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第四章 二人の寄り道が終わるまで
72.真相
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カルマンのそばに、十歳前後の少年がいる。攫ってきた者の中から人質として連れてきたようだ。
首につけられた魔道具は爆発しないが、カルマンが短剣を所持しているため迂闊に近付けない。カルマンもそれを分かっているようだった。
「二人とも武器を置いて、ゆっくり扉から離れなさい。下手な動きをすれば、この子供を殺します」
カルマンに短剣を突きつけられた少年がぎゅっと目をつぶる。こけた頬から一筋赤色がにじんだ。
『テ、テオ』
頭の中で話しかける。
テオドールとジャスパーはカルマンの要求をのみ、剣を床に置いた。両手を上げて部屋の奥へと進む。
カルマンは少年を無理やり歩かせ、こちらから一定の距離を保ちながら扉の方へ向かう。口元は歪な弧を描いていた。
「常々感じていましたが、正義の味方というのは、この世で最も哀れな生き物ですね」
半開きの扉の前で立ち止まったカルマンは、自分の短剣を捨て、先ほどジャスパーが置いた剣に持ち替えた。
「全く理解できません。薄汚れた子供一人救うために、自ら不利な道を選ぶ。――テオドール・グラント。あの男もそうでした」
愛する人の名前に動揺し、心臓が激しく脈打った。
「教えて差し上げましょう。あなた方の大切な局長が、誰に殺されたのか」
今まで得た情報が脳内を飛び回る。それらと現状が結びつき、真相にたどり着く。
カルマンが答えを口にする前に、ララはすでに犯人を見つめていた。
「この子供です」
カルマンに髪を掴まれた人質の少年が、ぼろぼろと涙を流していた。後悔の粒が床に落ち、シミをつくる。
テオドールより強い人間を探しても見つからないはずだ。初めからいないのだから。
カルマンはテオドールが死んだ日のことを、「あの夜は――」と語り始めた。
「大勢雇った傭兵が役に立たず、どうなることかと思いました。捜査局の局長が死んだ理由はたったひとつ。彼が正義の味方だったからです」
六月十七日の夜、カルマンは倉庫街に侵入したテオドールを殺すため、雇った戦力を総動員した。しかしテオドールの圧倒的な強さの前には意味がなかった。傭兵は次から次へと地に沈む。
焦ったカルマンは攫ってきたばかりの少年に刃物を握らせた。そしてテオドールにも聞こえるように言ったのだ。『あの男を刺さなくては、お前の頭を吹き飛ばす』と。
少年の首につけられた魔道具の効力を、テオドールは知っていた。だからすぐに理解したのだろう。テオドールを刺せなかった場合、魔道具によって少年が命を落とすと。
(テオが避けるはずがない)
彼は子供が、好きなのだから。
『……あなたは最後の瞬間まで、あなたらしく生きたのですね』
テオドールは恨まれて命を落としたのではない。人を守って、死んだのだ。
『私はあなたを、誇りに思います』
だから今度は自分が守ろう。テオドールが守った子供を、カルマンの手から。
ララは体の主導権を握り、深く息を吸った。背筋を伸ばし、少年に話しかける。
「今日でこの場所を終わらせます。カルマン卿と手を組んでいる者にも、必ず罪を償わせます。ですからどうか、私に力を貸していただけませんか」
カルマンが剣を前に突き出し、眉をひそめた。
「何を言い出すのかと思えば……。この子供が役に立つわけないでしょう。私から逃げることすらできないというのに」
「彼はそのままで良いのです。私が協力を依頼したのは、別の方ですので」
「は……?」
依然として険しい顔のカルマンに、ララは静かな声で質問をした。
「カルマン卿。『ポルターガイスト』って、ご存知ですか?」
――……ギイィ……バタン。
カルマンの背後にある扉が、不気味な音を立てて閉まった。
「なんだ⁉……ぐぁっ」
振り向いて扉を確認したカルマンの手を床から浮かび上がったテオドールの剣が切りつけた。
傷は浅かったようだが、カルマンは怯んで剣を落とした。宙に浮く剣から逃げようとして、人質の少年からも手をはなす。
その隙をテオドールは逃さなかった。獲物を仕留める矢のように体が飛び出し、カルマンとの距離を詰める。斜め後ろからジャスパーが追ってきていた。
「子供はあたしが」
「頼む」
