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第四章 シアとアイリス
その13 アイリスと転移魔法陣
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エルレーン公国首都シ・イル・リリヤ、閑静な高級住宅街の一画に、先祖代々続く豪商として、このエナンデリア大陸全土に名高い、ラゼル家の邸宅がある。
ラゼル家の一人娘、現在四歳と六ヶ月のアイリス・リデル・ティス・ラゼルの朝は、早い。
二階の子供部屋で、一人、天蓋付きのベッドで眠っている、黄金の髪と緑の瞳をした、幼女。
いつも、夜明け前には目を覚ます。
師匠のカルナックから貸し与えられた従魔二匹、シロとクロも、アイリスの目覚めを待ち構えていて、クンクンと鼻を鳴らしたり柔らかいほっぺをなめたりして積極的に起こしにかかる。
本来は体長が成人男性の倍はあるという魔獣なのだが、四歳児のアイリスと従魔の仮契約をしているために、体型は生後半年ほどの子犬、そのものである。
「いけない寝過ごすとこだったわ!」
アイリスは慌てて起き上がり、東向きの高い窓に駆け寄る。
シロとクロも転げるようについていく。足の短い子犬体型なので。
窓にはカーテンが引いてあるが、外が見られればよいのでアイリスは小さな踏み台に乗って、カーテンの隙間から外を見る。
子供部屋は邸宅の二階にある。
街はまだ暗く、夜の眠りについている。
やがて、街の大通りに、青白く光る球体が現れ始める。それはしだいに数を増していき、街を明るく照らし出すほどの規模になり、まるで光の河のように、ゆっくりと流れていく。
「うわあ……きれい」
アイリスはうっとりと見とれてしまう。
何度見ても、なんと美しいながめだろうと、感動を覚えるのだった。
ため息をついていると、ふと、背後から、気配が近づく。
「うふふふっ。本当にアイリスちゃんは『精霊火(スーリーファ)』が好きなのねぇ。この世界の人間は、ほとんどが、あれをひどく怖がるのに」
微笑んで、優しく囁いたのは、腰までを覆う、まっすぐな長い黒髪に黒い瞳、ミルクティー色の肌をした長身の美女。年頃は二十歳になるかならないか。めりはりのある女性らしい体型である。
「肝の据わった幼児だぜ。ま、あたしらガルガンド氏族にゃ『精霊火』は、ありのままの『精霊火』っていうだけだけどな。怖いっていう奴らの気が知れねえ」
大きくのびをしながら言ったのは、まっすぐなプラチナブロンドを背中の半ばまで垂らした、十五、六歳ほどの美少女である。華奢で可憐な外見を裏切る、少しばかり乱暴なの物言いが、何とも残念だ。
「サファイアさん、ルビーさん。おはようございます。ごめんなさい、あたしが早起きしたから、起きなきゃいけなかったんですね」
アイリスは振り返り、申し訳なさそうに言った。
「あら、いいのよ気にしないで。あたしたちもさっき夜番担当と交代したところなの」
「そうそう。ちゃんと睡眠はとってるからさ。一日中寝ないでいられるのはカルナック師匠くらいだよな」
二人とも、にこやかに笑う。
黒髪の美女はサファイア=リドラ。
プラチナブロンドの美少女はルビー=ティーレ。
メイド服を着ているが、魔道士協会から派遣されてきた魔法使いで、アイリス専属の護衛メイドである。
「さて、いいけど、もう少し寝ときな。どうせじきにローサが起こしにくるさ」
「でもでも、寝るのがもったいないの……」
「寝る子は育つのよぅ? 美容と健康のために睡眠は大切なんだから」
二人になだめられて、アイリスはもう一度、ベッドにもぐる。
数分としないうちに、すやすやと寝息を立て始める。
「身体は四歳と半年の幼女だもの。いくら異世界前世の記憶があって、精神的には幼女じゃないといってもね。しっかり寝かせてあげないと、身体に不調があったらいけないわ」
「そしたら、あたしらカルナック師匠とコマラパ老師に、どんなに怒られるか、考えたくもねえぜ」
「でも、久しぶりにコマラパ老師が雷を落とすところ、見てみたいわぁ」
「やめろ。老師のは本物の雷じゃん!」
かくしてアイリス・リデル・ティス・ラゼルの一日は、始まる。
※
こんにちは、アイリス・リデル・ティス・ラゼルです。
しばらくぶりにお目にかかります。
四歳と、八ヶ月です。
今日から、エルナト医師に診察に来ていただくのに便利なように、魔道士協会と我がラゼル家をつなぐ転移魔法陣の設置工事が始まったの。いろいろと手続きや準備があったみたい。
ところで、
え? 工事?
