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1 公爵令嬢ルーラ
しおりを挟む「どうしてお前のような女がグレン殿下の婚約者なの!?」
癇癪のような叫び声に、舞踏会は一瞬で静寂に包まれた。
城の中の絢爛豪華なホールにはまだダンスの音楽は流れていない。始まる前の談笑の時間に起きた騒ぎは人々の目を一気に集めるに至った。
多くの者の視線を集めているのは、ストロベリーブロンドを背に流した可愛らしい少女だ。ドレスは淡いピンク色で、胸元はそのふっくらとした胸を強調するように大きくくり抜かれている。スカート部分には白いビーズが連なった飾りがふんだんに使われ、髪にも同じビーズをあしらった飾りがあった。
その美しい少女は肩をいからせて、荒い息を吸って吐いてと繰り返している。
一方少女の怒りの篭った視線を正面から受けているのは、金色の髪を複雑に結い上げた、青いドレスの少女だった。美しく細かい刺繍の入ったドレスは気品があり、少女の美しさを際立たせる。
少女は、ピンクのドレスの少女と同じく美しいと称されるような美貌を、困惑した様子で歪めていた。
「レティシア王女殿下、失礼を承知で申し上げますが、わたくしと殿下の婚約はまだ確定したことではございません。それを証拠に――」
「うるさいわね! お前が婚約者だってみんな言ってるわ! この舞踏会だけじゃなく、城の使用人たちも、わたくしと会った貴族たちもみんな言ってるのよ!」
ピンクドレスの少女、レティシアの叫びは金切り声に近く、耳に痛いほどだった。
もちろんそれに対するわかりやすい反応を顔に乗せる者は少ない。
ここは社交界。そしてレティシアは他国の王女にあたる。いくら小国の王女とは言えど他国の王族に無礼を働いて、目をつけられては敵わないからだ。
とは言うものの、人々の視線は青いドレスの少女に対する同情に染まっていた。
アスバスト王国の筆頭貴族、ハードヴァード公爵家の長女にして、王子グレンの婚約者候補筆頭、ルーラ・ハードヴァード。
その穏やかで慈悲深い気質は王国の人々に愛され、貴族からだけでなく、平民からの人望もあつい人物だ。その少女が今他国の王女に詰め寄られている。それも国の今後を左右しかねない重要な案件に関わることで。
どれだけルーラが緊張しているか、周囲の者は手に取るようにわかって、憐れみをもって様子を見ていた。
ルーラは静かに頭を下げた。
「大変失礼いたしました。つい先日まではわたくしがグレン殿下の婚約者と目されていたことは間違いございません」
「やっぱりそうじゃない!」
「ですが、あくまでもそれは候補筆頭であったというだけにございます。早まった考えで軽率なことを申し上げた者がおりましたこと、わたくしより謝罪いたします」
ルーラは丁寧に謝罪をしたが、レティシアはそれすらも頭にくるとでも言うように、顔を怒りに染める。
「お前が候補者筆頭!? わたくしが! わたくしが殿下と婚約するのよ!」
「貴国エルマル王国と我が国アスバストの間での対談がうまくいきましたら、そのように」
隣国同士でありながら山脈によって交友を妨げられていた西のアスバスト王国と東のエルマル王国とで、現在通商のための対談が行われていた。大昔だが、両国間で戦争が起きたこともあり、その仲は良いとは言えない。それが原因なのかルーラは詳しく知らないが、対談は随分と長引いている。
レティシアは、その使節団と共にやってきたエルマル王国の王女であった。
当然、王族ではないルーラは彼女に頭を下げるべき立場にある。とはいえ王女がいなければルーラが王族以外に頭を下げるようなことはないのだから、周囲の者からすればあまり見ない光景を見せられていると言えた。
ルーラは瞼を伏せ、レティシアの怒りが収まるのを待っている。レティシアはといえば、怒りが冷めることはないが、何を言っても流されてしまうのだから、だんだんときまりが悪くなりつつもあった。
「わかっているなら、いいのよ」
吐き捨てるように言って、レティシアは踵をかえす。そしてそのまま会場を出て行った。おそらく休憩室に向かったのだろうと考えて、ようやくルーラは詰めていた息を吐き出した。
思ったよりは緊張していたらしい。
この舞踏会は対談の間に行われた交流会をかねていたので、ルーラは薄々接触があるだろうと思っていた。しかしまさか開口一番で「お前のような女」と呼ばれるとは思いも寄らなかった。
「ルーラ様。その、驚きましたね」
声をかけてきたのは伯爵家の令嬢だ。
「ええ、でもなんとかお怒りを鎮めてくださってよかったわ」
ルーラがそう言えば、周囲に集まってきた令嬢たちは、一様に「そうだろうか」という顔をした。ルーラは苦笑を返すしかない。ルーラとて口ではそう言ったが、レティシアの怒りが収まったとは思っていない。
まさかエルマル王国の者がみんなあのような者であるとは思いたくない。
対談がうまくいけば、国同士の交流が盛んになり、多くの物資が行き来し、そして大陸における人の流れも大きく変わるだろう。両国共にそれは望むところでる。
ただ、それで治安でも悪くなるのではと懸念したくなるほどには、レティシアの態度はルーラを不安にさせていた。
しかし、ルーラが複雑な心境になっているのは別の理由だ。
――うまくいけば、あの方がグレン様の婚約者になる……。
対談の成立は、同時にアスバスト王国の王子、グレンとレティシアの婚約が成立することを意味していた。つまりそれは、長らく王子の婚約者候補として名を挙げられてきたルーラが、その立場を失うということだ。
政治的に失うことについては、父に申し訳ないと思うばかりだが、ルーラとしてはそれほど大きな痛手ではない。だが……。
――殿下と結婚するのは私だと、私自身疑ってこなかったんだわ。
だから、こんなにも辛いのだ。
ルーラは幼いころから、グレンに恋していた。
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