エンディング目前の半透明な令息と、60日の寄り道を

杏野 いま

文字の大きさ
上 下
67 / 76
第四章 二人の寄り道が終わるまで

67.グラント公爵家にて

しおりを挟む
 イヤーカフを発見した後、捜査局に戻ったララはグラント公爵家に手紙を出した。面会の約束を取り付けるためだ。
 返事はすぐに来た。とんとん拍子で予定が決まり――、


 八月十一日。テオドールが神の元に帰る日まで、一週間を切った。
 馬車の窓から空を見ると、立体感のある雲が、いつもより早く流れている。
 ララはミルクティーベージュの髪を耳にかけ、白衣のポケットから懐中時計を取り出した。午後二時五十分。グラント公爵夫人との約束の時間まで、あと十分だ。

「本当に一人でうちに行くのか?」

 正面に腰掛けるテオドールが、見るからに不満そうな眼差しを向けてくる。

「しょうがないではありませんか。ジャスパーはなぜかまだカルマン卿のことを調べているようですし、他のみなさんもそれぞれ任務があるのですから」

 カフェから持ち帰ったイヤーカフをテオドールの家族に届けられるのは、ララだけなのだ。

「不満なのはそこじゃない」
「ではどこですか」
「俺が屋敷に入れないことだ」
「安眠の間を展開した件に関しましては、心の底から申し訳なく」
「だからそうじゃない」

 難しい人だ。安眠の間以上に不満なこととは?

「分からないのか?」

 伸びてきたテオドールの手がララの髪をすくい上げる。軽く弄った後、彼は優雅な動作で毛先に唇を落とした。
 挑発的な上目遣いにどきりとする。

「君との時間を減らされるのが不満なんだ」

 難しい人ではなく、タチの悪い男だった。

「……早めに帰ってきます」
「そうしてくれ。うちの人間は霊の存在を信じてるから、君に無礼な真似はしないはずだ」
「信じていらっしゃるのですか? 私が言うのもなんですが、珍しいですね」
「医療を生業なりわいにしてると、それなりに色々あるんだ」

 テオドールによると、グラント公爵家に隣接している医療棟では昔から不可解なことが起こるらしい。誰もいないはずの廊下から足音が聞こえたり、何者かの気配を感じたり。ゆえに、グラント公爵家の人間は霊の存在を信じている。

「それを聞いて安心しました。霊の話をするつもりはありませんが、体質が理由であなたのご家族に嫌われるのは避けたいので」

 懐中時計をしまい、右側に置いていたトランクを持つ。時間だ。

「母のこと、よろしく頼む」
「はい。いってきます」

 ララは馬車から降り、グラント公爵家の正門へと向かった。





 テオドールの母――マリッサ・グラントの許可を得て屋敷に入ったララは、通された部屋で紅茶に口をつけた。花のような香りと爽やかな渋み。歓迎されているようだ、と緊張がやわらぐ。

「まさかあの時の開発局員さんがオルティス伯爵令嬢だったなんて」
「以前は名前を出すことに抵抗があり、ご挨拶できず申し訳ございませんでした」
「気になさらないで。あなたが苦労されてきたことは分かっていますから。私には見えないけど、霊の話も信じているのよ?」

 マリッサがテオドールと同じ色の目を穏やかに細めた。前回会った時よりも砕けた話し方で、朗らかな印象を受ける。泣いた様子はないが、頬がこけたように感じた。
 トランクから布に包んだイヤーカフを出し、マリッサに差し出す。もう片方もこの屋敷内にあるため、色が銀色に戻っていた。

「片方だけなくなっていた、グラント卿のイヤーカフです。ルーウェンにあるカフェで保管されていました」

 テオドールについての捜査はしない決まりだが、カフェの店主に少しだけ話を聞いた。
 テオドールは亡くなる前日にルーウェンを訪れていたらしい。カフェに立ち寄ったのは閉店前の午後七時頃だったそうだ。

 マリッサがイヤーカフを手に取り、そっと撫でる。指先が震えていた。

「あの。よろしければ、こちらも……」

 ララは小瓶を机に置く。
 グラント公爵家に手紙を書いている時、マリッサの泣き腫らした顔が脳裏に浮かんだ。テオドールを失い、辛い日々を過ごしているはず。
 気休め程度にしかならないだろうが、少しでも役に立てれば、とアロマオイルを用意してきたのだ。

「これ……」
「リラックス効果が高く、生命力の活性化が期待できるアロマオイルです。香りが苦手でなければ、ぜひお使いください」
「テオが使っているのを、見たことがあるような」

 小瓶のデザインは違うものにしたのだが、中身のオイルに見覚えがあったようだ。
 こちらを見るマッリサの目に、一滴ほど好奇心が混ざる。

「……オルティス伯爵令嬢は、テオと親しかったのかしら」

 突然核心を突かれ、返答に困る。親しかったと言えばそうだ。だが、現在抱いているどうしようもない気持ちとは違う種類の感情だった。

「グラント卿とは、数年前から一緒にお仕事をさせていただいておりました。捜査局の担当が私だったもので」
「そうだったの。お世話になっていたのね」
「い、いえ。むしろ私の方が……。グラント卿は、私の噂を嫌悪することなく接してくださって」

