229 / 360
第七章 アイリス六歳
その7 閑話2 たったひとりのエリーゼ
しおりを挟む
7(閑話2)
「おまえ、ちんちくりんだな!」
言い放ったのは、波打つ金髪に金茶色の瞳、白い肌をした美青年である。非常に整った顔立ちには高貴な血統の印が厳然とあらわれていた。玉座を思わせる豪華な椅子に、長い足を投げ出して腰を下ろしている。
面白がっているような口調だった。
いきなり掛けられた言葉に、その場に詰めていた側近たちは大いに慌て、ざわついた。
ここはエルレーン公国首都シ・イル・リリヤの中枢部。
大公の一家が居を構える離宮の一つである。
ちなみにこの場所は非公式の面会などにも用いられてきた。
このときも、重要な国賓との極秘の謁見であるはずで、公嗣と呼ばれた青年の側近くには、五人の、壮年男性が詰めている。大臣等、国の要職に就いている者達だった。
「お慎みください公嗣様、その態度は、いかがなものかと」
「他国の王族に、このような対応、あってはなりませぬ」
「大公閣下がお留守のこのときに。我らがついていながら、不甲斐のうございます。いくら《呪術師》殿の取りなしとはいえ、許可するのではありませんでした!」
公嗣はうんざりしたように眉をよせる。
「おまえたち、もう下がれ。公の対面でなければ構わないのだろう? おれと、こいつは、まだ顔を合わせていない。そういうことだ」
群がる側近達を、片手を一振りして追い払った金髪の公嗣は、贅沢な椅子の上で、腰を軽く上げ、あぐらをかいた姿勢に、座り直した。
「しかしフィリクス殿下」
「去れと言ったぞ」
怒気を含んだ言葉に側近達は縮み上がる。
「大公閣下にご報告をしないわけには、なりませぬ」
「よけいなことは言わぬが良いぞ。首と胴体が離れたくなければな」
フィリクスと呼ばれた金髪の青年が、一言。
豪奢なマントを床に引きずりながら、男達が逃げ去っていくのを見届けると、公嗣は謁見している客分に対して、向き直り、遠慮のない視線を目の前の少女に向ける。
「頭を上げよ。それでは顔も見えぬ」
命じられたので彼女はうつむいていた上体を起こした。
十代半ばの、幼さの残る面差しをした少女だ。
長く黒い髪に、黒い目。白い肌。
造作のよい面差しは、かつては美しかったであろうが、焦燥にいろどられており痩せこけて見る影もない。黒髪もまた、はりも艶もなくパサパサだった。
「これが傾国の美女か。どんなものかと思ったら、子供ではないか。こんなのがグーリア皇帝の執心か? 王女を寄越せというのは口実、エリゼールの領土が欲しかっただけじゃないのか」
フィリクスは、つまらなそうに息を吐いた。
「ありがとうございます」
少女が返した言葉に、フィリクスは意表をつかれて驚く。
次いで、まじまじと彼女を見つめ、やがて、面白いものを見たように、目を見開いた。
「ちんちくりんだが、なかなか面白いことを言う子どもだ」
「わたくしは殿下のおことばで、救われましたので……」
少女は、固い笑みを浮かべた。
「どういう意味だ。述べてみよ」
尊大な公嗣を見あげ、少女は、薄く、微笑む。
「レギオン王国に逃げていたときのことです。彼の国は叔母が嫁いだ国とはいえ、親しい国ではありませんでした。わたくしの故国も、抵抗などせず早めにわたくしを皇帝に差し出していれば滅びなかったと、常に言われていましたから……ですが、狙いは領土だったのであれば……私がどうだろうと同じ結果だったでしょうから」
「ふん。くだらん国だ。どちらにせよ、公式には死んだことにするから、それも同じだな。おまえの行く末は、この俺が考えてやれと命じられているが。俺も忙しい」
フィリクスは、少女の後ろに佇んでいる、黒髪の青年を見やった。
「これより先は、この者の言う通りにしろ。そなたが瀕死の状態から、命をつないだのは、彼のおかげだ」
感謝をこめて、少女は恩人の顔を振り仰いだ。
「助けてくださって、本当に、ありがとうございます。このご恩は忘れません」
それから、ふたたびフィリクスに顔を向ける。
「公嗣様。どのような処遇でも、ありがたきこと。お慈悲に感謝致します」
