妖魔大決戦

左藤 友大

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第一幕

麒麟獅子舞(二)

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太平洋の海は穏やかで静かだった。通る船はなくただ海のさざ波の音が聞こえるだけ。
そして、太平洋の海中は上から日差しの光が通り一面は澄みきった青色に染まっていた。もっと奥へ潜ると光が弱くなり辺りが暗くなりはじめた。
海中の奥は暗く何も見えない。それに、真っ暗闇で寂しい空気が漂う。海上から下がるとそこは、水圧が高く気温も低い海底へとつながっている。
何も見えなく暗い海底にはたくさんの深海魚が泳いでいた。そんな中、深海魚が泳いでいる海底に機械でできた生き物がいた。大怨霊 トコヤミ大神だ。トコヤミ大神は休んでいるかのように海底の中で動きもしなかった。

トコヤミ大神の中は、からくりの部品みたいな物が複雑に組み立てられていた。中はとても広くそして重苦しかった。中でも蒸気の音が聞こえる。
そんなトコヤミ大神の体の中で歩く一人の女がいた。女は細い道を通っていた。細い道の下には複雑に組み立てられた部品が見えた。女は細い道を通った後、広間に着きそこでコップを取り薄汚れた蛇口の蓋を回して水を注いだ。注ぎ終えると蛇口の蓋を閉めコップの淵に口を付けた。女は長髪でとても美しい姿をしていた。その美貌から怪しさと冷酷さを感じる。水を飲み終えた女はコップを置くと声が聞こえた。
「五月姫」
女はその声を聞いて反応し振り向いた。広間の奥にいるのは黒髪で全身白く染まった男がいた。男は足を組みながら広間の奥にある石の椅子に座っていた。女は白ずくめの男を見て跪いた。
「はい」
女は返事した。白ずくめの男は無表情で目の前で跪いている女に言った。
「これから貴様に我が軍の司令官に任命する」
白ずくめの男がそう言うと女の後ろからおぞましい気配を感じた。女が振り向くとそこには、黒い化物の集団がいた。
「これは・・・!」
「我が創り出した悪霊だ。しかし、まだ数は足りぬ故、数を増やしておきたいのだ。そこで、その悪霊共を率いて材料を用意して欲しい。」
「材料・・・。それは一体?」
「・・・・妖怪だ」
それを聞いた女は目を見開いた。
「では、私(わたくし)の後ろにいる悪霊達は・・・」
白ずくめの男は頷いた。
「そうだ。我が捕らえ悪霊にした妖怪共だ。だが、我が捕らえた妖怪はまだ少ない。人間共を始末するには、まずは日本全国の妖怪を捕らえ悪霊化させる事だ。我は悪霊を創り出す力を持っている。だが、悪霊を創るには実態がある物でなければできない。そこで、貴様が集めた妖怪をここに連れてくれれば、後は我の力で妖怪を悪霊にする。なに、妖怪を捕まえるなんて簡単な事だ。妖怪を集める方は貴様に任せるがいいか?」
話を聞いた女は白ずくめの男に必要されていると確信し喜んだ。こんな素晴らしい仕事を断るわけにはいかないと女は即座に承諾した。
「かしこまりました。人類を滅する黑緋神ノ命(こくひじんのみこと)様の為ならばこの滝夜叉姫。あなた様のご期待に応えるよう全力で務めさせていただきます」
「滝夜叉姫・・・?」
「はい。生前、復讐の為に私(わたくし)自ら作った名です」
黑緋神之命は笑った。
「貴様らしい名だな。我もそう呼んだ方がいいのかな?」
「いいえ。黑緋神之命(こくひじんのみこと)様はそのまま五月姫と呼んでください」
「そうか」
「ところで、妖怪狩りはいつ始めた方が宜しいでしょうか?」
「今夜だ。夜になったら悪霊共を連れて実行せよ」
「はっ!」
黑緋神ノ命と滝夜叉姫。この二人から底知れない力を持っているのが分かる。そして、人間を滅ぼすという執念が強く感じた。

