1 / 8
序章【遠き光の日々】
《前編》 迫り来る魔の手
しおりを挟む
そこは翠の月が守る世界。
魔法や自然の力を尊ぶ文明をもつ。広い大陸と大きな海から成る、豊かな自然に恵まれた世界。
いにしえより言い伝えられる話があった。
全く逆の文明をもつ世界がある、と。水晶のごとく透き通る光を放つ月に守られし世界。
人々は自分たちの世界を《翠月界―すいげつかい―》、伝説の異世界を《華晶界―かしょうかい―》と呼んだ。
◇
ヴァーム王家の治世の下に、平和な時代が続いていたサン=ドラーグナ大陸が、突如暗雲に覆われたのは魔女ルーインの出現によるものだった。彼女はひどく王家を憎んでいた。
「呪われてあれ、ヴァーム王家。月の加護を失い、その忌まわしい血とともに絶え果てるがいい」
もともと闇に属する妖魔と人間とは相容れない存在だった。
特に、聖龍の血脈を受け継ぎ、月の加護を受けているヴァーム王家の人間は、その《力》をもって妖魔を制圧してきた。だからこそ、大陸には平和な時代が続いてきたのだ。
しかしルーインは、大陸の歴史上、今までにない強い魔力の持ち主だった。
彼女はあろうことか、ヴァーム王家の《力》の源である月を、文字どおり雲で覆ってしまったのだ。
もはや王家は存亡の危機にさらされたも同然だった。
◇
ヴァームの現国王アンディには、四人の子供がいる。いずれも金茶の髪と瞳をもつ3人の王子と1人の姫だ。
第一王子のラインアローグ。――ライは、いつものように剣術の稽古に励んでいた。
美しい金茶色だった髪は日に焼けて赤味を帯びていたが、わりと整った精悍な顔立ちの少年である。
まだ十代半ばでありながら、その優れた武勇の噂は大陸中に知れ渡っていた。
そして、その弟であるシューレイムとゼームリカードは兄とは反対に、女の子のように可愛らしい顔立ちをしている。
彼らもやはり、いつものように窓際で遊んでいた。
「王子様方、王子様方!」
侍従と呼ばれる役職の老人が慌しく飛び込んで来た。
「どうした、じい」
ただならぬ様子に、ライは稽古を中断して問う。幼い弟王子たちは何も気づかず、無邪気に遊んでいた。
「それが・・・・・・」
侍従は他の王子たちを眺めた。その視線に気づいて、ライは弟王子たちを呼び寄せた。
「シュー、ゼーム、こっちへおいで」
シューは窓に腰掛けて、昨夜の宴に招かれた西方の吟遊詩人の真似事をしているところだったし、ゼームは父王が取り寄せてくれた珍しい絵本に夢中だった。
けれど、大好きな兄に名前を呼ばれるとすぐに振り向いた。
王子たちには末っ子の妹である姫もいたが、辺りにその姿はない。
彼女はいつものように城の外へ遊びに行ったようだ。
――いつもの夕暮れの風景。しかしライは何か悪いことが起こったかもしれないと敏感に察していた。
「兄上、何のご用ですか?」
気がつくと、二人の弟たちが不思議そうにライを見上げていた。それぞれお気に入りの楽器や絵本をしっかり抱えている。
「王子様方、今から話すことをよくお聞き下さい」
三人の王子の前にひざまずき、侍従は重々しい口調で言った。
「王都に妖魔が現れました。ルーインという魔女の配下だそうです。じきにこの城にも攻めてくるでしょう。――今すぐ華晶界へお逃げ下さい。これは国王陛下のご命令でございます。一刻も早く、ご準備を」
侍従はそう告げた。事態が深刻であることは、憔悴しきったその顔からおのずと知れる。こけた頬のせいか、ここ数日でいっそう老けたように思われた。
詳しく話を聞く時間もないのだと判断したライは、それ以上は何も聞かずにうなずいた。
「わかった、じい。ユーミィリアムを捜して来てはくれないか」
「姫様は我らが責任を持って、華晶界へご案内いたします。王子様方は先にご出発下さい」
そう答え、侍従は退室しようとする。
「じい、お前は……どうするのだ?」 「私は最後まで国王陛下にお仕えいたします」
彼の「最後まで」という言葉に、ライは父王と侍従の決断を知る。
――もう会うことはないだろう。
口うるさいが決して嫌いではなかった老人に、ライは心から礼を述べた。
「じい、……ありがとう。父上を頼む」
侍従は静かに頭を下げた。
短く別れを告げる声はわずかに震えていた。それ以上何かしゃべろうとしたようだが、声にならなかったらしい。
侍従は最後にもう一度頭を下げると、そのまま部屋を立ち去った。
◇
侍従が退室した後、ライは急いで荷物をまとめ始めた。弟王子たちは状況がよく分かっていないのか、それを手伝うでもなくライにまとわりついている。
けれど、ライの傍から離れようとしないのは、幼いなりに異変を感じているのかもしれない。
「兄上、外が赤いよ。今日は特別夕日がきれいなのかな?」
シューの言葉に、荷物をまとめていたライは弾かれたように顔を上げる。窓の外に視線をやったライは、はっと息を呑んだ。
――違う、夕日なんかじゃない。これは火の気配だ。この城が燃えている!