 ひとりの人間として真っ直ぐに見てもらえることが、どれだけ嬉しかったか。彼は知らないだろう。

「グラント卿とお話していると、あっという間に時間が過ぎてしまうんです。特に子供の頃のお話が面白くて。昔はやんちゃで、何度もグラント公爵に叱られたとおっしゃっていました」
「テオったら、そんなことまで話していたの?」
「はい。包帯を巻く練習をしようと思い立って、患者さんの手足を縛り上げたとか」

 テオドールの奇行に巻き込まれていたのは、主に患者か弟のシリル・グラントだった。
 
「注射器を扱う練習をしようとして、泣き叫ぶシリル卿を追いかけ回したとか」

 マリッサが恥ずかしそうに両手で顔を覆った。当時の息子を思い出しているらしい。

「注射器の件はさすがにやりすぎだったと反省しておられました。注射器の用途についての資料を五時間書き写し続ける罰がこたえたようです。ですが疲れ果てて部屋から出ると、三角座りをしたシリル卿がドアの隣で待っていてくださったらしくて」
「そうなの……。シリルったら自分が泣いてたことも忘れて、主人に『兄上をいじめないでください!』って怒っちゃって」

 反逆されたグラント公爵は心の中で涙を流したことだろう。
 この話を聞いた時、かわいそうだと思いつつも、実は羨ましかった。テオドールの話に出てくる家族は、ララの憧れだった。

「私のことも、テオは何か話していたかしら?」
「えーっと……」
「話したのね」
「夫人については……涙もろく穏やかで、誰からも好かれる一方、人命救助のためなら暴れる患者さんを無理やり診療台に押さえつけるくらい勇ましい、と」
「もうー、あの子は!」

 口では怒りながらも、マリッサの声は明るかった。

「ご家族のお話をしてくださる時、グラント卿はいつも、少年のように笑っていらっしゃいました」

 テオドールの心を丸ごと表現することはできないが、確実な言葉で伝えよう。これが自分にできる、彼への恩返しだ。

「グラント卿は、みなさんを愛していらっしゃいます」

 ララが顔をほころばせると、マリッサは瞠目する。数秒硬直した後、彼女は瞼を伏せた。

「……このイヤーカフ、あなたが持っていてくださらないかしら」
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

廃妃の再婚

束原ミヤコ
恋愛
伯爵家の令嬢としてうまれたフィアナは、母を亡くしてからというもの 父にも第二夫人にも、そして腹違いの妹にも邪険に扱われていた。 ある日フィアナは、川で倒れている青年を助ける。 それから四年後、フィアナの元に国王から結婚の申し込みがくる。 身分差を気にしながらも断ることができず、フィアナは王妃となった。 あの時助けた青年は、国王になっていたのである。 「君を永遠に愛する」と約束をした国王カトル・エスタニアは 結婚してすぐに辺境にて部族の反乱が起こり、平定戦に向かう。 帰還したカトルは、族長の娘であり『精霊の愛し子』と呼ばれている美しい女性イルサナを連れていた。 カトルはイルサナを寵愛しはじめる。 王城にて居場所を失ったフィアナは、聖騎士ユリシアスに下賜されることになる。 ユリシアスは先の戦いで怪我を負い、顔の半分を包帯で覆っている寡黙な男だった。 引け目を感じながらフィアナはユリシアスと過ごすことになる。 ユリシアスと過ごすうち、フィアナは彼と惹かれ合っていく。 だがユリシアスは何かを隠しているようだ。 それはカトルの抱える、真実だった──。

大嫌いなんて言ってごめんと今さら言われても

はなまる
恋愛
 シルベスタ・オリヴィエは学園に入った日に恋に落ちる。相手はフェリオ・マーカス侯爵令息。見目麗しい彼は女生徒から大人気でいつも彼の周りにはたくさんの令嬢がいた。彼を独占しないファンクラブまで存在すると言う人気ぶりで、そんな中でシルベスタはファンクアブに入り彼を応援するがシルベスタの行いがあまりに過激だったためついにフェリオから大っ嫌いだ。俺に近づくな!と言い渡された。  だが、思わぬことでフェリオはシルベスタに助けを求めることになるが、オリヴィエ伯爵家はシルベスタを目に入れても可愛がっており彼女を泣かせた男の家になどとけんもほろろで。  フェリオの甘い誘いや言葉も時すでに遅く…

