エンディング目前の半透明な令息と、60日の寄り道を

杏野 いま

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第四章 二人の寄り道が終わるまで

67.グラント公爵家にて

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 イヤーカフを発見した後、捜査局に戻ったララはグラント公爵家に手紙を出した。面会の約束を取り付けるためだ。
 返事はすぐに来た。とんとん拍子で予定が決まり――、


 八月十一日。テオドールが神の元に帰る日まで、一週間を切った。
 馬車の窓から空を見ると、立体感のある雲が、いつもより早く流れている。
 ララはミルクティーベージュの髪を耳にかけ、白衣のポケットから懐中時計を取り出した。午後二時五十分。グラント公爵夫人との約束の時間まで、あと十分だ。

「本当に一人でうちに行くのか?」

 正面に腰掛けるテオドールが、見るからに不満そうな眼差しを向けてくる。

「しょうがないではありませんか。ジャスパーはなぜかまだカルマン卿のことを調べているようですし、他のみなさんもそれぞれ任務があるのですから」

 カフェから持ち帰ったイヤーカフをテオドールの家族に届けられるのは、ララだけなのだ。

「不満なのはそこじゃない」
「ではどこですか」
「俺が屋敷に入れないことだ」
「安眠の間を展開した件に関しましては、心の底から申し訳なく」
「だからそうじゃない」

 難しい人だ。安眠の間以上に不満なこととは?

「分からないのか?」

 伸びてきたテオドールの手がララの髪をすくい上げる。軽く弄った後、彼は優雅な動作で毛先に唇を落とした。
 挑発的な上目遣いにどきりとする。

「君との時間を減らされるのが不満なんだ」

 難しい人ではなく、タチの悪い男だった。

「……早めに帰ってきます」
「そうしてくれ。うちの人間は霊の存在を信じてるから、君に無礼な真似はしないはずだ」
「信じていらっしゃるのですか? 私が言うのもなんですが、珍しいですね」
「医療を生業なりわいにしてると、それなりに色々あるんだ」

 テオドールによると、グラント公爵家に隣接している医療棟では昔から不可解なことが起こるらしい。誰もいないはずの廊下から足音が聞こえたり、何者かの気配を感じたり。ゆえに、グラント公爵家の人間は霊の存在を信じている。

「それを聞いて安心しました。霊の話をするつもりはありませんが、体質が理由であなたのご家族に嫌われるのは避けたいので」

 懐中時計をしまい、右側に置いていたトランクを持つ。時間だ。

「母のこと、よろしく頼む」
「はい。いってきます」

 ララは馬車から降り、グラント公爵家の正門へと向かった。





 テオドールの母――マリッサ・グラントの許可を得て屋敷に入ったララは、通された部屋で紅茶に口をつけた。花のような香りと爽やかな渋み。歓迎されているようだ、と緊張がやわらぐ。

「まさかあの時の開発局員さんがオルティス伯爵令嬢だったなんて」
「以前は名前を出すことに抵抗があり、ご挨拶できず申し訳ございませんでした」
「気になさらないで。あなたが苦労されてきたことは分かっていますから。私には見えないけど、霊の話も信じているのよ?」

 マリッサがテオドールと同じ色の目を穏やかに細めた。前回会った時よりも砕けた話し方で、朗らかな印象を受ける。泣いた様子はないが、頬がこけたように感じた。
 トランクから布に包んだイヤーカフを出し、マリッサに差し出す。もう片方もこの屋敷内にあるため、色が銀色に戻っていた。

「片方だけなくなっていた、グラント卿のイヤーカフです。ルーウェンにあるカフェで保管されていました」

 テオドールについての捜査はしない決まりだが、カフェの店主に少しだけ話を聞いた。
 テオドールは亡くなる前日にルーウェンを訪れていたらしい。カフェに立ち寄ったのは閉店前の午後七時頃だったそうだ。

 マリッサがイヤーカフを手に取り、そっと撫でる。指先が震えていた。

「あの。よろしければ、こちらも……」

 ララは小瓶を机に置く。
 グラント公爵家に手紙を書いている時、マリッサの泣き腫らした顔が脳裏に浮かんだ。テオドールを失い、辛い日々を過ごしているはず。
 気休め程度にしかならないだろうが、少しでも役に立てれば、とアロマオイルを用意してきたのだ。

「これ……」
「リラックス効果が高く、生命力の活性化が期待できるアロマオイルです。香りが苦手でなければ、ぜひお使いください」
「テオが使っているのを、見たことがあるような」

 小瓶のデザインは違うものにしたのだが、中身のオイルに見覚えがあったようだ。
 こちらを見るマッリサの目に、一滴ほど好奇心が混ざる。

「……オルティス伯爵令嬢は、テオと親しかったのかしら」

 突然核心を突かれ、返答に困る。親しかったと言えばそうだ。だが、現在抱いているどうしようもない気持ちとは違う種類の感情だった。

「グラント卿とは、数年前から一緒にお仕事をさせていただいておりました。捜査局の担当が私だったもので」
「そうだったの。お世話になっていたのね」
「い、いえ。むしろ私の方が……。グラント卿は、私の噂を嫌悪することなく接してくださって」

 ひとりの人間として真っ直ぐに見てもらえることが、どれだけ嬉しかったか。彼は知らないだろう。

「グラント卿とお話していると、あっという間に時間が過ぎてしまうんです。特に子供の頃のお話が面白くて。昔はやんちゃで、何度もグラント公爵に叱られたとおっしゃっていました」
「テオったら、そんなことまで話していたの?」
「はい。包帯を巻く練習をしようと思い立って、患者さんの手足を縛り上げたとか」

 テオドールの奇行に巻き込まれていたのは、主に患者か弟のシリル・グラントだった。
 
「注射器を扱う練習をしようとして、泣き叫ぶシリル卿を追いかけ回したとか」

 マリッサが恥ずかしそうに両手で顔を覆った。当時の息子を思い出しているらしい。

「注射器の件はさすがにやりすぎだったと反省しておられました。注射器の用途についての資料を五時間書き写し続ける罰がこたえたようです。ですが疲れ果てて部屋から出ると、三角座りをしたシリル卿がドアの隣で待っていてくださったらしくて」
「そうなの……。シリルったら自分が泣いてたことも忘れて、主人に『兄上をいじめないでください!』って怒っちゃって」

 反逆されたグラント公爵は心の中で涙を流したことだろう。
 この話を聞いた時、かわいそうだと思いつつも、実は羨ましかった。テオドールの話に出てくる家族は、ララの憧れだった。

「私のことも、テオは何か話していたかしら?」
「えーっと……」
「話したのね」
「夫人については……涙もろく穏やかで、誰からも好かれる一方、人命救助のためなら暴れる患者さんを無理やり診療台に押さえつけるくらい勇ましい、と」
「もうー、あの子は!」

 口では怒りながらも、マリッサの声は明るかった。

「ご家族のお話をしてくださる時、グラント卿はいつも、少年のように笑っていらっしゃいました」

 テオドールの心を丸ごと表現することはできないが、確実な言葉で伝えよう。これが自分にできる、彼への恩返しだ。

「グラント卿は、みなさんを愛していらっしゃいます」

 ララが顔をほころばせると、マリッサは瞠目する。数秒硬直した後、彼女は瞼を伏せた。

「……このイヤーカフ、あなたが持っていてくださらないかしら」
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