、すべて受け入れた。
 ということで、今に至る。

「床に流れているエステリオ・アウルの血が対価だ。なんなら、こぼれている料理もつけよう」
 通販番組のようなノリでカルナックは言う。 

『ほほう。そういうことなら遠慮なく回収して研究させてもらう。ヒトというもの、興味深い』
 水色の髪のエルナト、『水の子』は、満面の笑みを浮かべた。

「好きにしろ。だが倒れているヒトたちは、だめだぞ」

『承知している。……奔流、呑みこめ』
 ひとこと呟いた、そのとたん。
 大広間に、清流がほとばしった。
 爆発によって生じた瓦礫を、床に落ちて散らばっている数々の料理を飲み、エステリオ・アウルの血を呑んで。
 ただ散乱した家具と、倒れたままの人々は、そのままに残して、奔流もまた、何事もなかったかのように、ふっと消えていった。

『では、手に入れたものの分析をするので、ここで失礼。……ああ、精霊の愛し子よ、エルナトは生命力が極限まで奪われているが、死んではおらぬ。よしなに頼むぞ』
 いたずらっぽく笑って、エルナトの身体はその場にくずおれる。
 髪はもとの金髪に戻っていた。

         ※

「お師匠さま、ご無事ですか」
 魔導師協会本部から応援に駆けつけた門下生たちは、カルナックのもとへ駆けつけた。
 カルナックは、彼らに適切な指示を出していく。

「この広間にいる人間を、最低限、命をつなぐまでに回復させる。運び出すのはそれからだ」

 広域に作用する、大がかりな回復魔法。
 膨大な魔力と体力を必要とする大魔法。
 こんなことが可能なのは、大陸全土を探したとしても、確かにカルナックしか、いなかっただろう。

 しかしカルナックの大魔法によっても、死んだ人間の命を拾うことは不可能だった。

 というのは、広間の中央の、爆発の跡地に倒れ伏していた、干物のようにひからびた死骸となっていた一人の老人が見つかったことである。
 先代のラゼル家当主、ヒューゴー老だ。

「惜しいな、生かして捕らえたかったが。エステリオ・アウル誘拐事件、および、エルレーン公国各地で頻発していた児童誘拐、人身売買組織の首謀者だ。その先にまだ黒幕がいる。それはこれからの捜査で暴き出す」

 大規模な魔法を発動させたために、さすがに気力も体力も限界まで使い果たしたカルナックは、育ての親がわりの精霊族、ラト・ナ・ルアとレフィス・トールによって魔力の補給を受けながら、指示を続けた。

「アイリス嬢には悪いことをした。彼女は気がついていたかもしれない。アイリス嬢は囮。本当のターゲットは今回も、エステリオ・アウルだった。セラニス・アレム・ダル降臨のための空の器として。我々、魔導師協会が動いていたのは、エステリオ・アウルの誘拐事件が再び繰り返される可能性があったためだ、ということを」

「でも、あの子達は助かったわ」
 カルナックを抱きすくめながら、ラト・ナ・ルアは囁く。

「エステリオ・アウルも、今回は、贄(にえ)にはならなかった。アイリスも、セラニス・アレム・ダルの手から守った」

「私だけの力ではない。アイリスの中にいた前世、システム・イリスがいなかったら、どうにもならなかった」

「でも、防がれた。自分を認めてあげなくちゃ。あなたはストイックすぎるの。だから、あたしたちには、甘えていいのよ。あたしたち精霊(セレナン)にだけは」

 ラト・ナ・ルアは、甘く、ささやく。

「忘れないでね。《世界の大いなる意思》の申し子。精霊(セレナン)は、あたしたちは、あなたを愛している。あなたがいるから、人間にも手を貸してあげるのよ」

 精霊(セレナン)達は、無償の愛を、ただカルナックの一身に注ぐ。

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