上 下
34 / 359
第二章 アイリス三歳『魔力診』後

その1 エルレーン公嗣フィリクスの回想

しおりを挟む
         1

 死を覚悟した。
 といえば聞こえはいいが、ようは意識が薄れてきて寒くなって、ああ死ぬんだと思っただけのこと。

 倒れている敷石の冷たさに凍り付く。
 空腹と渇きに耐えかねて口を付けた杯に注がれていた毒が口中を喉を焼いて。のたうち回ったあげく、体力も残っていた僅かな魔力も尽きた。もはや身動き一つ叶わぬ。

 どうしてこんなことになったのか。
 原因はわかっていた。身内の勢力争いだ。
 公嗣こうしの座が、それほど魅力的なのだろうか?

 しかし神もなんと無慈悲なものだろう。せめて死を前に、うめき声さえ出せない、オレに、救いを。まぼろしでもかまわないから。
 目の前が暗くなってきた。

 その、ときだった。


 シャン!


 澄み切った鈴の音がした。

 薄暗い中に、白い素足のつま先が現れた。
 続いて、足首。細いワイヤーに小さな銀の鈴を連ねたアンクレットをつけた、左の足首だけが先に現れた。
 トン。と、つま先が床についた。
 
 また、鈴が鳴る。

 その足首を覆い隠すかのように、真っ黒な衣の裾が降りてきた。
 身体をすっぽり包み込む長衣。
 長衣の上に纏うのは漆黒のローブ。

 背の高い人物がいた。
 闇色の衣と、床まで届く長い黒髪。黒い、長い杖を携えて。

 うち捨てられていたオレを、その、ひんやりと青い目は、遙か高みから見下ろして。
 かすかに、ため息をついた。
 夜のような、長く黒い髪。月のような、白い肌。長身に纏うのは、闇の衣。
 神々しくも禍々しい、少なくとも「ヒト」ではない。そんなありきたりの存在であるはずがなかった。

「純金の髪と金茶の瞳。やたらと華美なその色合いは私の好むところではないが。それは先祖の所業であってお前のせいではない。こんなところで親族に毒を盛られて失われてしかるべき生命ではない。フィリクス・アル・レギオン・エナ・エルレーン。今一度、手を伸ばせ。その生命の水をすくいとるがよい」 

 手を出せと言われて、オレは手をのばそうとしたが、ぴくりとも動かない。
 身に巡る毒のせいだ。
 
 そのひとは身を屈めて、オレの目を覗き込み。
 白い指先で、頬に触れた。

「この程度の毒など、お前の先祖は、ものともしなかったぞ。気に入らないが、たいしたヤツだった……」

 触れられたところから、清冽な水が流れ込んできた。
 そう、感じた。
 水流は体中をかけめぐりきれいさっぱり猛毒を洗い流していったのだ。

 このとき、オレは恋に落ちた。

         ※

 
 エルレーン公国首都シ・イル・リリヤ、貴族街の中枢に、大公の領分と呼ばれる土地がある。
 それ自体が一つの街ほどの大きさ。
 この中に、執務を行う広い公邸があり、同じ敷地内の離れたところに私邸が幾つかある。それぞれの館は回廊で繋がっている。

 私邸の一つに、大公の公嗣(あとつぎ)と目されるフィリクス・アル・レギオン・エナ・エルレーンの居住する館がある。名前の中にレギオンと入っているのは、大公家の血筋が元々レギオン王国の王族であり、かの王国にルーツを持っているからである。

