上 下
36 / 50
第三章 半透明で過保護な彼との、上手な仕事の進め方

36.逃げられない足音【カルマン視点】

しおりを挟む
 書斎で老齢の従者を殴り飛ばしたカルマンは、肩で大きく息をした。普段は整えているダークブロンドの髪を、苛立ちを隠さずきむしる。

「オルティス伯爵令嬢はなぜ来ない! 間違いなく手紙を届けたんだろうな。答えろ、ハンス!」

 手紙を出して何日経っても、ララからの返事は届かなかった。今まで手紙で呼び出せば、翌日には返事が来ていたのに。
 床に横たわった従者、――ハンスの脇腹を乱暴に蹴ると、彼はよろめきながら立ち上がった。
 
「ぐっ、……はい。これまで通り、オルティス伯爵家に届けております。彼女が不在の場合、職場に転送されることになっていますので、すでに届いているはずです。開発局か、……捜査局に」

 捜査局、と聞き、カルマンは舌打ちをした。

(どうなってるんだ。あの女との婚約を破棄して、まだ一ヶ月しか経っていないのに)

 たった一か月。その間に、自分と彼女の日常は大きく変わった。
 パーティーに顔を出せば、度々ララの噂を聞いた。彼女が開発局員と捜査官を兼任しており、事件解決に貢献していると。
 最初は誰かの作り話だと思った。しかしどうやら事実らしい。ララ・オルティスは今、『呪われた令嬢』ではなく、『可愛らしい新人捜査官』として生きている。

「あり得ない。あの女の肩を持つ人間がいるなんて」

 ララが少女だった頃から、世間から孤立させてきた。彼女のくだらない体質を利用して。
 簡単だった。彼女は死人が見えることを否定しないため、ちょっと大袈裟に話せば自分の嘘だって真実になった。

 全てはオルティス家の船を手に入れるため。婚約者となったララの未来なんて、考えたこともなかった。どうせ時が来れば、捨てるつもりだったから。
 彼女が誰の手も求めないように。隠れて孤独に死んでいくように。精神的にも肉体的にも、追い詰めた。

「計画通りだったんだ。最高のタイミングでオルティス家との縁を切れた。幸運なことに、危険視していたも殺せた。末端の組織は一部潰されたが私のところまで捜査は入らない。仕事は順調だった。なのに、なぜ……こんなことに」

 ララが人前に顔を出すようになったのは完全に誤算だった。彼女一人では不可能なはずだった。そう教え込んできたから。

(あの女を捜査局に入れた人物も気になるが、それより問題なのは……)

 カルマンは窓に映った自分の顔を見る。虚ろな目の下には、濃いクマが確認できた。すぐさま目を逸らし、カーテンを閉める。
 その様子を見ていたハンスが、意を決したように白髪頭を下げた。

「チェスター様。やはり、オルティス伯爵令嬢に謝罪をされた方が」
「……なんだと?」
「あの方はもう一人ではありません。捜査官として、味方を増やしつつあります。最近では騎士たちも、あの方の能力を認め始めているようですし……」
「だから謝罪しろと?」
「はい。今謝罪すれば、これまでの不当な扱いも許してくださるかもしれません。……あの方は誰よりも忍耐強く、心優しい方ですから」
「ハッ、随分と肩を持つじゃないか。あー、それは当然か。……お前の孫娘とあの女は、確か年齢が近かったはずだから」

 カルマンが『孫娘』と言った瞬間、ハンスが顔を上げた。その顔は緊張で強張っている。

「お前はあの女と孫娘を重ねて放っておけなかった。婚約を破棄した日も、私が手を上げた時を狙って来たんだろう? 器用なものだ」

 この老いぼれは昔からそうだ。ララに暴力を振るった自分を、いつも哀れむように見ていた。主人である自分を、使用人風情が偉そうに。

(自分の立場を思い知らせてやらないとな)

 口角を持ち上げたカルマンが、切り札を出した。

「お前が大切にしている孫娘が今生きてられるのは、誰のおかげか忘れたわけじゃないだろう?」

 こう言えば、ハンスは自分に逆らえない。

「……もちろんです。チェスター様へのご恩は、忘れたことはございません」
「そうか。それなら良いんだ」

 ハンスの孫娘は、何年も前に謎の病に倒れたことがある。その時他国から特効薬を手に入れて孫娘を助けたのがカルマン、……ということになっているのだ。
 当時辞表を提出していたハンスだったが、その件があり、考えを改めたらしい。