テオドールは床に落ちた剣を素早く遠くに蹴り飛ばし、カルマンの前髪を正面から掴む。
「今回は当てるぞ」
抵抗する時間を与えなかった。頭を押さえつけると同時に、振り上げた膝で顎を砕いた。
カルマンは二、三度よろめき、言葉を発する前に白目を剥いて崩れ落ちた。微動だにしなくなったカルマンを見下ろして、テオドールはララの体で首を鳴らす。
「やりすぎだったか?」
暴力は嫌いだし、できるだけ怪我人を見たくない。
だが、今だけは言わせてほしい。
「足りないくらいです」
「足りないっての」
ララとジャスパーの声が揃ったものだから、テオドールは「そうか」と吹き出した。
「あたしも何発か蹴っておこうかしら」
ジャスパーはしかめっ面だが、優しい手つきで人質の少年の涙を拭っている。
少年がテオドールを刺した犯人でも、責める気にはなれなかった。彼も被害者なのだ。
(被害者といえば……)
ララは隣にたたずむ幽霊少年に視線を向けた。扉を閉めてくれたのも、剣を浮かせたのも彼だ。
彼はララから離れ、横たわったカルマンの方に歩いていく。するとカルマンの体が、突如痙攣し始めた。
「……ガッ……ッ」
気を失ったまま、自分の首元を掻きむしっている。少年が悪夢を見せているようだ。
カルマンは数秒間床でのたうち回り、壊れたように動かなくなった。しかし、ララが近付こうとすると再び痙攣を起こした。激しく足をばたつかせ、もがき苦しむ。
「ゆ、るし……て……」
首と手を血だらけにしたカルマンを、幽霊少年は冷めた目で見下ろしていた。
「今までどれほどの人が、お前にそう言ったんだろうね」
少年はカルマンに馬乗りになって首を絞めた。倉庫内では直接触れられるのか、首が圧迫されていく。
目を見開いたカルマンの口からは、声とは呼べない乾いた音が出た。
「ダメです! 殺してしまっては」
「どうして止めるの?」
少年は手の力を抜いたようだが、カルマンを見下ろしたままだった。
「復讐しても僕は生き返らないから? 何も解決しないって? そんなの――」
「私があなたの友人だからです」
「――っ」
止める理由なんて、それしかない。
少年はビクッと肩を揺らし、視線をこちらに向けた。驚いているようでもあり、心細そうにも見える眼差しだった。
「あなたは神から復讐のための力を与えられたとおっしゃっていましたが、私は違うと思っています」
彼がカルマンを殺したいほどに憎んでいるのはしょうがない。だが――、
「先ほどその力で、私たちを助けてくださったではありませんか」
彼がカルマンを怯ませてくれなかったら、逃げられていた可能性もある。
金庫を開けたのだってそうだ。彼のおかげで捕らえられていた人は救われた。
「あなたが神から与えられたのは、人を守るための力です」
綺麗事だと言われても構わない。これが本心なのだから。少年は自分と同じ不幸な目にあう人を生まないために、力を得た。
「十年間友人を続けてきた私は、あなたがとても優しい人だと知っています。……この場でカルマン卿を殺めた場合、実行した自分を許せるような人ではないと、知っています」
カルマンを手にかけたら、少年は罪の意識から神の元に帰らなくなるだろう。いつまでも苦しみ、寂しく漂うことになる。そんな痛みを、彼一人が背負う必要はない。
「……まだ僕を心配してくれるの?」
「友人ですから」
「カルマンを殺そうとしたんだよ?」
「未遂です。それにあなたの行いが間違いだとは思っていません」
復讐されても文句が言えないようなことを、カルマンはしたのだ。
「ただ、私は自分の友人に、笑顔で神の元に帰っていただきたいのです。悔いを残さず、晴れやかな気持ちで。だから止めました。そしてちゃんと、本来のあなたに伝えたい」
ララは少年に微笑みかけた。
「十年間私を励まし続けてくれて、ありがとうございました」
子供の頃の記憶には、彼らの姿がある。彼らは生前辛い思いをしたはずだが、ララにはいつも親切だった。
ララは彼らが、大好きだった。
昔を思い出したのだろうか。少年は泣きそうな顔をした後、一度拳を握ってカルマンの体から降りた。
「…………あーあ。カルマンが死ぬまで呪い続けるつもりだったのに。ある程度善人の状態で神の元に帰りたくなっちゃった」
そこまで話すと、少年の体が消え始めた。
別れの時が来たようだ。
「……あとのこと、任せても良いかい?」
ララは頷いて答える。カルマンは法に基づいて正しく裁く。亡くなった人の無念を晴らすために。