【完結】婚約者に忘れられていた私

稲垣桜
恋愛
「やっぱり帰ってきてた」  「そのようだね。あれが問題の彼女?アシュリーの方が綺麗なのにな」  私は夜会の会場で、間違うことなく自身の婚約者が、栗毛の令嬢を愛しそうな瞳で見つめながら腰を抱き寄せて、それはそれは親しそうに見つめ合ってダンスをする姿を視線の先にとらえていた。  エスコートを申し出てくれた令息は私の横に立って、そんな冗談を口にしながら二人に視線を向けていた。  ここはベイモント侯爵家の夜会の会場。  私はとある方から国境の騎士団に所属している婚約者が『もう二か月前に帰ってきてる』という話を聞いて、ちょっとは驚いたけど「やっぱりか」と思った。  あれだけ出し続けた手紙の返事がないんだもん。そう思っても仕方ないよでしょ?    まあ、帰ってきているのはいいけど、女も一緒?  誰?  あれ?  せめて婚約者の私に『もうすぐ戻れる』とか、『もう帰ってきた』の一言ぐらいあってもいいんじゃない?  もうあなたなんてポイよポイッ。  ※ゆる~い設定です。  ※ご都合主義です。そんなものかと思ってください。  ※視点が一話一話変わる場面もあります。

乙女ゲームの世界だと、いつから思い込んでいた?

シナココ
ファンタジー
母親違いの妹をいじめたというふわふわした冤罪で婚約破棄された上に、最北の辺境地に流された公爵令嬢ハイデマリー。勝ち誇る妹・ゲルダは転生者。この世界のヒロインだと豪語し、王太子妃に成り上がる。乙女ゲームのハッピーエンドの確定だ。 ……乙女ゲームが終わったら、戦争ストラテジーゲームが始まるのだ。

政略結婚だからと諦めていましたが、離縁を決めさせていただきました

あおくん
恋愛
父が決めた結婚。 顔を会わせたこともない相手との結婚を言い渡された私は、反論することもせず政略結婚を受け入れた。 これから私の家となるディオダ侯爵で働く使用人たちとの関係も良好で、旦那様となる義両親ともいい関係を築けた私は今後上手くいくことを悟った。 だが婚姻後、初めての初夜で旦那様から言い渡されたのは「白い結婚」だった。 政略結婚だから最悪愛を求めることは考えてはいなかったけれど、旦那様がそのつもりなら私にも考えがあります。 どうか最後まで、その強気な態度を変えることがないことを、祈っておりますわ。 ※いつものゆるふわ設定です。拙い文章がちりばめられています。 最後はハッピーエンドで終えます。

【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?

アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。 泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。 16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。 マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。 あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に… もう…我慢しなくても良いですよね? この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。 前作の登場人物達も多数登場する予定です。 マーテルリアのイラストを変更致しました。

【完結】リクエストにお答えして、今から『悪役令嬢』です。

野菜ばたけ@既刊5冊📚好評発売中!
恋愛
「断罪……? いいえ、ただの事実確認ですよ。」 *** ただ求められるままに生きてきた私は、ある日王子との婚約解消と極刑を突きつけられる。 しかし王子から「お前は『悪』だ」と言われ、周りから冷たい視線に晒されて、私は気づいてしまったのだ。 ――あぁ、今私に求められているのは『悪役』なのだ、と。  今まで溜まっていた鬱憤も、ずっとしてきた我慢も。  それら全てを吐き出して私は今、「彼らが望む『悪役』」へと変貌する。  これは従順だった公爵令嬢が一転、異色の『悪役』として王族達を相手取り、様々な真実を紐解き果たす。  そんな復讐と解放と恋の物語。 ◇ ◆ ◇ ※カクヨムではさっぱり断罪版を、アルファポリスでは恋愛色強めで書いています。  さっぱり断罪が好み、または読み比べたいという方は、カクヨムへお越しください。  カクヨムへのリンクは画面下部に貼ってあります。 ※カクヨム版が『カクヨムWeb小説短編賞2020』中間選考作品に選ばれました。  選考結果如何では、こちらの作品を削除する可能性もありますので悪しからず。 ※表紙絵はフリー素材を拝借しました。

不遇な王妃は国王の愛を望まない

ゆきむらさり
恋愛
〔あらすじ〕📝ある時、クラウン王国の国王カルロスの元に、自ら命を絶った王妃アリーヤの訃報が届く。王妃アリーヤを冷遇しておきながら嘆く国王カルロスに皆は不思議がる。なにせ国王カルロスは幼馴染の側妃ベリンダを寵愛し、政略結婚の為に他国アメジスト王国から輿入れした不遇の王女アリーヤには見向きもしない。はたから見れば哀れな王妃アリーヤだが、実は他に愛する人がいる王妃アリーヤにもその方が都合が良いとも。彼女が真に望むのは愛する人と共に居られる些細な幸せ。ある時、自国に囚われの身である愛する人の訃報を受け取る王妃アリーヤは絶望に駆られるも……。主人公の舞台は途中から変わります。 ※設定などは独自の世界観で、あくまでもご都合主義。断罪あり。ハピエン🩷 ※稚拙ながらも投稿初日からHOTランキング(2024.11.21)に入れて頂き、ありがとうございます🙂 今回初めて最高ランキング5位(11/23)✨ まさに感無量です🥲

処理中です...