(本当に馬鹿な奴だ。最愛の孫娘に毒を盛ったのが、この私だとも知らないで)

 弱みがある人間は扱いやすい。他人を優先させる馬鹿なら、なおさら。

「お前は私の従者として、今まで通り過ごせ。余計なことは考えず、な」
「……謝罪はされない、ということですか?」
「当然だ。確認のために呼び出してはいるが、私の夢見が悪いこととあの女は無関係だろうからな。……文句があるのか?」
「……いえ。ございません」

 それっきり、ハンスは喋らなくなった。
 ようやく静かになった、と、カルマンはほくそ笑む。

(あの女だって、どうせすぐに来るはずだ。私の命令に従わなかった場合どんな目に遭うか、一番よく分かってるだろうからな)

 あとはあの夢さえ見なくなれば、全てが上手く。
 婚約破棄をした翌日から見るようになった、あの忌々しい夢。


 ――初めは何もない、真っ白な空間だった。
 自分がただそこにいて、他には誰もいない。後ろを振り返っても、誰もいない。
 だがもう一度振り返ると、遠くに一人の子供が立っていた。おそらく男だろう。「誰だ」と聞こうにも、声が出ない。
 こちらを無言で見つめる子供。
 気味の悪い奴だ、と目を逸らす。しかし視線を戻す度に、子供は音もなく近付いてくる。子供の顔に見覚えがあると気付いた頃には、無意識に震えて、後ずさっていた。
 毎日毎日同じ夢を見て、眠る度に、近付いてくる。
 次第にカルマンは、子供に背を向けて逃げるようになった。自分でもなぜだか分からない。けれども逃げねばならぬ気がした。
 走って、走って。走って、走って。
 夢なのに、口の中に鉄の味が広がる。声は出せないのに、自分の荒い呼吸音が脳内に響く。

 遂に今朝、カルマンは疲れ果てて足を止めた。こんなに走ったのだから、しばらくは大丈夫だろう。そう思うものの、カルマンは振り向けなかった。
 ヒタヒタと近付く足音が、背後で止まったから。
 脂汗を流しながら耳を澄ませると、左肩に何かが置かれた。恐る恐る、視線を肩に向ける。
 そこにはあったのは、小さな手だった。

 直後、――耳元で聞こえる、子供特有の高い声。


「――やっと遊べるなぁ。チェスター・カルマン」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

私が妊娠している時に浮気ですって!? 旦那様ご覚悟宜しいですか?

ラキレスト
恋愛
 わたくしはシャーロット・サンチェス。ベネット王国の公爵令嬢で次期女公爵でございます。  旦那様とはお互いの祖父の口約束から始まり現実となった婚約で結婚致しました。結婚生活も順調に進んでわたくしは子宝にも恵まれ旦那様との子を身籠りました。  しかし、わたくしの出産が間近となった時それは起こりました……。  突然公爵邸にやってきた男爵令嬢によって告げられた事。 「私のお腹の中にはスティーブ様との子が居るんですぅ! だからスティーブ様と別れてここから出て行ってください!」  へえぇ〜、旦那様? わたくしが妊娠している時に浮気ですか? それならご覚悟は宜しいでしょうか? ※本編は完結済みです。

婚約者に消えろと言われたので湖に飛び込んだら、気づけば三年が経っていました。

束原ミヤコ
恋愛
公爵令嬢シャロンは、王太子オリバーの婚約者に選ばれてから、厳しい王妃教育に耐えていた。 だが、十六歳になり貴族学園に入学すると、オリバーはすでに子爵令嬢エミリアと浮気をしていた。 そしてある冬のこと。オリバーに「私の為に消えろ」というような意味のことを告げられる。 全てを諦めたシャロンは、精霊の湖と呼ばれている学園の裏庭にある湖に飛び込んだ。 気づくと、見知らぬ場所に寝かされていた。 そこにはかつて、病弱で体の小さかった辺境伯家の息子アダムがいた。 すっかり立派になったアダムは「あれから三年、君は目覚めなかった」と言った――。

悪役断罪?そもそも何かしましたか?