こちらを見て安心したような笑みを浮かべた少年は、もう闇を纏っていなかった。
「止めてくれてありがとう。幸せになってね、お嬢さん」
首につけられた魔道具は爆発しないが、カルマンが短剣を所持しているため迂闊に近付けない。カルマンもそれを分かっているようだった。
「二人とも武器を置いて、ゆっくり扉から離れなさい。下手な動きをすれば、この子供を殺します」
カルマンに短剣を突きつけられた少年がぎゅっと目をつぶる。こけた頬から一筋赤色がにじんだ。
『テ、テオ』
頭の中で話しかける。
テオドールとジャスパーはカルマンの要求をのみ、剣を床に置いた。両手を上げて部屋の奥へと進む。
カルマンは少年を無理やり歩かせ、こちらから一定の距離を保ちながら扉の方へ向かう。口元は歪な弧を描いていた。
「常々感じていましたが、正義の味方というのは、この世で最も哀れな生き物ですね」
半開きの扉の前で立ち止まったカルマンは、自分の短剣を捨て、先ほどジャスパーが置いた剣に持ち替えた。
「全く理解できません。薄汚れた子供一人救うために、自ら不利な道を選ぶ。――テオドール・グラント。あの男もそうでした」
愛する人の名前に動揺し、心臓が激しく脈打った。
「教えて差し上げましょう。あなた方の大切な局長が、誰に殺されたのか」
今まで得た情報が脳内を飛び回る。それらと現状が結びつき、真相にたどり着く。
カルマンが答えを口にする前に、ララはすでに犯人を見つめていた。
「この子供です」
カルマンに髪を掴まれた人質の少年が、ぼろぼろと涙を流していた。後悔の粒が床に落ち、シミをつくる。
テオドールより強い人間を探しても見つからないはずだ。初めからいないのだから。
カルマンはテオドールが死んだ日のことを、「あの夜は――」と語り始めた。
「大勢雇った傭兵が役に立たず、どうなることかと思いました。捜査局の局長が死んだ理由はたったひとつ。彼が正義の味方だったからです」
六月十七日の夜、カルマンは倉庫街に侵入したテオドールを殺すため、雇った戦力を総動員した。しかしテオドールの圧倒的な強さの前には意味がなかった。傭兵は次から次へと地に沈む。
焦ったカルマンは攫ってきたばかりの少年に刃物を握らせた。そしてテオドールにも聞こえるように言ったのだ。『あの男を刺さなくては、お前の頭を吹き飛ばす』と。
少年の首につけられた魔道具の効力を、テオドールは知っていた。だからすぐに理解したのだろう。テオドールを刺せなかった場合、魔道具によって少年が命を落とすと。
(テオが避けるはずがない)
彼は子供が、好きなのだから。
『……あなたは最後の瞬間まで、あなたらしく生きたのですね』
テオドールは恨まれて命を落としたのではない。人を守って、死んだのだ。
『私はあなたを、誇りに思います』
だから今度は自分が守ろう。テオドールが守った子供を、カルマンの手から。
ララは体の主導権を握り、深く息を吸った。背筋を伸ばし、少年に話しかける。
「今日でこの場所を終わらせます。カルマン卿と手を組んでいる者にも、必ず罪を償わせます。ですからどうか、私に力を貸していただけませんか」
カルマンが剣を前に突き出し、眉をひそめた。
「何を言い出すのかと思えば……。この子供が役に立つわけないでしょう。私から逃げることすらできないというのに」
「彼はそのままで良いのです。私が協力を依頼したのは、別の方ですので」
「は……?」
依然として険しい顔のカルマンに、ララは静かな声で質問をした。
「カルマン卿。『ポルターガイスト』って、ご存知ですか?」
――……ギイィ……バタン。
カルマンの背後にある扉が、不気味な音を立てて閉まった。
「なんだ⁉……ぐぁっ」
振り向いて扉を確認したカルマンの手を床から浮かび上がったテオドールの剣が切りつけた。
傷は浅かったようだが、カルマンは怯んで剣を落とした。宙に浮く剣から逃げようとして、人質の少年からも手をはなす。
その隙をテオドールは逃さなかった。獲物を仕留める矢のように体が飛び出し、カルマンとの距離を詰める。斜め後ろからジャスパーが追ってきていた。
「子供はあたしが」
「頼む」
テオドールは床に落ちた剣を素早く遠くに蹴り飛ばし、カルマンの前髪を正面から掴む。
「今回は当てるぞ」
抵抗する時間を与えなかった。頭を押さえつけると同時に、振り上げた膝で顎を砕いた。
カルマンは二、三度よろめき、言葉を発する前に白目を剥いて崩れ落ちた。微動だにしなくなったカルマンを見下ろして、テオドールはララの体で首を鳴らす。
