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第四章 二人の寄り道が終わるまで
68.新事実
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え? と聞き返したが、彼女は机に置いていたイヤーカフをこちらに差し出す。
「で、ですが、これは……」
テオドールの形見だ。遺族が持っておくべきだろう。首を振って断ろうとしたララの手を、マリッサが包み込む。しっかりとイヤーカフを握らされた。
「あの子も、その方が喜ぶと思うの」
母親の勘ってやつね、と笑った彼女の顔がテオドールと重なって、急に涙が溢れそうになる。
顔を伏せて目をつぶる。ララはイヤーカフを包んだ両手を、祈るように顔の前に持ち上げた。
「……ありがとう、ございます」
自分の元に、彼との繋がりが残る。思い出だけで充分だったはずなのに、一度受け取ってしまったら、もう手放せそうにない。
いつからこんなに、欲深くなってしまったのだろう。
ララはイヤーカフを丁寧に片付けた。その後三十分ほどマリッサと話し、捜査局に帰ることにした。
「本日はありがとうございました。お会いできて嬉しかったです」
「私もよ。テオの話をするのは辛いだけかと思っていたけど、とても楽しかったわ。知らなかったあの子を知れた気がして。……これで私も、神の元に送る覚悟ができそうだわ」
公爵家の門の手前まで来たところで、マリッサが足を止めた。
「また来てくださる? テオの秘蔵話を用意しておくから」
なんと嬉しいお誘いだろう。喜んで、と返し、頭を下げる。彼女とならいくらでも話ができそうだ。
次回はテオドールと出会った時の話をしよう。悲しい記憶ではなく、幸せな思い出として。そんなことを考えながらマリッサに背を向ける。
門に向かって歩き出したララだったが、五秒も経たぬ内に呼び止められた。
どうしたのだろうかと振り向くと、何かを言いたげな表情のマリッサと目が合った。
「……医療棟を安眠の間で覆うまでは、全てをお話しするわけにはいかないのだけれど」
そこで彼女は言葉を区切った。苦しそうに眉を寄せる。何度か深呼吸を繰り返し、やがて決意を固めたように口を開いた。
「あの日、テオはね――」
続けられた言葉を聞いて、ララはテオドールの元に急いだ。
「へえ。俺は腹部を刺されていて、おまけに塩水で全身びしょ濡れだったと」
帰りの馬車に揺られながら、テオドールが確認してきた。ララは激しく頷く。そうなのだ、新事実だ。
「よく聞き出せたな」
「と、問い詰めたりしていませんからね?」
「そんな心配はしてない。君を気に入って話したくなったんだろ。刺殺となると、ある程度犯人像を絞れそうだが……塩水ってことは海に落とされたのか、飛び込んだのか。……なんだ、浮かない顔だな」
この状況でにっこりできる人間がいるのなら会ってたいものだ。ジットリとした目でテオドールを見る。
「好きな人が刺されたと知って、泣かなかった私を褒めていただきたいのですが」
「ん? 耳の調子が悪いみたいだ。もう一回好きな人って言ってくれ」
「ふざけてる場合ですか」
「大事なことだろ?」
「言ったら、どうなるのですか」
「俺の気分が良くなる」
「くっ、……す……」
「す?」
「……好き、です」
「俺は愛している」
「……もうぅ」
緊張感のない会話に力が抜け、背もたれに倒れ込んだ。無邪気に肩を揺らすテオドールに腹が立つ。熱くなってしまう自分の顔にも、腹が立つ。ときめいている場合ではないのに。
「……頭の中で、何かが引っかかっているんです」
「死因についてか?」
「いえ。あなたが亡くなるくらいですから、それなりの理由だと覚悟はしていました。この事実が公になれば、国民は大騒ぎでしょうけど」
「そうか?」
