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嵐の夜

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 それは嵐の夜だった。
 何かが起きていた。いつもとは違う騒がしい音。誰かが叫ぶ声。必死にすがる者たちの声は、いつもリンデに向けられる人々の声よりもずっと悲壮で、そして悲鳴に近かった。
 何かの気配が近づいてくることがわかった。
 鍵のかかった、暗くてベッドしかない部屋では、リンデにできることは何もない。。ただ、じっと何かが起きるのを待つのみだ。
 ガンッ! と扉を蹴る音がした。
 ガン! ガン!っと扉の鍵を壊す音がした。
 扉が開く。開いてしまう。この部屋へ閉じ込められた長い夜に抱かれて13年。初めて夜に扉が開かれた。
 光が、部屋に一筋の線をひいた。

「これは、どういうことだ」

 低い声がした。気づけば扉の前に大きな黒い影が立っていた。不思議と怖くはない。手に何か長い棒のようなものを持っていて、それから水が滴っている。水、のように見えたが、違うことはすぐにわかった。それは粘り気をもっていて、赤く、黒く、鉄の臭いがした。

「お前は、だれだ」

 黒い影が問いかけてくる。
 リンデは立ち上がって影を見据えた。
 今、なんと答えれば良いのか、リンデにはわからない。でも真実を告げる必要がある気がした。

「わたしは……」

 ――私は、聖女じゃない。

「私は、偽りの聖女」

 答えは簡略的に伝えられた。
 黒い影が何か混乱した様子でリンデを見ている。

「聖女? 偽りとは、どういうことだ」
「お頭! 金目のものはすべて奪いましたよ。もう逃げましょう」
「まて! 今、それどころじゃない」

 お頭、と呼ばれていた黒い影が何者かリンデはわからなかった。

「聖女なのか? そうではないのか?」
「聖女、と呼ばれ、てる。でも、その力はないの」

 ”彼”のようにたどたどしい言葉になってしまったが、伝えなければいけない。これはそういう場面だと思った。
 もしかしたら自分は殺されてしまうのかもしれない。あの黒い棒につかれて、血を流して死ぬのかもしれない。
 それでもいいから、どうにか伝えなければいけない気がした。

「だが、この国では聖女の奇跡を見てきたぞ。俺は」

 その言葉に、リンデはすかさず隣の部屋を指さした。

「弟、いる。彼が力を持ってる。彼を助けてほしい」

 実際のところ”彼”が弟か兄か、そもそも血が繋がっているのかどうかすら、事実はよくわからない。ただ、それを伝えて、”彼”を助けてほしかった。
 けれど。

「それなら、死んだ」
「え……」

 愕然とする。どういうことだろう。
 それはつまり。

「ころ、した?」
「違う。自分で死んだ。自分で喉を裂いた。聖女が死んだといったらそうなった」
「聖女は生きてた! 彼にとっての聖女は、私は生きてる!」

 リンデは男に詰め寄った。近づけばひどい血の臭いがした。
 黒い男は全身が本当に黒くて、しかし返り血で赤く染まってもいた。その服を、届く限りの限界の高さにある服をつかむ。

「あたしが生きてる! のに、死んだなんていったのか!」
「教会の連中が、聖女は死んだと言ったんだよ……だからてっきり……お前、本当に聖女なのか? いや、聖女の身代わり? ああ、くそ、混乱してきたぞ」

 リンデも混乱していた。
 呆然とするリンデ。何を思ったのか、男が唐突にリンデを抱き上げた。抵抗しようとするが、予想外に高い位置にいることに気づいて、落ちることが恐ろしくなる。
 離せと思いながら、ぎゅっと服を握れば、男が笑うのがわかった。
 表情が初めて見える。金色の目がリンデを見ていた。

「たしかに、銀の髪、紫の瞳、人形みたいなツラ。本物っぽいな。言われてみれば、隣にいたガキも同じ色だった。男だったからわからなかった」
「お、おろして」
「下ろしてどうする? お前、どうしたい?」

 話しながら連れて行かれたのは、隣の部屋だった。そこで降ろされる。扉のそばに、倒れている姿があった。

「私と同じ、色…………この子が、彼?」
「なんだ。あったことないのか」
「声、しか聞いたことない。姿は話に聞いただけで…………」

 血だまりができていた。瞳を見るために、うつ伏せの体をひっくり返そうとしたが、男にとめられる。

「やめとけ。みて気持ちのいいものじゃない」

 それはそうだろうと、リンデは妙に冷静な頭で思った。もしかしたら、ひどく混乱していて、むしろそれで頭が冴えている気がしているのかもしれなかったが、なんにせよ、リンデにはもう何もできることはなかった。

「あなたは、ダァレ?」
「盗賊」

 端的に答えが帰ってくる。

「この国は終わるな」

 聖女の力を持つ者が死んだのだ。そうだろう。

「次の聖女が現れれば、大丈夫」
「現れるかな。もう何十年もいなかったんだぞ」

 それは、保証できないことだとリンデは思った。なによりこれから先、この教会を立て直したとして、そうなった時、リンデ自身がどうなるのか、それがわからなかった。
 リンデはしばらく”弟”の亡骸の前にいたが、ゆっくりと動いて、男の服を掴んだ。今度は脚のどこかだったが、どこを掴んでいるのかはよくわからなかった。それくらい放心していたのだろう。

「ここに残ったら、偽りの聖女だってばれてしまう」
「そうだろうな」
「教会、は、そうなる前に、私、を殺す」
「そうか」

「私も、死んだ方がいい?」

 誰かに答えてほしかったのか、リンデはそう尋ねるようにつぶやいた。
 しかし同時に誰かが答えてくれることを望んではいなかった。”弟”の亡骸のそばにある血に濡れたナイフを手に取ろうと手を伸ばす。
 それで、同じように首を裂いてしまえばいいのだ。そうすれば何もかわらないこの広い世界に置き去りにされることも、教会の手の者に殺される恐怖も味合わなくていいのだから。
 そう思うリンデの手を、そっと盗賊の男が止めた。
 そして再び抱きかかえられる。

「死んだ方がいいかどうかは知らんが、死にたいのか?」
「…………」

 男の金の目を見た。答えなどわからなかったリンデだが、男は何かを悟ったようだった。

「お頭…………それ、どうするんです?」

 部下らしき男が、盗賊の男に尋ねる。
 男はにやりとわらって答えた。

「俺の娘にする」

 リンデは呆然とその言葉を聞いていた。

「ほら、弟と最後のお別れだ」

 言いながら男は歩いていってしまう。だから必死に遠ざかる”弟”の亡骸を見る。
 どんどんと小さくなっていくそれを眺めても、すでにリンデは悲しくはなかった。
 凪いだ心は、この男についていく未来をすでに得ていて、それを拒絶する気持ちもなかった。
 リンデは、”弟”が見えなくなるまで、じっと抱きかかえられたまま、後ろを見続けた。





 国は滅んだ。
 教会が滅び、聖女が死に、魔物が押し寄せた。
 一方で、ある地方では聖女によく似た少女が度々目撃された。少女は白銀の髪をなびかせ、全身黒ずくめの男のそばに常に付き従い、まるで親子のようであったという。
 
 いずれ、あらたな聖女が生まれるだろう。だがそれは、少なくとも、その少女が老いて死ぬまでは現れることはなかった。

 


 

 

 
 
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