って思ったひと、いるでしょ?
そうなんです。『工事』なの。電気屋さんがエアコン取り付けてくれる、みたいな。
あたし、魔法陣を設置するって、もうちょっとイメージ違ったなぁ。
※
あたし、アイリスは、少しずつ一人で家の中をお散歩したりできるようになった。けれども、屋敷の中だけだし、いつも、サファイアさんとルビーさんが護衛してくれているし、ばあやかローサ、メイドさんたちの誰かしらが注意を配ってくれている。
なんとなく、小さい子の「はじめての一人遊び」とか「はじめてのおつかい」を見守られてる感じです。
過保護では?
あ、でも「アイリスお嬢さま」は、まだ四歳八ヶ月なんだもんね。
叔父さまの書斎の前にやってきました。
床に屈み込んで懸命に作業をしている人たちがいる。
一人は、赤毛。もう一人は、青い髪。
(青い髪ですよ! やっぱりここは異世界なのね。あらためて実感するわ)
二人とも、十二、三歳くらいかな?
エステリオ叔父さまの後輩です。
そっと近づいて、声をかけた。
「おはようございます、トミーさん、ニコラさん」
「おはようございます、って、お嬢様!」
「わわっ! お、おは、おはようございま」
二人とも慌てて立ち上がった。
「ごめんなさい、お仕事のじゃましちゃった?」
「いえいえ、ぜんぜん」
「だけど、いけませんよ、お嬢様。おれたちみたいな下っ端の学生に気安くしたら」
恐縮しまくってる、ふたり。
「わたし、三歳の『魔力診』を終えたもの。今は四歳と八ヶ月になったのだから、おそとのひとと、お話ししてもいいの。それに、トミーさんとニコラさんは、魔道士協会のひとだもの。知らない人じゃないわ」
にっこり笑う。
「こうじは、もう終わりそうなの?」
「はい。この場所での基盤設置工事は終わったんで」
「あとはお師匠さまに見てもらいますから」
二人が笑う。
そのときだった。
「こら! 後輩ども! 気を緩めるな!」
鋭い声がした。
ルビー=ティーレさん。
そして、
「ひよっこの後輩くんたち。お嬢様に怪我でもさせたら、首が飛ぶわよ。比喩ではなくてね」
サファイアさんは、物騒な発言をさらりと口にしたのです。
エルレーン公国首都シ・イル・リリヤ、閑静な高級住宅街の一画に、先祖代々続く豪商として、このエナンデリア大陸全土に名高い、ラゼル家の邸宅がある。
ラゼル家の一人娘、現在四歳と六ヶ月のアイリス・リデル・ティス・ラゼルの朝は、早い。
二階の子供部屋で、一人、天蓋付きのベッドで眠っている、黄金の髪と緑の瞳をした、幼女。
いつも、夜明け前には目を覚ます。
師匠のカルナックから貸し与えられた従魔二匹、シロとクロも、アイリスの目覚めを待ち構えていて、クンクンと鼻を鳴らしたり柔らかいほっぺをなめたりして積極的に起こしにかかる。
本来は体長が成人男性の倍はあるという魔獣なのだが、四歳児のアイリスと従魔の仮契約をしているために、体型は生後半年ほどの子犬、そのものである。
「いけない寝過ごすとこだったわ!」
アイリスは慌てて起き上がり、東向きの高い窓に駆け寄る。
シロとクロも転げるようについていく。足の短い子犬体型なので。
窓にはカーテンが引いてあるが、外が見られればよいのでアイリスは小さな踏み台に乗って、カーテンの隙間から外を見る。
子供部屋は邸宅の二階にある。
街はまだ暗く、夜の眠りについている。
やがて、街の大通りに、青白く光る球体が現れ始める。それはしだいに数を増していき、街を明るく照らし出すほどの規模になり、まるで光の河のように、ゆっくりと流れていく。
「うわあ……きれい」
アイリスはうっとりと見とれてしまう。
何度見ても、なんと美しいながめだろうと、感動を覚えるのだった。
ため息をついていると、ふと、背後から、気配が近づく。
「うふふふっ。本当にアイリスちゃんは『精霊火(スーリーファ)』が好きなのねぇ。この世界の人間は、ほとんどが、あれをひどく怖がるのに」
微笑んで、優しく囁いたのは、腰までを覆う、まっすぐな長い黒髪に黒い瞳、ミルクティー色の肌をした長身の美女。年頃は二十歳になるかならないか。めりはりのある女性らしい体型である。
「肝の据わった幼児だぜ。ま、あたしらガルガンド氏族にゃ『精霊火』は、ありのままの『精霊火』っていうだけだけどな。怖いっていう奴らの気が知れねえ」