「だって捜査官以外は、あなたが亡くなったという情報しか聞かされていないのですよ? 普通誰かの訃報を聞いて、真っ先に『あー、あの人、殺されたんだなぁ』とは考えません」
大々的に捜査を行っているのであれば、事件だと勘付く者もいるだろう。だが、今回はグラント公爵家によって捜査を止められている。
テオドールは亡くなったが、捜査はしていない。つまり国民は、事件性のない事故や病気を疑うはずだ。
「ですから、他殺だと聞いて驚かない人がいれば、それは……あれ?」
そうだ。捜査官とテオドールの家族以外にテオドールの死因を知っている者がいれば、この事件の重要参考人だ。
理解した途端、ある人物の言葉が妙に鮮明に思い出された。背もたれからガバッと起き上がり、袖口についているカフスボタンを操作する。
「どうした」
「ちょっと、見ていただきたいものが……」
宙に映し出されたのは、初めての巡回で立ち寄ったルーウェンの景色だった。空を記録するマックス。輝く海面。港を出発する船。違う、もっと後だ。
ピ、ピ、ピ、ピ。
映像を早送りしていく。
ザザッと映像が乱れた後、倉庫街の記録に変わった。カルマンとの遭遇を回避しようとするララの声。あの時はカルマンに気を取られていて、彼の不自然な言葉に気が付かなかった。
『イーサン卿は、グラント卿と面識が?』
『いえ。直接お会いしたことはありませんが、ご活躍は風の噂で。それゆえに残念です。この国は大きなものを失った』
ここです、と、ララはテオドールに目くばせをする。
映像の中のイーサンが、視線を落としている。ララと二人で倉庫の外を歩いていた時の記録だ。
『――あの方は死さえも覚悟されていたでしょう。功績を残す方というのは、それだけ多くの想いを背負うものですから。期待だけでなく、恨みや妬みなんかも』
イーサンに『あの方』と呼ばれたテオドールの眉が、ぴくりと動いた。同じ部分に引っかかったらしい。
ララは記録を一時停止させる。勘違いかもしれない。考えすぎかもしれない。だが――、
「この言い方、……あなたの死因が他殺だと、知っているように聞こえませんか」
「で、ですが、これは……」
テオドールの形見だ。遺族が持っておくべきだろう。首を振って断ろうとしたララの手を、マリッサが包み込む。しっかりとイヤーカフを握らされた。
「あの子も、その方が喜ぶと思うの」
母親の勘ってやつね、と笑った彼女の顔がテオドールと重なって、急に涙が溢れそうになる。
顔を伏せて目をつぶる。ララはイヤーカフを包んだ両手を、祈るように顔の前に持ち上げた。
「……ありがとう、ございます」
自分の元に、彼との繋がりが残る。思い出だけで充分だったはずなのに、一度受け取ってしまったら、もう手放せそうにない。
いつからこんなに、欲深くなってしまったのだろう。
ララはイヤーカフを丁寧に片付けた。その後三十分ほどマリッサと話し、捜査局に帰ることにした。
「本日はありがとうございました。お会いできて嬉しかったです」
「私もよ。テオの話をするのは辛いだけかと思っていたけど、とても楽しかったわ。知らなかったあの子を知れた気がして。……これで私も、神の元に送る覚悟ができそうだわ」
公爵家の門の手前まで来たところで、マリッサが足を止めた。
「また来てくださる? テオの秘蔵話を用意しておくから」
なんと嬉しいお誘いだろう。喜んで、と返し、頭を下げる。彼女とならいくらでも話ができそうだ。
次回はテオドールと出会った時の話をしよう。悲しい記憶ではなく、幸せな思い出として。そんなことを考えながらマリッサに背を向ける。
門に向かって歩き出したララだったが、五秒も経たぬ内に呼び止められた。
どうしたのだろうかと振り向くと、何かを言いたげな表情のマリッサと目が合った。
「……医療棟を安眠の間で覆うまでは、全てをお話しするわけにはいかないのだけれど」
