23 / 28
番外編
番外編「あなたの奥さんと私2」
しおりを挟む「おい、あぶねえぞ!」とぶつかった男が大きな声を上げた。
「ご、ごめんなさい」
「ちょっと、そんな言い方はないでしょう?」
声を上げたのは、ジルベルタだった。エルゼは驚いて思わずジルベルタを見る。彼女は一瞬エルゼをみて、しかしすぐに視線を男に移した。
強い口調で、ジルベルタが男を責める。
「狭い道だから、お互い様ってどうして言えないのかしら」
「なんだ――」
男は一瞬言いかえそうとして、しかしすぐにジルベルタの顔を見て硬直した。見れば、顔を赤くしている。彼女の美しさは通行人すら魅了するのだと、エルゼは理解した。男は視線をジルベルタから離すことができないという顔で、ジルベルタを凝視している。
一方のジルベルタはすでに男への興味を失ったらしかった。
「大丈夫?」
ジルベルタが覗き込むようにエルゼを見る。
コクコクと頷きながら、エルゼはジルベルタが自分の顔をしらないということに気づいた。
――そう、よね、彼女は有名人だけど、私はちがうもの。
卑屈になる。
それでも知られていなかったことに安心して、エルゼは肩の力をわずかに抜いた。
「あ、ありがとうございます。すみません、ぶつかって」
「いいのよ。ごめんなさいね、道を邪魔して」
「え、いえ、店に用があったんですよね。それなら仕方ないというか」
「ありがとう」
そう言って笑ったジルベルタがふと思い出したように「ああそうだ」と声を上げた。
不思議に思って首をかしげるエルゼに、ジルベルタは片手で抱えていた紙袋から果物を取り出した。
「もも?」
「ええ、たくさん貰ってしまって困っていたの。もしよかったらいくつかどう?」
「――え?」
「遠慮しないで。家の人が桃好きじゃなくて」
――遠慮してるわけじゃ……。
エルゼの困惑を無視して、彼女は桃をエルゼに押し付けるように渡した。
思わず受け取って、エルゼはどうしたらいいかわからずジルベルタと桃を見つめる。
「あの、もらう理由が……」
「そう? 私が道を遮っていたせいで、あの男性にぶつかってしまったのだもの。怪我は、ないようだけど、お詫びに」
ジルベルタはにこにこと笑う。断ることもできなさそうだったし、おいしそうな桃だったので、エルゼは結局それを受け取ることにした。
――変だけど、明るくて、優しい人。
――私とは、正反対。
エルゼの胸には罪悪感ばかりが押し寄せてくる。それがつらくて、ジルベルタの顔を見ないように視線を下げた。
きれいな美しい靴が目に入る。それから自分の汚れた靴が。
ふと、エルゼの中に黒い感情が浮かんだ。ジルベルタに対する嫉妬。リベルトが愛していた彼女を傷つけたいという暗く冷たい感情だった。
エルゼは笑みを浮かべた。それから不安げな表情をわざと作る。
「あ、あの、もしかして、ジルベルタ様ですか?」
エルゼは淀んだ気持ちを抱えたまま、尋ねた。
「え?」
「あ、あの、社交界で一度、遠くからですが、お姿を見たことがありまして」
「あら、そうなの? 最近は社交界に出てないし、結構前のかしら」
「はい。ご結婚される前に……あ、ごめんなさい」
浮気されて離婚したんでしたね。そんな意味合いを込めて謝罪する。
途端にジルベルタの表情が曇った。
その顔に留飲が下がるようで、内心ほくそ笑む。じわじわとした気持ち悪さは今もあるのに、それに勝る快感だった。
さて、なんと答えるだろうか。彼の悪口でも言うだろうか。それともエルゼの悪口か。きっと性悪なことを言うだろう。そう思って様子をうかがうエルゼに向かって、ジルベルタは苦笑して見せた。
「もう、やっぱり噂になってるのね。本当のことだけど。気にしないで。もう私も気にしてないの」
――気にしてない?
