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第六章 アイリス五歳
その35 祭の夜の、魔法使いと……
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35
「師匠がそれ言っちゃエステリオが泣くからやめてくださいよ!」
と、ルビー・ティーレ。
それを聞いたアイリスは首をかしげる。
「ルビーさん、エステリオ叔父さまは泣き虫じゃないわ。だいじょうぶよ」
「そういうことじゃないのよねえ」
サファイア・リドラは、嫣然と笑った。
「でも、いいのよ。アイリスちゃんは、深く考えなくても」
釈然としないまま、アイリスはカルナックを見上げる。
子犬みたいに抱っこされて運ばれているので顔が近い。
「お師匠さま、エステリオ叔父さまをいじめないでくださいね」
「ああ、わかっているとも。アイリス、君は本当にエステリオ・アウルを好いているのだなあ」
「からかわないでください」
真面目に抗議したのに。
カルナックは楽し気に笑うばかりだった。
そして、ラゼル家の家族はもちろん、執事もメイドたちも台所の下働きも、奉公人のすべてにいたるまで、庭に設けられた屋台の数々を十分に堪能しきったところで、正午を告げる鐘が鳴った。
午後からは、庭が一般にも開放される。
※
「みなさん、ようこそ!」
「どうぞどうぞ!」
入口で声をあげて誘うのは、にぎやかな楽隊とあでやかな踊り子たち。ラゼル家に祭りの盛り上げにと雇われたのだった。礼金を弾んでもらっているので、笑顔もはじけるように明るい。
街の人々は、はじめはおずおずと、ためらいがちに足を踏み入れた。
これまでは新しい年を迎える火祭りのときにしか開放されてこなかったラゼル家の、首都シ・イル・リリヤに名高い庭である。そのうちの一部分ではあるが。
しかし朝から打ち上げられていた花火の音も、色とりどりの煙も、上空で展開されていただけに否が応でも人々の興味をひかないではいなかった。
祭りの夜にこそ花火は色を添えるもので、それは魔法使いたちの起こす奇跡の技によるものと知られていた。
昼のさなかに、王侯貴族でもない家で行われるなどとは。
さすがは大陸一の豪商ラゼル家であると、人々は浮かれながら、噂した。
加えて、食欲を刺激する料理の数々、とびぬけて珍しいものばかりが並ぶ屋台を広げているのは、エルレーン公国国立学院の魔導士養成課の生徒たちなのだ。
魔導士協会が肩入れしているらしいということは誰の目にもあきらかだ。
五月祭りの賑わいはそのままに、やがて邸宅の中にも流れ込み、溶け合っていく。
ただ、その喧騒の中に、ラゼル家の人々の姿はなかった。
魔法使いの弟子たちの姿も、また。
売り子は雇われたものたちで、日ごろは市場で働いていたりするのだった。
中には、楽隊や踊り子も混じっていた。
「どうぞ楽しんでいってねえ」
「なんだ無料じゃないのかい」
客の一人が不満をもらすが、
「あたりまえだろ。五月祭には全国から出店がやってきてるんだ。タダで配ったら、営業妨害じゃないか。こっちが恨まれちまう」
「だけど珍しいものがあるのは保証するよ!」
「寄っといで見といで、食べてみな」
「お土産にどうだい」
「飲み物はいかが!」
賑わいはさらに盛り上がる。
五月祭の花形、パレードが通るのだ。
華やいだ空気のままに、ゆっくりと日は傾いて、夕映えに空は染まり、そのうちに、暗くなった空に鮮やかな大輪の花火が開く。こちらは大公の宮殿であがっているのだった。
夜半になっても、人出は絶えることはなかった。
祭りは三日間、続くのだ。
※
「まあまあだったねえ、今年の五月祭は」
宵闇の中でくすくすと笑うのは、カルナック。
どこにいるかといえば、大公の宮殿の、大屋根の上だった。
『そういうものですかしら。事件がないにこしたことはありませんでしょうけれど』
『引き受けてくださった方々に、ご挨拶もしていきたかったのだがねえ。あまり郷を留守にもできないからな』
カルナックに応えたのは、同じ屋根の上にたたずむ男女。
陰になっているが、二人とも、しなやかな長身で、長い髪を夜風になびかせている。
『元気なようすが見られて、ひと安心いたしました』
『うちの双子を、くれぐれもお頼みします』
「お互い様ですよ。あの子には、よい遊び相手になってくださっています。この次にいらしたときには、お目通りさせていただければ光栄です」
『こちらこそ』
『そういえば、あれはいいものですわねえ』
長身の女性がつぶやく。
『移動できる、まほうじんとか、いうものですわ。うちとの間にも、設けていただけませんかしら』
「検討しておきましょう」
『お約束ですよ』
『これ! すみません、妹が。漆黒の魔法使いどのに何をねだっているのだ! お困りではないか』
「いや、そうでもないですよ、兄君。美しい女性にねだられるとは、いくつになっても嬉しいものです」
カルナックは低く、笑った。興が乗ったかのようだ。
「このたびのお帰りは、わが友、銀竜にお送りさせていただきますが、いずれは、ご希望にそえるようにいたしましょう」
