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第一章 普通を夢見た霊感令嬢

04.元婚約者に言えなかったこと

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「……婚約破棄されたんだから、カルマン卿のことはさっさと諦めろって言われました」

 ララが不満げに説明すると、ジャスパーが数回瞬きを繰り返した後に眉間を揉む。

「器用な男だと思ってたけど、この分野に関しては最高に不器用だったのね……」
「グラント卿が不器用? そんな風には見えないですけど」
「こっちの話だから気にしないで。テオには今度、胸焼けするくらい甘い恋愛小説でも渡しておくから」

 なんの話をしているのかは分からないが、ジャスパーから恋愛小説を贈られるテオドールの姿は、想像だけで腹筋を痛めつける効果がある。

「テオの話はどうでも良いのよ。あたしは自由になったララの話が聞きたいの」
「急にそう言われましても」
「一気に全部とは言わないわよ。ララが今まで我慢してたこととか話したかったことを、思うがままに吐き出せば良いの」

 ジャスパーは簡単そうに言うが、脳内にはどうしてもカルマンの声が響く。幼い頃から何度も言われてきたのだ。『呪われた君の言葉なんて――』

「私の言葉は、誰にも信じてもらえません」
「それ言ったの誰。カルマン卿?」
「ま、まあ」
「クソ野郎だな沈めてやろうか」
「ジャスパー、男性の部分が濃くなってます」
「あらいけない、あたしったら」

 魔王のような形相からすぐさまいつもの調子に戻ったジャスパーがおかしくて、ララはくすくすと笑う。彼のお茶目な性格に、今まで何度も救われてきた。

「あたしはララの言葉を信じるわよ。偽善じゃなくて、あなたの人柄を知ってるから」

 世間の噂よりも、共に過ごした時間と自分の中身を、彼は信じてくれるらしい。
 視界に入る庭園と空の色が、より一層鮮やかに見えた。

「では、……私の話、聞いてもらえますか?」
「もちろんよ、吐き出しちゃいなさい」

 ジャスパーが前のめりになって耳を傾けると、ララは緊張した面持ちで口を開いた。

「実はですね、……喋ったんです」
「…………誰が?」
「仲良くしていた幽霊少年が、です」
「え、ちょっと待って、そっち? カルマン卿との婚約条件とか、理不尽な扱いとかの話だと思ったのに、そっちなの?」

 戸惑いを隠しきれない様子で、ジャスパーの首が誤作動中の魔道具のようにぎこちなく動く。

「カルマン卿の方は、……その、今は話す元気が足りないと言いますか。私の被害妄想も入っちゃうかもしれませんし」

 どうせ話すなら、暗い話よりも明るい話がしたい。ジャスパーにしてみれば、幽霊の話なんて明るい話題の内に入らないだろう。それでもララにとっては聞いてもらいたい話なのだ。
 ララの表情で気持ちを察したのか、ジャスパーが諦めたように眉尻を下げる。

「分かった分かった。カルマンクソ野郎の話はいったん保留ね。……それで、幽霊少年の話っていうのは?」
「彼とはもう、十年以上の付き合いになるんです。初めてカルマン卿のお屋敷に行った時に出会いました。濃紺の髪と瞳で、目元のほくろが印象的でした。顔立ちからして他国出身だと思います。彼の体は成長しないので、ずーっと子供の姿で。それでも、私がカルマン卿に暴力を振るわれた時は、いつも近くで慰めてくれました」

 体に触れることはできないが、幽霊少年はララが負った傷を心配そうに撫で、時には静かに涙を流していた。

「とても優しい霊なんです。あ、もちろん他の霊のみなさんも凄く優しくて、カルマン卿の目を盗んでお茶会ごっこをしたり、見頃の庭園を案内してもらったりしました。私がお屋敷に行った時は、必ず遊び相手になってくれて。……ただですね、カルマン卿に憑いている霊は、全員喋れなかったんです。この十年間、私が一方的に話しかけていました」

 表情や仕草だけでも意思の疎通ができたため、満足だった。だが――、

「それが今朝、あの少年が喋ったんですよ! 霊って成長するんですねぇ」

 今朝の出来事を思い出し、頬を緩める。
 カルマンに婚約破棄されたことで、もうあの屋敷に行く理由がなくなった。霊と会う機会もなくなるだろうと思い、帰り際に別れの挨拶をしてきたのだ。最後の最後に霊の声を聞けたため、沈んだ気持ちが少し回復した。