              *

夕暮れ時、正輝は部活が終わり教室で体操着から制服に着替え克己と一緒に玄関口まで歩いた。正輝は克己と同じサッカー部に入っている。幼い声から正輝はサッカーが好きで小学生の頃もサッカー部に入っていたのだ。正輝が下駄箱に入っている学生靴を取り出すと克己が話し出した。
「そういえば、隣クラスの清水さん。今日も煌めいていて可愛かったな」
清水。バトミントン部に所属している女子の名前だ。サッカー部が使っているエリアの隣にはバトミントン部が使っていてそこから清水という少女がプレイしている所が見えるのだ。本名は、清水 由夏(しみず ゆか)。正輝と克己がいる3年A組の隣クラスの子で男子生徒達からマドンナと呼ばれるほど人気がある女子なのだ。清水由夏に憧れ好意を抱いている男子達の中に克己がいる。もちろん、清水由夏は女子からも人気で多くの女友達がいるのだ。
「お前、部活が終わるといつも清水さんを見たりしているもんな。」
正輝は学生靴を履きながら言った。
「マッキーはどうなんだよ?清水さんのこと」
克己に訊かれると正輝は答えた。
「どうって・・・。普通の女の子だよ」
それを聞いた克己は手を顔面に覆いながら顔を上げた。
「かぁ~~~っ!それだけかよ!」
克己は信じられないといった表情をしながら両手の指を動かした。
「もっと、あるだろ!可愛いとか美人とかキラキラしているとか爽やかとか!」
克己が清水由夏の話になると面倒くさくなる。正輝は面倒くさそうに言った。
「それは、かっちゃんが言いたいだけだろ?清水さんはどこにでもいる元気で明るい女の子だよ」
「お前ってやつは・・!お前だって好きな女一人ぐらいいるだろ?」
「いない」
即答した正輝に対し克己は何も言えなかった。すると、正輝は克己に向けて指を指した。
「お前が清水さんの事が好きになるのは勝手だけど、あんまり本人が気味悪がられるような事はするなよ。後でストーカーだと勘違いされて大変な目に遭うからな」
「す、ストーカーなんてしねぇよ!」
克己は自分がそこまで落ちぶれてはいないと否定した。
「まぁ、かっちゃんがストーカーをするようなバカじゃないから大丈夫だけどね」
正輝は鼻で笑った。
「嬉しいけど何だか腹が立つ言い方だな・・」
克己はまるで正輝にバカにされたかのような気がしてちょっとだけ腹が立った。正輝は不機嫌そうにこちらを見ている克己に正輝は彼の肩を軽く叩いた。
二人が学校の玄関に出ると正輝は駐輪場に置いてある自分の自転車を取りに行くと克己に伝えて後にした。正輝は自分の自転車を見つけ鍵を差してロックを解除し克己が待っている玄関口まで自転車を押しながら向かった。合流した二人は一緒に校門を出て途中まで一緒に帰った。
二人は帰り道を通りながら話していた。今日、学校で面白かった事やもうすぐ始まる夏休みの話とかで盛り上がっていた。
「そういえば、東京にいる元妹ちゃんとは今でも連絡取り合っているのか?」
妹。その言葉を聞いて正輝は頷いた。
「ああ。時々、連絡してるよ。母さんと父さん、爺ちゃんがいない時だけど・・・」
「確か、愛菜ちゃんだよな?今、幼稚園に通っているんだろ?」
「うん」
愛菜という女の子。実は、正輝の元妹なのだ。父親が知らない女性との交際がきっかけで母親の真理子は離婚し妹の愛菜を残して鳥取に来たのだ。本当は、愛菜も一緒に鳥取へ連れて行くはずだったのだが、父親がどうしても譲ってもらえず結果、正輝だけ真理子が引き取る事になってしまったのだ。今、愛菜は父親が交際していた女性と一緒に東京で暮らしている。東京を絶つ前に正輝は真理子に内緒で父親が交際していた女性に自分の連絡先を渡していたのだ。まだ2歳だった愛菜の事が忘れられなかったのだ。新しく愛菜の母親になった女性は正輝のお願いを聞いて許可してもらい今でも時折、愛菜と連絡している。この事を知っているのは正輝と愛菜、そして愛菜の新しい母親になった女性の三人だけ。真理子と元父親と祖父の有蔵は正輝と愛菜が連絡を取り合っている事を知らない。愛菜は今年で5歳になり来年には小学一年生になる。最初、妹の愛菜と別れると聞いた時は嫌だった。しかし、両親と裁判の決定で逆らう事はできなかった。今でも、まだ幼い愛菜に会いたいと思っている。二度ぐらい愛菜の新しい母親になった女性に妹を連れてこちらに遊びに来ないか誘ってみたが、離婚した元妻の子供を会わせないでくれと念押しされた為、電話だけで精一杯だと言われた。元父親は、少々厳しい人だったがとても優しかった。正輝がまだ幼かった頃は、父親にたくさん遊んでもらったり家族一緒にどこかへ連れてってくれたりしてくれた。元父親は今頃、正輝の事をどう思っているのかは分からないが、妹の愛菜だけは正輝の事を憶えている。愛菜の面倒を見ていたのは、正輝だったのだから。
