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(七)
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宿村病院の、善機の病室。
入口ドアの近くに立っていた大岡警部が、口を開いた。
「以前にも申し上げましたが……。はじめから我々が出て行ったのでは、もし三島鮎美さんが犯人でない場合、無用に心を傷つけることになります。よって、隣室に下がらせていただきます。但し……」
大岡警部が目配せすると、遠山刑事は鞄の中を探った。
中から出て来たのは、一見置き時計に見えるもの。
「こちらは外観は時計ですが、文字盤に小さな穴が空いてございます」遠山刑事が、指差しながら言った。「これが実はカメラになっておりまして。集音機も付いております」
大岡警部が、続けた。
「後日証拠として使える可能性もありますのでね。皆さんと鮎美さんがお話されるご様子を録画させていただきます。勿論、もし鮎美さんが逃走を図ろうとするなど、不測の事態が発生した場合には、隣室から直ちに駆けつけます」
「わかりました。よろしくお願いいたします」
校長が頭を下げる。
警部らが退出すると、残されたトキオ、カオル、春菜と校長は黙って顔を見合わせ、しばし沈黙を守った。
数分のち……。
ドアを静かにノックする音に、トキオは振り返った。
「どうぞ」
白川校長が短く言うと、ドアが開いた。
「失礼します」
入って来たのは、三島鮎美だった。
カオルと春菜が、同時に立ち上がる。
(いつもとは、別人みたいだな)
トキオは眼を瞠った。
分厚く塗っていた化粧と派手な口紅を落とし、髪を黒く染めている。
(善機が入院してるって伝えたから、地味にして来たんだな。余計に飾り立てないほうが、自然でいいじゃないか)
「善機君……」
短く叫ぶと、鮎美はベッドに駆け寄った。
バレンタインから今日で三日目になる。人工呼吸器こそ外しているが、善機は依然、眼を閉じたままだ。
鮎美の頬から血の気が引き、青白く変わって行く。
「まずは、座って」
校長が鮎美に、椅子を勧めた。
鮎美が黙って腰掛け、その周りにトキオ、カオルと春菜がそれぞれ座る。
「見ての通りよ。深田善機君はバレンタインで誰かから貰ったチョコレートを口にして、昏睡状態になってしまった。チョコに大量の睡眠薬が練り込まれていたんだ……。善機君は昨日が第一志望の王子大付属の入試だったんだけど、フイにしてしまったんだよ」
校長がゆっくりと言葉を選びながら、口火を切る。
「まさか……。そんなこと」
鮎美の頬が、ますます青くなる。
校長が鮎美に顔を近づけ、眼を覗き込んだ。
「十四日の朝。西校舎の前に取り付けてある防犯カメラには、善機君が来るより前の時間、映っていたのは鮎美さんしかいなかったの。で、あなたは周りの男の子達に言ったでしょ。『善機君にプレゼントするチョコを、手作りする』って」
「つまり私、疑われてるんですか」鮎美は、トキオを睨んだ。「善機君が入院してるって聞いたから、お見舞いの積もりで来たのに……。これじゃあ、まるで取り調べじゃないですか」
トキオは、顔の前で手を振った。
「いや。そんな積もりじゃない。僕はあなたを一ミリも疑ってないぞ。防犯カメラに映っていたから、何か事情を知ってるんじゃないかと思っただけだ」
校長が再び、鮎美の眼を覗き込んだ。
「一つだけ、確認したいの」
「一つだけ?」
「あなたは、手作りのチョコにこだわりがあった。それだけは確かよね」
鮎美は、黙って頷いた。
「あなたは一年のバレンタインの時、善機君にチョコをプレゼントした。クラス皆の前で。でも、善機君は『手作りのチョコ以外は受け取らない』って言って、突き返した。それが悔しくて、仕返ししようとしたんじゃないかしら」
「仕返しではありません」
「違うの?」
校長が再び、鮎美に顔を近づける。
「はい。一年の時、私は善機君にフラれました。けれど、それからもずっと……。今でも善機君が好きです。大好きです。一年の時、手作りのチョコじゃないと受け取らないって言われたからこそ、今年は絶対手作りのチョコをプレゼントしようと思い続けていたんです」
