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弐ノ譚

闇ヲ抱ク手(中)

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「わざわざ新宿から来てくれたの?」
燎平の問いに絵里子という少女は頷いた。ちゃんと姿勢を正し手に持っていた鞄はソファの下に置いていた。できたばかりの紅茶を持って来て絵里子と燎平に差し出した。軽くお辞儀をした絵里子はティーカップを手に取って紅茶ををほんの一口だけ飲んだ。
「学校はどうしたんだい?今日は平日だが?」
どうやら燎平は彼女がセーラー服を着ているのに学校へ行っていないことを気にしていたみたい。絵里子は自分がしている格好に疑問を思っていた相談所の主に訳を話し始めた。
「今日はその、お休みを取ったんです」
「制服を着たままで?」
それと学校鞄も。
「親に学校休むなんて言ったら「体調悪くないのにズル休みしちゃダメ」って言われるので、学校へ行ったかのように見せかけて後に公衆電話で学校に連絡したんです。今日は体調不良でお休みにしますって」
友達の為にやったつもりだろうか姑息な手を使って嘘までついた少女に燎平は苦笑した。
「なかなかの考えだがズル休みと親や先生に嘘をついちゃいかんな」
注意された絵里子は「すみません・・・」と肩を縮まらせた。
「ズル休みかぁ」と思った一郎。かれこれ一度もズル休みをした事がないので、親や先生に嘘をついてまで休日を取るのってどんな気持ちなのか全く予想ができなかった。東都立日ノ守会談館は毎週日曜日だけ休業だがズル休みをしたくなるような概念は全然ない。例え、ズル休みとはいえ家や仕事とかでずっと燎平と一緒に過ごしているから嘘をついてまでズル休みをする余裕は一郎にはない。というか、ズル休みをする一郎なんて全く想像がつかない。
それはさておき、燎平は本題に移り今回の依頼を訊ねてみた。
堀田絵里子は新宿で両親と姉の三人で暮らしている女の子。しかし、ただごく普通の少女ではない。自身が住んでいる新宿の名門女子中学<一ツ星女学院中学校>の2年生なのだ。普通の家で普通の生活を送りながらもお嬢様学校に通う絵里子は同じ学校にいた友達を捜してほしくてこの東都立日ノ守会談館に来たという。その友達は半年前に突然新宿駅で姿を消し行方不明になったという。最初は新妻玲美子という少女が駅構内の女子トイレで消えたことから始まり他の四人の友達も姿を消したのだ。それを聞いた燎平と一郎は気づいた。昨日、新宿駅の駅長 斉田が話していた半年前に女子中学生が駅の女子トイレで消えたことから幽霊の手による人間消失事件が始まったと。最初に消えた少女は堀田の友達だったのだ。燎平は自分達が今受けている依頼の内容を絵里子に教えた。もちろん、幽霊の手のことも話した。
「つまり、新妻さん達はその幽霊の手に襲われて消えた・・・ということですか?」
あまりの偶然の一致に絵里子は信じられないぐらい驚きを隠せなかったと同時に動揺を見せる。燎平と一郎もまさか今回の件と彼女の話が繋がるとは思ってもみなかった。
「そういえば、確かに新宿駅で幽霊が出るという噂はちらほら聞いたことがあります」
幽霊の手の正体はもう既に解明している。半年前に5番線ホームで酔っぱらいの男が線路に落ち電車に轢かれたという事故があった。次々と人を襲い続ける幽霊の手は、電車に轢かれて死んだ哀れな酔っぱらい男の霊だと判明した─と思っていたがどうもまだ気になる部分が残っているので燎平の中ではまだ未解決のままだと推測している。
隣の席に座っている一郎は向かいのソファに座って難しそうな顔をしたまま紅茶を飲んでいる彼女に訊ねた。
「最初に行方不明になった新妻玲美子さんってどんな人だったんですか?」
助手の質問に彼女は新妻という少女について軽く教えた。
「綺麗な子です。うちの学校の中だと美人で気が強いところはあるけど友達はけっこういます。通っている学校が女子だけなので他の学校の男子生徒からけっこう告白されたとか」
