エンディング目前の半透明な令息と、60日の寄り道を

杏野 いま

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第三章 半透明で過保護な彼との、上手な仕事の進め方

35.元婚約者からの手紙

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 ジャスパーの背中が見えなくなったため、ララはテオドールの執務室に戻った。扉を開けようとドアノブを握ると、廊下を歩いてきたヒューゴに呼び止められた。
 彼の表情が普段よりも固く感じ、首を傾げる。

「ヒューゴ様、どうされたのですか?」
「少しお話ししたいことがありまして。今、テオは……」
「申し訳ございません。グラント卿は外に出ておられまして」

 ヒューゴには悪いが、出直してもらう必要がある。

「伝言がありましたらうけたまわりますが」
「いえ。お話ししたいのはテオではなく、ララさんなんです」
「私?」

 ではなぜ、テオドールの居場所を確認したのだろう。
 疑問に思ったが、とりあえずヒューゴと共に執務室に入った。

「お話というのは?」

 ララが話を切り出すと、ヒューゴは制服の内ポケットに手を差し入れた。

「ララさんには以前ご説明しましたが、捜査局うちに届いた荷物や手紙は、一度私が目を通すことになっています」
「不審なものが混ざっていないか、確認するためですよね?」
「ええ、そうです」

 テオドールへの贈り物は量が多すぎたためララも確認を手伝ったが、基本的にはヒューゴの仕事だと聞いた。

「必然的に、私は捜査官宛に届く手紙の内容を知ることになります」
「それはみなさんも、理解されていると思いますが」
「……ララさんもですか?」
「はい。ですが私宛に手紙は……え? もしかして届いたのですか?」

 返事の代わりに、ヒューゴは内ポケットから一通の手紙を取り出した。
 誰からだろう、と考えるより先に、ララの背筋が凍った。何度も見てきた、からの手紙。喉の浅いところが、ヒュッと鳴る。

「――カルマン卿からです」

 感情を殺したようなヒューゴの声が、静かな室内に響いた。
 ララは手紙を受け取ろうと腕を伸ばす。白い指先が、空中で頼りなく震えた。

 カルマンを恐れているのではない。
 ララの呼吸が浅くなったのは、手紙の封蝋が砕けていたからだ。それは間違いなく、ヒューゴが中を見たのだと告げている。

(見られて、しまった)

 紙が擦れる音と、自分の心臓の音だけが聞こえる。ララは無言で手紙を開き、目を通した。心にいくつもの鍵をかけて。
 カルマンは知らなかった。捜査局に手紙を出せば、ララ以外の人間の目に触れることを。だから彼は、いつも通りに手紙を書いたのだ。
 悪意に満ちた、いつもの手紙を。

『何の役にも立たない、呪われた女。存在するだけで家族を不幸にする。痛い思いをしたくないのなら、命令に従え。君の言葉など誰も信じない。――君は誰からも、愛されない』

 文章のあちらこちらに、ララをさげすむ言葉が書かれていた。婚約者だった頃から、彼は何も変わっていない。

(なぜかカルマン家のお屋敷に来るように書かれているけど……)

 呼び出されるようなことをした覚えはない。けれども彼が純粋に会いたがっている、なんてことは絶対にあり得ない。あれほど縁を切りたがっていたのだから。
 だとすると、巡回中にイーサンから聞いた件だろうか。確かカルマンは体調が悪かったはずだ。

(でも私には、医学の心得はないし……)

 プライドの高い彼が、自分に助けを求めるとは考えにくい。
 結局カルマンが会いたがる理由にはたどり着けず、手紙に視線を落としたまま立ち尽くす。

「ララさん」

 ヒューゴの呼びかけに顔を上げると、彼は中性的な顔を切なげに歪ませていた。

「あなたは一体、……どれほど傷つけられてきたのですか」

 ――ああ。全部、分かってしまったのだろう。
 隠し続けてきた十年が、弱くて惨めな自分が、バレてしまった。

「もう、終わったことです」

 上手く笑えただろうか。ヒューゴの深緑色の瞳に映る自分は、情けない顔をしていないだろうか。
 テオドールの笑顔のように、人を安心させる力が欲しい。

「この件について、テオは知りませんよね」

 確信したように言うヒューゴに、ララは頷く。

「グラント卿に、余計な心配はかけたくありませんので」

 自分より他人を優先するテオドールのことだ。過去の出来事であったとしても、知れば気にするだろう。
 そんな想いを抱えて、残りの時間を過ごしてほしくない。誰かのためではなく、彼自身のために時間を使ってもらいたい。

「……それにグラント卿、カルマン卿の話をすると、なぜか不機嫌になってしまうんです」
「まあ、大嫌いでしょうからね」

 ララが声を潜めて密告すると、さも当然のことのようにヒューゴが言い放った。
「そうなのですか?」とララは困惑する。
 外面は紳士のカルマンが暴力的な面をテオドールに見せるとは考えにくいし、王立学園アカデミーに通っていた時期も、おそらく被っていないはず。面識があるのかどうかも怪しい。
 テオドールがどの段階で嫌いになったのかが謎である。

(カルマン卿の暴力性を本能で感じ取っていらっしゃる、とか?)

 局長補佐のヒューゴが言うのだから、嫌いだというのは正しい情報なのだろう。

「グラント卿がカルマン卿のことを、その……嫌い、だと思っていらっしゃるのなら、なおさら話せません。どうかご内密に」
「……なんとなく、ララさんならそうおっしゃると思っていました」
「だから最初にグラント卿の居場所を確認されたのですね」
「ええ。私は任務で荷物の確認をしているだけですので、情報を漏らすようなことはしません。手紙の内容について口を出したのだって、今日が初めてです」

 ヒューゴがそういう人間だから、皆安心して確認を任せているのだろう。

「気にかけてくださってありがとうございます」
「本当に報告しなくて良いのですね?」
「はい、私なら大丈夫です。慣れてますので」
「……カルマン卿の元へ、行くおつもりですか?」

 ララは数秒考え、首を横に振った。なぜカルマンが自分を呼んでいるのかは気になるが――、

「私はもうカルマン卿の婚約者ではありませんし、今はグラント卿以外のことを考える余裕はありませんので」

 これまでカルマンの命令通りに生きてきたのは、婚約破棄を恐れていたからだ。裏切られて無関係になった以上、ララが命令に従う理由はない。

「それを聞いて安心しました。手紙は私が処分しておきます。ララさんが持っていると、テオが見つける可能性がありますので」
「よろしくお願いします」
「今後も同じような手紙が届いた場合は、勝手に処分してもよろしいですか?」
「はい。もう来ないと思いますが」

 この手紙は何かの気の迷いだろう。返事を出さなければ、二度と来ないはずだ。
 手紙をヒューゴに渡したララは「そういえば」と、数分前を振り返る。

「どうしてヒューゴ様は、私がグラント卿に報告していないと分かったのですか?」

 問いかけると、ヒューゴは三度瞬きし、にこっと笑った。

「テオがこの件を知っていたら、カルマン卿が五体満足で生きているはずがありませんから」

 彼は美しい笑みのまま、手紙を破るフリをしてみせる。こんな場面で冗談を言うとは、なんともテオドールの補佐らしい。

「ふふふ、ヒューゴ様ったら、ご冗談を」
「ふふふ、冗談ではないんですけどね」
「またまたぁ」

 ふふふ。ふふふ。と、一見穏やかな二人の時間が、この後もしばらく続いていた。
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