上 下
258 / 360
第七章 アイリス六歳

その36 頼りになるコマラパ老師

しおりを挟む
         36

「困った師匠じゃのう、カルナックも」
 ちっとも困ってなさそうに言ったのは、深緑(しんりょく)のコマラパ老師だった。
 魔法使いたちの中で、ただ一人、冷静を保っている。
 その実、白い炎と、青白く細かい雷を纏っているのが、会場の内部すべてに対して警戒していることを示していた。
 雷はコマラパ老師のお師匠さまにあたる、青い竜神さまの加護なのだ。

「コマラパ老師! お師匠様に何か言えるのは老師くらいじゃないですか。行って呼んできてくださいよ!」

 ルビー=ティーレは完全にパニック状態だ。

「まあ見ててごらんティーレ。カルナックが面白そうなことをやっとる。しかし、あいつの悪い病気が出たな。あの子どもに関わりすぎだ」
 コマラパ老師が、熊みたいに低く唸った。

「マクシミリアンのことですか。老師」
 ルビー=ティーレはマクシミリアンのいるテーブルから目を離さなずに、尋ねる。

「そうさの。カルナックとマクシミリアンの魔力の質を、走査してみなさい」

 老師に言われてルビー=ティーレはカルナックとマクシミリアンを走査し、
「ふぎゃっ!」
 ヒキガエルを踏んづけたような声を上げた。
「ま、ま、まずいっす老師! これじゃ……お師匠は。魔力核を移植するって、こういうこと!?」

 あたし、アイリスはお母さまとお父さま、エステリオ叔父さまと並んで席についていて、ルビー=ティーレさんを直視することはできないけれど、風の精霊シルルが運んでくれるやりとりから、いま、ティーレさんがひどく慌てていること、顔色が青くなっているだろうと思った。
 コマラパ老師さまは、
「カルナックの唯一の弱点だ。人間で遊ぶくせに、人間が不幸になるのが嫌なのだ。そのためには自分の身も省みないことがある。知っているだろう。カルナックの血族は皆、死に絶えている」

「師匠が冗談めかしてよく言いますから。でも、本当だったんすか」
 ティーレは半信半疑に、眉を上げた。

「ああ。もう、ずいぶんと昔の話だがな」
 深い息を吐いて、コマラパ老師は、話題を変えた。

「あのテーブルの近くには地方商人達が数名集まっている。全員の身元を洗い直せ。隠蔽工作の可能性を疑え。背後関係、有力者の紐付きでないか? 取引先は? それにマクシミリアンには魔法耐性があるそうだが、ダンテという父親もだ。午後の茶会の時アイリスに不用意に触れそうな行動をした。カルナックが脅しておいたがな。魔法攻撃を軽減できるのかもしれん。武術方面にも長けている者を数名、あれの側に付けておけ。ただしルビーは残りなさい。アイリスの護衛だ」

 老師の指示を受けて、マクシミリアンくんたちの側に数人の魔法使いが移動した。

「さて、こちらはゆっくりと準備を進めよう。婚約式の刻限を告知しているわけではないしな」
 厳しい表情が、一転して、緩む。
 優しいおじいちゃんみたい。あたしにとって、ヒューゴーお祖父さまは危険で、邪悪な感じがして近づきたくもないけれど。
 コマラパ老師は、ぜんぜん違う。ほんとうのお祖父さまだったらいいいのにって思うくらい。

「そういうものなんですか?」

「六歳のお披露目会と許婚との婚約承認を同時にやるのは前例がない。今後はラゼル家のお披露目が、首都での新しい流行になるじゃろうな」

 だから今回は自由にやっていいのだと。

「アイリス。エステリオ・アウルは逃げないし、わたしたちも、ずっとそばにいる。婚約を承認しても、生活はこれまでと変わらないのよ」
 お母さまが、あたしの右手をとって、微笑んだ。
 そしてお父さまは、
「私たちは仕事にかまけて、親子らしいことを、ちゃんとできていなかったと反省していたんだ」
 残った左の手を握ってくれた。
 とても、温かい手だ。

