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第二章 アイリス三歳『魔力診』後
その31 災厄の赤き魔女
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31
「やっと私を呼んだね。アイリス。もう大丈夫だよ」
その声は、清冽な泉の水のようだった。
シャン!
アイリスがカルナックに渡されて大切に持っていた鈴の音を、さらに何倍にも増幅して、空間にさざ波が伝播していく。
彼女を中心として、直径1メートルほどの、銀色の光の輪が生じた。
同心円状に、見えない水面を揺らす輪が幾重にも広がるにつれて、赤黒い闇が薄れていく。
最初にあらわれたのは、銀の鈴を連ねたアンクレットをつけた、白い足先。
素足だった。
続いて黒衣の裾が足首を降りてきた。
ゆったりとしたローブをまとい、足首まで届く長い黒髪を、下の方だけ緩い三つ編みにして、夜の闇そのものから削り出されたような漆黒の杖を携えて。
微かな光を帯びた白い肌、水精石(アクアラ)の淡青色の瞳。
長身の人物が、アイリスの傍らに降り立った。
「お師匠さま!」
「迎えに来たよ、アイリス。さあ、帰ろう」
「はい! お師匠さま!」
カルナックお師匠さまの差し出した手を、あたしが取ろうとした、そのとき。
「はぁ? 待て待て、何言ってくれちゃってるかなあ?」
赤毛に暗赤色の目をした青年が、声を荒げた。
「せっかく用意周到に罠をはって準備してたのに、横から獲物をかっさらうつもり? まあ、邪魔が入るとしたら、あんただろうと予想はしてたけどね、カルナック」
「おや、これはこれは。懐かしき『災厄の赤き魔女』セラニス・アレム・ダルではないか。近頃はとんと見かけなかったな。この世に飽いて隠遁生活でもしているかと思ったが、こんな深淵で出会おうとは。引きこもりかな?」
お師匠さまは、大仰に肩をすくめ、笑った。
あたし、アイリスに向けた、温かくて頼もしい笑顔とは全く別の、背筋が凍るような、冷笑。
「カルナックお師匠さま、そのひと、ご存じだったんですか? ひどいの、さっきまでエステリオ・アウル叔父さまの姿を借りていて、あたしを騙そうとしてたんです。魂が持っている『虹』を狩るって!」
「人々をそそのかし諍いを示唆し悪事を行わせ戦争へと駆り立てきた『災厄の赤き魔女セラ』真の名前はセラニス・アレム・ダル」
「セラニス・アレム・ダル……? どこかで、聞いたような……」
「はぁ!? 聞いたような、ってレベルかい! この世界セレナンの人間たちの王である、このぼく! 真月の女神イル・リリヤのたった一人の息子、『魔眼の王』を!」
「ごめんなさい、セラニスさん。あたし三歳だから、よくわからないわ」
「はあ~!?」
答えたら、驚いたような顔をした。
ほんとに、神話とか、覚えてないんだもん。
前世の記憶のほうが鮮明なのよね。
とくに、ここ……この奇妙な、赤い闇に包まれた空間では。
「気にすることはない。こいつは生まれたときから性格がひねくれていてね。人をたぶらかして遊ぶのが趣味みたいなヤツだ」
「そうだわお師匠さま! 悪趣味だったわ! 最上さんのふりをして! 高級フレンチだの婚約指輪がダイヤモンドでお給料三ヶ月分だとか、いつの話よ。バブルなの? 21世紀の女子はもっと堅実なんですからね!」
「なんだか、ひどい目にあったようだな、アイリス」
お師匠さまは同情するようにおっしゃった。
「うう。いいんです。ほんとの最上さん……エステリオ叔父さまは、そんな人じゃないってわかってますから」
「セラニス・アレム・ダル。蒐集した情報の管理を怠ったな。アップデートは重要だぞ」
「うるさい! こまかい事なんてどうだっていいだろ!」
ミスを指摘されると、すねる。子供みたいだわ。
「それにしても、相変わらず『虹』を狩っているのか。いくら欠片を拾い集めたところで、『虹』は自分のものにはならないというのに」
すると、張り合うようにセラニス・アレム・ダルも、あざ笑う。
「あんたこそ、まだ、愚かな人間たちに肩入れしているのか。さんざん失望してきただろうにさ。たとえば例の……伴侶? ずいぶん大事にしてたんだろう、あいつを失ったのは人間の愚かさのせいだったよねえ」
「黙れ」
お師匠さまは、ぴしゃりと言い切り。
瞬時に、文字通り、氷の刃を放った。
赤毛の青年の胸や腹部に、ガラスを細長く割ったような鋭い切っ先が突き刺さる。
「痛たたたたたたた!」
「大げさな。これくらい痛くも痒くもないだろう」
どういうこと!?
