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第四章 シアとアイリス
その1 大公家の『月晶石』
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エルレーン公国首都シ・イル・リリヤ、貴族街の中枢に位置する、大公の領分。
首都の中にありながら石壁を巡らし門を築き、出入りする人や物に厳しい検問が行われる。それ自体が独立した一つの街である。
辺縁には美しい荘園があり、ただ大公家のためだけに生産を行っている。ここに領地を賜っている荘園主たちは、公国でも片手で数えられるほどに有力な貴族である。
中央にそびえ立つのは泉と噴水に象徴される『水の守護』を得たエルレーン大公の宮殿。
執務を行う広い公邸があり、同じ敷地内の離れたところに、大公、大公妃、数多くいる公子、公女、それぞれにあてがわれた離宮がある。
長い回廊で繋がってはいるが、途中には検問所が設けられている。
いつ、命を狙われてもおかしくない、国の最重要人物たちなのである。
エルレーン大公フィリップ・アル・レギオン・エイリス・エルレーンという巨大な太陽の周囲に配された惑星、それが公子、公女たち。
彼らの中でぬきんでているのは、離宮の主は、先頃、魔導師協会の後ろ盾を得て、大公の公嗣と正式に認められた、華やかな黄金の髪と金茶色の目をした、齢二十歳のフィリクス・アル・レギオン・エナ・エルレーン。
公嗣の離宮が大公に次いで壮麗であるなら、逆に、いささか、貴族にしては珍しいほどに簡素な、離宮というよりは普通の館であるような建物の主は……。
大公の末の公女、現在四歳であるルーナリシア。
※
まばゆく白く輝く真月の威光が届かない夜もある。
あるのは中空にかかる暗く赤い月『魔眼』のみである、忌み夜。
この日は、ことにエルレーン公国においては、多くのヒトが闇を恐れ早めに寝床につく。
そんな夜に出歩くのは、まず、まっとうなヒト族ではないと断言できる。
その夜、公女ルーナリシアの眠る部屋に、密かに侵入をこころみた者たちがいた。
夜陰に紛れ、警邏の者の目をかいくぐり、あるいは、強硬な手段で排除して。
(いたぞ!)
(情報通りだ、平静を保て)
(ちびを袋に入れて出る)
(洗濯物みてえにな)
暗く染まった布を身につけた四人。
音も立てずに忍びよる。
公女の眠る寝台は、薄明かりに照らされていた。
天蓋から垂れた薄布の重なりが、ふわりと風に揺れた。
どこからも風が吹くはずはないと、このとき気づかなかったことが、彼らの誤りだった。
できうる限りに早く、この幼い姫をさらって連れ去らねばならない、その危険性も、彼らを焦らせた。
あと少し。
いま、手が届く。
黄金の絹糸のような髪、白い肌、ほんのりと紅を差したような小さな唇から、すやすやと安らかな寝息を立てている、この高貴な姫君を。
しかし、彼らは、それきり。
姫に手が届くことはなかった。
もはや、永久に。
突然、暗い寝室に、光が溢れたのだ。
はじめは一つ、二つ、三つ。
やがて、数え切れないほどの光球が、どこからともなく噴出してきたのだ。
数秒もしないうちに、子供部屋はまるで真昼のように明るくなった。
光球の正体は、大人の頭ほどもある、青白い『精霊火』だ。
それを悟ったときには遅すぎた。
襲撃者たちは声も出せず、次々に、ばたばたと倒れていった。
「またなの。いい加減にしてほしいものだわ」
闇の中からあらわれた人物が、「飽き飽きした」とばかりに言い捨てて。
「いくらヒトを送り込んでも無駄だと、雇い主に伝えて貰えば減るかしら? でもだめね、あなたたたちはもう、生きて還ることなどないのだから」
「さあね、前の雇い主とは別の貴族かもしれなくてよ、キュモトエー」
背の高い、銀色の髪を高く結い上げた女性の姿をしていた。
二人、いる。
一人は、暴漢たちに向かい、
「あなたたちは自分が蓄積してきた罪科で『精霊火』に裁かれます。その後は、大公閣下お抱えの魔道士さまに引き渡し、脳の中まで容赦なく念入りに調べられる。背後関係を明らかにされて。隠し立てなど不可能。全て早めにはき出しておしまいなさい。そのほうが、まだ楽ですわよ」
一人は、寝床に歩み寄ると、公女を抱き上げる。
「シアさま。今夜は、フィリクスお兄様のところでお休みしましょうね。この、キューモーがお連れいたします」
「むにゃ」
眠い目をこすり、シア姫はつぶやく。
「カルナックさまは……ご本を読んでくれる……?」
「もちろんですよ」