どうやら新妻玲美子はさぞ美しく子で他校の男子生徒にすごい人気を持っているようようだ。一郎が見る美人は男を魅了させ惹きつける才能を持っている生き物だと思っている。依頼人である絵里子の見た目はまあまあ綺麗な普通の女の子でどことなく可愛さがあると思う。でも、一郎は女の魅力はあまり分からない。
「新妻さんは、優等生でありながらも友達付き合いが上手くて良い人なんです。私、友達として心配なんです。新妻さんもみんなもその幽霊の手に襲われたなら早く助けてほしいんです」
こちらから見れば絵里子はとても友達思いの優しい子だと伝わる。半年前から行方不明となっている友人達をどうしても助けて欲しい一心で燎平と一郎に願い出る。もちろん、一郎は彼女の願いを叶える為にも幽霊の手が攫った友達を含め被害を受けた人達を助けるつもりでいた。燎平は陰陽師。どんな凶悪な幽霊でも簡単に倒してくれる。買い被っているかのように聞こえるが一郎は養父の実力をめちゃめちゃ信じている。彼とこの相談所を立ち上げてから幾度となくたくさんの強敵と共に戦ってきた。一郎は陰陽術が使えないうえ魔力を持っていないごく普通の人間だが燎平のサポートならできる。もちろん燎平も彼女の友達も被害者も助けるつもりだ。それが仕事なのだから。
「もちろん。君のご期待に添えられるよう尽力は尽くすよ。君の友達は必ず俺達が救ってみせる」
そう伝えると絵里子は安心したかのように笑みがほころび「お願いします」と頭を下げた。


相談所を出た絵里子を見送り残ったのは二人だけとなった。
一郎はやる気に満ちた表情で隣にいるハンサム陰陽師に言う。
「リョーさん。絵里子さんを安心させる為にも今夜中、幽霊の手を退治しようね」
「ああ。でも、その前にもう少し調べたい事がある」
それを聞いた一郎は振り向いて
「なんで?もう謎は解明したんじゃないの?」
どうやら一郎はもう既に幽霊の手の正体が判明して事件は解決したんだと完全に思っていたのだ。でも、燎平が考えていることは一郎が思っている事とは全く違う。燎平は腕を組みながら自分の考えた全容を話す。
「俺も最初はこれで解決だと思った。でも、妙なんだ。あの幽霊の手が消えた時、五番線ホームから一瞬だけ気配を感じたので確かめに行ったのだがその気配は消えていた。普通、幽霊なら姿を消しても現場には微かな霊気が残っているはずなんだ。それが一瞬にして消えた」
燎平の考えに一郎は推理し始めた。
「確か、現場に霊気が残るのは一時間弱ぐらいだったよね?駅構内に潜んでいる幽霊の手が自ら気配を消したのかな?でも、遺体はあったんだよね?半年前に人身事故を起こした酔っ払いの男性が線路に落ちてお陀仏になった。そのお陀仏になった男性がこの世に未練が残っているから自縛霊となって人を襲った」
思考を巡らせる一郎に続いて燎平は気になるようなことを言い出した。
「それともう一つだけある。彼女のことだ」
一郎の頭の中に?マークが浮かんだ。
「堀田絵里子だ。俺達が幽霊の手の話をした時、少しだけ彼女の様子がおかしかった。何か知っていて、隠しているかのような」
そうだったけと一郎は脳内でさっきまでの時間を遡り振り返った。幽霊の手の話をした時の堀田絵里子が見せた様子。驚きと同時に動揺を見せる仕草をしていた。一瞬だが目を逸らしていたような気もした。
確かに。あの話をした時に堀田絵里子の様子はおかしかったと一郎は気づいた。
「一郎。お前は堀田さんが通う一ツ星女学院中学校へ行って彼女のことについて訊いてみてくれ」
「えっ?ぼくだけ?」
「学校での聞き込みは慣れているだろ?」
まぁ、確かにそうだ。一郎はいくつもの依頼で依頼主の学校へ足を運び聞き込みに行った経験がある。でも、苦手なのだ。苦手な理由は一つだけ。その学校にいる先生に何を言われるのかが心配なのだ。以前、学校の生徒に聞き込みをしていた時、先生が現れていろいろと問い詰められた記憶がある。二世界育ちの一世界人だなんて口が裂けても言えないし危ない橋を渡らないようになんとか言い訳して必死に回避している。一郎はまだ一度も学校へ行ったことがないので誤魔化すのに苦労するのだ。
「リョーさんが行ってよ~。先生にいろいろ訊かれるのはちょっと」
「お前は俺の助手だろ?それに俺は新宿駅へ行っていろいろと調べたいんだ。夕方頃には戻って来いよ」