数え切れないほどの鋭い氷の刃に頭と言わず胸、腹、手足、体中を貫かれているのに、セラニス・アレム・ダルは倒れもせず、傷口から血も流れ出ない。
セラニスは、唇をゆがめた。
笑ったのかもしれない。
「ふふん。ま~ね。せっかく久しぶりに遊んでくれるんだから、いちおう付き合ってやったのさ。だけど油断大敵。罠は、一つじゃないんだよ」
その言葉の終わらぬうちに、異変が起こった。
あたしとお師匠様の足もとに、ぱっくりと、大きな、真っ黒な穴が口を開けた。
お、落ちる!?
「きゃあああああああ!」
「落とし穴とは、また古典的な……」
お師匠さま、ゆとり発言。
「ベタで悪いね。地獄の底までご案内コースだ。そんな深みへはまったら、転生してから身につけたスキルなんか全部はぎ取られちまうんだよ。レベル1までリセットさ、あんたら『先祖還り』ふうに言えばね!」
真っ暗な穴に落ちていく、あたし、月宮アリス。
それとも、アイリス・リデル・ティス・ラゼル?
そういえば、不思議の国のアリスって、ウサギの穴に落ちるんだったわ。
でも、だいじょうぶ。
カルナックお師匠さまと一緒だもの!
「やっと私を呼んだね。アイリス。もう大丈夫だよ」
その声は、清冽な泉の水のようだった。
シャン!
アイリスがカルナックに渡されて大切に持っていた鈴の音を、さらに何倍にも増幅して、空間にさざ波が伝播していく。
彼女を中心として、直径1メートルほどの、銀色の光の輪が生じた。
同心円状に、見えない水面を揺らす輪が幾重にも広がるにつれて、赤黒い闇が薄れていく。
最初にあらわれたのは、銀の鈴を連ねたアンクレットをつけた、白い足先。
素足だった。
続いて黒衣の裾が足首を降りてきた。
ゆったりとしたローブをまとい、足首まで届く長い黒髪を、下の方だけ緩い三つ編みにして、夜の闇そのものから削り出されたような漆黒の杖を携えて。
微かな光を帯びた白い肌、水精石(アクアラ)の淡青色の瞳。
長身の人物が、アイリスの傍らに降り立った。
「お師匠さま!」
「迎えに来たよ、アイリス。さあ、帰ろう」
「はい! お師匠さま!」
カルナックお師匠さまの差し出した手を、あたしが取ろうとした、そのとき。
「はぁ? 待て待て、何言ってくれちゃってるかなあ?」
赤毛に暗赤色の目をした青年が、声を荒げた。
「せっかく用意周到に罠をはって準備してたのに、横から獲物をかっさらうつもり? まあ、邪魔が入るとしたら、あんただろうと予想はしてたけどね、カルナック」
「おや、これはこれは。懐かしき『災厄の赤き魔女』セラニス・アレム・ダルではないか。近頃はとんと見かけなかったな。この世に飽いて隠遁生活でもしているかと思ったが、こんな深淵で出会おうとは。引きこもりかな?」
お師匠さまは、大仰に肩をすくめ、笑った。
あたし、アイリスに向けた、温かくて頼もしい笑顔とは全く別の、背筋が凍るような、冷笑。
「カルナックお師匠さま、そのひと、ご存じだったんですか? ひどいの、さっきまでエステリオ・アウル叔父さまの姿を借りていて、あたしを騙そうとしてたんです。魂が持っている『虹』を狩るって!」
「人々をそそのかし諍いを示唆し悪事を行わせ戦争へと駆り立てきた『災厄の赤き魔女セラ』真の名前はセラニス・アレム・ダル」
「セラニス・アレム・ダル……? どこかで、聞いたような……」
