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閑話 赤竜の夜ばなし

その5 滅びた国の話をしようか(5)まれなる旅人

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「あ~あ、つまんないの。北にも遊び場があったらって思ったのになあ。アルナシル甲斐性ないよ。聖女が頷けばパラダイスができたのに。女の子ひとり口説き落とせないなんて、ヘタレ」
 闇の中に、少年の笑い声が響く。
「ま、ここがダメでもサウダージは僕のものだし、いいかあ。そろそろ潮時だねえ」
 鮮血のように赤い、長い髪が、闇の中で翻る。
 
         ※

「これが、アステルシア王国が滅びたいきさつだ。永劫に等しい時間、雪と氷に閉ざされた極寒地獄。今では訪れる者もない。だれ1人として入ることさえできないのだからな」
 ルーフスは、微笑んだ。とはいえそれは唇をゆがめた、酷薄な笑いである。

「さよう、おまえは国外からやってきたのではない。ずっと、ここにいたのだ。雪原をはてなく彷徨い続けた、そのあげくに、我が城にたどりついた。おかしいだろう? さすらっている間に、何一つ飲み食いも眠ることもなく。生き物ならば身体が凍り付いて動けなかったはずだというのに」

「わたしは、わたしは……今まで?」

「たちの悪い占い師にそそのかされたな。あれは……動脈を流れる血のように赤く、長い髪、静脈を流れる血のように暗く赤い瞳をしていただろう? 儚く愚かなヒトなどを相手に、残酷な遊びをする悪癖があってな。このおれに似た赤い髪に免じて寛大に赦してやってはいるが。面白い見ものというわけではなかった」

「なんのことを……おっしゃっておられるのか、わかりません、ルーフス殿」
 不安と怖れに襲われて、旅人は、やっとのことで声を絞り出す。

「ところで旅人よ、先程から食が進んでおらんようだな。当ててやろう。ここにきて口にしたもの全て、味がしなかっただろう。まるで砂をはみ泥を飲むようにな?」

「げふっつ」
 違う、と言いかけて、旅人はむせて、口にしていたものを吐き出した。
 それは砂で、泥だった。
 愕然としていると、さらにルーフスは追い打ちをかける。

「おまえの国の飢えた者たちは砂を食べ泥をすすっていた。食べられる草を堀りつくし木の皮をかじり木の根を食んで、植物も何もなくなった後のことだ。土を食って、そして飢えて死んだ。だから、おまえの口にするものは砂と泥になったのだ。おまえの喉を焼くのは《世界》の根源の泉水。聖なるものであるから、飲み込めば内側から焼けるのだ。だが、それだけが、おまえの魂をすくうものである。さあ飲め。飲んで、浄化されるのだ」

「わたしを、浄化?」
 とまどいながら旅人はグラスを口に運ぶ。焼け付くようだ。だが、それだけが、彼に許された、唯一、飲み込めるものであった。

 なあ、と。ルーフスは尋ねた。
 憤りの色は、すでにない。むしろ、唇には哀れみを浮かべている。

「まれなる旅人、アルナシル王。なぜ、それなりの時間をかけて、ゆっくりと聖女と親しくなろうとしなかったのだろうな。いきなり捕らえ牢に入れるやつの求婚にうなずけるはずがないだろう」

 その問いかけに、旅人は答えなかった。
 聖なる水を飲み干す彼の身体に、ふいに火が燃えついた。しだいに炎は全身にまで広がっていく。

「瞳は春の野のようだった。鳶色の髪が風になびいているのを見たとき、心が、踊った。長い間、凍っていた、我が心が。とける……気がした。彼女が、そばにいてくれたなら」
 かすかに、唇から、息がもれるように、つぶやきがこぼれた。
「なのに……拒まれて、我は……」

「愚かな。まだ、念を残しておるのか。それゆえに、彷徨い続けるのか。おまえが、反乱を起こした民により殺され八つに刻まれて雪原に撒かれてから、もう数百年もたっているのだぞ」
 ルーフスは立ち上がり、旅人に近づいた。
 燃えさかる彼の耳元に、顔を寄せる。

「いまさら詮無きこと。あわれ幼子なる咎人よ、死せる王よ。我はルーフス(赤)。かつてアステルシアの地熱を司っていた《炎の竜》である。おまえが迷い続けるならば、再び、この城をおとなうがよい。いくたびでも、炎の道をつくってやろう。導いてやろう。『焼き尽くせ』!」

 赤熱した炎が、旅人だったものを押し包んでいった。

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