「お父さま、お母さま、大好き!」
 思わず、抱き着きたくなってしまう。

「えーと、わたしは?」
 エステリオ叔父さまったら。ちょっぴり寂しそう。

「おまえは我が家に住んでいるんだからいいじゃないか。そのうち結婚するといっても、アイリスが大人になってからだし、焦ることはないだろう」

「そうですが。アイリスが学校に入ったら歳の近い友人もできると……向こうから近づいてくるだろうし!」

 また叔父さまがこじらせてる。

「だいじょうぶよ。エステリオ叔父さまのことも、だいすきだから!」

「も?」

「あ~うざい! エステリオ・アウル。うじうじと! いいかげんにしないと、アイリス嬢に嫌われちゃうよ。許婚なんだからさぁ。どーんと構えてられないの?」
「はっはい! わかってはいるんですが」
「そこが暗いんだよ!」
 ばーんと背中をどやす。
 ついにティーレの教育的指導が入りました。
 コマラパ老師は大笑いしてます。

 よかった、少し空気が和らいだ。

 老師の采配で、乾杯が何度も行われています。
 招待客の皆さんが、順番にやってきて、挨拶してくださるけれど、用心のため、あたしには、手を伸ばしても触れられないくらい、距離を取っています。
 魔法使いさんたちもガードを固めてるし、何より加護のヴェールで顔は隠れているしね!

 みんな、何かを警戒してる。
 きっと、十数年前、当主がお爺さまだった頃に起こった事件が再現されるのを恐れているのだ。
 アイリスには、わからないこと。
 あたし、アイリスの中にいる月宮アリスには、少しだけ想像できること。

 だんだん、いやな予感がしてきて、心が、ざわつく。
 やだなあ。どうか何も起こらないで……!

 お客さまが何人も、ご挨拶にいらした。
 その中に、あたしと同い年くらいの活発そうなお嬢さんを連れているおじさまがいた。
「このたびはおめでとうございます。こちらは我が家の長女で、ナタリーと申します。お嬢さまと同い年で、半年前にお披露目を終えましたものです」
 お嬢さんに向けるまなざしが優しい。
 お母さまが答えた。
「出席させていただきました、よいお披露目でしたこと。アイリスはまだ外に出られませんでしたから、おうかがいできなくて残念でしたわ」
「よろしければ、これから、ご友人になっていただければと、連れてまいりました」

 栗色のセミロングの髪を青いリボンで結んでアップにした、藍色の目をした女の子が、にこっと笑った。
「はじめまして。あたしナタリー・ポルトです。アイリスさん、あなたも公立学院に入るでしょう。あたしとお友達になってね」
 はきはきと言う。なんてかわいい女の子なの! 初めて、ヴェール越しでなく顔を見てほしいなって思った。
 ところで、ナタリーさんの保有魔力は中くらいだと、わかった。
 今日たくさんの人に出会ったおかげで、人間の持つ魔力の平均値というものを、あたしはようやく確認できるようになったみたい。それでいうとまさにエステリオ・アウル、ティーレさんとサファイアさんの魔力は桁外れだった。カルナックお師匠さまに至っては、判断不可能なレベル。考えないほうがよさそう。

「こちらこそよろしく、ナタリーさん。お友達になってくださいね」
 あたしたちは笑顔をかわした。
 年の近い女の子との出会いはうれしい。

 たいていは、商会をやってるおじさんやおばさんたちで、ラゼル商会との繋がりを求めてくる人がほとんど。
 ひっきりなしにお客さまがやってくる。

 お客さまだらけ。
 あたしはただ黙って笑顔で頷くだけ。
 お父さまとお母さまは笑顔でご挨拶を交わしてる。準備も入れれば朝からずっとぶっ通し。疲れていないはずはないのに。
 これは結構時間がかかりそう。

 気疲れしてきた……。

 カルナックお師匠さま、早く帰ってきて。
 あたしとエステリオ・アウルの婚約の承認に立ち会って!