「シュー、ゼーム、僕の手をしっかりつかんで。絶対に離したらだめだよ」
そう言い聞かせ、二人の手をひいて城を飛び出す。まだそれほど火の手は広がっていなかった。
城の方を振り返る間もなく、ライは足早に歩き続けた。
本当は走りたいところだが、幼い弟たちの手を引いているので、そういうわけにもいかなかった。
◇
城を囲む森を抜ければ安心だ。
城の裏手に広がる森の向こうには、小さな町がある。王都の中心部である城下町と違って、あそこならば、まだ妖魔の手も伸びていないだろう。
草木がうっそうと生い茂った暗い森を、ライたちはひたすら歩き続けた。
しかし、城の庭園くらいしか歩いたことのない弟王子たちにとって、慣れない森は歩き辛かった。
「あにうえ、足が痛いよ」
末の王子が泣き声で言った。ライはいったん立ち止まるとゼームを背におぶってやる。
「シューは大丈夫か? よし、いい子だ。 もう少しの我慢だからね」
そう言い聞かせながら進むうちに、やっと森の出口が見えてきた。
ライはようやく歩調をゆるめた。弟王子たちも森を抜けられるとわかって、少し元気が出てきたようだ。
「ねえ、兄上。どうしてボクたちは遠い世界に行かなくちゃいけないの? 悪い魔女が来たから?」
「ぼくたちには戦う《力》があるんでしょ?どうして戦わないの?」
シューとゼームが口々に言う。ライはちょっと笑うと、ゼームを背中から降ろし、近くの岩に座らせた。
ここまで来ればもう安心だろう。ライ自身も少し疲れたため、休憩をとることにした。
休みながらライは、先ほどの質問にどうやって答えようかと頭を悩ませた。
父王のこと、妖魔とのこと、全てを理解するには、弟王子たちはあまりに幼すぎる。
けれど、嘘を教えるわけにもいかず、ライは一生懸命分かりやすい言葉を探した。
「僕にも詳しい状況が分かったわけではないんだ。ただはっきりしているのは、僕たちはもう城に戻れないということと、父上たちにもうお会い出来ないかもしれないってことだ」
「父上は悪い魔女をやっつけに行ったんだよね? ボクたちも一緒に戦わなくてもいいの?」
「父上が何のために戦っているかを知っているかい。――僕たちを、守るためだよ。それなのに僕たちが一緒に行ったら、父上のお気持ちが無駄になってしまう」
ライの言葉にゼームが悲しそうにうつむいた。シューは黙ったままじっとライの横顔に視線を注いでいた。
ライはゼームの頭をなでてやりながら、シューと視線を交わす。そのまま、再び言葉をつむいだ。
「僕たちも、誰かを守るために戦うときがあるかもしれない。けれど、それは今じゃない。大切な誰かを守るときのために、力はとっておかなくちゃいけない。だから今は妖魔とは無駄に戦うことは出来ないんだ。わかるかい?」
「大切な誰かを守るときのため……」
シューは兄の言葉を繰り返す。守るべき大切な誰か――そう考えたとき、シューの頭には自分よりもっと幼くて力の弱い妹のことが思い浮かんだ。
「ボク、ユーミィを守れるかな」
父王がいない今、彼女を守ってやれるのは自分たちしかいない。その思いはライも同じだった。
「そうだね。僕たちでユーミィリアムを守ってあげないとね。お姫様を守るのは王子としても兄としても当然のことだ」 「ボク、ユーミィのこと大好きだよ」 「そうだろ? 僕もだよ」