息子の意見に耳を貸さず颯爽に決めつけてしまう燎平を相手に息子は不満そうな顔で頬を膨らませた。


放課後。一郎は堀田絵里子が通う一ツ星女学院中学校に来ていた。校舎は広くドンと構える立派な建物が目に映った。セーラー服姿の女子中学生が追い立てられた羊みたいに校舎からゾロゾロと出ていく。本当に女子ばかりで男子の姿は全く見えない。一学校には男女共学、男子専門、女子専門の三つがあると過去に聞いた事がある。ここは、女子専門学校。女子しかいない女子だけの為に造られた女子専用の学校。前に行ったことがある男女共学の学校とは違いたくさんの女学生がいてドキドキしていた。
先生に遭遇してしまうことを恐れながらも覚悟して一郎は校舎から出た女子学生に声をかけた。女学生達は一郎に声をかけられたことで反応した。一郎は、この学校に通う堀田絵里子はどういう人物なのか訊ねてみると偶然にも彼女達は絵里子と同じクラスの生徒だったのだ。
「堀田さんは、普通に明るい子だよね」
「うん。それに良い人だよね」
三人組の女学生がお互いを見合いながら頷く。
「うちらもよく堀田さんとは喋るしそんな悪い感じの人じゃないよ」
絵里子が悪い人ではないことは一郎も感じていた。でも、明るい子とは思えなかった。相談所に来た時は、思いつめるようなちょっと暗い感じの印象な子だった。彼女らが言う絵里子が明るい人だというのは少し違う気もする。
絵里子が今日ズル休みをしていることは一切言わず一郎は、自分を絵里子の友達と装い彼女達に話を聞いていた。
「ここ最近、堀田さんの様子が変わった事とかありませんでしたか?」
普段明るい彼女が突然落ち込むような様子を見せるということは何かしら理由があるはず。
「う~ん・・・。特に変わった様子はないよね?」
一人の女学生が友人に訊ね「うん。いつもと変わらないよね」「普通に友達と話したり授業を受けたりしてるしね」と頭に浮かぶ普段と変わらぬ絵里子について話し合う。学校や友達の前では元気に振る舞っているんじゃないのかと思った一郎は手を顎に当てる。自分が悩んでいるところを誰かに気づかれないようひた隠して何もないかのように誤魔化す。絵里子が燎平と一郎と話す時も何か隠していたに違いない。そこを睨んだ燎平は今、新宿駅へ行って調べているが。一郎はもう一つだけ三人組の女学生に訊ねた。
「もう一ついいですか?新妻怜美子という女学生をご存知ないでしょうか?堀田さんのお友達だと聞いたのですが・・・」
今度は新妻怜美子について訊きだした一郎。恐らく、新妻怜美子も幽霊の手に襲われ消息不明になったかもしれないが、まだ絵里子の友人だとしか聞いた事がない。彼女がどんな人なのかは絵里子から聞いたが念のため、彼女達の目線で新妻怜美子がどんな子に映ったのか聞くことにした。
一郎が新妻の名前を口にした時、三人組は彼女のことについて教えてくれた。
「確か新妻さんって他校の男子にけっこうモテていたっていう話し聞いたことあるよね」
「うん。うちらの学校の中では成績優秀だったみたいだしけっこう美人なのよね」
「あたしは去年、新妻さんと同じクラスにいたけど彼女、少し強情なところはあったけど友達の付き合い方に関しては全然悪くなかったけど。それに、新妻さんの家ってお金持ちなのよね」
ボンボンの娘さんだったのかと一郎は思った。絵里子の言うとおり、新妻怜美子はこの名門校で成績優秀の優等生なのは確かみたいだ。
「最近、新妻さんを見かけたことは?」
三人組は首を傾げた。
「見てないけど、半年前から休学中だっていう話は聞いたことがあるのよね」
休学。どうやら新妻怜美子はしばらくの休学扱いをされているようだ。ということは、この学校生徒達は彼女が半年前から消息不明になっていることは全く知らないみたい。きっと、教師達が学校中に悪い噂が広まらないよう新妻怜美子は〝休学中〟ということで生徒達に知らせたんだろう。一種の刷り込みのようなものだ。
「でも、新妻さんの他にも彼女と関わっている子も休学してるって聞くよね」
「新妻さんの他にもいるんですか?」
一人の女学生は頷く。つまり新妻怜美子と関わりがある学生も幽霊の手に襲われたのだろうか?