 でも、なんだか不穏なのよね。

 ティーレさんはずっと、難しい顔をしてるし。リドラさんは、ふいに、すごく怖い顔をすることがあるの。何が起ころうとしているの?

           ※

 会場の片隅に佇むしなやかな人影は、なぜか誰の目にも映らない。
 動脈を流れる血のように赤い髪と、静脈を流れる血のように暗い赤の瞳をした青年…それとも少女は、楽しげに、ひとり笑っていた。

「カルナックが力を分けた。命を削った。愚かなヒトみたいに。わからない。どうして自分の力を弱めるようなことを望んでやるんだろう。今度は、僕と遊んでくれるかな。ここには……ぼくのための器もあるし……まだ使えるかなあ……メンテしてないし」

 その目は、昏い狂気に沈んでいた。

しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

生まれ変わりも楽じゃない ~生まれ変わっても私はわたし~

こひな
恋愛
市川みのり 31歳。 成り行きで、なぜかバリバリのキャリアウーマンをやっていた私。 彼氏なし・趣味は食べることと読書という仕事以外は引きこもり気味な私が、とばっちりで異世界転生。 貴族令嬢となり、四苦八苦しつつ異世界を生き抜くお話です。 ※いつも読んで頂きありがとうございます。誤字脱字のご指摘ありがとうございます。

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

転生無双なんて大層なこと、できるわけないでしょう!〜公爵令息が家族、友達、精霊と送る仲良しスローライフ〜

西園寺わかば🌱
ファンタジー
転生したラインハルトはその際に超説明が適当な女神から、訳も分からず、チートスキルをもらう。 どこに転生するか、どんなスキルを貰ったのか、どんな身分に転生したのか全てを分からず転生したラインハルトが平和な?日常生活を送る話。 - カクヨム様にて、週間総合ランキングにランクインしました! - アルファポリス様にて、人気ランキング、HOTランキングにランクインしました! - この話はフィクションです。

【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる

三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。 こんなはずじゃなかった! 異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。 珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に! やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活! 右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり! アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。

憧れのスローライフを異世界で?

さくらもち
ファンタジー
アラフォー独身女子 雪菜は最近ではネット小説しか楽しみが無い寂しく会社と自宅を往復するだけの生活をしていたが、仕事中に突然目眩がして気がつくと転生したようで幼女だった。 日々成長しつつネット小説テンプレキターと転生先でのんびりスローライフをするための地盤堅めに邁進する。

転生テイマー、異世界生活を楽しむ

さっちさん
ファンタジー
題名変更しました。 内容がどんどんかけ離れていくので… ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓ ありきたりな転生ものの予定です。 主人公は30代後半で病死した、天涯孤独の女性が幼女になって冒険する。 一応、転生特典でスキルは貰ったけど、大丈夫か。私。 まっ、なんとかなるっしょ。

ボクが追放されたら飢餓に陥るけど良いですか?

音爽(ネソウ)
ファンタジー
美味しい果実より食えない石ころが欲しいなんて、人間て変わってますね。 役に立たないから出ていけ? わかりました、緑の加護はゴッソリ持っていきます! さようなら! 5月4日、ファンタジー1位!HOTランキング1位獲得!!ありがとうございました!

30年待たされた異世界転移

明之 想
ファンタジー
 気づけば異世界にいた10歳のぼく。 「こちらの手違いかぁ。申し訳ないけど、さっさと帰ってもらわないといけないね」  こうして、ぼくの最初の異世界転移はあっけなく終わってしまった。  右も左も分からず、何かを成し遂げるわけでもなく……。  でも、2度目があると確信していたぼくは、日本でひたすら努力を続けた。  あの日見た夢の続きを信じて。  ただ、ただ、異世界での冒険を夢見て!!  くじけそうになっても努力を続け。  そうして、30年が経過。  ついに2度目の異世界冒険の機会がやってきた。  しかも、20歳も若返った姿で。  異世界と日本の2つの世界で、  20年前に戻った俺の新たな冒険が始まる。

処理中です...