おとなしく兄たちの話を聞いていたゼームも、真剣なまなざしで口を開く。
「ぼくも」
三人は小さな妹姫を守る誓いをたてた。どんなことがあっても必ず守ってみせる、と。
「――!」
そのときだった。ライは近くに殺気じみた気配を感じた。すばやく剣を構える。弟王子たちも兄のただならぬ様子に驚いて立ち上がった。
ライは弟たちをかばうように立つと、剣を構えたままシューにささやいた。
「シュー、ゼームを頼む。先に行ってくれ、必ず追いつくから」
「兄上は?」
「妖魔につけられている。僕が何とかするから、早く行くんだ!」
シューの顔が一瞬不安に曇る。嫌な予感がした。さっきあんな話をしたばかりだ。
しかし、ぐずぐずしてはいられない。
シューは心を決めるとすぐに、ゼームを連れて森の外へと駆けて行った。
◇
「姿を現せ、妖魔」
剣を斜めに構え、ライは辺りを見渡した。わずかな妖気を感じ取り、木にからみついた蔓草を、剣でなぎ払う。
「ほほほほほ、ほっほっほっ」
耳障りな高笑いとともに、一人の女が木の陰から姿を現した。笑うと耳元まで裂けそうな口に尖った耳・・・・・・。
妖魔にはいろいろな種族がいる。人間とほとんど変わらぬ姿をしている者もいるが、女は一見して異形の者とわかる容姿だった。
「お前が、魔女ルーインか?」
それを聞いて、おかしそうに女は唇をゆがめた。
「ルーイン様の名前を気安く呼ぶでない。我らが女帝ルーイン様がわざわざ子供の相手などされるものか」
「ではお前は大したことないんだな」
ライは冷静に答える。それが癇に障ったのか、妖魔はカッとなった。
「クソガキがッ、だから子供は嫌いなんだよ。さっさと殺してくれるわ」
あっさり挑発に乗るあたり、単純な妖魔である。――やはり配下の者だろう。
「そう簡単に殺されるわけにはいかない」「ふん、剣術で私に向かってこようなど、愚かな者よ」
妖魔の言葉も、あながち嘘や大げさではないようだ。剣の筋は確かだった。
城仕えの剣士にも劣らないだろう。
しかも、その力は並の男よりも強い。
武勇に優れているとは言え、まだ成熟しきっていないライには受けた剣を跳ね返すことすら至難の業だった。
間合いをとりつつ、隙をうかがってみるが、妖魔には寸分の隙も見つからなかった。
しだいにライは追い詰められる。渾身の力で剣を振るいながら、思わず問いかけた。
「お前、名前は?」
ルーインの配下にこんな腕の立つ剣士がいたとは知らなかった。
そもそも妖魔は、魔法を使った攻撃を得意とするものだ。剣で戦う妖魔など珍しかった。
「お前ごときに教える名などないッ」 言いざま振り下ろされた剣をかわし、ライは大きく後ろに跳びのいた。
そのまま間合いをとる。剣ではなく《力》を使うためのものだ。
妖魔はわずかにひるむ。月の加護により与えられた王族の《力》。
魔法の一種といえど、その威力は計り知れない。それを使いこなせるのは龍族を除き、人間では直系の王族だけだ。
ルーインの《力》封じの雲に雷鳴がとどろく。ひとすじの稲妻が真っすぐにライに降りた。
バチバチと音をたて、紫電が刀身に絡みつく。初めて王族の《力》を目の当たりにした妖魔は、思わず息を呑んだ。
「光使い、か。ルーイン様の作戦を逆手にとるとは・・・・・・」