「そういえば、新妻さんが来なくなったのもあの噂が聞くようになったからね」
その言葉に二人は「そうだね」と頷いた。一郎はその噂のことを訊ねると女学生が教えてくれた。
「あなたも聞いたことあるでしょ?新宿駅で幽霊が出るっていう噂。新妻さんが休学で来なくなった時からそういう話しが出ているのよ」
「それに、うちらの学校内ではその幽霊は白鳥さんじゃないかっていう噂も」
白鳥?聞いたことがない名前だ。この学校に通う生徒かもしれないと思った一郎は彼女達が口にした「白鳥」という人物について訊こうとしたその時だ。「あなた達。そこで何やってるの?!」という厳しい声が聞こえた。声色からすると女性のようだ。三人組は一斉に振り向くと銀縁眼鏡でお団子頭の太った中年女性がこちらにやってきた。巨人みたいにズシンズシンと足音を鳴らして歩行するかのように眉間を寄せながらこちらに向かって来る。一郎は彼女を見てこの学校の先生だと一目で分かった。三人組は女教師を見て「堀田さんの友達と話してたんです」と言い逃げるかのように颯爽と立ち去った。一人取り残された一郎は「ちょっと待って」と言いかけた時には女教師がもう目と鼻の先に立っていた。これだから学校での聞き込みは嫌なんだ。


昼間の新宿駅はごった返すような勢いで駅構内を歩くたくさんの人間がいた。気が滅入るぐらいの人混みであまりにも忙しなかった。これから電車や蒸気機関車に乗って仕事やプライベートで出掛ける人がたくさんいる。
例の五番線ホームにはこれから乗車する人達がこちらに向かってくる電車を待っていた。昼間はさすがにあの幽霊の手は出てこないので今は束の間の平和が訪れている。
五番線ホームを使っている多数の人間がいる中、燎平は首に掛ける紐がないアンティークな懐中時計を手に持っていた。しかも、この懐中時計は誰もが知っている懐中時計とは少し違う。蓋が開かれ中には地図らしき図面が映っている。図面には新宿駅の五番線ホームが映っていて小さな矢印が顔を出している。リューズを軽く押すと小さな矢印から波動が流れ出した。この波動は霊の根源を探し出している合図なのだ。すると、小さな矢印が五番線ホームの図面から全く別の図面へと勝手に移動した。波動が霊の根源をキャッチしたのだ。移動した小さな矢印は別の所へ移動して知らない所で止まった。燎平は続いてリューズを回す。すると、大きかった図面が縮小され新宿駅周辺の地図が姿を現した。燎平が使っているこの懐中時計は、「霊源探索器」という霊の根源を探し出すアイテムだ。リューズから近辺付近の霊気をキャッチしその根源たるものの位置を教えてくれる。霊源探索器の矢印が示している場所はどうやら新宿駅から近い場所に根源らしき物があるらしい。燎平はその場所へ向かう為、五番線ホームを後にした。


一方、別行動をしている一郎はとある場所に来ていた。下町の一角にある建物。二階は瓦屋根、一階は木材屋根が立っていて壁はコンクリートでできている。四つある戸のうち三つだけは広告ポスターが貼られている。壁に繋がれている立て看板には<日朝新聞販売店>という文字が書かれていた。なぜ、一郎が新聞販売店にいるのか?それは、「白鳥 華(しらとり はな)」の情報を集める為だ。白鳥華。友達の安否を心配する絵里子と同じ一ツ星女学院中学校に通っていた女学生だったが半年前に消息不明になったらしい。その話を聞いたのは、ゴジラみたいに迫って来た中太り女教師から教えてもらったのだ。幸い、その女教師は一郎を堀田絵里子の友人だと思い込んでいたみたいで厄介事にならなくてよかったと安堵したものだ。女教師から見た白鳥華は大人しい子だったみたいだが、家庭内はあまり良くなかったらしい。一郎は彼女のことをもっと知りたくて詳しい話を聞いていると白鳥華は新聞販売店でアルバイトをしていたという話に辿り着いた。