「はぁ!? 聞いたような、ってレベルかい! この世界セレナンの人間たちの王である、このぼく! 真月の女神イル・リリヤのたった一人の息子、『魔眼の王』を!」
「ごめんなさい、セラニスさん。あたし三歳だから、よくわからないわ」
「はあ~!?」
答えたら、驚いたような顔をした。
ほんとに、神話とか、覚えてないんだもん。
前世の記憶のほうが鮮明なのよね。
とくに、ここ……この奇妙な、赤い闇に包まれた空間では。
「気にすることはない。こいつは生まれたときから性格がひねくれていてね。人をたぶらかして遊ぶのが趣味みたいなヤツだ」
「そうだわお師匠さま! 悪趣味だったわ! 最上さんのふりをして! 高級フレンチだの婚約指輪がダイヤモンドでお給料三ヶ月分だとか、いつの話よ。バブルなの? 21世紀の女子はもっと堅実なんですからね!」
「なんだか、ひどい目にあったようだな、アイリス」
お師匠さまは同情するようにおっしゃった。
「うう。いいんです。ほんとの最上さん……エステリオ叔父さまは、そんな人じゃないってわかってますから」
「セラニス・アレム・ダル。蒐集した情報の管理を怠ったな。アップデートは重要だぞ」
「うるさい! こまかい事なんてどうだっていいだろ!」
ミスを指摘されると、すねる。子供みたいだわ。
「それにしても、相変わらず『虹』を狩っているのか。いくら欠片を拾い集めたところで、『虹』は自分のものにはならないというのに」
すると、張り合うようにセラニス・アレム・ダルも、あざ笑う。
「あんたこそ、まだ、愚かな人間たちに肩入れしているのか。さんざん失望してきただろうにさ。たとえば例の……伴侶? ずいぶん大事にしてたんだろう、あいつを失ったのは人間の愚かさのせいだったよねえ」
「黙れ」
お師匠さまは、ぴしゃりと言い切り。
瞬時に、文字通り、氷の刃を放った。
赤毛の青年の胸や腹部に、ガラスを細長く割ったような鋭い切っ先が突き刺さる。
「痛たたたたたたた!」
「大げさな。これくらい痛くも痒くもないだろう」
どういうこと!?
数え切れないほどの鋭い氷の刃に頭と言わず胸、腹、手足、体中を貫かれているのに、セラニス・アレム・ダルは倒れもせず、傷口から血も流れ出ない。
セラニスは、唇をゆがめた。
笑ったのかもしれない。
「ふふん。ま~ね。せっかく久しぶりに遊んでくれるんだから、いちおう付き合ってやったのさ。だけど油断大敵。罠は、一つじゃないんだよ」
その言葉の終わらぬうちに、異変が起こった。
あたしとお師匠様の足もとに、ぱっくりと、大きな、真っ黒な穴が口を開けた。
お、落ちる!?
「きゃあああああああ!」
「落とし穴とは、また古典的な……」
お師匠さま、ゆとり発言。
「ベタで悪いね。地獄の底までご案内コースだ。そんな深みへはまったら、転生してから身につけたスキルなんか全部はぎ取られちまうんだよ。レベル1までリセットさ、あんたら『先祖還り』ふうに言えばね!」
真っ暗な穴に落ちていく、あたし、月宮アリス。
それとも、アイリス・リデル・ティス・ラゼル?
そういえば、不思議の国のアリスって、ウサギの穴に落ちるんだったわ。
でも、だいじょうぶ。
カルナックお師匠さまと一緒だもの!
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