 この夜、フィリクスは疲れていた。とある、気の進まない行事に参加していたためだ。
 私邸とは言いつつ、公的な執務の書類に目を通す。

「やれやれ、休憩も何もあったもんじゃない」
 ぶつぶつ呟く。

公嗣こうしさまご自身のせいですよ」
 傍らに控えている補佐役のケインが歯に衣を着せない言葉を吐く。

「民の生活を知ることが重要だ、とおっしゃって。どこでも気ままにすぐお出かけになりますから」

「おまえ最近、オレに遠慮無いな」

「主人を見習っております。以前、おっしゃられたとおりに」
 心なしか得意げにケインは答えた。

 金髪、金目の主人に対して、彼は黒髪に黒い目だ。普段から信用できない人間に囲まれているフィリクスが慎重に見定めたのである。


 どこかで、鈴が、鳴った。
 通常の、鈴ではない。
 その音は、この地上のみならず、精霊界へも響く。
 微かでありながら、音波を広げていき、周囲を浄化していく作用を備えているのだ。


「待ち人がご到着です。殿下」
 ケインの顔が、輝いた。

           ※

 
「やあ、呼びつけてすまないね」
 にこやかに迎えたのだが。

「ちょっとでもそう思うなら、夜中に呼びつけるのは避けてもらいたい」
 迎え入れられた客人は、明らかに不機嫌だった。

「急で申し訳ないが、少しばかり確認をしておきたくて。うちの『シア』の『魔力診』の宴は早々に退出したというのに、同じ夜に催されていた、あちらの家の令嬢に、ご執心だと小耳に挟んだのでね」

 この私邸の主人。フィリクス・アル・エナ・エルレーン公嗣の顔から、一見軽薄そうだった笑みは消えていた。

「忌憚のない意見を聞かせてくれないか、カルナック。人払いはしてある」

「よけいなことを」
 長い黒髪の、魔法使いは、いやそうに呟いた。

「おまえと二人きりになどならぬ。それでなくとも、無責任な噂で迷惑している」



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】父が再婚。義母には連れ子がいて一つ下の妹になるそうですが……ちょうだい癖のある義妹に寮生活は無理なのでは?

つくも茄子
ファンタジー
父が再婚をしました。お相手は男爵夫人。 平民の我が家でいいのですか? 疑問に思うものの、よくよく聞けば、相手も再婚で、娘が一人いるとのこと。 義妹はそれは美しい少女でした。義母に似たのでしょう。父も実娘をそっちのけで義妹にメロメロです。ですが、この新しい義妹には悪癖があるようで、人の物を欲しがるのです。「お義姉様、ちょうだい!」が口癖。あまりに煩いので快く渡しています。何故かって?もうすぐ、学園での寮生活に入るからです。少しの間だけ我慢すれば済むこと。 学園では煩い家族がいない分、のびのびと過ごせていたのですが、義妹が入学してきました。 必ずしも入学しなければならない、というわけではありません。 勉強嫌いの義妹。 この学園は成績順だということを知らないのでは?思った通り、最下位クラスにいってしまった義妹。 両親に駄々をこねているようです。 私のところにも手紙を送ってくるのですから、相当です。 しかも、寮やクラスで揉め事を起こしては顰蹙を買っています。入学早々に学園中の女子を敵にまわしたのです!やりたい放題の義妹に、とうとう、ある処置を施され・・・。 なろう、カクヨム、にも公開中。

冷宮の人形姫

りーさん
ファンタジー
冷宮に閉じ込められて育てられた姫がいた。父親である皇帝には関心を持たれず、少しの使用人と母親と共に育ってきた。 幼少の頃からの虐待により、感情を表に出せなくなった姫は、5歳になった時に母親が亡くなった。そんな時、皇帝が姫を迎えに来た。 ※すみません、完全にファンタジーになりそうなので、ファンタジーにしますね。 ※皇帝のミドルネームを、イント→レントに変えます。(第一皇妃のミドルネームと被りそうなので) そして、レンド→レクトに変えます。(皇帝のミドルネームと似てしまうため)変わってないよというところがあれば教えてください。

僕の家族は母様と母様の子供の弟妹達と使い魔達だけだよ?