「やめろ。まるで悪人のような気になる」
フィリクスは鼻白む。
「ああ、それとな。大臣やらに面倒くさいことを言われたかもしれないが、この俺が、ちんちくりんの子供に手を出すものか。心配しなくてもいい。おまえは家も国もなくした孤児だ。我が公国は『死者と咎人とみどりごの守護者』イル・リリヤの慈悲を体現する国なのだ。それに愛人ならいるから不自由はしていない。……な?」
傍らの黒髪の青年を見やって、にやりと笑う。
黒髪の青年は、深いため息をつく。
「フィリクス。降りかかる縁談に気が進まないからと言って、私を弾よけにするのはやめてもらいたい。おかげで嫁の来てもないではないか」
「嫁が来ないのはおまえが無愛想だからだろ……」
楽しげにフィリクス公嗣は高らかに笑った。
「これは《影の呪術師》だ。愛想のねえやつだが。それなりに親切なんだぞ。姫、そなたの世話は、こいつにまかせた」
影の呪術師は、ぴくりと眉を上げた。
「おや? 大公閣下は、フィリクスに一任したはずだが?」
「適材適所ってことだ! 頼んだぞ」
右手を振る公嗣。
「会見は終わり。後は好きにしろ。ただしこの離宮は出るな。……行っていいぞ」
それを合図に、控えていた侍女たちがやってきて少女に手を差し伸べ、ふらつく細い身体を支えて立ち上がらせ、会見の間を後にしようとした。
その後ろ姿に、フィリクスは思いついたようにふと声をかけた。
「そういや、姫の名前は? エリーゼだったか?」
少女は振り返り、虚ろに答えた。
「いいえ、殿下。わたくしは、ルイーゼロッタと申します。それにもう、姫などでは、ありません」
ルイーゼロッタ。
その名前を口にしたとき、少女の周囲から、音も光景も消えた。
「おまえ、ちんちくりんだな!」
言い放ったのは、波打つ金髪に金茶色の瞳、白い肌をした美青年である。非常に整った顔立ちには高貴な血統の印が厳然とあらわれていた。玉座を思わせる豪華な椅子に、長い足を投げ出して腰を下ろしている。
面白がっているような口調だった。
いきなり掛けられた言葉に、その場に詰めていた側近たちは大いに慌て、ざわついた。
ここはエルレーン公国首都シ・イル・リリヤの中枢部。
大公の一家が居を構える離宮の一つである。
ちなみにこの場所は非公式の面会などにも用いられてきた。
このときも、重要な国賓との極秘の謁見であるはずで、公嗣と呼ばれた青年の側近くには、五人の、壮年男性が詰めている。大臣等、国の要職に就いている者達だった。
「お慎みください公嗣様、その態度は、いかがなものかと」
「他国の王族に、このような対応、あってはなりませぬ」
「大公閣下がお留守のこのときに。我らがついていながら、不甲斐のうございます。いくら《呪術師》殿の取りなしとはいえ、許可するのではありませんでした!」
公嗣はうんざりしたように眉をよせる。
「おまえたち、もう下がれ。公の対面でなければ構わないのだろう? おれと、こいつは、まだ顔を合わせていない。そういうことだ」
群がる側近達を、片手を一振りして追い払った金髪の公嗣は、贅沢な椅子の上で、腰を軽く上げ、あぐらをかいた姿勢に、座り直した。
「しかしフィリクス殿下」
「去れと言ったぞ」
怒気を含んだ言葉に側近達は縮み上がる。
「大公閣下にご報告をしないわけには、なりませぬ」
「よけいなことは言わぬが良いぞ。首と胴体が離れたくなければな」
フィリクスと呼ばれた金髪の青年が、一言。
豪奢なマントを床に引きずりながら、男達が逃げ去っていくのを見届けると、公嗣は謁見している客分に対して、向き直り、遠慮のない視線を目の前の少女に向ける。
「頭を上げよ。それでは顔も見えぬ」
命じられたので彼女はうつむいていた上体を起こした。
十代半ばの、幼さの残る面差しをした少女だ。
長く黒い髪に、黒い目。白い肌。
造作のよい面差しは、かつては美しかったであろうが、焦燥にいろどられており痩せこけて見る影もない。黒髪もまた、はりも艶もなくパサパサだった。