三つの影は闇の中に溶け込んだかのように、誰の目にも映らなかった。
「師匠がそれ言っちゃエステリオが泣くからやめてくださいよ!」
と、ルビー・ティーレ。
それを聞いたアイリスは首をかしげる。
「ルビーさん、エステリオ叔父さまは泣き虫じゃないわ。だいじょうぶよ」
「そういうことじゃないのよねえ」
サファイア・リドラは、嫣然と笑った。
「でも、いいのよ。アイリスちゃんは、深く考えなくても」
釈然としないまま、アイリスはカルナックを見上げる。
子犬みたいに抱っこされて運ばれているので顔が近い。
「お師匠さま、エステリオ叔父さまをいじめないでくださいね」
「ああ、わかっているとも。アイリス、君は本当にエステリオ・アウルを好いているのだなあ」
「からかわないでください」
真面目に抗議したのに。
カルナックは楽し気に笑うばかりだった。
そして、ラゼル家の家族はもちろん、執事もメイドたちも台所の下働きも、奉公人のすべてにいたるまで、庭に設けられた屋台の数々を十分に堪能しきったところで、正午を告げる鐘が鳴った。
午後からは、庭が一般にも開放される。
※
「みなさん、ようこそ!」
「どうぞどうぞ!」
入口で声をあげて誘うのは、にぎやかな楽隊とあでやかな踊り子たち。ラゼル家に祭りの盛り上げにと雇われたのだった。礼金を弾んでもらっているので、笑顔もはじけるように明るい。
街の人々は、はじめはおずおずと、ためらいがちに足を踏み入れた。
これまでは新しい年を迎える火祭りのときにしか開放されてこなかったラゼル家の、首都シ・イル・リリヤに名高い庭である。そのうちの一部分ではあるが。
しかし朝から打ち上げられていた花火の音も、色とりどりの煙も、上空で展開されていただけに否が応でも人々の興味をひかないではいなかった。
祭りの夜にこそ花火は色を添えるもので、それは魔法使いたちの起こす奇跡の技によるものと知られていた。
昼のさなかに、王侯貴族でもない家で行われるなどとは。
さすがは大陸一の豪商ラゼル家であると、人々は浮かれながら、噂した。
加えて、食欲を刺激する料理の数々、とびぬけて珍しいものばかりが並ぶ屋台を広げているのは、エルレーン公国国立学院の魔導士養成課の生徒たちなのだ。
魔導士協会が肩入れしているらしいということは誰の目にもあきらかだ。
五月祭りの賑わいはそのままに、やがて邸宅の中にも流れ込み、溶け合っていく。
ただ、その喧騒の中に、ラゼル家の人々の姿はなかった。
魔法使いの弟子たちの姿も、また。
売り子は雇われたものたちで、日ごろは市場で働いていたりするのだった。
中には、楽隊や踊り子も混じっていた。
「どうぞ楽しんでいってねえ」
「なんだ無料じゃないのかい」
客の一人が不満をもらすが、
「あたりまえだろ。五月祭には全国から出店がやってきてるんだ。タダで配ったら、営業妨害じゃないか。こっちが恨まれちまう」
「だけど珍しいものがあるのは保証するよ!」
「寄っといで見といで、食べてみな」
「お土産にどうだい」
「飲み物はいかが!」
賑わいはさらに盛り上がる。
五月祭の花形、パレードが通るのだ。
華やいだ空気のままに、ゆっくりと日は傾いて、夕映えに空は染まり、そのうちに、暗くなった空に鮮やかな大輪の花火が開く。こちらは大公の宮殿であがっているのだった。
夜半になっても、人出は絶えることはなかった。
祭りは三日間、続くのだ。
※
「まあまあだったねえ、今年の五月祭は」
宵闇の中でくすくすと笑うのは、カルナック。
どこにいるかといえば、大公の宮殿の、大屋根の上だった。
『そういうものですかしら。事件がないにこしたことはありませんでしょうけれど』
『引き受けてくださった方々に、ご挨拶もしていきたかったのだがねえ。あまり郷を留守にもできないからな』
カルナックに応えたのは、同じ屋根の上にたたずむ男女。
陰になっているが、二人とも、しなやかな長身で、長い髪を夜風になびかせている。
『元気なようすが見られて、ひと安心いたしました』
『うちの双子を、くれぐれもお頼みします』
「お互い様ですよ。あの子には、よい遊び相手になってくださっています。この次にいらしたときには、お目通りさせていただければ光栄です」
『こちらこそ』
『そういえば、あれはいいものですわねえ』
長身の女性がつぶやく。
『移動できる、まほうじんとか、いうものですわ。うちとの間にも、設けていただけませんかしら』
「検討しておきましょう」
『お約束ですよ』
『これ! すみません、妹が。漆黒の魔法使いどのに何をねだっているのだ! お困りではないか』
「いや、そうでもないですよ、兄君。美しい女性にねだられるとは、いくつになっても嬉しいものです」
カルナックは低く、笑った。興が乗ったかのようだ。
「このたびのお帰りは、わが友、銀竜にお送りさせていただきますが、いずれは、ご希望にそえるようにいたしましょう」
三つの影は闇の中に溶け込んだかのように、誰の目にも映らなかった。
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