一郎は日朝新聞販売店の店長 田中 進之介(たなか しんのすけ)に白鳥華という少女について話を聞いた。
田中はとても厳しそうな顔をしていて厳つそうな雰囲気はあるがそれは見た目だけ。本心はとても和やかで優しい人だった。
「ハナちゃんは9歳の時からアルバイト社員としてうちで働いていたよ。まだ幼いのにとても頑張り屋さんで一生懸命に朝刊や夕刊を配達してくれたものだよ」
作業中の社員がいる中、一郎はテーブルの上に置かれたお茶を飲みながら店長の話を耳に入れる。
田中は懸命に仕事を取り行う白鳥の面影を思い出していた。
「母親に捨てられ仕事ができない父親の為にも学校以外は友達と遊ばず仕事ばかりしていたよ。あの時は、戦争が終わり東京は復興しつつあったからな。うちの会社も空襲にやられ焼けてしまったが終戦後、建て直したことで今じゃ多くの社員を雇えるようになったよ。本当なら小さな子を雇うつもりはなかったけど、ハナちゃんの諦めの悪さに根負けしたもんだよ。ガッハッハ」
豪快に笑う田中。一郎はお茶を飲んだ湯呑を置いて笑っている彼にこう口に出す。
「白鳥さんが通っていた学校の先生から聞いた話では、彼女の家庭環境は酷かったと聞いたのですが田中さんはご存知でしたか?」
さっき会った女教師の話を聞いて今度は田中に訊ねると笑っていた彼の表情が急に変わってごつい腕を組んで難しい顔をして喋りだす。
「どうやら、そうらしいな。ハナちゃんはあんまり家族の話をしない子だったから俺も詳しくは知らなかったんだ。初めてハナちゃんの家庭内環境がかなり酷かったと聞いたのは、あの子が行方不明になった後だったからな」
女教師から聞いた七ヵ月前に白鳥が消息不明になったという話だ。
「その後聞いた話だが、あの子は父親に暴力を振るわれていたようだ。父親は就職もせず酒ばっか飲んで遊んでばかりの暮らしだったと聞いている」
話を聞いていると白鳥はとんでもなく劣悪な生活を送っていたみたいだ。母親に捨てられた挙句、実の父親に暴行を加えられながらもそれでも彼女は学校へ行き必死にアルバイトしてお金を稼いでいたに違いない。苦労を重ね友達と遊ぶ暇もなく自由な時間を潰してまで死ぬ物狂いで勉強と仕事を両立しながら生計を立てていたのだろう。
「その話、誰から聞いたんですか?」
「立川さんといってうちで新聞配達している社員だ。彼女は俺よりハナちゃんと交流していたみたいだが、呼んでやろうか?」
「この販売店に来てるんですか?」
田中は頷く。白鳥のもう一人の関係者がこの販売店にいる。店長の話だけでなく立川という人物からも白鳥華についていろいろ訊いておくのもいいだろうと思った一郎は「お願いします」と伝えた。田中は呼んでくるからここで待つよう言われ一郎は丸い椅子に座ったまま待機した。それから10分も経たない内に田中が戻って来た。彼の後ろには40代ぐらいの小柄な女性がいた。田中は連れて来た彼女を紹介した。
「待たせたね。彼女がハナちゃんと交流が深い立川さんだ」
田中と比べて背が低い立川は「こんにちは」と挨拶をする。一郎は席を立ち軽く会釈して「白鳥華の遠い親戚」という設定で自己紹介をした。お互い挨拶し終えると立川は店長の隣に座って白鳥華について語り出した。
「ハナちゃんは純粋で素直な子でした。口数が少ない子でしたが一日たりとも仕事を休まない頑張り屋さんでもあったんです。あの時は、あたしもハナちゃんの家庭状況が悪かったことは全く気づけませんでした」
白鳥華と一緒に仕事をしていた背景が脳に浮かぶ。