エルゼは眉をひそめる。
それをどう受け止めたのか、ジルベルタはエルゼを道の端に来るように促してから、そっと壁に背中を預けた。
青いドレスが汚れてしまう。そんなことを一瞬エルゼは考える。
「もう怒ってないんだけど、周りの人は怒ってくれるのよね」
それは愛されているということだろう。そんなことがまたうらやましい。
「侯爵のこと、怒ってないんですか?」
「ええ。全然ってわけじゃないけど。怒っても仕様がないしね」
「それじゃあ、浮気相手のことは?」
そこまで言って、さすがに口を閉じる。失礼なことを聞いているし、それに。自分のことをどう思っているのか、こっそり確認しようとするのは恥ずかしいことのような気がした。
――懺悔してるみたいじゃない。これじゃあ。
みっともなくて、吐き気がする。
予想外の質問だったのか、ジルベルタは驚いて、うつむくエルゼを凝視していたが、やがて再び苦笑した。
「それは初めて聞かれたけど……そうね。怒ってないわ。むしろ――」
「むしろ?」
「うん。むしろ、彼とその人がうまくいけばなって思ってるかも」
「――え?」
エルゼは驚いて顔を上げる。ジルベルタと目があった。
「彼と一緒になるつもりなのだとしたら、むしろ心配だわ。彼、ちょっと変わってるし……。でもね、彼に情がないわけではないし、不幸になってほしいわけでもないの。だからもし二人が愛し合ってるなら、お互い支えていければいいんじゃないかなって」
私にはできなかったし。と続けて、ジルベルタははにかんだ。
エルゼは茫然としながら、ジルベルタの言葉を頭の中で何度も反芻した。
喉がかわく。
予想とは真逆の答えだった。
――私、同じこと言えるかしら。いいえ、無理よ。きっと怒って、泣いて、罵って……。
「支えるって難しいわ。でもその人はできると思うの、彼、一緒にいると安心するんですって」
ジルベルタは言った。
3
お気に入りに追加
1,699
あなたにおすすめの小説
命を狙われたお飾り妃の最後の願い
幌あきら
恋愛
【異世界恋愛・ざまぁ系・ハピエン】
重要な式典の真っ最中、いきなりシャンデリアが落ちた――。狙われたのは王妃イベリナ。
イベリナ妃の命を狙ったのは、国王の愛人ジャスミンだった。
短め連載・完結まで予約済みです。設定ゆるいです。
『ベビ待ち』の女性の心情がでてきます。『逆マタハラ』などの表現もあります。苦手な方はお控えください、すみません。
【完結】私が王太子殿下のお茶会に誘われたからって、今更あわてても遅いんだからね
江崎美彩
恋愛
王太子殿下の婚約者候補を探すために開かれていると噂されるお茶会に招待された、伯爵令嬢のミンディ・ハーミング。
幼馴染のブライアンが好きなのに、当のブライアンは「ミンディみたいなじゃじゃ馬がお茶会に出ても恥をかくだけだ」なんて揶揄うばかり。
「私が王太子殿下のお茶会に誘われたからって、今更あわてても遅いんだからね! 王太子殿下に見染められても知らないんだから!」
ミンディはブライアンに告げ、お茶会に向かう……
〜登場人物〜
ミンディ・ハーミング
元気が取り柄の伯爵令嬢。
幼馴染のブライアンに揶揄われてばかりだが、ブライアンが自分にだけ向けるクシャクシャな笑顔が大好き。
ブライアン・ケイリー
ミンディの幼馴染の伯爵家嫡男。
天邪鬼な性格で、ミンディの事を揶揄ってばかりいる。
ベリンダ・ケイリー
ブライアンの年子の妹。
ミンディとブライアンの良き理解者。
王太子殿下
婚約者が決まらない事に対して色々な噂を立てられている。
『小説家になろう』にも投稿しています
君のためだと言われても、少しも嬉しくありません
みみぢあん
恋愛