「来年、小学生になるんだ」
「そっか。親父さんにも・・・・連絡はしてないか」
「うん。父さん、自分が決めた事は必ず守る主義だから。」
正輝は自転車を押しながら父親との思い出を振り返った。あの頃は、とても優しくてたくさん遊んでもらったのが嘘みたいだと思った。
しばらく二人一緒に歩いていると分かれ道が見えた。
「じゃ、また明日」
「うん。じゃあな」
正輝と克己は手を振った後、二人は別れて自分の家へと帰った。正輝は克己と別れた後、手押ししていた自分の自転車に乗り走り出した。夕方になっても外はまだ暑い。正輝はセミの鳴き声に包まれながらペダルを足で押しながら走った。田舎町の夕方は東京とは違って静かだった。東京だったら午後のチャイムが鳴るけど、ここ大山町にはチャイムは鳴らない。チャイムが鳴らないのは寂しいがこういった自然の景色に囲まれるのもいいものだ。それに、夜は祖父の有蔵も母親の真理子もいない。二人がいえにいないなら東京に住んでいる愛菜と電話するチャンスができた。愛菜と電話するのは、有蔵と真理子が留守でいない時だけ。学校から家までは最低でも20分かかる。それに、正輝の家は町から少し離れた所にある。引っ越してきたばかりの頃は有蔵が中学校から家まで迎えに来てくれた事があったが、今はもう道は覚え一人で登下校する事ができる。正輝は休まず自転車を漕ぎ続けた。それと、正輝にはまだ憶えている思い出がある。それは、正輝がまだ幼かった頃、まだ両親が離婚していなく愛菜が生まれていなかった時、里帰りとして今住んでいる有蔵の家へ遊びに行った時だ。その頃、母の実家には登美子という正輝の祖母がいた。祖母はまだ小さかった正輝にある話をしてくれた。それは、「妖怪」という生き物の話だ。この鳥取には妖怪がいるという話を何度も聞いていた。しかし、まだ小さかった正輝は今も変わらず妖怪なんている訳ないと思っていた。しかし、祖母は妖怪の姿が見えると言っていた。祖母は生まれつき人間の目には見えないモノが見えてしまう不思議な能力を持っていたという。祖母は拝み屋の子だったのだ。拝み屋というのは、人間の体に取りついた霊を払ったりまだ成仏していない霊を宥めてあの世へ送るなど幽霊に悩ませる人を助ける古い時代からあった職業だ。祖母は拝み屋の血を強く受け継いだせいか見えないモノが見えていたのだ。昔、祖母と二人きりで夜道を歩いていた時、後ろから誰かが付いて来る気配を感じた事がある。二人の後を歩いているのは・・・・名前は覚えていない。正輝がまだ小さかった頃だ。でも、祖母は祖父の有蔵と同じく正輝をとても可愛がっていた。そして、祖母は正輝が小学4年生の時に病気で亡くなった。祖母が亡くなった時はとても悲しかったし祖母の妖怪話が聞けない淋しさもあった。妖怪や幽霊なんて今でも信じてはいないが祖母の妖怪話や怪談はおもしろかった記憶はある。でも、今でも自分が不思議だなと思う事がある。ホラー系の映画は苦手だし妖怪や幽霊がいるなんて信じてはいないと自分では分かっているのに、なぜ祖母が話してくれた妖怪や怪談だけはそんなに怖くなかったのだろう。怖いとは逆におもしろかった記憶しかない。祖母の妖怪の話や怪談は怖くなかったのは、きっと祖母の話し方がうまかったに違いない。祖母はお話するのが上手だったから。
正輝は祖母の事を思い出しながらも足を止めず自転車を漕ぎ続けた。自転車を漕いでいるだけで正輝の額から汗が流れた。部活が終わった後、学校の水道で髪を濡らして顔を洗いスッキリしたのにこの暑さと自転車を漕いでいるせいでまた汗が出た。それに、半袖のワイシャツも汗で所々ベタベタになってきていた。これは、家に帰ったら夕飯を食べる前に風呂に入ろうと考えた。愛菜と電話するのは、夕飯の時にすればいい。今日は宿題がなしで本当にラッキーだ。正輝は愛菜と電話しながら夕飯を食べまだ途中でゲームの続きをやるという至福の一時を想像しながら自転車を走らせていた。