「いつも笑顔で挨拶をしたりする良い子だったんですけど、自分の生活上が悪いことを誰にも気づかれないよう元気に振る舞っていたんだと思います。普段のあの子は仕事熱心で人とはあまり喋らなかったけど、あたしは何度か休憩時間にあの子と話した事があるんです。ハナちゃんには繊細な所があってなかなか人と話すのは馴染めなかったみたいです。でも、少しずつお話をしている内に仲良くなって他の社員ともほとんどお話ができるようになったんです」
嬉しそうに笑みを浮かべる彼女から見れば白鳥と過ごした日々は良い思い出としてちゃんと記憶に残っていた。白鳥は純粋かつ頑張り屋なところはあるけど繊細で人と接するのが苦手な子だというのが分かった。白鳥が父親から暴行を受けていることは全く知らなかった立川は独りでいる彼女を見かけて少しでも仲良くなれるよう自ら声をかけたのだろう。彼女に話しかけられた時はきっと白鳥は嬉しかったと思う。学校ではいつも独りだったがここなら周りの人が大人でも気兼ねに話すことさえできる。特に立川と話すことが白鳥にとって唯一の楽しみだったのだろう。
「白鳥さんが父親に暴行されていたことを知ったのは、彼女が行方不明になった後日だと聞きましたが」
その言葉を聞いて浮かべていた笑みがスンと消え心苦しそうに話す。
「はい。あの日、一切仕事を休んだことがないハナちゃんが五日間も会社に来なかったんです。何の連絡も来なかったのであたし、ハナちゃんの家に行ってみたんです。行方不明になる前にあの子から教えてもらったんです」
立川は半年前に彼女の家へ行った光景を思い出していた。白鳥の家は仕事場から歩いて1時間の下町にある。みずぼらしい一軒家で壁は薄汚れていた。敷地に入って木製ドアをノックしようと思っていた矢先、彼女の家の近隣に住む住人が止めたのだ。そして、近隣住民から白鳥が行方不明になっていたこと、そして父親に暴行を受けていたことを初めて知って驚いた。そして、後から気づいた。家庭内についてあんまり話さなかったのは仕事仲間に心配かけまいと自分から何もないかのように振る舞い続けたんだと。きっと、自分の家庭事情を話す勇気が無かったのだろう。立川はそう話した。一郎は戦時中に両親を失い家庭内暴力とか家庭の事情とかはあまり知らないし詳しくないがこれだけは分かっているつもりだった。白鳥華は自分の幸せを手に入れる為に努力していたこと。暴力を奮う父親と別れて自分がやりたい事をやって生きる。自由になりたいから父親を養いながらも爪に火を点すぐらいの苦労をしてきたに違いない。一郎は被災の他にも苦しんでいる子がいるんだなと思った。
「そうなんですか。あの、白鳥さんはどのような学校生活を送っていたか知っていますか?」
そう訊ねられた立川は小首を傾げて過去の記憶を呼び起こそうとする。
「学校ですか?」
行方不明になる前の白が学校のことを話していたか思い出そうとする。立川は半年前の記憶を呼び起こしながら一郎に当時のことを話そうとする。
「ごめんなさい。あの子が学校生活をどう過ごしていたかは聞いたことはないです。あまり個人的な話はしない子でしたから」
「学校に友達がいるという話は聞いたことはありますか?」
そう訊ねられて立川は田中とお互いの顔を見合いながら話した。
「いいえ。店長は知っていますか?」
「いや。そんな話は聞いていないな」
どうやら二人は白鳥に友達がいるのかいないのか
「そうですか」
学校のことについて聞かれていない立川達に一郎はそれ以上質問することはしなかった。もし、友達がいたならその人から白鳥華のことを聞き出そうと思ったが白鳥と関係を持つ人がいなければ仕方がない。
それに、彼女が消息不明になったとされる半年前は新宿駅で初めて出現した幽霊の手が新妻玲美子を攫った日と重なっている。ただの偶然なのか考えすぎかだろうか、白鳥が消息不明になった原因はあの忌々しい幽霊の手の仕業なのであろうか?
