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第三章 半透明で過保護な彼との、上手な仕事の進め方

44.人の心を救うもの

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 目を覚ますと、ララはベッドの中だった。
 辺りは暗いが、ランプが一つ灯っている。すっかり見慣れた天井のおかげで、ここがテオドールの私室だとすぐに気付いた。
 
(確か前もこんなことがあったような……あ、そうか。私、川から出る時に眠くなって――)

 ここまで記憶を辿り、飛び起きた。

「子供たちは⁉︎」

 思い出した。二人の無事を確認する前に力尽きてしまったのだ。失態である。
 あの後どうなったのだろう。テオドールに聞かなくては。大慌てでベッドから降りたところで、テオドールが部屋に入ってきた。近くに待機していたらしい。

「体調はどうだ?」
「私はとても元気です。あの、子供たちは……」
「二人とも無事だ。念のため今日は入院させたが、明日には家に帰れる」
「よ、良かったぁ……」

 安堵から力が抜け、へたりとベッドに座り込む。目の奥がじんわりと熱い。優しいサーシャの笑顔を思い出し、シーツを握る。

「グラント卿、私のわがままを聞いてくださってありがとうございました。私一人では助けられませんでした」

 泳いだ経験もないくせに、川に飛び込む選択をしてしまった。結果的に子供たちが助かったから良かったものの、危険な行為だった。その証拠に、テオドールも言っていたではないか。土砂降りの雨の中、入れ替わる直前に。

『――後で、説教だからな』

 ……どうやら感謝より先に、やるべきことがあったようだ。

「も、ももも申し訳ございませんでした!」

 再び立ち上がったララは、深く頭を下げた。

「何に対しての謝罪だ?」
「泳げもしないのに川に入ると決め、グラント卿にご迷惑をおかけしたことです」
「それは怒ってない。迷惑だとも思ってない」
「え? でも、お説教だと」

 ララが下を向いたまま言うと、テオドールに頭を上げさせられた。

「俺が説教だと言ったのは別の理由だ」

 どれだ、どれを怒られる? アルバートを待たなかったから? 片手弓だけで救出できなかったから? それとも走るのが遅すぎたから? 心当たりが多すぎて絞れない。

「でもまあ、俺が止めたのに無理やり飛び込もうとしたことも少しは怒っておくか。……これは罰だ」

 言葉の意味を理解する前に、テオドールの腕が頭の後ろに回った。引き寄せられ、顔が彼の胸元に収まる。

「え?……え?」

 言葉の形になる前の自分の声が、やたらと大きく脳内に響いた。焦りが襲ってきて、体温が上がる。
 離れなくてはダメだ。初めて体を貸そうとした時に同じように抱きしめられたが、あの時とは違う。何が違うのかははっきりと分からないが、このままではいけない。
 あわあわとテオドールの胸元を押し返す。しかし彼との距離は限りなくゼロのままだ。力が弱まる気配がない。

「説教が終わるまで俺から逃げるのを禁止する。それが罰だ」

 確かにこれはとんでもない罰だ。緊張で寿命が縮むかもしれない。
 別のやり方に変更してほしかったが、反省する立場ゆえに黙って受け入れるしかない。心臓が暴れ回っていても、手の置き場所が分からなくても、体中が熱くても。

「俺が我慢ならないのは、君が自分をどうしようもない娘だと言ったことだ」

 神経が研ぎ澄まされた耳に、テオドールの低い声が流れ込む。おそらく彼は、川に飛び込む前の発言を指している。

「で、でも、それは本当のことでして」

 自分は家族を苦しめている。大切なのに。笑っていてほしいのに。いつでも鮮明に思い出せるのは、あの日の母の泣き顔だ。

「君は、自分が家族を傷つけたと思ってるんだよな」
「……はい」
「でもな、君のご両親……特に夫人が苦しんでいるのは、君の体質を自分のせいだと考えているからだ」

(お母様が……?)

「母は何も悪くありません!」
「ああ、分かってる」

 テオドールの声があまりにも優しくて、思わず唇を噛みしめる。
 どうかこれ以上、甘やかさないでほしい。

「悪いのは私です」
「君がそう思うように、夫人も自分を責めている。娘から笑顔を奪ったと」
「なぜ……そんなことが分かるのですか」
「今の俺は反則技が使えるからだ」

 やや揶揄い口調になったテオドールの言葉に、ララは目を見開いた。

「もしかして…………聞いたの、ですか?」
「ずるいだろ?」

 テオドールはいたずらが成功した子供のように笑った。なんということだ。彼は両親の会話を盗み聞きしたらしい。まさに霊ならではの反則技である。会話の内容までは分からないが――、

「俺のこと、信じられないか?」

 こう言われてしまえば、疑うことは不可能だ。彼を信じているから。信じたいと思っているから。
 ララはゆっくりと首を横に振る。
 
(グラント卿のおっしゃる通りなら、どうすればお母様は……)

「この体質が変わらない限り、解決できないのでしょうか」
「体質を変えるのは目的じゃなく、手段の一つだ。ララが叶えたい望みはなんだ?」
「私の望みは、両親が幸せに暮らせることで……」

 自分の体質が変わり、噂が消え、両親が心を痛めることなく過ごす。そんな場面を想像してみる。
 幸せだ、きっと。

(――本当に?)

 この体質がなければ、何もかも上手くいくと思っていた。人と違う自分が嫌いだった。だがこの体質がなければ……自分を包み込む優しい腕を知ることはできなかった。
 疑問が湧く。今まではこんなことなかったのに。両親が幸せになるなら、それで良かったはずなのに。
 答えられないでいるララの髪に、テオドールが指を通す。

「ご両親が穏やかに過ごせるようになった時、君はどうしていたい?」

 雷に打たれたような衝撃が走った。
 嘘をついていた。本心を隠していた。知らぬ間に、心に蓋をしていた。テオドールにこじ開けられ、自分の欲が顔を出す。

「私……、両親と一緒に、笑いたいです」

 もう一度、心の底から笑いたい。一人は嫌だ。家族の未来に自分も入りたい。
 でも霊が見えなくなるのも嫌だ。声を聞きたい。彼らと心を通わせるのが、自分の生き方だから。

「……ん。ちゃんと言えたな」
「矛盾だらけで、どうすれば良いのか見当もつきませんが」
「そうか? 単純な話だ。自分に自信を持て。持って生まれた力を誇れ。そうすれば君の望みは、必ず叶う」

 自信を持てないララとは対照的に、テオドールは自信満々に断言する。彼の言葉一つで本当に叶ってしまいそうで、魔法のようだ。

「このままの私で、良いのですか……?」

 霊と話がしたいというのは、はたから見れば自己中心的な考えだろう。この体質が原因で、散々家族を苦しめた。他人には疎まれ続けている。それなのに、このままの自分で許されるのだろうか。

「そもそもララに悪いところなんてない。君は自分の体質を利用して、意図的に人を傷つけたことがあるのか?」
「い、いえ」

 顔を見て失神されたことはあるが、意図的に誰かを攻撃したことはないし、そんな力はない。

「本来ならすぐに消えるような噂に尾鰭おひれをつけ、特定の人物を傷つけようとしたか?」
「……して、ません」

 ララは噂を流された側である。だから『呪われた令嬢』という不名誉な名がついた。

「女性の腕を痣が残るほど強く握りしめ、痛めつけたことがあるのか?」
「――っ」

 ララは咄嗟とっさに、自分の腕を引っ込めた。

(グラント卿が、なぜそれを)

 気付かれている。目がそう告げている。婚約破棄の日にカルマンにつけられた痣を、テオドールは知っている。

「君の元婚約者のように、人を傷つけたことがあるのか?」

 どうやら犯人まで特定済みのようだ。さすがは捜査局の局長である。ヒューゴには口止めをしたはずだが、別のところから情報が漏れたのだろうか。
 しばし考え、ララは隠すのを諦めた。

「……あの方のように人を傷つけたことは、ありません」
「そうだな。君はそんなことしない」

 テオドールに抱きしめ直される。また彼の胸元しか見えなくなったが、今度は抵抗しなかった。

「君はいつも、誰かの役に立とうと必死だった。今日だって……もう昨日か。君がいなかったら、子供たちは助からなかった。君しか霊の声を拾えなかった」

 子供たちの救出についてはほとんどテオドールのおかげなのに、彼は自分を認めてくれる。

「俺は君の体を借りても霊の声が聞こえないし、君は眠っていた。だから憶測でしかないが、あの子供たちに憑いてる霊は言ったはずだ。君に、『助けてくれてありがとう』って、言ったはずだ」

 実際に言ったかどうか、サーシャ以外には分からない。けれどもテオドールが言うと真実のように聞こえる。
 自分はサーシャの笑顔を守れただろうか。彼女は今、笑っているだろうか。

「人と違うのは生きづらいだろう。でも君が霊の声を聞く度に、彼らは救われている。俺だって君に救われている一人だ。……だからな」

 背中に回された腕の力が、ぎゅっと強くなった。

「もう自分の体質を許してやれ。君に宿ったその力は、人の心を救うものだ」

 ――ずっとずっと、誰かに認めてほしかった。言ってほしかった。『その体質がなければ』ではなく、この体質があってこそのララ・オルティスなのだと。

「わたしっ、……私……」
「痛かったな……苦しかったな」

 腕の力を緩めたテオドールに、痣の残る右腕をスッと撫でられた。
 彼は片膝をつき、ララの手を取る。祈るように、誓うように。その動作が美しくて、黙って見つめることしかできなかった。

「君が一番辛かった時、隣にいてやれなくてすまなかった」

 どうしてこの人の手は、震えているのだろう。
 どうしてこの人の声が、泣いているように聞こえるのだろう。

「……どうしてあなたが、謝るのですか」

 何一つ悪くない彼が、なぜこんなに辛そうなのだろう。ララは指先に力を込め、手を握り返す。
 するとテオドールの熱を帯びた瞳が、ララを射抜いた。

「――俺が君を、愛しているからだ」
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