『喋る幽霊少年』についての話を終え、ララはジャスパーの感想を待つ。……が、彼は頭を抱えたまま動かない。

「どうしたんですか? ジャスパー」
「どこから突っ込むべきなのか分からないのと、カルマンゴミクズ野郎を処刑したい気持ちに駆られてる」

 突っ込みどころなんてあっただろうか、とララは首を捻る。

「えーっと、……どの辺りが気になりました?」
「まず、霊が見えるのってララにとっては普通のこと?」
「はい、小さい頃から見えます」
「そっか。霊ってどこにでもいるの? 例えばこの城とか」

 ジャスパーの質問に、曖昧に笑う。

「……いるのね」
「悪いことはしないので、怖がらないであげてくださいね」
「あなたが言うならそうなんでしょうね。じゃあ次の質問。霊が喋るのは珍しいの?」
「話せる霊もたくさんいます。この辺りの個性は霊によって違うみたいで、土地に憑いている霊は決まった範囲内しか動けなかったりします」
「へえ~、霊の世界も色々あるんだ。さっきララが言ってた幽霊少年は、今日初めて喋ったわけよね? 別れの挨拶をしに行ったってことは、『いつかまた会おうね』とでも言われたの?」
「いえ。たった一言、『あいつは許さない』って」
「怖い怖い怖い怖い。ちょっとヤダ待って、ゾワっとしたんだけど~」

 決して寒くはない六月中旬の午後なのだが、ジャスパーは凍えるように自分の体を抱きしめる。

「幽霊少年は誰のこと言ってるの?」
「多分、カルマン卿です」
「そう……。参考程度に聞くんだけど、霊ってどのくらいの期間この世に残るものなの? 今の話からすると、『五十九日の寄り道期間』って迷信よね?」
「んー……完全に嘘というわけではないのですが」

 これはミトス王国の人間ならば、誰でも知っている話だ。死んだ人間は魂となり、神の元に帰るまでの五十九日間を大切な者のそばで過ごす。
 最初の十四日間で生前の悪行を背負い、一日裁判。次の十四日間で生前の善行に包まれ、一日裁判。さらに次の十四日間で悪行を善行で洗い流し、一日かけて魂が導かれる順序が決定する。そして最後の十四日間でこの世への未練を完全に断ち切り、神の元に帰る。

 信じる者もいれば、迷信だという者もいる。そんな話だ。
 霊が見えるララを敬うどころか嫌悪するのだから、きっと誰もが半信半疑なのだろう。

「五十九日というのは、生きている人間が喪に伏す期間を定めるために言い始めたんだと思います。もっと長くこの世で過ごす霊もいますし。……転生したい気持ちよりも、この世への未練の方が強かったりして」
「だからララは、十年以上もこの世に残ってる幽霊少年たちと交流できてたってわけね」
「その通りです。まあ大体は未練なく神の元に帰るので、彼らほど残ってる霊も珍しいですけど」
「結局人それぞれってことかぁ。さっきあたしが手を振ってた侍女たちには霊って憑いてた?」
「いいえ。憑いていませんでした」
「ふーん……、じゃあ飲みの約束してた騎士は?」
「憑いてません」
「一人も?」
「はい」
「……じゃあ、あたしには?」
「憑いてませんよ。そんなにいろんな人に憑いてたら、この世が霊で溢れてしまいますから。どうしてそんなに気になるんですか?」

 憑いていたとしてもジャスパーには見えないし、彼の生活に問題は起こらない。それなのにララが話す度、ジャスパーの顔が引きつっていく。
 
「だっておかしいじゃない。さっきのララの話だと、仲良くしてた霊が大勢いるみたいだったわ」
「いましたよ、カルマン卿のそばには」

 そのおかげでララは一人ぼっちにならなかったのだ。

「あー……、分かった。なんとなく分かったわ……。最後に一つ、聞きたいんだけど……」

 こちらをチラッと見たジャスパーが小さく息を吐き、やがて覚悟を決めたように口を開いた。

「……カルマン卿って、もしかして?」

 ララは呑気に「うーん」と鼻から声を漏らす。そのままゆっくりと庭園を見渡した。
 今は霊が一人もいない。ここがカルマンの屋敷なら、軽く数人と目が合うはずだ。と言うより、カルマンの近くにはいつだって、肉体を持つ者より持たない者の方が多いのだ。彼からの暴力が恐ろしくて、結局一度も、本人には伝えられなかったが。

 ララはジャスパーの顔に視線を戻した。彼の新緑色の瞳は、すでに何かを確信しているようだ。
 ジャスパーの言う『ヤバイ』がどういう意味かは分からない。だが――。

「彼に取り憑いてる霊の人数で言うなら、ヤバイです」
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