子爵家の令嬢マリオンの婚約者、アルフレッド卿が王族の護衛で隣国へ行くが、任期がながびき帰国できなくなり婚約を解消することになった。 すぐにノエル卿と2度目の婚約が決まったが、結婚を目前にして家庭の事情で2人は…… 暗い流れがつづきます。 ざまぁでスカッ… とされたい方には不向きのお話です。ご注意を😓
契約結婚の終わりの花が咲きます、旦那様
日室千種・ちぐ
恋愛
エブリスタ新星ファンタジーコンテストで佳作をいただいた作品を、講評を参考に全体的に手直ししました。
春を告げるラクサの花が咲いたら、この契約結婚は終わり。
夫は他の女性を追いかけて家に帰らない。私はそれに傷つきながらも、夫の弱みにつけ込んで結婚した罪悪感から、なかば諦めていた。体を弱らせながらも、寄り添ってくれる老医師に夫への想いを語り聞かせて、前を向こうとしていたのに。繰り返す女の悪夢に少しずつ壊れた私は、ついにある時、ラクサの花を咲かせてしまう――。
真実とは。老医師の決断とは。
愛する人に別れを告げられることを恐れる妻と、妻を愛していたのに契約結婚を申し出てしまった夫。悪しき魔女に掻き回された夫婦が絆を見つめ直すお話。
全十二話。完結しています。
わたしは夫のことを、愛していないのかもしれない
鈴宮(すずみや)
恋愛
孤児院出身のアルマは、一年前、幼馴染のヴェルナーと夫婦になった。明るくて優しいヴェルナーは、日々アルマに愛を囁き、彼女のことをとても大事にしている。
しかしアルマは、ある日を境に、ヴェルナーから甘ったるい香りが漂うことに気づく。
その香りは、彼女が勤める診療所の、とある患者と同じもので――――?

結婚5年目の仮面夫婦ですが、そろそろ限界のようです!?
宮永レン
恋愛
没落したアルブレヒト伯爵家を援助すると声をかけてきたのは、成り上がり貴族と呼ばれるヴィルジール・シリングス子爵。援助の条件とは一人娘のミネットを妻にすること。
ミネットは形だけの結婚を申し出るが、ヴィルジールからは仕事に支障が出ると困るので外では仲の良い夫婦を演じてほしいと告げられる。
仮面夫婦としての生活を続けるうちに二人の心には変化が生まれるが……

幼馴染の許嫁は、男勝りな彼女にご執心らしい
和泉鷹央
恋愛
王国でも指折りの名家の跡取り息子にして、高名な剣士がコンスタンスの幼馴染であり許嫁。
そんな彼は数代前に没落した実家にはなかなか戻らず、地元では遊び人として名高くてコンスタンスを困らせていた。
「クレイ様はまたお戻りにならないのですか……」
「ごめんなさいね、コンスタンス。クレイが結婚の時期を遅くさせてしまって」
「いいえおば様。でも、クレイ様……他に好きな方がおられるようですが?」
「えっ……!?」
「どうやら、色町で有名な踊り子と恋をしているようなんです」
しかし、彼はそんな噂はあり得ないと叫び、相手の男勝りな踊り子も否定する。
でも、コンスタンスは見てしまった。
朝方、二人が仲睦まじくホテルから出てくる姿を……
他の投稿サイトにも掲載しています。

はずれの聖女
おこめ
恋愛
この国に二人いる聖女。
一人は見目麗しく誰にでも優しいとされるリーア、もう一人は地味な容姿のせいで影で『はずれ』と呼ばれているシルク。
シルクは一部の人達から蔑まれており、軽く扱われている。
『はずれ』のシルクにも優しく接してくれる騎士団長のアーノルドにシルクは心を奪われており、日常で共に過ごせる時間を満喫していた。
だがある日、アーノルドに想い人がいると知り……
しかもその相手がもう一人の聖女であるリーアだと知りショックを受ける最中、更に心を傷付ける事態に見舞われる。
なんやかんやでさらっとハッピーエンドです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる