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笑う少女と呪われた王子

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 その日の朝、ルーシーはやや居心地の悪い場所に立っていた。
 リーストン魔術学校――男子寮の、玄関前だ。

 寮から生徒が出て来る度に素早く相手を確認するが、目的の彼ではない。

(オーランド、早く出て来ないかなぁ)

 ルーシーは我慢していた。自分が恥じらいを持った女子生徒でなければ、とっくに男子寮に突入しているというのに。

 玄関前を往復しすぎて、そろそろ不審者扱いをされても文句は言えない、と考え始めたところに、やっと待っていた人物が現れた。

「おはようルーシー。どうして男子寮こっちに――ッ!?」

 駆け寄って来たオーランドが、ルーシーの顔を見るなり急ブレーキをかけたように立ち止まった。なんなら一歩後ずさった。

 暑くも寒くもない季節だといっても、朝早くから外で待っていた相手に対して、その態度はひどいのではないだろうか。

「おはようオーランド。なんで逃げるの?」
「いや、ルーシーの顔が……凄くて」
「王子様が女の子に言って良い言葉じゃないと思う」
「俺の知ってる女の子は、そんな捕食者みたいな目をしてない」

 捕食者……まさに今のルーシーにぴったりの例えだった。それゆえ、腹が立つ。

「しょうがないじゃない! 私は昨日の夜別れた直後から、ずーっとオーランドの顔を見たかったんだから!」
「それは、ど、どういう……」

 オーランドが真顔で動揺している隙に、ルーシーは距離を詰めた。

「そのままの意味」

 両手を伸ばしてオーランドの顔を捕まえると、真剣な表情を崩さぬまま、ぐいっと自分の顔に引き寄せた。

「見たくて仕方がなかったの。――あなたの呪いの状態を!」
「……」
「……?」
「……」
「ん? どうしたの?」
「……わかってたのに、ちょっと期待しちゃったなぁ、と思って」
「はあ」

 ルーシーが間抜けな返事しか出来ないでいると、眠たそうな声が近付いて来た。

「おーいルーシー。あんまりオーランドをいじめてやるな」
「レオ」

 大きなあくびを隠そうともしないレオは、これでも一応オーランドの護衛である。
 といっても、対ルーシーとなると能力はほぼ発揮されない。

「いじめてなんかいませーん」
「そうか? じゃあ寸劇の練習でもしてたのか? 俺は目の前でラブコメディでも始まるのかと思ったぞ」
「何言ってんだお前」

 オーランドが不満そうな声を出した。そうだ、言ってやれ。

「ラブコメディじゃなくてラブロマンスだろ」

 ジャンルの問題ではない。
 オーランドの的外れな抗議にレオは吹き出している。

「もー、私はオーランドの呪いを見に来たの!」

 ルーシーの地団駄を踏みそうな勢いにオーランドは押され気味だ。

「女子寮で待っててくれたらいつも通り迎えに行ったのに」
「そんなの待ってらんない!」
「どうして?」
「だって一番厄介な呪いが解けたんだよ? もしかしたら他の呪いにも影響があるかもしれないじゃない!」

 結局のところ、ルーシーは普段の登校時間まで待てなかったのだ。だからわざわざ、校舎と逆方向の男子寮までやって来た。

 オーランドを見上げて、両手を開いた状態で突き出す。

「お願いオーランド。顔、見せて」
「はいはい」

 穏やかな声で返事をして、大人しく手の中に顔を置いてくれた。彼の髪がさらりと揺れる。
 ルーシーは満足そうに頷き、観察を始めた。

「さっきから思ってたけど、あざの色薄くなってるね。触っても良い?」
「うん。前と変わらず痛みはないよ」
「そっか。体調はどう?」
「死の呪いが解けたからすこぶる快調」
「良かった~、もう死んじゃうことはないね!」
「ルーシーには一生頭が上がらなくなったなぁ」

 大げさな、とルーシーは笑い飛ばす。その言葉は全ての呪いが解けてからにして欲しい。
 さらに顔を近付けて、些細な変化も見落とさないように注意をはらう。

「じゃあ最後に……今の気持ちは?」
「毎日のことながら、こうも至近距離でルーシーに顔を見られるのは、結構照れる」
「なるほど」

 納得したような声を出してはいるが、視線を外すつもりはなかった。やや緊張した面持ちで見つめ続ける。
 
 しかし残念なことに、オーランドの形の良い唇も、スッと通った鼻筋も、色気を放つ目元も……いつも通り、ピクリとも動かない。

「んー……死の呪いは表情と関係なかったかぁ」

 小さく唸ったルーシーは、オーランドの顔を解放して歩き始めた。
 隣に並んだオーランドに、頭をぽんぽんと叩かれる。気にするなと言われているようだ。

「俺としては、死ななくなっただけでも十分すぎる成果なんだけどなぁ」

(そりゃあ死の呪いが一番怖かったから、解けたのは嬉しい。昨日死ぬほど喜んだし)

「あのままサルバスに残ってたら、多分今頃お星さまだ。どこの国で魔術を学ぶか迷ってたけど、エールベルトに来て正解だった」

 オーランドが嬉しそうに声を弾ませると、レオも同意する。

「俺としても、護衛対象に呪いで死なれちゃ困るからな。サルバスの剣の腕じゃ、こればかりはどうにもならん」
「そこは護衛対象じゃなくて親友って言えよ」
「何か違うのか?」
「主に、距離感が違う」

 今度は拗ねたような声がオーランドから漏れる。ところが不思議なことに、彼は朝の挨拶を交わした時からずっとだ。




 ――オーランド・サルバスは、呪いで表情を奪われている。

 彼はエールベルト王国の隣の国、サルバス王国の第二王子だ。
 次期国王の座をめぐる勢力争いに巻き込まれ、若くしていくつかの呪いを受けた。
 端正な顔の右半分を覆う赤い痣も、その一つである。

 呪いとは、他人に使うことを禁止されている魔術の使用方法だ。解く方法が見つかる場合もあれば、一生そのままという場合もある。

 魔術を学び、呪いを解く。
 その目標を達成するためにオーランドが留学先として選んだのが『自由と魔術の国』と呼ばれるエールベルトだった。

(死の呪いと一緒に痣も消えてくれたら良かったんだけど、そう上手くはいかないよね。痣の解呪は他の方法を探すとして……先に、あの無表情をなんとかしたいんだよなぁ)

 ルーシーにとって、オーランドの無表情は痣より大きな問題だ。理由は色々とあるが、とりあえず今困るのは――

「オーランド、声だけは感情豊かになったじゃない? だから……本っ当に悪いと思ってるんだけど……無表情だと、お、面白い、んだよねぇ」
「おーいー、これ呪いだぞ? 面白いって言うなよー」

 オーランドはルーシーの顔を覗き込んで、わざと抑揚をつけて喋る。それでも、表情は微動だにしない。
 彼は王子とは思えないほど性格がお茶目だ。見た目と身分と中身のバランスが崩壊している。

「ばっ、お前、その動きやめろ! ルーシーも笑うな! 俺までつ、られ、る」

(わかってる。これは呪い、これは呪い)

 ルーシーとレオが肩を震わせるだけでなんとか耐えようとすると、仕掛けたオーランドが一番最初に我慢の限界を迎えた。

 彼の晴れやかな笑い声が響く。しかし何度見ても、無表情なのは変わらない。なんだこの奇妙な光景は。

(笑っちゃ、いけな――)

「も、もー無理ぃ!」

 とうとうルーシーとレオも耐えられなくなった。
 校舎に向かう生徒達からいぶかしげな目を向けられるものの、三人に気にする余裕はない。
 堪えるのは諦めて、そのまま景気良く笑い続けたのだった。
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