「やりすぎだったか?」
暴力は嫌いだし、できるだけ怪我人を見たくない。
だが、今だけは言わせてほしい。
「足りないくらいです」
「足りないっての」
ララとジャスパーの声が揃ったものだから、テオドールは「そうか」と吹き出した。
「あたしも何発か蹴っておこうかしら」
ジャスパーはしかめっ面だが、優しい手つきで人質の少年の涙を拭っている。
少年がテオドールを刺した犯人でも、責める気にはなれなかった。彼も被害者なのだ。
(被害者といえば……)
ララは隣にたたずむ幽霊少年に視線を向けた。扉を閉めてくれたのも、剣を浮かせたのも彼だ。
彼はララから離れ、横たわったカルマンの方に歩いていく。するとカルマンの体が、突如痙攣し始めた。
「……ガッ……ッ」
気を失ったまま、自分の首元を掻きむしっている。少年が悪夢を見せているようだ。
カルマンは数秒間床でのたうち回り、壊れたように動かなくなった。しかし、ララが近付こうとすると再び痙攣を起こした。激しく足をばたつかせ、もがき苦しむ。
「ゆ、るし……て……」
首と手を血だらけにしたカルマンを、幽霊少年は冷めた目で見下ろしていた。
「今までどれほどの人が、お前にそう言ったんだろうね」
少年はカルマンに馬乗りになって首を絞めた。倉庫内では直接触れられるのか、首が圧迫されていく。
目を見開いたカルマンの口からは、声とは呼べない乾いた音が出た。
「ダメです! 殺してしまっては」
「どうして止めるの?」
少年は手の力を抜いたようだが、カルマンを見下ろしたままだった。
「復讐しても僕は生き返らないから? 何も解決しないって? そんなの――」
「私があなたの友人だからです」
「――っ」
止める理由なんて、それしかない。
少年はビクッと肩を揺らし、視線をこちらに向けた。驚いているようでもあり、心細そうにも見える眼差しだった。
「あなたは神から復讐のための力を与えられたとおっしゃっていましたが、私は違うと思っています」
彼がカルマンを殺したいほどに憎んでいるのはしょうがない。だが――、
「先ほどその力で、私たちを助けてくださったではありませんか」
彼がカルマンを怯ませてくれなかったら、逃げられていた可能性もある。
金庫を開けたのだってそうだ。彼のおかげで捕らえられていた人は救われた。
「あなたが神から与えられたのは、人を守るための力です」
綺麗事だと言われても構わない。これが本心なのだから。少年は自分と同じ不幸な目にあう人を生まないために、力を得た。
「十年間友人を続けてきた私は、あなたがとても優しい人だと知っています。……この場でカルマン卿を殺めた場合、実行した自分を許せるような人ではないと、知っています」
カルマンを手にかけたら、少年は罪の意識から神の元に帰らなくなるだろう。いつまでも苦しみ、寂しく漂うことになる。そんな痛みを、彼一人が背負う必要はない。
「……まだ僕を心配してくれるの?」
「友人ですから」
「カルマンを殺そうとしたんだよ?」
「未遂です。それにあなたの行いが間違いだとは思っていません」
復讐されても文句が言えないようなことを、カルマンはしたのだ。
「ただ、私は自分の友人に、笑顔で神の元に帰っていただきたいのです。悔いを残さず、晴れやかな気持ちで。だから止めました。そしてちゃんと、本来のあなたに伝えたい」
ララは少年に微笑みかけた。
「十年間私を励まし続けてくれて、ありがとうございました」
子供の頃の記憶には、彼らの姿がある。彼らは生前辛い思いをしたはずだが、ララにはいつも親切だった。
ララは彼らが、大好きだった。
昔を思い出したのだろうか。少年は泣きそうな顔をした後、一度拳を握ってカルマンの体から降りた。
「…………あーあ。カルマンが死ぬまで呪い続けるつもりだったのに。ある程度善人の状態で神の元に帰りたくなっちゃった」
そこまで話すと、少年の体が消え始めた。
別れの時が来たようだ。
「……あとのこと、任せても良いかい?」
ララは頷いて答える。カルマンは法に基づいて正しく裁く。亡くなった人の無念を晴らすために。
こちらを見て安心したような笑みを浮かべた少年は、もう闇を纏っていなかった。
「止めてくれてありがとう。幸せになってね、お嬢さん」
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