今は強い光を帯びた剣で、ライは再び戦いに挑む。剣の威力が数倍に上がっている。一つ一つの攻撃に、先ほどは感じなかった確かな手ごたえを感じた。
「おのれッ」
妖魔から余裕の表情が消える。女のものとは思えないすさまじい力で襲いかかった。
――またもや形勢が逆転する。剣技では妖魔の方が数段上のようだった。ライの顔に焦りの色が浮かぶ。やはり、《力》を制御されている状態では無理があるのだろうか。
何よりも、自分の得意とする武術がこの妖剣士の前ではまったく通じないことが悔しかった。
「そこまでよ」
ふいに空から声がした。ライだけではなく妖魔も動きを止めた。
「ルーイン様・・・・・・?」
「何ッ!」
妖魔の言葉にライは思わず空を見上げる。
「どこ見ているの、こっちよ」
今度は地上で声がした。ざわざわと木々の葉が音をたてた。ルーインの姿は見えない。声だけが、まるで風のように辺りを巡る。
「そんな子供相手に、いつまで手間取るつもり? 私の命令を忘れたのじゃないでしょうね?」
「しかし、こやつ《力》を使います」
「それが何? そのくらい大したことないわ。ねえ王子、本来の力はそんなものじゃないでしょう?」
歌うような声で魔女は言った。ライは唇をかみしめる。
本来の《力》の程度を知られている。――油断できない相手だ。
「私は王族を滅ぼす。一人残らずね。――お前はまんまと王子の策略にかかったのよ、クルーエルティ。他の王子たちが遠くに逃げられるように、自分が時間稼ぎをするつもりだった。そうよね、王子」
魔女が言った言葉の内容を、なぜかライは気に留めなかった。知らず知らず、その声の美しさに囚われていた。
魔女というから、醜くしわがれた声を想像していたが、その声が若々しく、一度聞いたら忘れられない魅惑的な声だった。
「早く追いかけなさい、一人たりとも逃がしたら承知しないわよ」
ルーインに言われ、弾かれたようにクルーエルティは走り出す。
「待て、勝負はまだついていない」
ようやく我に返ったライの言葉にも、クルーエルティはちらりと目をやっただけで、そのまま消え去った。
「心配いらないわ。あなたの相手は私がしてあげる。ただし、長い時間をかけて」
どこか残忍な響きのする声でルーインは言った。ライは体の自由を奪われているのに気づく。その手から、剣が落ちた。
大地に突き刺さった剣から、次第に《力》が消えていくのを、ライはじっと見つめていた。
「すぐに楽に死なせてあげるほど、私の憎しみは弱いものじゃないの。苦しんで苦しんで苦しみなさい。永久にね」
その声とともに、ライのつま先に激痛が走った。身体を動かせないライはただじっと痛みに耐えるしかなかった。
しかし、自分のつま先に目をやった瞬間、思わずライは声を上げた。
すでにライのつま先の色は失われ、灰色の石のようになっていた。痛みは今度は足首へと這い上がってくる。
耐え難い痛みと、身体の感覚と色が失われていく恐怖。
静かな森に、ライの悲鳴が響き渡った。
どのくらいの時間が経っただろうか。
森は何事もなかったように、静寂を取り戻した。
――大地に突き刺さった剣だけが、そこにかつて持ち主がいたことを物語っていた。
to be continued...