「これが傾国の美女か。どんなものかと思ったら、子供ではないか。こんなのがグーリア皇帝の執心か? 王女を寄越せというのは口実、エリゼールの領土が欲しかっただけじゃないのか」
フィリクスは、つまらなそうに息を吐いた。
「ありがとうございます」
少女が返した言葉に、フィリクスは意表をつかれて驚く。
次いで、まじまじと彼女を見つめ、やがて、面白いものを見たように、目を見開いた。
「ちんちくりんだが、なかなか面白いことを言う子どもだ」
「わたくしは殿下のおことばで、救われましたので……」
少女は、固い笑みを浮かべた。
「どういう意味だ。述べてみよ」
尊大な公嗣を見あげ、少女は、薄く、微笑む。
「レギオン王国に逃げていたときのことです。彼の国は叔母が嫁いだ国とはいえ、親しい国ではありませんでした。わたくしの故国も、抵抗などせず早めにわたくしを皇帝に差し出していれば滅びなかったと、常に言われていましたから……ですが、狙いは領土だったのであれば……私がどうだろうと同じ結果だったでしょうから」
「ふん。くだらん国だ。どちらにせよ、公式には死んだことにするから、それも同じだな。おまえの行く末は、この俺が考えてやれと命じられているが。俺も忙しい」
フィリクスは、少女の後ろに佇んでいる、黒髪の青年を見やった。
「これより先は、この者の言う通りにしろ。そなたが瀕死の状態から、命をつないだのは、彼のおかげだ」
感謝をこめて、少女は恩人の顔を振り仰いだ。
「助けてくださって、本当に、ありがとうございます。このご恩は忘れません」
それから、ふたたびフィリクスに顔を向ける。
「公嗣様。どのような処遇でも、ありがたきこと。お慈悲に感謝致します」
「やめろ。まるで悪人のような気になる」
フィリクスは鼻白む。
「ああ、それとな。大臣やらに面倒くさいことを言われたかもしれないが、この俺が、ちんちくりんの子供に手を出すものか。心配しなくてもいい。おまえは家も国もなくした孤児だ。我が公国は『死者と咎人とみどりごの守護者』イル・リリヤの慈悲を体現する国なのだ。それに愛人ならいるから不自由はしていない。……な?」
傍らの黒髪の青年を見やって、にやりと笑う。
黒髪の青年は、深いため息をつく。
「フィリクス。降りかかる縁談に気が進まないからと言って、私を弾よけにするのはやめてもらいたい。おかげで嫁の来てもないではないか」
「嫁が来ないのはおまえが無愛想だからだろ……」
楽しげにフィリクス公嗣は高らかに笑った。
「これは《影の呪術師》だ。愛想のねえやつだが。それなりに親切なんだぞ。姫、そなたの世話は、こいつにまかせた」
影の呪術師は、ぴくりと眉を上げた。
「おや? 大公閣下は、フィリクスに一任したはずだが?」
「適材適所ってことだ! 頼んだぞ」
右手を振る公嗣。
「会見は終わり。後は好きにしろ。ただしこの離宮は出るな。……行っていいぞ」
それを合図に、控えていた侍女たちがやってきて少女に手を差し伸べ、ふらつく細い身体を支えて立ち上がらせ、会見の間を後にしようとした。
その後ろ姿に、フィリクスは思いついたようにふと声をかけた。
「そういや、姫の名前は? エリーゼだったか?」
少女は振り返り、虚ろに答えた。
「いいえ、殿下。わたくしは、ルイーゼロッタと申します。それにもう、姫などでは、ありません」
ルイーゼロッタ。
その名前を口にしたとき、少女の周囲から、音も光景も消えた。
10
お気に入りに追加
277
あなたにおすすめの小説
セーブポイント転生 ~寿命が無い石なので千年修行したらレベル上限突破してしまった~
空色蜻蛉
ファンタジー
枢は目覚めるとクリスタルの中で魂だけの状態になっていた。どうやらダンジョンのセーブポイントに転生してしまったらしい。身動きできない状態に悲嘆に暮れた枢だが、やがて開き直ってレベルアップ作業に明け暮れることにした。百年経ち、二百年経ち……やがて国の礎である「聖なるクリスタル」として崇められるまでになる。
もう元の世界に戻れないと腹をくくって自分の国を見守る枢だが、千年経った時、衝撃のどんでん返しが待ち受けていて……。
【お知らせ】6/22 完結しました!

