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第七章 アイリス六歳
その23 月宮アリス、驚く
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23
「エステリオ・アウル・ティス・ラゼル。彼が、君の許婚だよ。アイリス」
「はいいいいいいい~~~~~~!?」
「やはり聞いてなかったか。生まれたときに決められた許婚なんだよ。ほらエステリオ・アウル、固まってないで、覚悟を決めなさい」
「……はい」
エステリオの姿が消えた。
というのも、この部屋に現れているのは『影』であり、本人はアイリスたちが現在いる子ども部屋の扉の前にいるので、投影像を消したというわけだ。
同時に、エルナトの投影像も消えた。
しばらくして。
扉の外で、声がした。
「エウニーケでございます。エステリオ坊ちゃまをお連れしました」
今度こそ樫の扉は開かれ、勝ち誇った表情のエウニーケが、エステリオ・アウルの首根っこをつかんで引きずってきたのだった。エルナトは、おまけのように付き添っている。
「さあさあ、勇気を出すんだよ後輩!」
「ここで決めなきゃダメよぉ!」
ルビーとサファイアが煽り立てる。
「わたしも幼馴染として応援してるから、アウル。きみはアイリスのことをいつも自慢してるだろう。我が家には愛らしい虹の天使がいるって」
「そ、そんなこと……いつも言ってるけど」
「そうだね、私も、しかと聞いてるよ。君、だだもれすぎ。学院中で、エステリオ・アウルの『許婚の惚気』は有名だから。君だけだよ、隠せてるって思ってたのは」
エステリオ・アウルの顔は真っ赤になった。
ぎくしゃくと進み出て、アイリスの前にひざまずいた。
「アイリス。……わたしの、イーリス。将来、きみが大人になったら、結婚してください」
「……」
返事がないので、エステリオ・アウルは青くなった。
「ごめん! 気持ち悪いよね、年齢が離れてるし、嫌われるのがこわくて言えなかった。わたしは君が生まれたときに決められた許婚なんだ」
「……わ、わたし……」
アイリスの口から出たのは、とまどいの言葉だった。
「ずっと、エステリオ叔父さまのこと大好きだったけど……家族で……わたし、けっこんとかよくわからない」
「それくらいの理解でいいんだよ、まだ、今のところは」
カルナックが、微笑む。
「それにエステリオ・アウルと君には血縁関係はないしね。いや、遠縁かな」
「え?」
「君の父上、マウリシオは、ヒューゴーと再婚したメルセデスの連れ子だ。もともとラゼル家の本家筋はメルセデスの方だった。ヒューゴーは傍流、だからね、アイリス。君こそがラゼル本家の跡取りなんだよ」
「はい?」
「君が生まれたとき、エステリオ・アウルを夫にすることでラゼル家の血統は一つにまとまるし正当な後継ぎが将来の当主になると言って強引に許婚に決めたのはヒューゴーだったけど。我々、魔導士協会としても都合が良かったのでね。大公にも認可させた正式な婚約だ」
「……そういうことだったのね」
ふいにアイリスの口から洩れたのは、イリス・マクギリスの見解だった。
「それで得心がいったわ。おかしいと思っていたのよ。いくらアイリスが幼児でも、エステリオ・アウルが叔父でも、一つ屋根の下に同居してるなんて。つまり、許婚だったからなのね」
「……きみは、アイリスじゃない」
エステリオ・アウルが、一歩、ひいた。
「悪かったわね、あなたのイーリスでも、アリスちゃんでもなくて。いいわ、ここはいったん、譲ってあげる、あとは若い二人で、ってことで」
こう言い終えたとたん、アイリスの身体は、がくりと力を喪って崩れ落ちた。
※
あたし、アイリスは……月宮アリスは、目を開ける。
見えたのは、天井近くを妖精たちが光の粉をふりまきながら飛んでいる姿だった。
手をのばしたら、触れるのは、もこもこ、もふもふした手触り。きゅーん、きゅーんと、左右からステレオで犬たちの鳴き声が聞こえてくる。シロとクロは甘えん坊ね。
それに……
「「あいりすしなないで!」」
パオラさんとパウルくんが、ぎゅうぎゅう頭を押し付けてくる。
銀色のしっぽが左右に忙しく揺れてる。
すべすべふわふわの、もふもふです。
あたし仰向けに倒れているみたい。誰かに体を支えてもらっている。六歳の幼女だもの、軽いし小さいし、抱っこされてるんだ。
「……ここはどこ。あたしは、だれ」
答えを期待していなかったつぶやきに応えたのは、あたしを膝にのせてくれている人物。
カルナックお師匠さまだった。
「おはよう、月宮アリスくん。イリス・マクギリスには、いったん退場してもらった。あとで彼女にも力を借りなければならないことだしね。アイリスの意識の底で休んでもらっているよ」
どんなときにも変わらない冷静な声が降ってきた。
「さあ、起きてなさい月宮アリス。今宵は君、ラゼル家令嬢アイリスの、六歳の誕生日であり、対外的なお披露目の晩餐会があるのだから」
そして、カルナックさまの膝に抱っこされている、あたしの手を。しっかりと握っている、あたたかい手の持ち主が、心配そうな顔で、覗き込んでいる。
彼のほうが倒れてしまいそうよ。
あたしは手をのばして、彼の、もじゃもじゃに乱れたレンガ色の髪に触れる。まるで許しを求めるみたいに跪いているエステリオ・アウルの。
「アイリス」
あたしは彼のあたたかい茶色の目を見つめて、答えた。
「まだお返事していなかったわね。あたし、エステリオ・アウルとだったら、将来、大きくなったら、結婚したいって、ずっと願っていたの」
「……!!」
感極まったように、エステリオ・アウルが涙をぼろぼろ、こぼした。
「だいじょうぶよ。あたしは生きてる。死なないわ」
「どうして」
わかったのかと、問いかけるような目。雨に濡れた犬みたい。
「前もそうだったもの。あたしが意識を失ったとき、目をさましたらエステリオ・アウルが壊れてるかと思うくらい泣いてた。ねえ、だいじょうぶよ。あたし、うんと長生きするって決めてるの。家族みんなで」
「わたしの、イーリス」
「お父さまもお母さまも、みんなで長生きよ!」
「ちょっと、許婚としては、どうなのかしら。あまり甘々じゃなくない?」
と、サファイア。
「将来の伴侶っていうより、もう家族じゃん?」
腕組みをして、ルビー。
「家族として暮らしていたのも善し悪しですね。すでに甘いっていうのを通り越しちゃってるようですからねえ。ずっとアイリスちゃん一筋だったアウルが少し気の毒なような」
エルナトも好き勝手に言っていた。
「おめでとうございます、エステリオ坊ちゃま。アイリスお嬢様」
エウニーケは満面の笑みを浮かべて、満足そうだ。
カルナックも、笑う。
「まあ、いいだろう。さっき初めて許婚だと知ったわけだ、実感はないだろうよ。それより今夜のお披露目会を成功させることが肝心だ。二人の婚約を周知させることも重要な目的だからね」
「エステリオ・アウル・ティス・ラゼル。彼が、君の許婚だよ。アイリス」
「はいいいいいいい~~~~~~!?」
「やはり聞いてなかったか。生まれたときに決められた許婚なんだよ。ほらエステリオ・アウル、固まってないで、覚悟を決めなさい」
「……はい」
エステリオの姿が消えた。
というのも、この部屋に現れているのは『影』であり、本人はアイリスたちが現在いる子ども部屋の扉の前にいるので、投影像を消したというわけだ。
同時に、エルナトの投影像も消えた。
しばらくして。
扉の外で、声がした。
「エウニーケでございます。エステリオ坊ちゃまをお連れしました」
今度こそ樫の扉は開かれ、勝ち誇った表情のエウニーケが、エステリオ・アウルの首根っこをつかんで引きずってきたのだった。エルナトは、おまけのように付き添っている。
「さあさあ、勇気を出すんだよ後輩!」
「ここで決めなきゃダメよぉ!」
ルビーとサファイアが煽り立てる。
「わたしも幼馴染として応援してるから、アウル。きみはアイリスのことをいつも自慢してるだろう。我が家には愛らしい虹の天使がいるって」
「そ、そんなこと……いつも言ってるけど」
「そうだね、私も、しかと聞いてるよ。君、だだもれすぎ。学院中で、エステリオ・アウルの『許婚の惚気』は有名だから。君だけだよ、隠せてるって思ってたのは」
エステリオ・アウルの顔は真っ赤になった。
ぎくしゃくと進み出て、アイリスの前にひざまずいた。
「アイリス。……わたしの、イーリス。将来、きみが大人になったら、結婚してください」
「……」
返事がないので、エステリオ・アウルは青くなった。
「ごめん! 気持ち悪いよね、年齢が離れてるし、嫌われるのがこわくて言えなかった。わたしは君が生まれたときに決められた許婚なんだ」
「……わ、わたし……」
アイリスの口から出たのは、とまどいの言葉だった。
「ずっと、エステリオ叔父さまのこと大好きだったけど……家族で……わたし、けっこんとかよくわからない」
「それくらいの理解でいいんだよ、まだ、今のところは」
カルナックが、微笑む。
「それにエステリオ・アウルと君には血縁関係はないしね。いや、遠縁かな」