すっかり外は暗くなり夜になった。
風呂場の中は湯気が立っていた。風呂場の壁には窓があってそこから湯気を外へと逃がしていた。湯船の中にはシャワーで頭を濡らした正輝が浸かっていた。正輝は湯船のお湯で顔を半分にしてブクブクと泡を立てながら思い出していた。それは、克己が言っていた清水由夏の事だ。克己は清水由夏の事を可愛いと言いながらも中一の頃から一度も告った事はない。でも、清水由夏のどこがいいのか正輝はまだ分かっていない。でも、清水由夏は成績優秀で美人で友達思いの優しい子だという話は聞いた事があり正輝も知っている。でも、例え相手が美人でも普通の人とは変わりはない。しかも、中学校のマドンナなんて呼ばれているし。正輝は美人とか美女とかは全く興味を持たない。それに、克己を含めた男子生徒の中には彼女に声をかけようと必死になる人もいる。去年なんか清水由夏に告白した男子がいるという話を聞いた事はあったが、結局、本人にフラれたと聞く。その理由は、正輝が通っている中学校の中で気になっている男子がいるらしい。男子生徒達は自分だと自信持ちながら主張したりしていたが、その男子は誰なのかは今でも分からない。知っているのは、清水由夏本人だけだ。でも、正輝は清水由夏を夢中にさせている男子が誰なのかなんて一切、興味は持っていない。そもそも恋愛をした経験なんて全く無いし見た事あるのは、恋愛系のドラマぐらいしかない。東京にいた頃も好きな女の子なんて一人もいなかった。ただ、心配なのは清水由夏に憧れている克己がストーカーをしないかだ。でも、彼はストーカーをやるような人間には見えないし心配する必要はないと思う。

風呂から上がった正輝は冷蔵庫の中に入っている昨日の残り物である具材を取りレンジで温めてからテーブルの上に置いた。そして、夕飯の準備ができたらテレビを点けた。ちょうど、テレビの画面から移ったのは、バラエティ番組だった。テレビに映るバラエティ番組は笑いに包まれていた。正輝はふと思った。もし、両親が離婚なんてしなかったら、東京に住んでいた時みたいに一家団欒、楽しい時間を過ごしていたかもしれない。そう思うと今の生活が惨めになって寂しくなる。でも、祖父の有蔵がいる今の生活も悪くないし楽しい時はたくさんある。でも、このバラエティ番組から流れる笑い声や賑やかな声を聞くと東京に住んでいた時に過ごした家族の時間を思い出してしまう。でも、現実を受け止めなくちゃいけない。もう、過去には戻れないんだから。
正輝は自分のスマホのアドレスに入っている愛菜の新しい母親になった女性の電話番号をタッチしコールを鳴らした。
しばらくコールが鳴り続けるとスマホ越しから女性の声が聞こえた。
〈もしもし。正輝くん?〉
「こんばんは。香苗さん」