神に異世界へ転生させられたので……自由に生きていく
霜月 祈叶 (霜月藍)
ファンタジー
小説漫画アニメではお馴染みの神の失敗で死んだ。
だから異世界で自由に生きていこうと決めた鈴村茉莉。
どう足掻いても異世界のせいかテンプレ発生。ゴブリン、オーク……盗賊。
でも目立ちたくない。目指せフリーダムライフ!
【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる
三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。
こんなはずじゃなかった!
異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。
珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に!
やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活!
右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり!
アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。
うっかり女神さまからもらった『レベル9999』は使い切れないので、『譲渡』スキルで仲間を強化して最強パーティーを作ることにしました
akairo
ファンタジー
「ごめんなさい!貴方が死んだのは私のクシャミのせいなんです!」
帰宅途中に工事現場の足台が直撃して死んだ、早良 悠月(さわら ゆずき)が目覚めた目の前には女神さまが土下座待機をして待っていた。
謝る女神さまの手によって『ユズキ』として転生することになったが、その直後またもや女神さまの手違いによって、『レベル9999』と職業『譲渡士』という謎の職業を付与されてしまう。
しかし、女神さまの世界の最大レベルは99。
勇者や魔王よりも強いレベルのまま転生することになったユズキの、使い切ることもできないレベルの使い道は仲間に譲渡することだった──!?
転生先で出会ったエルフと魔族の少女。スローライフを掲げるユズキだったが、二人と共に世界を回ることで国を巻き込む争いへと巻き込まれていく。
※9月16日
タイトル変更致しました。
前タイトルは『レベル9999は転生した世界で使い切れないので、仲間にあげることにしました』になります。
仲間を強くして無双していく話です。
『小説家になろう』様でも公開しています。

疲れきった退職前女教師がある日突然、異世界のどうしようもない貴族令嬢に転生。こっちの世界でも子供たちの幸せは第一優先です!
ミミリン
恋愛
小学校教師として長年勤めた独身の皐月(さつき)。
退職間近で突然異世界に転生してしまった。転生先では醜いどうしようもない貴族令嬢リリア・アルバになっていた!
私を陥れようとする兄から逃れ、
不器用な大人たちに助けられ、少しずつ現世とのギャップを埋め合わせる。
逃れた先で出会った訳ありの美青年は何かとからかってくるけど、気がついたら成長して私を支えてくれる大切な男性になっていた。こ、これは恋?
異世界で繰り広げられるそれぞれの奮闘ストーリー。
この世界で新たに自分の人生を切り開けるか!?
能力値カンストで異世界転生したので…のんびり生きちゃダメですか?
火産霊神
ファンタジー
私の異世界転生、思ってたのとちょっと違う…?
24歳OLの立花由芽は、ある日異世界転生し「ユメ」という名前の16歳の魔女として生きることに。その世界は魔王の脅威に怯え…ているわけでもなく、レベルアップは…能力値がカンストしているのでする必要もなく、能力を持て余した彼女はスローライフをおくることに。そう決めた矢先から何やらイベントが発生し…!?

【完結】悪役令嬢は3歳?〜断罪されていたのは、幼女でした〜
白崎りか
恋愛
魔法学園の卒業式に招かれた保護者達は、突然、王太子の始めた蛮行に驚愕した。
舞台上で、大柄な男子生徒が幼い子供を押さえつけているのだ。
王太子は、それを見下ろし、子供に向って婚約破棄を告げた。
「ヒナコのノートを汚したな!」
「ちがうもん。ミア、お絵かきしてただけだもん!」
小説家になろう様でも投稿しています。

(完結)もふもふと幼女の異世界まったり旅
あかる
ファンタジー
死ぬ予定ではなかったのに、死神さんにうっかり魂を狩られてしまった!しかも証拠隠滅の為に捨てられて…捨てる神あれば拾う神あり?
異世界に飛ばされた魂を拾ってもらい、便利なスキルも貰えました!
完結しました。ところで、何位だったのでしょう?途中覗いた時は150~160位くらいでした。応援、ありがとうございました。そのうち新しい物も出す予定です。その時はよろしくお願いします。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる