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第四章 二人の寄り道が終わるまで

66.ララの誓い

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 別れが近いと知っている。笑顔で送り出すと決めている。彼の重荷にはなりたくない。
 だが抑えられないのだ。テオドールに迷惑をかけたくないのに、最初で最後の感情を捨てられない。

「あなたは私のことを考えて、言うなとおっしゃったのでしょう? でも、我慢できなくなってしまいました。無理なんです。伝えないと後悔します。私はあなたを――」

 続けるはずだった言葉は、テオドールの胸板に吸い込まれていった。頭上から長いため息が聞こえるが、回された腕が力強くて、安心する。
 ラベンダーの香りに、愛おしい香りが混ざった。

「どうして君は、辛くなる方を選ぶんだろうな」
「あなたみたいな人、好きにならない方がおかしいんです。……迷惑ですか?」
「……察してくれ」
「わかりません」
「嘘つくな」
「言葉にしてくださらないと、不安になります」

 新人捜査官は、観察力がいまいちなのだ。強請ねだるように胸板に顔を寄せると、テオドールが観念した。

「……こんなに嬉しいのは、初めてだ」
「…………えへへ」

 胸の奥から、じゅわっと温かいものが溢れ出す。テオドールの体に腕を回し、背中をさすった。

「あなたが神の元に帰っても、気持ちが変わらない自信があります」
「大きく出たな」
「だって空を見ても海を見ても、私はあなたを思い出します」

 忘れたりしない。いや、できないのだ。顔を上げ、青い瞳を覗き込む。

「愛しています。これから先、何万回の夜を超えても、私の心はあなたのものです」
「……夢みたいなこと、言ってくれるじゃないか」

 証人はいないが、決して夢にはさせない。

「この素敵なラベンダー畑に、あなたへの想いを誓います」

 きっとテオドールは花言葉なんて、興味がないと思うけど。








 日が沈む直前、港町ルーウェンに到着したララは、駆け込むように一軒のカフェに入った。
 カウンター越しに厳めしい中年男性と目が合ってしまい、ぺこりと会釈をする。テオドール曰く、彼は店主らしい。

 ガラス仕様のカウンターの中にはケーキが並んでいた。時間が時間ということもあり、ほとんど売れてしまっているようだ。

 お目当てのものはないかと視線を動かす。左からケーキ名を一つずつ確認してみたが、見当たらない。
 カウンターの上に置かれた三段のケーキスタンドにはクッキーやマドレーヌなどの焼き菓子が盛り付けられている。大変魅力的だが、これでもない。
 例のブツを手に入れるには、聞くしかなさそうだ。

「あのぅ」
「どうなさいました」

 ララが小声で話しかけると、厳めしい店主は内緒話でもするかのように体を小さくして耳を傾けてきた。意外と可愛らしい人なのかも。

「『季節の果実満喫タルト、シロップ倍がけクリーム増し増し』って、お持ち帰り、できますか?」
「え?」

 勘違いだった。可愛らしくはない。
 店主の眉間に深いしわが刻まれたため、ララはひいぃ、と身を引いた。が、すぐにテオドールの手によって前に押し戻される。

「大丈夫だって。花畑みたいな色合いの菓子を作ってるおやじだぞ」

 怖いわけないだろ、なんて言われても、顔は怖い。エプロンがこんなに似合わない人を初めて見た。
 タルトはアルバートへの土産なので、できれば手に入れたいのだが。

「お客様。そのメニュー名、捜査局の方からお聞きになったのですか?」
「は、はい、申し訳ございません」
「……ではお客様は、あの方の『いい人』ということですか」

 意味を理解した途端、顔に熱が集まる。緩む口元が制御できない。
 テオドールを下から見ると、彼は片手で顔を押さえていた。

(ふふっ。いい人、だって)

 想いが通じ合った今、その表現は否定できない。本当のことだ。お互いに、す、好きなのだから。
 ララが「……そのようなものです」と正直に答えると、店主は奥の窓際席を指さした。

「用意しましょう。あちらでお待ちください」
 
 他の客がいないため、テオドールが手を引いて席まで連れていってくれた。隣を歩けることが嬉しくて、さらににまにましてしまう。

 席に座って大人しく待つ。大きな窓からは、今日の終わりを告げるような海が見えた。
 テオドールとアルバートは、たまにこの店を訪れては、のんびり裏メニューを堪能していたそうだ。
 彼の思い出に触れられて、愛おしさが増す。




 しばらくして窓の外が真っ暗になった頃、店主が裏から出てきた。
 カウンターに戻り、清算を済ませる。

「ロックフェラー卿に、また顔を出すように伝えていただけますか。見てもらいたいものありまして」
「はい」
「次回はぜひ、ご一緒にお越しください」
「アルバート様とですか? 予定が合えば誘ってくださるかもしれませんが」

 フロイドやマックスと来たいのではないだろうか。アルバートが捜査官たちを担いで走る姿を想像する。

「え? お客様は、ロックフェラー卿の恋人なのでは?」
「……んん?」

 言葉の衝撃が強く、店主を二度見する。危うく買ったばかりのタルトを箱ごと潰しそうになった。
 素早く思考を巡らせる。失敗した。なぜ気が付かなかったのだろう。テオドールの恋人が意気揚々とタルトを買いに来るわけがないではないか。彼は亡くなったばかりなのだから。

 詳しく説明することはできない。しかしアルバートの恋人だと誤解されたままなのは困る。非常に。

「こ、恋人の件は、忘れていただきまして……メニューについては、以前、テ……グラント卿に、教えていただいたのです」
「あの方が……教えた、のですか?」
「はい。私、一応捜査官でして」

 店主はこちらをじっと見つめた後、しばし考え込む。再び店の裏に入ったかと思うと、すぐに出てきてカウンター上に何かを置いた。

「こちらに見覚えはありますか? グラント卿が亡くなったと聞く前日から、落とし物で預かっていたのですが」

 ララとテオドールは、食い入るようにそれを見た。
 植物をかたどった金色のイヤーカフは、ララが初めて作った通信機。
 間違いなく、テオドールがなくしたものだった。
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