夜の東京はたくさんのビルから光が灯っていた。ビルの下には街の光が煌々としていて正輝が住んでいる大山町とは全く違う。夜になっても東京の街はとても明るい。
「久しぶりね。元気だった?」
香苗は椅子に座りながらスマホを片手に持ち電話していた。スマホから正輝の声が聞こえる。
〈はい。香苗さんもお元気そうで。父さん・・・旦那さんはまだ帰って来ていませんか?〉
香苗は微笑んでいた。
「ええ。まだ帰って来ていないわ」
すると、香苗の隣から愛菜が現れた。
「ママ。お兄ちゃんと電話してるの?」
「そうよ。」
香苗は正輝に愛菜に代わると言った。
「今、愛菜ちゃんに代わるね」
香苗は愛菜に自分のスマホを渡した。愛菜は香苗のスマホを持って耳に当てた。
「もしもし・・・」
久しぶりに兄貴と話すのでちょっとだけ緊張していた。でも、スマホから正輝の優しい声が聞こえる。
〈久しぶり愛菜。元気にしていたか?〉
愛菜はスマホを耳に当てながら頷いた。
「うん。元気だよ」
〈そっか〉
正輝は愛菜が元気だと知り安心した。

正輝はテーブルの上にあるおかずとご飯を食べながら話していた。もちろん、電話の通話音のスピーカーをオンにして。スピーカーをオンにしたので愛菜の声は家中響いた。
「何か変わった事とかなかった?」
スマホから愛菜が考えている声が聞こえた。
〈ないよ。あっ、でも、聞いてお兄ちゃん〉
愛菜の声が明るくなった。
〈まなね。前に新しいママと一緒にギョーザ作ったんだよ〉
「そうみたいだね。君のママからメールが着て見たよ。上手にできたんだね」
〈えへへ・・〉
愛菜の嬉しそうな声を聞くと正輝も何だか嬉しくなった。
〈それとそれと、パパが明後日、ディズニーランドへ連れてってくれるんだ〉
「へぇ~、いいね。羨ましいなぁ~」
ディズニーランドか。最後に行ったのは小学四年生の時だな。
「新しいママとの生活、楽しい?」
〈うん。楽しいよ。お兄ちゃんは?今、楽しい?〉
「もちろん。楽しいよ」
嘘だ。正輝は心の中で思った。
〈ねぇねぇ。お兄ちゃんも一緒にディズニーランドへ行こう。昔のママと一緒に〉
愛菜は自分の生みの親である真理子の事を憶えていた。愛菜がまだ2歳だった頃はもうすでに離婚していたのに。本当は久しぶりに愛菜と会いたい。でも、それは叶えられない願いでもあった。
「ごめん。無理だよ。僕のママと愛菜のパパはもう離婚・・・・お別れしちゃってお互い会わない事になっているから」

愛菜は落ち込んだ表情をしたまま黙った。愛菜が何も言わなくなると正輝も何も言えない状態になっていた。正輝だって父親はどうでもいいとして、愛菜に会いたい気持ちはある。でも、両親が決めたルールを破るわけにはいかない。それに、真理子を連れて行ったら父親と新しい母親である香苗を見て気まずい雰囲気になってしまう。夫婦喧嘩の時もそうだ。父が香苗さんと付き合っている事を真理子にバレてしまい大ごとになりピリピリした空気が張り詰め気まずさでろくにお話なんてできなかった。
もし、真理子を連れて離婚した元夫と会ってしまったらまさにトラブルが起こりそうで怖い。愛菜は、真理子の事はほとんどしか憶えていない。東京での生活では両親は共働きでほとんど家にはいなかったが正輝と一緒に過ごす時間はとても多かった。両親が離婚した後でも兄だった正輝に会いたい気持ちがあった。でも、愛菜の願いは叶わない。もう、会えなくなってしまったから。両親の離婚で離れ離れになってから三年。愛菜は大きく鳴り今は五歳で来年には小学校に入学する年頃になる。
「・・・・・・あたし、会いたい・・。昔のママじゃなくて、お兄ちゃんに・・・」
愛菜は正輝に会いたいという想いが強くて涙を流した。
「また、お兄ちゃんと一緒に遊びたい・・・・」

