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そして、正体は
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部屋の奥には魔法陣が展開されており、その中に昨日の傭兵達が捕らえられている。そこまでは想像通りだった。
けれども、想像と大きく違う点もある。
オーランドとレオも何かがおかしいと感じたようで、互いに顔を見合わせた。一番後ろを歩くルーシーはどうして良いかわからない。
広い部屋の壁際にびっしりと並び立つ、騎士と魔術師の姿を見たからだ。
(絶対こんなに必要ないでしょ)
どこを見ても誰かと目が合いそうだ。内心そわそわしながら、薄目で床だけを見て進む。
だが傭兵達の前に来れば、自然と冷静になった。昨日は姿を見なかった男が数人混ざっている。彼らが逃亡した魔術師だろう。
そしておそらく、一番端で椅子にくくり付けられている男が――
「貴方でしたか、ビルソン伯爵」
オーランドの静かな声が響く。どうやら知っている顔のようだ。
名前を呼ばれた男は気味の悪い笑みを浮かべる。その笑みに含まれたオーランドに対する敵意は、ルーシーにもわかった。
「私が何をしたと?」
「俺に呪いをかけ、街の人を襲っただろう」
「どこにそんな証拠が? 呪いは証拠が残りにくいものです。……それに貴方が呪いを受けたのはサルバスだったはず。ここはエールベルトですよ? 他国での事件は裁けません」
それを主張するのか、とルーシーは考え込む。
たしかに、実際に犯罪が起こった国でなければ罪人を裁くことは出来ない。常識が異なるエールベルトとサルバスだが、この法は共通のもの。
しかし、目の前の男がオーランドを呪った犯人であると、ルーシーは確信していた。
でっぷり太ったビルソンの首元には、どす黒い痣がある。ズボンの裾から覗く足にも同様の痣。あの色は呪われた側でなく、呪った側に付くものだ。
本来、呪いは禁術。大なり小なり、呪った側にも代償はある。
これだけ痣が広がっているのだから、相当多くの呪いをかけてきたのだろう。服の下がどうなっているのか、考えただけで鳥肌が立つ。
そんなルーシーの気持ちなど知るわけがないビルソンは、勝ち誇ったようにペラペラと言葉を続ける。
「昨日、私が人を襲ったのは事実です。運悪くその場に貴方も居合わせたわけですね。サルバスで同じことをしていたら、私は今生きていないでしょう。ただ……記憶が正しければ、貴方はエールベルトでは平民だったかと。ご存じでしょうがこの辺りの国の法では、王族以外の殺人は、数人であれば死刑になりません。未遂の場合ならなおさらです」
つまりビルソンは、エールベルトで平民扱いのオーランドを殺したところで、王族殺しのような重大な罪にならないと言っている。
完全に屁理屈だが、誰も言い返さないところを見ると、その屁理屈が通ってしまうようだ。
人を殴ったことがないルーシーだが、拳をビルソンの顔面に叩きつけてやりたくなった。
(でも強制的に呪いを解いちゃえば、この人が犯人だってわかるんじゃないの?)
そう思うものの、ビルソンの表情には余裕がある。
「私は罪を認めておりますから、しばらくこの国で償うことになるでしょう」
「認めているというのは、昨日の件だけか」
「ええ。私が認めるのは物盗りを働こうとしたことと、その際に邪魔だった平民を襲ったことです。ご覧の通り、仲間も捕まってしまいましたし、逃げることも出来ませんから」
「見たところ、ここにいる貴方の仲間は全員異国の者だな。俺の死の呪いが解けて、まだ数日。この短期間で彼らを雇い、サルバスの剣や物資を用意し、正規ルート以外でエールベルトに侵入。それを貴方一人の力で実行出来たとは思えない。他にも仲間がいるだろう、サルバス国内に」
「……さあ、何のことやら」
「もう一度だけ聞く。俺を呪ったのは貴方ではなく、他の仲間もいない。もしくは、いても話すつもりはない、ということか?」
「ええ、その通りです。聞いた話によると強制解呪というものがあるようですが、所詮それが通用するのはエールベルトのみ。サルバスでは理解が追いつかない魔術です。ですから、たとえ私に強制解呪を使用し貴方の呪いが解けたとしても、サルバスの法では証拠として不十分。私を罰することは出来ません。……でもまあ、呪いが解ければ十分なのでは? 犯人は、永遠に捕まらずとも」
なるほど、サルバスでは魔術によって得られた証拠に価値がないのか。それならば強制解呪をしてもビルソンは罪に問われないだろう。
せめて仲間の情報を聞き出したいところだが、自白剤は身体に悪影響が出る可能性があるため、よほどの犯罪でない限り使用出来ない。
「貴方にとっては残念かもしれませんが、昨日の件で私が重い刑を言い渡されることもないでしょう。平民を襲っただけなのですから」
今の話を聞くまで、ルーシーはオーランドにかけられた呪いさえ解ければ良いと思っていた。
だがどうやら、そんなに簡単な話ではなかったようだ。
このままだと、ビルソンは平民の殺人未遂かただの強盗未遂として処理される。すぐにでも青空の下に出られるだろう。
それに比べてオーランドは、情報のないビルソンの仲間に、一生付け狙われることになる。
ビルソンを追い詰め、正しく罰し、彼に協力した人間を一人残らず引きずり出さなければ、オーランドに幸せな未来はない。
ここまで考えて、ルーシーはやっと理解した。
(あー……、だから私が呼ばれたのかぁ)
意外と大きなため息が漏れてしまった。
しかしこちらに背を向けるオーランドとレオは気付かない。拘束されている男達も、ビルソンも、気付いていない。
その他の人間は、全員ビクリと肩を揺らしたのだが。
ルーシーはオーランドの背中からそろりと顔を出す。自分は上手くやれるだろうか。
少しどきどきしながら、言葉を発した。
「平民だからって、傷付けて良い理由にはならないと思うのですが……」
実は先程から、これが最も引っかかっていた。
『平民殺しでは死刑にならない』『平民を襲っただけ』と言うこの男は、一体平民を何だと思っているのだろう。
硬い表情のルーシーを見て、ビルソンは馬鹿にしたように笑う。
「平民はこれだから困る。お前らのような底辺の虫ケラと貴族では命の重さが違うんだ。そもそも、お前のような奴が何故ここにいる? 図々しくお友達について来たのか? そうだよなあ、昨日だって死にそうだったところをお友達に守ってもらったんだもんなあ。でもな、そこのお友達はサルバスに戻れば王子様だ。どうせお前のことなんかゴミクズくらいにしか思ってないぞ」
よくもまあ、ひどい言葉がスラスラと出てくるものだ。ここまでくると感心してしまう。
ルーシーの眼差しが冷えると同時に、オーランドの背中に隠された。
「おやおや。昨日も不思議だったのですが、随分とかばうのですね? サルバスにいた頃は全く女に興味を示さなかったというのに。同じ魔術学校の生徒のようですが、そのような平民ごとき……いや、待てよ? 平民……まさか、お前が!!」
拘束されたままのビルソンが叫び、暴れ出す。血走った目と黒い感情は、確実にルーシーに向けられている。荒い呼吸を繰り返すビルソンは、今にも血管が切れそうだ。
(いきなり怒られても……)
暴れたところでエールベルトの拘束魔術が解けるはずがない。だから少しも怖くないのだが、突然負の感情を剥き出しにされても困る。
そう思った途端、ビルソンは早口でブツブツと話し始めた。時折ギョロリと動く目が昆虫のようだ。
「これはますます危険だ。貴方はサルバス随一の剣の腕前。剣は国の象徴。そこに魔術まで取り込むとなれば、王位に興味がないと言われても信じられません」
「貴方に信じてもらう必要はない。だが一つ、訂正してもらおう。俺が選ぶのは剣でも、魔術でもない。――もう片方の、国の象徴だ」
「……愛を……選ぶと、言うのですか?」
信じられない、と声を震わせるビルソンに対しても、オーランドは堂々とした姿勢を崩さない。
「そうだな。せっかくだからエールベルトの象徴と言われる、自由も加えといてもらおうか。最近までサルバスに潜んでいたのなら、もう理解してるんだろう?……ルーシーが俺にとって、何よりも大切であることくらい」
ピシリと固まったのはビルソンではなく、後ろに立つルーシーだった。
(な、な、ななななな何!? どういう流れでそうなったの!?)
話を理解したらしいビルソンは忌々しげに唇を噛むが、ルーシーは置いてけぼりを食らっている。
ただ顔は、間違いなく真っ赤だ。緊張感もへったくれもない。
誰が想像出来ただろうか。自分を守るように立つ男から、心臓を握り潰されそうになるなどと。
今すぐオーランドの首根っこをひっ捕まえて退場したい。そして言わせて欲しい。一言、恥ずかしいと。
けれどもそんなことが出来る状況ではないのだ。だから動き出しそうな足を縫い付けて、顔の色以外は平静を装った。
斜め後ろから渾身の目力を込めてオーランドの顔色をうかがうが、いつも通りの無表情。どんな気持ちでルーシーを大切だと言ったのか、微塵も伝わってこない。
初めてだ。あの呪いを羨ましいと思うのは。
「俺については何を言っても構わない。貴方に死ぬ覚悟があるのなら、呪い合いだって受けて立とう。ただ、ルーシーは……ルーシーを侮辱することだけは、何があっても許さない。貴方のことは必ず裁く。手段を選ぶつもりはない」
オーランドの言葉を聞いた上で知らないふりを出来るほど、ルーシーは自分の感情に蓋をするような生き方を選んでこなかった。
誰よりも優しいオーランドが、自分のために怒ってくれている。それならば、腹を括るのなんて簡単だった。
オーランドと同様に、ルーシーだって手段を選ぶつもりはない。彼を守り抜くと、昨日誓ったばかりだ。
使えるものは何だって使う。――たとえそれが自分にとって、唯一で最大の秘密であったとしても。
「裁く、ですか。やれるものならやっていただきたい! 私は貴方を呪った覚えはないし、この国で犯した罪は全て未遂。昨日そこの娘が大人しく魔術で焼かれていれば、私の罪は未遂ではなくなっていたというのに! 本当に馬鹿ばかりだ!」
ビルソンの口調が徐々に荒くなる。自分の勝ちを疑わない人間は、こうなるのか。
なんとも間抜けで、ルーシーにとっては好都合だった。
「あの魔術で……私に怪我をさせようとしたってことですか?」
「怪我? 殺すつもりだったに決まってるだろう! お前があの時変な魔術で邪魔しなければ、計画が崩れることもなかった!」
ビルソンは凄まじい剣幕でまくし立てる。
けれどもルーシーは笑い出しそうだった。あまりにも上手く、聞きたい言葉が引き出せたから。
「そんな醜い痣があるくらいだ。呪われたのか呪った代償かは知らねえが、どうせお前もろくでもない人生なんだろ! 今は大事にされてても、すぐに裏切られる! 底辺の平民は良いように使われて、惨めに――ッ!?」
ガタンッという音と共に、ビルソンの身体が椅子ごと床に倒れ込んだ。
彼の下には魔法陣。魔術師の誰かが発動させた術で、ビルソンの体は通常の何倍もの重力に押し潰されている。
ルーシーは安堵した。オーランドが魔術に巻き込まれなくて良かった、と。
オーランドはビルソンの暴言に誰よりも早く飛び出そうとしたが、自分の制服を掴んだルーシーの手に気付き、踏みとどまった。
どんな場合であっても、彼はルーシーの手を振り解かない。
結果、重力に潰されたのはビルソンだけで済んだ。
魔術はすぐに解かれたが、その直後、ビルソンの顔の真横に勢い良く剣が突き立てられた。剣を握るダイアー騎士団長の顔は、見るのも恐ろしい。
低く重い声で、彼は告げた。
「決まったな。貴様は死刑だ」
「な、何をふざけたことを」
ビルソンはなんとか言葉を返すが、状況を正しく認識出来ていないようだ。見下ろすダイアーの迫力は増すばかり。
「今自分で言ったではないか。殺すつもりだった、と」
「何度言えばわかる! オーランド・サルバスはこの国では平民だ! 実際は生きているのだから、平民相手の殺人未遂で死刑になどなるはずがないだろう! それに、私が殺そうとしたのはそこの――」
「わたくし、ですわよね」
声を出すと、その場の誰もが口を開けなくなった。
オーランドとレオは、不思議な感覚を味わった。
聞き慣れているのに、初めて聞いたような。柔らかいのに、膝を折りたくなるような。そんな声が聞こえたのだ。
ルーシーは一歩踏み出して、お気に入りの髪留めを外す。
編み込んだ髪が解かれるのと同時に、毛先から流れるように色が変わった。
「ルーシー……?」
声を絞り出したオーランドの横を通り過ぎる。こっそりと、彼だけに伝えた。「大丈夫」だと。
そのまま自分の顔に手をかざし、付け慣れてしまった痣を消す。
「ビルソン伯爵、ご挨拶が遅くなってしまいましたね」
ゆっくりと瞼を下ろし、再び持ち上げる。……おそらく瞳の色も変わっただろう。いや、正確には戻ったのだ。
平凡な色から、一度見たら忘れられない色へ。
ビルソンの前に立った時、誰かの声がこぼれた。
「王族……」
その声に背中を押されるように、ルーシーだった人は、笑みを浮かべて名を告げた。
「わたくし――エールベルト王国が第二王女、フィオナ・ルシル・エールベルトと申します」
言葉を向けられたビルソンは何も言わない。何も言えない。ただ青い顔を、驚愕に染めるだけ。
仕方がないことだった。ビルソンの目に映ったのは、魔術学校の制服には似合わない、心をさらわれそうな美しいカーテシー。
一斉に膝を折った騎士達と、手を組み合わせ礼をする魔術師達。その姿を見れば、誰であっても事実だと理解せざるを得ない。
判断を誤れば、この場で首が飛んでもおかしくないのだ。
ビルソンの前に立つ彼女の髪と瞳の色が、エールベルトの紫なのだから。
けれども、想像と大きく違う点もある。
オーランドとレオも何かがおかしいと感じたようで、互いに顔を見合わせた。一番後ろを歩くルーシーはどうして良いかわからない。
広い部屋の壁際にびっしりと並び立つ、騎士と魔術師の姿を見たからだ。
(絶対こんなに必要ないでしょ)
どこを見ても誰かと目が合いそうだ。内心そわそわしながら、薄目で床だけを見て進む。
だが傭兵達の前に来れば、自然と冷静になった。昨日は姿を見なかった男が数人混ざっている。彼らが逃亡した魔術師だろう。
そしておそらく、一番端で椅子にくくり付けられている男が――
「貴方でしたか、ビルソン伯爵」
オーランドの静かな声が響く。どうやら知っている顔のようだ。
名前を呼ばれた男は気味の悪い笑みを浮かべる。その笑みに含まれたオーランドに対する敵意は、ルーシーにもわかった。
「私が何をしたと?」
「俺に呪いをかけ、街の人を襲っただろう」
「どこにそんな証拠が? 呪いは証拠が残りにくいものです。……それに貴方が呪いを受けたのはサルバスだったはず。ここはエールベルトですよ? 他国での事件は裁けません」
それを主張するのか、とルーシーは考え込む。
たしかに、実際に犯罪が起こった国でなければ罪人を裁くことは出来ない。常識が異なるエールベルトとサルバスだが、この法は共通のもの。
しかし、目の前の男がオーランドを呪った犯人であると、ルーシーは確信していた。
でっぷり太ったビルソンの首元には、どす黒い痣がある。ズボンの裾から覗く足にも同様の痣。あの色は呪われた側でなく、呪った側に付くものだ。
本来、呪いは禁術。大なり小なり、呪った側にも代償はある。
これだけ痣が広がっているのだから、相当多くの呪いをかけてきたのだろう。服の下がどうなっているのか、考えただけで鳥肌が立つ。
そんなルーシーの気持ちなど知るわけがないビルソンは、勝ち誇ったようにペラペラと言葉を続ける。
「昨日、私が人を襲ったのは事実です。運悪くその場に貴方も居合わせたわけですね。サルバスで同じことをしていたら、私は今生きていないでしょう。ただ……記憶が正しければ、貴方はエールベルトでは平民だったかと。ご存じでしょうがこの辺りの国の法では、王族以外の殺人は、数人であれば死刑になりません。未遂の場合ならなおさらです」
つまりビルソンは、エールベルトで平民扱いのオーランドを殺したところで、王族殺しのような重大な罪にならないと言っている。
完全に屁理屈だが、誰も言い返さないところを見ると、その屁理屈が通ってしまうようだ。
人を殴ったことがないルーシーだが、拳をビルソンの顔面に叩きつけてやりたくなった。
(でも強制的に呪いを解いちゃえば、この人が犯人だってわかるんじゃないの?)
そう思うものの、ビルソンの表情には余裕がある。
「私は罪を認めておりますから、しばらくこの国で償うことになるでしょう」
「認めているというのは、昨日の件だけか」
「ええ。私が認めるのは物盗りを働こうとしたことと、その際に邪魔だった平民を襲ったことです。ご覧の通り、仲間も捕まってしまいましたし、逃げることも出来ませんから」
「見たところ、ここにいる貴方の仲間は全員異国の者だな。俺の死の呪いが解けて、まだ数日。この短期間で彼らを雇い、サルバスの剣や物資を用意し、正規ルート以外でエールベルトに侵入。それを貴方一人の力で実行出来たとは思えない。他にも仲間がいるだろう、サルバス国内に」
「……さあ、何のことやら」
「もう一度だけ聞く。俺を呪ったのは貴方ではなく、他の仲間もいない。もしくは、いても話すつもりはない、ということか?」
「ええ、その通りです。聞いた話によると強制解呪というものがあるようですが、所詮それが通用するのはエールベルトのみ。サルバスでは理解が追いつかない魔術です。ですから、たとえ私に強制解呪を使用し貴方の呪いが解けたとしても、サルバスの法では証拠として不十分。私を罰することは出来ません。……でもまあ、呪いが解ければ十分なのでは? 犯人は、永遠に捕まらずとも」
なるほど、サルバスでは魔術によって得られた証拠に価値がないのか。それならば強制解呪をしてもビルソンは罪に問われないだろう。
せめて仲間の情報を聞き出したいところだが、自白剤は身体に悪影響が出る可能性があるため、よほどの犯罪でない限り使用出来ない。
「貴方にとっては残念かもしれませんが、昨日の件で私が重い刑を言い渡されることもないでしょう。平民を襲っただけなのですから」
今の話を聞くまで、ルーシーはオーランドにかけられた呪いさえ解ければ良いと思っていた。
だがどうやら、そんなに簡単な話ではなかったようだ。
このままだと、ビルソンは平民の殺人未遂かただの強盗未遂として処理される。すぐにでも青空の下に出られるだろう。
それに比べてオーランドは、情報のないビルソンの仲間に、一生付け狙われることになる。
ビルソンを追い詰め、正しく罰し、彼に協力した人間を一人残らず引きずり出さなければ、オーランドに幸せな未来はない。
ここまで考えて、ルーシーはやっと理解した。
(あー……、だから私が呼ばれたのかぁ)
意外と大きなため息が漏れてしまった。
しかしこちらに背を向けるオーランドとレオは気付かない。拘束されている男達も、ビルソンも、気付いていない。
その他の人間は、全員ビクリと肩を揺らしたのだが。
ルーシーはオーランドの背中からそろりと顔を出す。自分は上手くやれるだろうか。
少しどきどきしながら、言葉を発した。
「平民だからって、傷付けて良い理由にはならないと思うのですが……」
実は先程から、これが最も引っかかっていた。
『平民殺しでは死刑にならない』『平民を襲っただけ』と言うこの男は、一体平民を何だと思っているのだろう。
硬い表情のルーシーを見て、ビルソンは馬鹿にしたように笑う。
「平民はこれだから困る。お前らのような底辺の虫ケラと貴族では命の重さが違うんだ。そもそも、お前のような奴が何故ここにいる? 図々しくお友達について来たのか? そうだよなあ、昨日だって死にそうだったところをお友達に守ってもらったんだもんなあ。でもな、そこのお友達はサルバスに戻れば王子様だ。どうせお前のことなんかゴミクズくらいにしか思ってないぞ」
よくもまあ、ひどい言葉がスラスラと出てくるものだ。ここまでくると感心してしまう。
ルーシーの眼差しが冷えると同時に、オーランドの背中に隠された。
「おやおや。昨日も不思議だったのですが、随分とかばうのですね? サルバスにいた頃は全く女に興味を示さなかったというのに。同じ魔術学校の生徒のようですが、そのような平民ごとき……いや、待てよ? 平民……まさか、お前が!!」
拘束されたままのビルソンが叫び、暴れ出す。血走った目と黒い感情は、確実にルーシーに向けられている。荒い呼吸を繰り返すビルソンは、今にも血管が切れそうだ。
(いきなり怒られても……)
暴れたところでエールベルトの拘束魔術が解けるはずがない。だから少しも怖くないのだが、突然負の感情を剥き出しにされても困る。
そう思った途端、ビルソンは早口でブツブツと話し始めた。時折ギョロリと動く目が昆虫のようだ。
「これはますます危険だ。貴方はサルバス随一の剣の腕前。剣は国の象徴。そこに魔術まで取り込むとなれば、王位に興味がないと言われても信じられません」
「貴方に信じてもらう必要はない。だが一つ、訂正してもらおう。俺が選ぶのは剣でも、魔術でもない。――もう片方の、国の象徴だ」
「……愛を……選ぶと、言うのですか?」
信じられない、と声を震わせるビルソンに対しても、オーランドは堂々とした姿勢を崩さない。
「そうだな。せっかくだからエールベルトの象徴と言われる、自由も加えといてもらおうか。最近までサルバスに潜んでいたのなら、もう理解してるんだろう?……ルーシーが俺にとって、何よりも大切であることくらい」
ピシリと固まったのはビルソンではなく、後ろに立つルーシーだった。
(な、な、ななななな何!? どういう流れでそうなったの!?)
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ただ顔は、間違いなく真っ赤だ。緊張感もへったくれもない。
誰が想像出来ただろうか。自分を守るように立つ男から、心臓を握り潰されそうになるなどと。
今すぐオーランドの首根っこをひっ捕まえて退場したい。そして言わせて欲しい。一言、恥ずかしいと。
けれどもそんなことが出来る状況ではないのだ。だから動き出しそうな足を縫い付けて、顔の色以外は平静を装った。
斜め後ろから渾身の目力を込めてオーランドの顔色をうかがうが、いつも通りの無表情。どんな気持ちでルーシーを大切だと言ったのか、微塵も伝わってこない。
初めてだ。あの呪いを羨ましいと思うのは。
「俺については何を言っても構わない。貴方に死ぬ覚悟があるのなら、呪い合いだって受けて立とう。ただ、ルーシーは……ルーシーを侮辱することだけは、何があっても許さない。貴方のことは必ず裁く。手段を選ぶつもりはない」
オーランドの言葉を聞いた上で知らないふりを出来るほど、ルーシーは自分の感情に蓋をするような生き方を選んでこなかった。
誰よりも優しいオーランドが、自分のために怒ってくれている。それならば、腹を括るのなんて簡単だった。
オーランドと同様に、ルーシーだって手段を選ぶつもりはない。彼を守り抜くと、昨日誓ったばかりだ。
使えるものは何だって使う。――たとえそれが自分にとって、唯一で最大の秘密であったとしても。
「裁く、ですか。やれるものならやっていただきたい! 私は貴方を呪った覚えはないし、この国で犯した罪は全て未遂。昨日そこの娘が大人しく魔術で焼かれていれば、私の罪は未遂ではなくなっていたというのに! 本当に馬鹿ばかりだ!」
ビルソンの口調が徐々に荒くなる。自分の勝ちを疑わない人間は、こうなるのか。
なんとも間抜けで、ルーシーにとっては好都合だった。