SHIN
恋愛
明日から王城に最終王妃教育のために登城する、懇談会パーティーに参加中の私の目の前では多人数の男性に囲まれてちやほやされている少女がいた。 男性はたしか婚約者がいたり妻がいたりするのだけど、良いのかしら。 あら、あそこに居ますのは第二王子では、ないですか。 えっ、婚約破棄?別に構いませんが、怒られますよ。 勘違い王子と企み少女に巻き込まれたある少女の話し。

あなたの嫉妬なんて知らない

abang
恋愛
「あなたが尻軽だとは知らなかったな」 「あ、そう。誰を信じるかは自由よ。じゃあ、終わりって事でいいのね」 「は……終わりだなんて、」 「こんな所にいらしたのね!お二人とも……皆探していましたよ…… "今日の主役が二人も抜けては"」 婚約パーティーの夜だった。 愛おしい恋人に「尻軽」だと身に覚えのない事で罵られたのは。 長年の恋人の言葉よりもあざとい秘書官の言葉を信頼する近頃の彼にどれほど傷ついただろう。 「はー、もういいわ」 皇帝という立場の恋人は、仕事仲間である優秀な秘書官を信頼していた。 彼女の言葉を信じて私に婚約パーティーの日に「尻軽」だと言った彼。 「公女様は、退屈な方ですね」そういって耳元で嘲笑った秘書官。 だから私は悪女になった。 「しつこいわね、見て分かんないの?貴方とは終わったの」 洗練された公女の所作に、恵まれた女性の魅力に、高貴な家門の名に、男女問わず皆が魅了される。 「貴女は、俺の婚約者だろう!」 「これを見ても?貴方の言ったとおり"尻軽"に振る舞ったのだけど、思いの他皆にモテているの。感謝するわ」 「ダリア!いい加減に……」 嫉妬に燃える皇帝はダリアの新しい恋を次々と邪魔して……?

生まれたときから今日まで無かったことにしてください。

はゆりか
恋愛
産まれた時からこの国の王太子の婚約者でした。 物心がついた頃から毎日自宅での王妃教育。 週に一回王城にいき社交を学び人脈作り。 当たり前のように生活してしていき気づいた時には私は1人だった。 家族からも婚約者である王太子からも愛されていないわけではない。 でも、わたしがいなくてもなんら変わりのない。 家族の中心は姉だから。 決して虐げられているわけではないけどパーティーに着て行くドレスがなくても誰も気づかれないそんな境遇のわたしが本当の愛を知り溺愛されて行くストーリー。 ………… 処女作品の為、色々問題があるかとおもいますが、温かく見守っていただけたらとおもいます。 本編完結。 番外編数話続きます。 続編(2章) 『婚約破棄されましたが、婚約解消された隣国王太子に恋しました』連載スタートしました。 そちらもよろしくお願いします。

それなら、あなたは要りません!

じじ
恋愛
カレン=クーガーは元伯爵家令嬢。2年前に二つ上のホワン子爵家の長男ダレスに嫁いでいる。ホワン子爵家は財政難で、クーガー伯爵家に金銭的な援助を頼っている。それにも関わらず、夫のホワンはカレンを裏切り、義母のダイナはカレンに辛く当たる日々。 ある日、娘のヨーシャのことを夫に罵倒されカレンはついに反撃する。 1話完結で基本的に毎話、主人公が変わるオムニバス形式です。 夫や恋人への、ざまぁが多いですが、それ以外の場合もあります。 不定期更新です

愛される王女の物語

ててて
恋愛
第2王女は生まれた時に母をなくし、荒れ果てた後宮で第1王女とその義母に虐められていた。 周りは彼女を助けない。国民はもちろん、国王や王子さえ… それは彼女の生存を知り得なかったから。 徹底的に義母が隠していたのだ。 国王たちは後宮に近づくこともしなかった。 いや、近づきたくなかった。 義母とその娘に会いたくなくて、出来るだけ関わらないようにしていた。 では、そんな中で育った誰も知らない第2王女を偶然に出会い見つけたら…? 第1章→家族愛 第2章→学園

処理中です...