スマホの通話越しから愛菜の涙ぐむ声が聞こえて正輝は辛くなった。愛菜が兄の正輝に恋しがっているのが分かる。愛菜が生まれた時から可愛がってきたのだ。正輝だって可愛い妹である愛菜に会いたい。でも、住んでいる場所がとても離れているからそう簡単には会えない。正輝は泣いている愛菜に慰めた。
「愛菜。会いたいという気持ちはよく分かる。兄ちゃんだって愛菜に会いたいさ」
その後の言葉が見つからない。時々の連絡で愛菜に分かってもらえるよう「仕方がないよ」と言い続けた。今回もまた「仕方がないよ」と言ったら、それしか言えない自分が惨めになる。何とか愛菜を元気づけようと考えたが何を言えばいいのか分からなかった。すると、頭の中から何かの言葉が過った。その過った言葉を思い出し話題を変えた。
「そ、そういえば愛菜。今年も目黒の花火大会を観に行くのかい?」
愛菜は鼻水を啜った音を立てた後、言った。
〈うん・・・。行くよ〉
正輝は明るい表情で言った。
「そっか。そりゃ楽しみだな」
〈お兄ちゃんの方は?〉
「兄ちゃんの方は、明後日、麒麟獅子舞があるんだ」
〈キリンシシマイって去年、ママのケータイに送った写真の?〉
「そう。今年も神社で麒麟獅子舞のお祭りがあるから行くんだ」
すると、愛菜の声が一瞬聞こえなくなった。
「愛菜?」
正輝は何も言ってこない愛菜が心配になった。
〈・・・・あたし、あのお祭り嫌だな・・・〉
「えっ?」
正輝は眉を上げた。
〈だって、あのキリンシシの顔と真っ赤っかの人、怖いもん・・・〉
真っ赤っかな人。それを聞いて正輝は理解し笑った。
「あれか。まぁ、愛菜から見れば怖いとう気持ちは分かるな」
〈お兄ちゃんは、怖くないの?〉
正輝は自信に満ちた声を出した。
「全然怖くないよ。兄ちゃんがまだ愛菜ぐらいの子供だった時から夏休みに爺ちゃん家へ行って何度か麒麟獅子舞を見た事があるから。幻想的でけっこういいよ」
麒麟獅子舞になると必ず愛菜ぐらいの小さな子供は麒麟獅子と真っ赤な人が怖くて泣く子が多いのは確かだ。
〈ふ~ん〉
正輝は箸を動かして夕飯を食べながら微笑んだ。
「でも、初めて麒麟獅子と真っ赤な人を見た時は怖くて大泣きしたんだよ」
すると、電話越しから〈そうなの?〉と愛菜の驚く声が聞こえた。
「そうだよ。メッチャ泣いたんだから」
電話越しから愛菜の笑い声が聞こえる。愛菜の笑い声を聞くと正輝は微笑ましくなった。

愛菜が笑っていると香苗に声をかけられた。
「愛菜。そろそろお終いしなさい」
「は~い」
愛菜はスマホに耳を当てながら返事した。

〈お兄ちゃん。もう電話切るね〉
「うん」
正輝は頷いた。
「愛菜」
〈なぁに?〉
「頑張れよ」
その言葉に愛菜の声は止まった。正輝は自分がいなくても頑張って欲しいと思い言ったのだ。愛菜は強い子だと正輝は信じていた。
〈うん〉
愛菜の返事を聞いて正輝は笑みを浮かべた。
「後、香苗さん、新しいママの言う事をちゃんと聞くんだぞ」
〈うん〉
愛菜は返事した。
「じゃあ、また電話するね。お休み」
正輝は通話を切ろうとした瞬間、愛菜が声をかけてきた。
〈お兄ちゃん〉
正輝は手を止めた。
〈お兄ちゃんも頑張ってね〉
それを聞き正輝は感無量になった。
「おう」
そう返事し愛菜と通話を切った。通話を切った後、正輝は愛菜の顔を思い出し涙が出そうになった。
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