「なるほど」
鮎美は、声を高めた。
「手作りは私の気持ち。プライドなんです。これだけは間違いないです」
「わかったわ。何にせよ、あなたはチョコを手作りした。そして善機君の下駄箱にチョコを入れた。その事実は認めるわね」
「はい」
「残念だけど、あなたの気持ち。善機君には伝わらなかったみたいよ」
「えっ?」
春菜が、膝上に置いていた紙片を鮎美の眼前に翳した。〈有難や 雪をかほらす 南谷〉が記されたカードのコピーである。大岡警部が用意したものだ。
「善機君の受けとめは、あなたの気持ちとは裏腹だった。あなたの殺意を感じていたのよ」
「これ、何ですか? 全然、意味がわかりません」
「ダイイング・メッセージってやつよ」
「ダイイング・メッセージ?」
春菜は眼鏡越しに、鮎美を睨んだ。
「殺人事件なんかで、被害者が発見者に犯人の情報を伝えるために、暗号でメッセージを残す場合があるの。今回の場合善機君は死んではいないけど、チョコを食べてすぐものすごい眠気に襲われたから、死ぬかも知れないと感じた筈。この紙片は善機君が倒れていた時、手にしていたものの写しなの。つまり、善機君が犯人と見なした人物の名前が、書かれてるってワケ」
「ただの俳句じゃ、ないんですね」
「俳句って五、七、五でしょ。五、七、五のそれぞれ一番上の文字を繋げて読んでみて」
「『有難や』の『あ』……。『雪』の『ゆ』……。『南谷』の『み』……。あゆみ?」
「正解。『あゆみ』って、あなたの名前よね」
春菜は眼鏡を外した。
椅子に掛けてあるルイヴィトンのハンドバックに、手を入れる。
黄色い眼鏡拭きでレンズを手入れしながら、続けた。
「防犯カメラの映像……。善機君のダイイング・メッセージ……。何よりもあなた自身が、チョコを手作りして下駄箱に入れたって認めてること……。これだけ揃ったら、あなたはもう言い逃れ出来ないわ。さっさと認めちゃったほうが、楽になるわよ」
「そんな…。私」
鮎美は立ち上がり、絶句した。だらんと垂らした手が、震えはじめている。
「お待ちください」
黙して聞いていたカオルが、手を挙げた。
入口ドアの近くに立っていた大岡警部が、口を開いた。
「以前にも申し上げましたが……。はじめから我々が出て行ったのでは、もし三島鮎美さんが犯人でない場合、無用に心を傷つけることになります。よって、隣室に下がらせていただきます。但し……」
大岡警部が目配せすると、遠山刑事は鞄の中を探った。
中から出て来たのは、一見置き時計に見えるもの。
「こちらは外観は時計ですが、文字盤に小さな穴が空いてございます」遠山刑事が、指差しながら言った。「これが実はカメラになっておりまして。集音機も付いております」
大岡警部が、続けた。
「後日証拠として使える可能性もありますのでね。皆さんと鮎美さんがお話されるご様子を録画させていただきます。勿論、もし鮎美さんが逃走を図ろうとするなど、不測の事態が発生した場合には、隣室から直ちに駆けつけます」
「わかりました。よろしくお願いいたします」
校長が頭を下げる。
警部らが退出すると、残されたトキオ、カオル、春菜と校長は黙って顔を見合わせ、しばし沈黙を守った。
数分のち……。
ドアを静かにノックする音に、トキオは振り返った。
「どうぞ」
白川校長が短く言うと、ドアが開いた。
「失礼します」
入って来たのは、三島鮎美だった。
カオルと春菜が、同時に立ち上がる。
(いつもとは、別人みたいだな)
トキオは眼を瞠った。
分厚く塗っていた化粧と派手な口紅を落とし、髪を黒く染めている。
(善機が入院してるって伝えたから、地味にして来たんだな。余計に飾り立てないほうが、自然でいいじゃないか)
「善機君……」
短く叫ぶと、鮎美はベッドに駆け寄った。
バレンタインから今日で三日目になる。人工呼吸器こそ外しているが、善機は依然、眼を閉じたままだ。
鮎美の頬から血の気が引き、青白く変わって行く。
「まずは、座って」
校長が鮎美に、椅子を勧めた。
鮎美が黙って腰掛け、その周りにトキオ、カオルと春菜がそれぞれ座る。
「見ての通りよ。深田善機君はバレンタインで誰かから貰ったチョコレートを口にして、昏睡状態になってしまった。チョコに大量の睡眠薬が練り込まれていたんだ……。善機君は昨日が第一志望の王子大付属の入試だったんだけど、フイにしてしまったんだよ」
校長がゆっくりと言葉を選びながら、口火を切る。
「まさか……。そんなこと」
鮎美の頬が、ますます青くなる。
校長が鮎美に顔を近づけ、眼を覗き込んだ。
「十四日の朝。西校舎の前に取り付けてある防犯カメラには、善機君が来るより前の時間、映っていたのは鮎美さんしかいなかったの。で、あなたは周りの男の子達に言ったでしょ。『善機君にプレゼントするチョコを、手作りする』って」
「つまり私、疑われてるんですか」鮎美は、トキオを睨んだ。「善機君が入院してるって聞いたから、お見舞いの積もりで来たのに……。これじゃあ、まるで取り調べじゃないですか」
トキオは、顔の前で手を振った。
「いや。そんな積もりじゃない。僕はあなたを一ミリも疑ってないぞ。防犯カメラに映っていたから、何か事情を知ってるんじゃないかと思っただけだ」
校長が再び、鮎美の眼を覗き込んだ。
「一つだけ、確認したいの」
「一つだけ?」
「あなたは、手作りのチョコにこだわりがあった。それだけは確かよね」
鮎美は、黙って頷いた。
「あなたは一年のバレンタインの時、善機君にチョコをプレゼントした。クラス皆の前で。でも、善機君は『手作りのチョコ以外は受け取らない』って言って、突き返した。それが悔しくて、仕返ししようとしたんじゃないかしら」
「仕返しではありません」
「違うの?」
校長が再び、鮎美に顔を近づける。
「はい。一年の時、私は善機君にフラれました。けれど、それからもずっと……。今でも善機君が好きです。大好きです。一年の時、手作りのチョコじゃないと受け取らないって言われたからこそ、今年は絶対手作りのチョコをプレゼントしようと思い続けていたんです」
「なるほど」
鮎美は、声を高めた。
「手作りは私の気持ち。プライドなんです。これだけは間違いないです」
「わかったわ。何にせよ、あなたはチョコを手作りした。そして善機君の下駄箱にチョコを入れた。その事実は認めるわね」
「はい」
「残念だけど、あなたの気持ち。善機君には伝わらなかったみたいよ」
「えっ?」
春菜が、膝上に置いていた紙片を鮎美の眼前に翳した。〈有難や 雪をかほらす 南谷〉が記されたカードのコピーである。大岡警部が用意したものだ。
「善機君の受けとめは、あなたの気持ちとは裏腹だった。あなたの殺意を感じていたのよ」
「これ、何ですか? 全然、意味がわかりません」
「ダイイング・メッセージってやつよ」
「ダイイング・メッセージ?」
春菜は眼鏡越しに、鮎美を睨んだ。
「殺人事件なんかで、被害者が発見者に犯人の情報を伝えるために、暗号でメッセージを残す場合があるの。今回の場合善機君は死んではいないけど、チョコを食べてすぐものすごい眠気に襲われたから、死ぬかも知れないと感じた筈。この紙片は善機君が倒れていた時、手にしていたものの写しなの。つまり、善機君が犯人と見なした人物の名前が、書かれてるってワケ」
「ただの俳句じゃ、ないんですね」
「俳句って五、七、五でしょ。五、七、五のそれぞれ一番上の文字を繋げて読んでみて」
「『有難や』の『あ』……。『雪』の『ゆ』……。『南谷』の『み』……。あゆみ?」
「正解。『あゆみ』って、あなたの名前よね」
春菜は眼鏡を外した。
椅子に掛けてあるルイヴィトンのハンドバックに、手を入れる。
黄色い眼鏡拭きでレンズを手入れしながら、続けた。
「防犯カメラの映像……。善機君のダイイング・メッセージ……。何よりもあなた自身が、チョコを手作りして下駄箱に入れたって認めてること……。これだけ揃ったら、あなたはもう言い逃れ出来ないわ。さっさと認めちゃったほうが、楽になるわよ」
「そんな…。私」
鮎美は立ち上がり、絶句した。だらんと垂らした手が、震えはじめている。
「お待ちください」
黙して聞いていたカオルが、手を挙げた。
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