銀髪の女性は、シアを抱き上げ、立ち去っていく。
あとには、精霊火に埋まった男たちがのたうち、うめいているが、彼女は背後を一瞥もすることはなかった。
エルレーン公国首都シ・イル・リリヤ、貴族街の中枢に位置する、大公の領分。
首都の中にありながら石壁を巡らし門を築き、出入りする人や物に厳しい検問が行われる。それ自体が独立した一つの街である。
辺縁には美しい荘園があり、ただ大公家のためだけに生産を行っている。ここに領地を賜っている荘園主たちは、公国でも片手で数えられるほどに有力な貴族である。
中央にそびえ立つのは泉と噴水に象徴される『水の守護』を得たエルレーン大公の宮殿。
執務を行う広い公邸があり、同じ敷地内の離れたところに、大公、大公妃、数多くいる公子、公女、それぞれにあてがわれた離宮がある。
長い回廊で繋がってはいるが、途中には検問所が設けられている。
いつ、命を狙われてもおかしくない、国の最重要人物たちなのである。
エルレーン大公フィリップ・アル・レギオン・エイリス・エルレーンという巨大な太陽の周囲に配された惑星、それが公子、公女たち。
彼らの中でぬきんでているのは、離宮の主は、先頃、魔導師協会の後ろ盾を得て、大公の公嗣と正式に認められた、華やかな黄金の髪と金茶色の目をした、齢二十歳のフィリクス・アル・レギオン・エナ・エルレーン。
公嗣の離宮が大公に次いで壮麗であるなら、逆に、いささか、貴族にしては珍しいほどに簡素な、離宮というよりは普通の館であるような建物の主は……。
大公の末の公女、現在四歳であるルーナリシア。
※
まばゆく白く輝く真月の威光が届かない夜もある。
あるのは中空にかかる暗く赤い月『魔眼』のみである、忌み夜。
この日は、ことにエルレーン公国においては、多くのヒトが闇を恐れ早めに寝床につく。
そんな夜に出歩くのは、まず、まっとうなヒト族ではないと断言できる。
その夜、公女ルーナリシアの眠る部屋に、密かに侵入をこころみた者たちがいた。
夜陰に紛れ、警邏の者の目をかいくぐり、あるいは、強硬な手段で排除して。
(いたぞ!)
(情報通りだ、平静を保て)
(ちびを袋に入れて出る)
(洗濯物みてえにな)
暗く染まった布を身につけた四人。
音も立てずに忍びよる。
公女の眠る寝台は、薄明かりに照らされていた。
天蓋から垂れた薄布の重なりが、ふわりと風に揺れた。
どこからも風が吹くはずはないと、このとき気づかなかったことが、彼らの誤りだった。
できうる限りに早く、この幼い姫をさらって連れ去らねばならない、その危険性も、彼らを焦らせた。
あと少し。
いま、手が届く。
黄金の絹糸のような髪、白い肌、ほんのりと紅を差したような小さな唇から、すやすやと安らかな寝息を立てている、この高貴な姫君を。
しかし、彼らは、それきり。
姫に手が届くことはなかった。
もはや、永久に。
突然、暗い寝室に、光が溢れたのだ。
はじめは一つ、二つ、三つ。
やがて、数え切れないほどの光球が、どこからともなく噴出してきたのだ。
数秒もしないうちに、子供部屋はまるで真昼のように明るくなった。
光球の正体は、大人の頭ほどもある、青白い『精霊火』だ。
それを悟ったときには遅すぎた。
襲撃者たちは声も出せず、次々に、ばたばたと倒れていった。
「またなの。いい加減にしてほしいものだわ」
闇の中からあらわれた人物が、「飽き飽きした」とばかりに言い捨てて。
「いくらヒトを送り込んでも無駄だと、雇い主に伝えて貰えば減るかしら? でもだめね、あなたたたちはもう、生きて還ることなどないのだから」
「さあね、前の雇い主とは別の貴族かもしれなくてよ、キュモトエー」
背の高い、銀色の髪を高く結い上げた女性の姿をしていた。
二人、いる。
一人は、暴漢たちに向かい、
「あなたたちは自分が蓄積してきた罪科で『精霊火』に裁かれます。その後は、大公閣下お抱えの魔道士さまに引き渡し、脳の中まで容赦なく念入りに調べられる。背後関係を明らかにされて。隠し立てなど不可能。全て早めにはき出しておしまいなさい。そのほうが、まだ楽ですわよ」
一人は、寝床に歩み寄ると、公女を抱き上げる。
「シアさま。今夜は、フィリクスお兄様のところでお休みしましょうね。この、キューモーがお連れいたします」
「むにゃ」
眠い目をこすり、シア姫はつぶやく。
「カルナックさまは……ご本を読んでくれる……?」
「もちろんですよ」
銀髪の女性は、シアを抱き上げ、立ち去っていく。
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