そこで彼女は言葉を区切った。苦しそうに眉を寄せる。何度か深呼吸を繰り返し、やがて決意を固めたように口を開いた。
「あの日、テオはね――」
続けられた言葉を聞いて、ララはテオドールの元に急いだ。
「へえ。俺は腹部を刺されていて、おまけに塩水で全身びしょ濡れだったと」
帰りの馬車に揺られながら、テオドールが確認してきた。ララは激しく頷く。そうなのだ、新事実だ。
「よく聞き出せたな」
「と、問い詰めたりしていませんからね?」
「そんな心配はしてない。君を気に入って話したくなったんだろ。刺殺となると、ある程度犯人像を絞れそうだが……塩水ってことは海に落とされたのか、飛び込んだのか。……なんだ、浮かない顔だな」
この状況でにっこりできる人間がいるのなら会ってたいものだ。ジットリとした目でテオドールを見る。
「好きな人が刺されたと知って、泣かなかった私を褒めていただきたいのですが」
「ん? 耳の調子が悪いみたいだ。もう一回好きな人って言ってくれ」
「ふざけてる場合ですか」
「大事なことだろ?」
「言ったら、どうなるのですか」
「俺の気分が良くなる」
「くっ、……す……」
「す?」
「……好き、です」
「俺は愛している」
「……もうぅ」
緊張感のない会話に力が抜け、背もたれに倒れ込んだ。無邪気に肩を揺らすテオドールに腹が立つ。熱くなってしまう自分の顔にも、腹が立つ。ときめいている場合ではないのに。
「……頭の中で、何かが引っかかっているんです」
「死因についてか?」
「いえ。あなたが亡くなるくらいですから、それなりの理由だと覚悟はしていました。この事実が公になれば、国民は大騒ぎでしょうけど」
「そうか?」
「だって捜査官以外は、あなたが亡くなったという情報しか聞かされていないのですよ? 普通誰かの訃報を聞いて、真っ先に『あー、あの人、殺されたんだなぁ』とは考えません」
大々的に捜査を行っているのであれば、事件だと勘付く者もいるだろう。だが、今回はグラント公爵家によって捜査を止められている。
テオドールは亡くなったが、捜査はしていない。つまり国民は、事件性のない事故や病気を疑うはずだ。
「ですから、他殺だと聞いて驚かない人がいれば、それは……あれ?」
そうだ。捜査官とテオドールの家族以外にテオドールの死因を知っている者がいれば、この事件の重要参考人だ。
理解した途端、ある人物の言葉が妙に鮮明に思い出された。背もたれからガバッと起き上がり、袖口についているカフスボタンを操作する。
「どうした」
「ちょっと、見ていただきたいものが……」
宙に映し出されたのは、初めての巡回で立ち寄ったルーウェンの景色だった。空を記録するマックス。輝く海面。港を出発する船。違う、もっと後だ。
ピ、ピ、ピ、ピ。
映像を早送りしていく。
ザザッと映像が乱れた後、倉庫街の記録に変わった。カルマンとの遭遇を回避しようとするララの声。あの時はカルマンに気を取られていて、彼の不自然な言葉に気が付かなかった。
『イーサン卿は、グラント卿と面識が?』
『いえ。直接お会いしたことはありませんが、ご活躍は風の噂で。それゆえに残念です。この国は大きなものを失った』
ここです、と、ララはテオドールに目くばせをする。
映像の中のイーサンが、視線を落としている。ララと二人で倉庫の外を歩いていた時の記録だ。
『――あの方は死さえも覚悟されていたでしょう。功績を残す方というのは、それだけ多くの想いを背負うものですから。期待だけでなく、恨みや妬みなんかも』
イーサンに『あの方』と呼ばれたテオドールの眉が、ぴくりと動いた。同じ部分に引っかかったらしい。
ララは記録を一時停止させる。勘違いかもしれない。考えすぎかもしれない。だが――、
「この言い方、……あなたの死因が他殺だと、知っているように聞こえませんか」
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