闇夜の現し人(ヤミヨノウツシビト)
ファンタジー
ー 母さんは、「絶世の美女」と呼ばれるほど美しく、国の中で最も権力の強い貴族と呼ばれる公爵様の寵姫だった。 しかし、それをよく思わない正妻やその親戚たちに毒を盛られてしまった。 幸い発熱だけですんだがお腹に子が出来てしまった以上ここにいては危険だと判断し、仲の良かった侍女数名に「ここを離れる」と言い残し公爵家を後にした。 お母さん大好きっ子な主人公は、毒を盛られるという失態をおかした父親や毒を盛った親戚たちを嫌悪するがお母さんが日々、「家族で暮らしたい」と話していたため、ある出来事をきっかけに一緒に暮らし始めた。 しかし、自分が家族だと認めた者がいれば初めて見た者は跪くと言われる程の華の顔(カンバセ)を綻ばせ笑うが、家族がいなければ心底どうでもいいというような表情をしていて、人形の方がまだ表情があると言われていた。 『無能で無価値の稚拙な愚父共が僕の家族を名乗る資格なんて無いんだよ?』 さぁ、ここに超絶チートを持つ自分が認めた家族以外の生き物全てを嫌う主人公の物語が始まる。 〈念の為〉 稚拙→ちせつ 愚父→ぐふ ⚠︎注意⚠︎ 不定期更新です。作者の妄想をつぎ込んだ作品です。

好きでした、さようなら

豆狸
恋愛
「……すまない」 初夜の床で、彼は言いました。 「君ではない。私が欲しかった辺境伯令嬢のアンリエット殿は君ではなかったんだ」 悲しげに俯く姿を見て、私の心は二度目の死を迎えたのです。 なろう様でも公開中です。

【完結】あなたに知られたくなかった

ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。 5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。 そんなセレナに起きた奇跡とは?

【完結】選ばれなかった王女は、手紙を残して消えることにした。

曽根原ツタ
恋愛
「お姉様、私はヴィンス様と愛し合っているの。だから邪魔者は――消えてくれない?」 「分かったわ」 「えっ……」 男が生まれない王家の第一王女ノルティマは、次の女王になるべく全てを犠牲にして教育を受けていた。 毎日奴隷のように働かされた挙句、将来王配として彼女を支えるはずだった婚約者ヴィンスは──妹と想いあっていた。 裏切りを知ったノルティマは、手紙を残して王宮を去ることに。 何もかも諦めて、崖から湖に飛び降りたとき──救いの手を差し伸べる男が現れて……? ★小説家になろう様で先行更新中

龍王の番〜双子の運命の分かれ道・人生が狂った者たちの結末〜

クラゲ散歩
ファンタジー
ある小さな村に、双子の女の子が生まれた。 生まれて間もない時に、いきなり家に誰かが入ってきた。高貴なオーラを身にまとった、龍国の王ザナが側近二人を連れ現れた。 母親の横で、お湯に入りスヤスヤと眠っている子に「この娘は、私の○○の番だ。名をアリサと名付けよ。 そして18歳になったら、私の妻として迎えよう。それまでは、不自由のないようにこちらで準備をする。」と言い残し去って行った。 それから〜18年後 約束通り。贈られてきた豪華な花嫁衣装に身を包み。 アリサと両親は、龍の背中に乗りこみ。 いざ〜龍国へ出発した。 あれれ?アリサと両親だけだと数が合わないよね?? 確か双子だったよね? もう一人の女の子は〜どうしたのよ〜! 物語に登場する人物達の視点です。

記憶がないので離縁します。今更謝られても困りますからね。

せいめ
恋愛
 メイドにいじめられ、頭をぶつけた私は、前世の記憶を思い出す。前世では兄2人と取っ組み合いの喧嘩をするくらい気の強かった私が、メイドにいじめられているなんて…。どれ、やり返してやるか!まずは邸の使用人を教育しよう。その後は、顔も知らない旦那様と離婚して、平民として自由に生きていこう。  頭をぶつけて現世記憶を失ったけど、前世の記憶で逞しく生きて行く、侯爵夫人のお話。   ご都合主義です。誤字脱字お許しください。

処理中です...