上 下
199 / 359
第六章 アイリス五歳

その24 閑話 とある孤児R-12458のサウダーヂ(前編)

しおりを挟む
         24

「サウダーヂって、きれいな響きだよね」
 その客は言った。
「ただ郷愁というだけではない、すでに失われたものへの懐かしむ気持ちも、入っているんだよ」

 成人してそこそこと思える、若々しい面差し、筋肉隆々とはいかないが引きしまった体つきは外套ごしにもうかがえるほど。きりりとした美青年である。

 黒ずくめの装いだった。
 外套もローブもゆったりとしたズボンも、革靴も。
 長い黒髪を緩く三つ編みにしている。
 遊ぶための店をおとずれながら、出された飲み物、食べ物(まあそんなにうまいものなんて出て来ないけど)にもいっさい手をつけず、ソファに浅く腰掛けている。
 周囲に目を配っているのはまるわかり。
 それにしたって店にくれば誰だってやることはきまっているわけで。
 店おかかえの『花』を選んで呼びつけて、服を脱いだらよろしくやるだけ。あとはきちんと支払いを済ませれば、五体満足に出て行ける。もし万が一、支払いをしぶれば、翌朝には舌を抜かれた死体が一つ路地裏に転がることになるだけのこと。
 なのに、『花』を選んで酒席についておきながら、
 外套を着込んだままなんて、変わってる。
 長い足を組んで、テーブルに投げ出した。

「この国の名には、もったいないよ。ねえ、そうは思わないかい?」

 風変わりな客の相手をしている『花』としては、店の手前、めったなことも言えはしない。

「ところで君、名前は? 私は……そうだなあ」
 しばし考えをめぐらせ。
「私は、カオリというんだ」
 偽名にちがいないだろう、珍妙な響きを、口にした。
「君は?」

 重ねて問われ、しかたなく『花』は答える。

「R-12458」

「は?」

「R-12458。それが識別番号だよ」

「それは、名前じゃないだろう」
 黒髪の青年は、眉をひそめた。

「ほかに、おれをあらわす呼称はないよ。必要ないと言われてる」

「これほど腐っているとは」
 青年の眉間の皺が、深くなった。

「お客さん?」

「お兄さん、って呼んで。私はね、ここに、この国に自分のルーツを、まあ親戚でもいないかなと、探しにきたようなものでね。君はどことなく、親戚のような気がするんだ」

「親戚なんていたら、おれは孤児になってないな」
 溜息が、出た。
 なにもかも、とうにあきらめている。
 手の届かない星空のよう。


「じゃあこうしよう」
 青年が、言う。
「私と一緒に、ここを出て行こう」

「え? むりだよ、おれはここの所有物で備品で消耗品で」

「いいから、行こう。胴元はどこだ?」
 青年が手を打つと、店の護衛兼給仕人がやってくる。

「何か問題でも」
 凄味のある口調に、『花』である、黒髪の子供が、びくっと身をすくめる。

「精算を」

「お客様はまだ、当店をご堪能いただけていないご様子ですが」

「もう充分だ。この子を、買おうと言ってるんだよ、私は」

 暗転。
         ※
         ※

「だから危険だって言ったよね。お兄さん、あんたみたいなキレイな人が来て良いところじゃないんだ。大金を払っておれを身請けするなんて元締めに言うから。あんたを殺して、有り金を洗いざらい奪うつもりだよ」

 陽の光など差したこともない穴蔵だった。土埃と湿った藁の匂いにまじって、怪しい香がくすぶっていた。普通の人ならすぐに昏倒するくらいに濃厚な。

 穴ぐらにいる子どもたちは、幼い頃から、毒や麻薬には慣らされていた。
 R12458と識別される子どもも、また。
 肩までの黒髪は手入れされていないためボサボサ、申し訳程度に、痩せこけた身体に纏っている布も、擦り切れ、破れが目立ち、清潔とは言いがたい。

「この香か?」
 黒衣に身を包んだ青年は、くすりと笑った。楽しげに。

「ここの主は、私を永遠に眠らせたかったようだが、残念ながら毒も薬も効かないんだよ。なぜなら」
 フードをおろして、不敵な目をのぞかせる。

「あいにく、私は人間じゃない」

 青年の黒い目には、深い憤りがあった。やがてその瞳は、精霊の目と呼ばれる宝石、水精石(アクアラ)を思わせる、うす青い輝きを宿して星のようにきらめいた。
 身体の内に満ちている膨大な魔力が、そんな現象を起こさせるのだ。

「まさか、お兄さんは、魔法使い……」

 魔法使いは、奇跡を起こす存在。
 全てを覆せると、噂で聞いたことがあった。

 もしも、そんな人がいるならと、ここにいる皆は、儚い希望を託していた。

 その人が、今、目の前に?

「黄金の卵を産むガチョウを殺して腹を割くか。愚か者め」
 静かな言葉の内には、激しい怒り。

「せっかく、短気なこの私が、珍しくもはなはだ平和的に、金ですむことならばと譲歩したというのに。……この穴ぐらの主は、よほど命が惜しくないとみえる」

「おにいさん。どうするつもり」

「もちろん、ここをぶちこわすのさ」


 それは黒髪の孤児R12458号が生まれて初めて見た希望の光だった。

        

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】父が再婚。義母には連れ子がいて一つ下の妹になるそうですが……ちょうだい癖のある義妹に寮生活は無理なのでは?

つくも茄子
ファンタジー
父が再婚をしました。お相手は男爵夫人。 平民の我が家でいいのですか? 疑問に思うものの、よくよく聞けば、相手も再婚で、娘が一人いるとのこと。 義妹はそれは美しい少女でした。義母に似たのでしょう。父も実娘をそっちのけで義妹にメロメロです。ですが、この新しい義妹には悪癖があるようで、人の物を欲しがるのです。「お義姉様、ちょうだい!」が口癖。あまりに煩いので快く渡しています。何故かって?もうすぐ、学園での寮生活に入るからです。少しの間だけ我慢すれば済むこと。 学園では煩い家族がいない分、のびのびと過ごせていたのですが、義妹が入学してきました。 必ずしも入学しなければならない、というわけではありません。 勉強嫌いの義妹。 この学園は成績順だということを知らないのでは?思った通り、最下位クラスにいってしまった義妹。 両親に駄々をこねているようです。 私のところにも手紙を送ってくるのですから、相当です。 しかも、寮やクラスで揉め事を起こしては顰蹙を買っています。入学早々に学園中の女子を敵にまわしたのです!やりたい放題の義妹に、とうとう、ある処置を施され・・・。 なろう、カクヨム、にも公開中。

好きでした、さようなら

豆狸
恋愛
「……すまない」 初夜の床で、彼は言いました。 「君ではない。私が欲しかった辺境伯令嬢のアンリエット殿は君ではなかったんだ」 悲しげに俯く姿を見て、私の心は二度目の死を迎えたのです。 なろう様でも公開中です。

僕の家族は母様と母様の子供の弟妹達と使い魔達だけだよ?

闇夜の現し人(ヤミヨノウツシビト)
ファンタジー
ー 母さんは、「絶世の美女」と呼ばれるほど美しく、国の中で最も権力の強い貴族と呼ばれる公爵様の寵姫だった。 しかし、それをよく思わない正妻やその親戚たちに毒を盛られてしまった。 幸い発熱だけですんだがお腹に子が出来てしまった以上ここにいては危険だと判断し、仲の良かった侍女数名に「ここを離れる」と言い残し公爵家を後にした。 お母さん大好きっ子な主人公は、毒を盛られるという失態をおかした父親や毒を盛った親戚たちを嫌悪するがお母さんが日々、「家族で暮らしたい」と話していたため、ある出来事をきっかけに一緒に暮らし始めた。 しかし、自分が家族だと認めた者がいれば初めて見た者は跪くと言われる程の華の顔(カンバセ)を綻ばせ笑うが、家族がいなければ心底どうでもいいというような表情をしていて、人形の方がまだ表情があると言われていた。 『無能で無価値の稚拙な愚父共が僕の家族を名乗る資格なんて無いんだよ?』 さぁ、ここに超絶チートを持つ自分が認めた家族以外の生き物全てを嫌う主人公の物語が始まる。 〈念の為〉 稚拙→ちせつ 愚父→ぐふ ⚠︎注意⚠︎ 不定期更新です。作者の妄想をつぎ込んだ作品です。

冷宮の人形姫

りーさん
ファンタジー
冷宮に閉じ込められて育てられた姫がいた。父親である皇帝には関心を持たれず、少しの使用人と母親と共に育ってきた。 幼少の頃からの虐待により、感情を表に出せなくなった姫は、5歳になった時に母親が亡くなった。そんな時、皇帝が姫を迎えに来た。 ※すみません、完全にファンタジーになりそうなので、ファンタジーにしますね。 ※皇帝のミドルネームを、イント→レントに変えます。(第一皇妃のミドルネームと被りそうなので) そして、レンド→レクトに変えます。(皇帝のミドルネームと似てしまうため)変わってないよというところがあれば教えてください。

〈完結〉この女を家に入れたことが父にとっての致命傷でした。

江戸川ばた散歩
ファンタジー
「私」アリサは父の後妻の言葉により、家を追い出されることとなる。 だがそれは待ち望んでいた日がやってきたでもあった。横領の罪で連座蟄居されられていた祖父の復活する日だった。 十年前、八歳の時からアリサは父と後妻により使用人として扱われてきた。 ところが自分の代わりに可愛がられてきたはずの異母妹ミュゼットまでもが、義母によって使用人に落とされてしまった。義母は自分の周囲に年頃の女が居ること自体が気に食わなかったのだ。 元々それぞれ自体は仲が悪い訳ではなかった二人は、お互い使用人の立場で二年間共に過ごすが、ミュゼットへの義母の仕打ちの酷さに、アリサは彼女を乳母のもとへ逃がす。 そして更に二年、とうとうその日が来た…… 

【完結】選ばれなかった王女は、手紙を残して消えることにした。

曽根原ツタ
恋愛
「お姉様、私はヴィンス様と愛し合っているの。だから邪魔者は――消えてくれない?」 「分かったわ」 「えっ……」 男が生まれない王家の第一王女ノルティマは、次の女王になるべく全てを犠牲にして教育を受けていた。 毎日奴隷のように働かされた挙句、将来王配として彼女を支えるはずだった婚約者ヴィンスは──妹と想いあっていた。 裏切りを知ったノルティマは、手紙を残して王宮を去ることに。 何もかも諦めて、崖から湖に飛び降りたとき──救いの手を差し伸べる男が現れて……? ★小説家になろう様で先行更新中

記憶がないので離縁します。今更謝られても困りますからね。

せいめ
恋愛
 メイドにいじめられ、頭をぶつけた私は、前世の記憶を思い出す。前世では兄2人と取っ組み合いの喧嘩をするくらい気の強かった私が、メイドにいじめられているなんて…。どれ、やり返してやるか!まずは邸の使用人を教育しよう。その後は、顔も知らない旦那様と離婚して、平民として自由に生きていこう。  頭をぶつけて現世記憶を失ったけど、前世の記憶で逞しく生きて行く、侯爵夫人のお話。   ご都合主義です。誤字脱字お許しください。

わがまま令嬢の末路

遺灰
ファンタジー
清く正しく美しく、頑張って生きた先に待っていたのは断頭台でした。 悪役令嬢として死んだ私は、今度は自分勝手に我がままに生きると決めた。我慢なんてしないし、欲しいものは必ず手に入れてみせる。 あの薄暗い牢獄で夢見た未来も、あの子も必ずこの手にーーー。 *** これは悪役令嬢が人生をやり直すチャンスを手に入れ、自由を目指して生きる物語。彼女が辿り着くのは、地獄か天国か。例えどんな結末を迎えようとも、それを決めるのは彼女自身だ。 (※内容は小説家になろうに投稿されているものと同一)

処理中です...