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第一章 先祖還り

その8 鏡の中のアリス

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「すっかりお支度できましたよ、お嬢さま」
 誇らしそうに宣言したのは、メイド長エウニーケさん。

「さあ、鏡をごらんになってくださいませ」

 子供部屋に造り付けられた銀無垢の姿見は、メイドさんたちが毎日ピカピカに磨き上げている。

 銀の鏡に映っているのは、金髪で緑の目をした三歳幼女。
 我ながら将来有望じゃないかなって思う。とてもきれいなお母さまと、顔立ちがよく似てるから。

 あたしはラゼル家の一人娘(いまのところ)アイリス・リデル・ティス・ラゼル。
 今日が三歳の誕生日で、『魔力診』を受ける日なのです。

「なんて愛くるしい! 黄金の絹糸のようなおぐしですこと」
 小粒の真珠をあしらった櫛を髪に差し込み、エウニーケさんは、満足げに笑う。

「目の色もエスメラルダの緑。ときたま水精石アクアラ色に染まるのも、素晴らしいですわ!」

 乳母やもローサも、他のメイドさんたちも、みんなが、すっごくほめてくれるんだけど……なぜかしら、恥ずかしい。真月の女神さまとか精霊さまとかに喩えるのやめて~。

 乳母やが読み聞かせてくれた絵本にのっていた。
 この世界の最高神、真月の女神イル・リリヤさまは、黄金の長い髪と黄金の瞳をした母神さま。この世界で第二位の神さま、青白く若き太陽神アズナワクさまの、お母さま。お祈りをするときは、こう呼びかけるの。

《死者と咎人と幼子の護り手、白き腕の慈愛深き母なる神》

 それに精霊さまといえば、この世界の生命で、魂そのもの。ごくごく稀に人間の前にあらわれるときには、銀色の長い髪、淡い水精石アクアラ色の目をした華奢な若い女性の姿なの。……美しい青年の姿をしている場合もあるらしいけど、乳母やが読んでくれた絵本には出てこなかったわ。

 あらためて、鏡に映った姿を見る。
 確かに、すてき!

 お着替えしたのはフレアスカート部分に張りのある生地を重ねてふんわり膨らませた水色のワンピースと、フリルのついた白いエプロンドレス。お花の形をしたポケットが可愛いの。


 ……まるで、本当にアリスね。


 ふっと、脈絡もなく脳裏に浮かんできた言葉に、あたし自身も戸惑う。

 なに、いまの?
 鏡の中のあたし、金髪のアイリス・リデル・ティス・ラゼルは。
 困ったように、かすかに、笑った。

 メイド長のエウニーケさんは、すごくきれいな人だ。
 お父さまが先代から事業を引き継いだ頃から我が家に勤めてくれているけど、そのキャリアからすると意外に思えるくらい若々しいの。
 赤っぽいブラウンの髪をうなじでまとめてアップにした髪型は、きりりと理知的な顔によく似合っている。
 理知的で鋭い瞳は、灰色がかった緑。

「では、そろそろ昼食のお席にまいりましょう」
 エウニーケさんはテーブルにあった銀のベルを持ち上げ、ちりん、と鳴らした。

「お待たせ致しましたお嬢さま」
 子供部屋のドアが開いて、やってきたのは、あたし専属小間使いのローサ・マイヨール。
 十歳だけど働き者の、メイド見習いといったところ。
 癖の強い赤毛を後ろで一つにまとめ、三つ編みお下げにしている。大きな黒い目の下あたりには、薄いそばかすがいっぱい。健康的に日に焼けて、力持ちなの。

 乳母やのサリーの知人の子ども。
 弟妹たちが多くて働きたいとマイヨールさんのお宅から相談を受けたサリーが我が家を紹介したの。
 歳の近いローサは、あたしにとって、使用人というより身近にいる親しいお姉さんみたい。