大きくのびをしながら言ったのは、まっすぐなプラチナブロンドを背中の半ばまで垂らした、十五、六歳ほどの美少女である。華奢で可憐な外見を裏切る、少しばかり乱暴なの物言いが、何とも残念だ。
「サファイアさん、ルビーさん。おはようございます。ごめんなさい、あたしが早起きしたから、起きなきゃいけなかったんですね」
アイリスは振り返り、申し訳なさそうに言った。
「あら、いいのよ気にしないで。あたしたちもさっき夜番担当と交代したところなの」
「そうそう。ちゃんと睡眠はとってるからさ。一日中寝ないでいられるのはカルナック師匠くらいだよな」
二人とも、にこやかに笑う。
黒髪の美女はサファイア=リドラ。
プラチナブロンドの美少女はルビー=ティーレ。
メイド服を着ているが、魔道士協会から派遣されてきた魔法使いで、アイリス専属の護衛メイドである。
「さて、いいけど、もう少し寝ときな。どうせじきにローサが起こしにくるさ」
「でもでも、寝るのがもったいないの……」
「寝る子は育つのよぅ? 美容と健康のために睡眠は大切なんだから」
二人になだめられて、アイリスはもう一度、ベッドにもぐる。
数分としないうちに、すやすやと寝息を立て始める。
「身体は四歳と半年の幼女だもの。いくら異世界前世の記憶があって、精神的には幼女じゃないといってもね。しっかり寝かせてあげないと、身体に不調があったらいけないわ」
「そしたら、あたしらカルナック師匠とコマラパ老師に、どんなに怒られるか、考えたくもねえぜ」
「でも、久しぶりにコマラパ老師が雷を落とすところ、見てみたいわぁ」
「やめろ。老師のは本物の雷じゃん!」
かくしてアイリス・リデル・ティス・ラゼルの一日は、始まる。
※
こんにちは、アイリス・リデル・ティス・ラゼルです。
しばらくぶりにお目にかかります。
四歳と、八ヶ月です。
今日から、エルナト医師に診察に来ていただくのに便利なように、魔道士協会と我がラゼル家をつなぐ転移魔法陣の設置工事が始まったの。いろいろと手続きや準備があったみたい。
ところで、
え? 工事?
って思ったひと、いるでしょ?
そうなんです。『工事』なの。電気屋さんがエアコン取り付けてくれる、みたいな。
あたし、魔法陣を設置するって、もうちょっとイメージ違ったなぁ。
※
あたし、アイリスは、少しずつ一人で家の中をお散歩したりできるようになった。けれども、屋敷の中だけだし、いつも、サファイアさんとルビーさんが護衛してくれているし、ばあやかローサ、メイドさんたちの誰かしらが注意を配ってくれている。
なんとなく、小さい子の「はじめての一人遊び」とか「はじめてのおつかい」を見守られてる感じです。
過保護では?
あ、でも「アイリスお嬢さま」は、まだ四歳八ヶ月なんだもんね。
叔父さまの書斎の前にやってきました。
床に屈み込んで懸命に作業をしている人たちがいる。
一人は、赤毛。もう一人は、青い髪。
(青い髪ですよ! やっぱりここは異世界なのね。あらためて実感するわ)
二人とも、十二、三歳くらいかな?
エステリオ叔父さまの後輩です。
そっと近づいて、声をかけた。
「おはようございます、トミーさん、ニコラさん」
「おはようございます、って、お嬢様!」
「わわっ! お、おは、おはようございま」
二人とも慌てて立ち上がった。
「ごめんなさい、お仕事のじゃましちゃった?」
「いえいえ、ぜんぜん」
「だけど、いけませんよ、お嬢様。おれたちみたいな下っ端の学生に気安くしたら」
恐縮しまくってる、ふたり。
「わたし、三歳の『魔力診』を終えたもの。今は四歳と八ヶ月になったのだから、おそとのひとと、お話ししてもいいの。それに、トミーさんとニコラさんは、魔道士協会のひとだもの。知らない人じゃないわ」
にっこり笑う。
「こうじは、もう終わりそうなの?」
「はい。この場所での基盤設置工事は終わったんで」
「あとはお師匠さまに見てもらいますから」
二人が笑う。
そのときだった。
「こら! 後輩ども! 気を緩めるな!」
鋭い声がした。
ルビー=ティーレさん。
そして、
「ひよっこの後輩くんたち。お嬢様に怪我でもさせたら、首が飛ぶわよ。比喩ではなくてね」
サファイアさんは、物騒な発言をさらりと口にしたのです。
応援ありがとうございます!
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