「あの魔術で……私に怪我をさせようとしたってことですか?」
「怪我? 殺すつもりだったに決まってるだろう! お前があの時変な魔術で邪魔しなければ、計画が崩れることもなかった!」
ビルソンは凄まじい剣幕でまくし立てる。
けれどもルーシーは笑い出しそうだった。あまりにも上手く、聞きたい言葉が引き出せたから。
「そんな醜い痣があるくらいだ。呪われたのか呪った代償かは知らねえが、どうせお前もろくでもない人生なんだろ! 今は大事にされてても、すぐに裏切られる! 底辺の平民は良いように使われて、惨めに――ッ!?」
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彼の下には魔法陣。魔術師の誰かが発動させた術で、ビルソンの体は通常の何倍もの重力に押し潰されている。
ルーシーは安堵した。オーランドが魔術に巻き込まれなくて良かった、と。
オーランドはビルソンの暴言に誰よりも早く飛び出そうとしたが、自分の制服を掴んだルーシーの手に気付き、踏みとどまった。
どんな場合であっても、彼はルーシーの手を振り解かない。
結果、重力に潰されたのはビルソンだけで済んだ。
魔術はすぐに解かれたが、その直後、ビルソンの顔の真横に勢い良く剣が突き立てられた。剣を握るダイアー騎士団長の顔は、見るのも恐ろしい。
低く重い声で、彼は告げた。
「決まったな。貴様は死刑だ」
「な、何をふざけたことを」
ビルソンはなんとか言葉を返すが、状況を正しく認識出来ていないようだ。見下ろすダイアーの迫力は増すばかり。
「今自分で言ったではないか。殺すつもりだった、と」
「何度言えばわかる! オーランド・サルバスはこの国では平民だ! 実際は生きているのだから、平民相手の殺人未遂で死刑になどなるはずがないだろう! それに、私が殺そうとしたのはそこの――」
「わたくし、ですわよね」
声を出すと、その場の誰もが口を開けなくなった。
オーランドとレオは、不思議な感覚を味わった。
聞き慣れているのに、初めて聞いたような。柔らかいのに、膝を折りたくなるような。そんな声が聞こえたのだ。
ルーシーは一歩踏み出して、お気に入りの髪留めを外す。
編み込んだ髪が解かれるのと同時に、毛先から流れるように色が変わった。
「ルーシー……?」
声を絞り出したオーランドの横を通り過ぎる。こっそりと、彼だけに伝えた。「大丈夫」だと。
そのまま自分の顔に手をかざし、付け慣れてしまった痣を消す。
「ビルソン伯爵、ご挨拶が遅くなってしまいましたね」
ゆっくりと瞼を下ろし、再び持ち上げる。……おそらく瞳の色も変わっただろう。いや、正確には戻ったのだ。
平凡な色から、一度見たら忘れられない色へ。
ビルソンの前に立った時、誰かの声がこぼれた。
「王族……」
その声に背中を押されるように、ルーシーだった人は、笑みを浮かべて名を告げた。
「わたくし――エールベルト王国が第二王女、フィオナ・ルシル・エールベルトと申します」
言葉を向けられたビルソンは何も言わない。何も言えない。ただ青い顔を、驚愕に染めるだけ。
仕方がないことだった。ビルソンの目に映ったのは、魔術学校の制服には似合わない、心をさらわれそうな美しいカーテシー。
一斉に膝を折った騎士達と、手を組み合わせ礼をする魔術師達。その姿を見れば、誰であっても事実だと理解せざるを得ない。
判断を誤れば、この場で首が飛んでもおかしくないのだ。
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