 ローサのほうも、自分は田舎育ちで不作法だから、お嬢さま付きになれるなんて思わなかった、専属になれて嬉しいって、率直に言ってくれてる。

 守護妖精シルルとイルミナの存在に最初に気づいたのは、ローサだった。

 ローサには魔力が少しだけあるから、子ども部屋に妖精がいることはわかるみたい。
 だけど話している内容までもはわからない。

 魔法使いになるための学校に通っているエステリオ叔父さまは、持っている魔力が多いので、あたしと同じように妖精が見えて、会話もできる。
 やっぱり魔力量でいろいろと違いはあるのね。

 メイドさんたちの噂話で耳にしたけれど、この世界、特に、ここエルレーン公国首都シ・イル・リリヤでは、持って生まれた魔力が多いかどうかは大きな要素。社会的成功にも影響するんだって。


 ところで毎日のことだけど、朝はメイドさんが何人もでやってきて、お着替えタイム突入!
 ファッションショーになっちゃうのよね。

「身支度はこれでいいかしら」
「とてもよくお似合いですわ、お嬢さま」

 メイド長エウニーケさんは満足そうにうなずいた。

「では、ローサ。お嬢さまを朝食のお席にお連れして」
「はい、メイド長」

 あたしは乳母やに抱っこされて、ローサについていく。

           ※

 食堂に入ると、大きな長いテーブルの端に、お父さまとお母さま、エステリオ叔父さまがいらしていた。
 みんな、にこにこしていて、お祝いを言ってくれた。

「三歳おめでとう、アイリス」
「無事に育って、ほんとうに嬉しいわ」
「よかったね、アイリス。誕生日のお祝いは、今夜、ご親戚のみなさんをお招きする会で、やることになっているから。プレゼントも、そのときに」

 子供用の椅子が用意されていて、乳母やと離れて、あたしは座る。
 乳母やとローサは入り口まで戻って、そっと控えている。
 食卓について一緒にごはんをいただくのは、家族だけだ。乳母やたちはあとで、別室でごはんをとることになっているの。

 お父さまの名前はマウリシオ・マルティン・ラゼル。茶色い髪とおひげ。大きな商会の会長だから、威厳を出すように大人っぽく整えてるけど、まだ三十二歳。

 お母さまの名前はアイリアーナ・ローレル・フェリース・ラゼル。
 女性の年齢は秘密です……けど。
 お父さまより三歳年下だったはず。
 長い金髪と緑の目は、あたしと同じ。

 もっとも、あたしの目は、妖精を見ているときは色が違うらしい。水精石アクアラみたいな淡い水色になるのだそうだ。

 エステリオ叔父さまは、エステリオ・アウル・ティス・ラゼル。
 お父さまと少し歳が離れていて、いま十六歳。
 レンガ色の癖っ毛と、優しい茶色の目をしている。

 叔父さまはエルレーン公国の公国立学院、魔導師養成コースに通っている。寄宿舎もあるそうだけど、家も近いからと、通うほうを選んだ。
 おかげであたしは、毎晩、お母さまが夜会やご夫人方の会合でお留守のときでも、乳母やかエステリオ叔父さまに絵本を読んでもらえるの。

「今夜はいよいよ『魔力診』だな」
 お父さまは感慨深そうにおっしゃった。

「ええ。ひとくぎりですわ。健やかに育ってくれて、なんてありがたいことでしょう」

 ひとくぎり。

 ここ、エルレーン公国首都シ・イル・リリヤでは、子どもが成長していく過程での行事がある。

 三歳あたりで『魔力診』を受けて。
 七歳で、子どもが無事に大きくなったことを親戚やご近所さんや、仕事の付き合いのある人たち、みなさんをお招きして晩餐会を開いて『お披露目会』をする。
 そして九歳になったら公立学院に通って勉強を学んで、社会に出る準備をするの。

 貴族さまとか、お金持ちとかのお家では、その頃、社交界デビューもするみたい。

 まあ、それは、まだ先の話ね。

 いよいよ……
 今夜は『魔力診』なんだわ。持って生まれた魔力の質とか、量を計測するのだって。
 どんなのかしら。

 少し不安になっていたら、

「だいじょうぶだよ、アイリス」
 エステリオ叔父さまが、にっこり笑って、励ましてくれる。

「診断にいらしてくださる『深緑しんりょくのコマラパ老師』さまは、子ども好きで、とても優しい方だから」
 
                                                 
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