「え?」
「君の父上、マウリシオは、ヒューゴーと再婚したメルセデスの連れ子だ。もともとラゼル家の本家筋はメルセデスの方だった。ヒューゴーは傍流、だからね、アイリス。君こそがラゼル本家の跡取りなんだよ」
「はい?」
「君が生まれたとき、エステリオ・アウルを夫にすることでラゼル家の血統は一つにまとまるし正当な後継ぎが将来の当主になると言って強引に許婚に決めたのはヒューゴーだったけど。我々、魔導士協会としても都合が良かったのでね。大公にも認可させた正式な婚約だ」
「……そういうことだったのね」
ふいにアイリスの口から洩れたのは、イリス・マクギリスの見解だった。
「それで得心がいったわ。おかしいと思っていたのよ。いくらアイリスが幼児でも、エステリオ・アウルが叔父でも、一つ屋根の下に同居してるなんて。つまり、許婚だったからなのね」
「……きみは、アイリスじゃない」
エステリオ・アウルが、一歩、ひいた。
「悪かったわね、あなたのイーリスでも、アリスちゃんでもなくて。いいわ、ここはいったん、譲ってあげる、あとは若い二人で、ってことで」
こう言い終えたとたん、アイリスの身体は、がくりと力を喪って崩れ落ちた。
※
あたし、アイリスは……月宮アリスは、目を開ける。
見えたのは、天井近くを妖精たちが光の粉をふりまきながら飛んでいる姿だった。
手をのばしたら、触れるのは、もこもこ、もふもふした手触り。きゅーん、きゅーんと、左右からステレオで犬たちの鳴き声が聞こえてくる。シロとクロは甘えん坊ね。
それに……
「「あいりすしなないで!」」
パオラさんとパウルくんが、ぎゅうぎゅう頭を押し付けてくる。
銀色のしっぽが左右に忙しく揺れてる。
すべすべふわふわの、もふもふです。
あたし仰向けに倒れているみたい。誰かに体を支えてもらっている。六歳の幼女だもの、軽いし小さいし、抱っこされてるんだ。
「……ここはどこ。あたしは、だれ」
答えを期待していなかったつぶやきに応えたのは、あたしを膝にのせてくれている人物。
カルナックお師匠さまだった。
「おはよう、月宮アリスくん。イリス・マクギリスには、いったん退場してもらった。あとで彼女にも力を借りなければならないことだしね。アイリスの意識の底で休んでもらっているよ」
どんなときにも変わらない冷静な声が降ってきた。
「さあ、起きてなさい月宮アリス。今宵は君、ラゼル家令嬢アイリスの、六歳の誕生日であり、対外的なお披露目の晩餐会があるのだから」
そして、カルナックさまの膝に抱っこされている、あたしの手を。しっかりと握っている、あたたかい手の持ち主が、心配そうな顔で、覗き込んでいる。
彼のほうが倒れてしまいそうよ。
あたしは手をのばして、彼の、もじゃもじゃに乱れたレンガ色の髪に触れる。まるで許しを求めるみたいに跪いているエステリオ・アウルの。
「アイリス」
あたしは彼のあたたかい茶色の目を見つめて、答えた。
「まだお返事していなかったわね。あたし、エステリオ・アウルとだったら、将来、大きくなったら、結婚したいって、ずっと願っていたの」
「……!!」
感極まったように、エステリオ・アウルが涙をぼろぼろ、こぼした。
「だいじょうぶよ。あたしは生きてる。死なないわ」
「どうして」
わかったのかと、問いかけるような目。雨に濡れた犬みたい。
「前もそうだったもの。あたしが意識を失ったとき、目をさましたらエステリオ・アウルが壊れてるかと思うくらい泣いてた。ねえ、だいじょうぶよ。あたし、うんと長生きするって決めてるの。家族みんなで」
「わたしの、イーリス」
「お父さまもお母さまも、みんなで長生きよ!」
「ちょっと、許婚としては、どうなのかしら。あまり甘々じゃなくない?」
と、サファイア。
「将来の伴侶っていうより、もう家族じゃん?」
腕組みをして、ルビー。
「家族として暮らしていたのも善し悪しですね。すでに甘いっていうのを通り越しちゃってるようですからねえ。ずっとアイリスちゃん一筋だったアウルが少し気の毒なような」
エルナトも好き勝手に言っていた。
「おめでとうございます、エステリオ坊ちゃま。アイリスお嬢様」
エウニーケは満面の笑みを浮かべて、満足そうだ。
カルナックも、笑う。
「まあ、いいだろう。さっき初めて許婚だと知ったわけだ、実感はないだろうよ。それより今夜のお披露目会を成功させることが肝心だ。二人の婚約を周知させることも重要な目的だからね」
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