「あの、白鳥さんが行方不明になった日はいつなのか教えてくれませんか?それと、彼女の家の場所も」


新宿駅の裏側にある路地。そこは昼夜問わず人通りがなくてあまりの静けさにしんみりするぐらい寂しさと薄暗さを感じる場所だった。
霊の根源を探し出す霊源探索機の反応はこの路地裏を示していた。やや細い一本道に建物の背中に挟まれている。そして、明かりを点けるような物は見かけず夜になればここは真っ暗になるはず。
燎平は霊源探索機を片手に持ちながら歩くが道は一本しかなくて真っ直ぐ進むぐらいしかできなかった。この路地裏は新宿駅から歩きで10分ぐらいにつける見つけにくい場所だった。人通る町から隠れているかのようで霊源探索機がなかったら見つけられなかった。なぜ、何の変哲もないただの薄汚れた路地裏に霊源探索機の矢印が示したのか全く分からない。すると、燎平は何か気づいたかのようにキョロキョロと周りを見た。微かだが何かの気配を感じたのだ。歩きながらその気配を探っていると燎平は地面を見下ろすとマンホールが目に映った。丸くて模様が描かれているマンホール。燎平はそのマンホールを見下ろしたまま動かなかった。


暗がりの町。静寂に包まれる外の空間。漆黒に染まる天空に満月が光を照らす。
誰もが寝静まる丑の刻は人一人もおらず広い闇の空間だけが残っていた。まるで嵐の前の静けさのように閑静が広がっていた。昼間とは全く違う別の顔を見せる新宿都内に妙な弱い風が吹かれている。
青く染まった月が放つ光はどこか冷たさを感じるような青々しい輝きが闇夜の世界を照射する。美しい青い月の下で燎平と一郎は都内の道中歩いていた。照明柱が二人が歩む道を明るくしてくれているとはいえ広がる闇夜が深くて照明柱の光なんて小さく見える。数時間前、燎平と一郎は別々行動で調査をしていた。
一郎は堀田絵里子に関する聞き込み、燎平は幽霊の手の調査をした。二人が待ち合わせ場所にしていた東都立日ノ守会談館に戻ったのは夕方になりかけていた頃だ。二人は調査して分かった互いの情報を交換した。
堀田絵里子の情報を探った一郎は、彼女が通う学校 一ツ星女学院中学校へ行ってクラスメイトから絵里子のことを訊き出した。絵里子は明るくて良い子だと女学生三人組が口を揃えて言っていたことを伝える。そして、消息不明の新妻怜美子とはどんな人物なのか、学校内では幽霊の白い手の正体は白鳥華じゃないかという噂が広まっているらしいと教えた。
白鳥華は七ヵ月前に消息不明になった女学生で父親に暴力を振るわれながらも日朝新聞販売店でアルバイトをしていたことも燎平に詳しく話した。一方、白い手の正体に関する調査をしていた燎平も収穫があったみたいで今回の依頼は達成したといってもいいと喋っていたがまだ一郎に白い手の幽霊の正体を教えていない。真実を知るにはまず、依頼人の斉田と絵里子を呼んで白い手の幽霊を退治してからだともったいぶるように言った。二人には深夜2時に新宿駅で待ち合わせるよう連絡してある。燎平と一郎は深夜の街中を歩くのは慣れている。依頼を受ける時にはしょっちゅう真夜中に出歩くことが多いので慣れてはいる。それに、丑の刻は最も妖怪や幽霊が出やすい時刻でもある。
連なる街灯の明かりに誘導されながら燎平と一郎は待ち合わせ場所の新宿駅へ目指す。白い手の幽霊の正体と真実が気になっている一郎は今すぐにでも聞きたいがここはグッと堪えて幽霊退治が終わってから真実を聞くことにした。人が誰もいない夜の世界で親子の会話が静寂と沈黙に包まれた空間を破る。
「駅は時折、霊が蔓延る場所でもある。主に人身事故や脱線事故に巻き込まれて死んでも駅に留まる霊が時々いたりする。大体は自縛霊が多いが」
「じゃあ、あの白い手の幽霊は自縛霊?」
「俺も最初はそう思った。自縛霊は自身が死んだ場所から離れず強力な負の力で生者を襲う」
「それと、自縛霊になると意識と記憶が混濁して自我を失い暴走するんだよね?」
燎平は頷き話を続ける。
「そうだ。だが、俺が見た〝根源〟は自縛霊とは少し違うことがわかった。水晶玉がそう教えてくれたんだ」
彼が言う水晶玉というのは事務所のデスク上に置いてあるやつのことだ。その水晶玉は占いで未来や過去の出来事を見通せる優れモノだ。
「一体、何を見たの?」
一郎は水晶玉に何が映ったのか気になり訊ねたが燎平は「後で分かる」としか教えてくれなかった。
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