魔法や自然の力を尊ぶ文明をもつ。広い大陸と大きな海から成る、豊かな自然に恵まれた世界。
いにしえより言い伝えられる話があった。
全く逆の文明をもつ世界がある、と。水晶のごとく透き通る光を放つ月に守られし世界。
人々は自分たちの世界を《翠月界―すいげつかい―》、伝説の異世界を《華晶界―かしょうかい―》と呼んだ。
◇
ヴァーム王家の治世の下に、平和な時代が続いていたサン=ドラーグナ大陸が、突如暗雲に覆われたのは魔女ルーインの出現によるものだった。彼女はひどく王家を憎んでいた。
「呪われてあれ、ヴァーム王家。月の加護を失い、その忌まわしい血とともに絶え果てるがいい」
もともと闇に属する妖魔と人間とは相容れない存在だった。
特に、聖龍の血脈を受け継ぎ、月の加護を受けているヴァーム王家の人間は、その《力》をもって妖魔を制圧してきた。だからこそ、大陸には平和な時代が続いてきたのだ。
しかしルーインは、大陸の歴史上、今までにない強い魔力の持ち主だった。
彼女はあろうことか、ヴァーム王家の《力》の源である月を、文字どおり雲で覆ってしまったのだ。
もはや王家は存亡の危機にさらされたも同然だった。
◇
ヴァームの現国王アンディには、四人の子供がいる。いずれも金茶の髪と瞳をもつ3人の王子と1人の姫だ。
第一王子のラインアローグ。――ライは、いつものように剣術の稽古に励んでいた。
美しい金茶色だった髪は日に焼けて赤味を帯びていたが、わりと整った精悍な顔立ちの少年である。
まだ十代半ばでありながら、その優れた武勇の噂は大陸中に知れ渡っていた。
そして、その弟であるシューレイムとゼームリカードは兄とは反対に、女の子のように可愛らしい顔立ちをしている。
彼らもやはり、いつものように窓際で遊んでいた。
「王子様方、王子様方!」
侍従と呼ばれる役職の老人が慌しく飛び込んで来た。
「どうした、じい」
ただならぬ様子に、ライは稽古を中断して問う。幼い弟王子たちは何も気づかず、無邪気に遊んでいた。
「それが・・・・・・」
侍従は他の王子たちを眺めた。その視線に気づいて、ライは弟王子たちを呼び寄せた。
「シュー、ゼーム、こっちへおいで」
シューは窓に腰掛けて、昨夜の宴に招かれた西方の吟遊詩人の真似事をしているところだったし、ゼームは父王が取り寄せてくれた珍しい絵本に夢中だった。
けれど、大好きな兄に名前を呼ばれるとすぐに振り向いた。
王子たちには末っ子の妹である姫もいたが、辺りにその姿はない。
彼女はいつものように城の外へ遊びに行ったようだ。
――いつもの夕暮れの風景。しかしライは何か悪いことが起こったかもしれないと敏感に察していた。
「兄上、何のご用ですか?」
気がつくと、二人の弟たちが不思議そうにライを見上げていた。それぞれお気に入りの楽器や絵本をしっかり抱えている。
「王子様方、今から話すことをよくお聞き下さい」
三人の王子の前にひざまずき、侍従は重々しい口調で言った。
「王都に妖魔が現れました。ルーインという魔女の配下だそうです。じきにこの城にも攻めてくるでしょう。――今すぐ華晶界へお逃げ下さい。これは国王陛下のご命令でございます。一刻も早く、ご準備を」
侍従はそう告げた。事態が深刻であることは、憔悴しきったその顔からおのずと知れる。こけた頬のせいか、ここ数日でいっそう老けたように思われた。
詳しく話を聞く時間もないのだと判断したライは、それ以上は何も聞かずにうなずいた。
「わかった、じい。ユーミィリアムを捜して来てはくれないか」
「姫様は我らが責任を持って、華晶界へご案内いたします。王子様方は先にご出発下さい」
そう答え、侍従は退室しようとする。
「じい、お前は……どうするのだ?」 「私は最後まで国王陛下にお仕えいたします」
彼の「最後まで」という言葉に、ライは父王と侍従の決断を知る。
――もう会うことはないだろう。
口うるさいが決して嫌いではなかった老人に、ライは心から礼を述べた。
「じい、……ありがとう。父上を頼む」
侍従は静かに頭を下げた。
短く別れを告げる声はわずかに震えていた。それ以上何かしゃべろうとしたようだが、声にならなかったらしい。
侍従は最後にもう一度頭を下げると、そのまま部屋を立ち去った。
◇
侍従が退室した後、ライは急いで荷物をまとめ始めた。弟王子たちは状況がよく分かっていないのか、それを手伝うでもなくライにまとわりついている。
けれど、ライの傍から離れようとしないのは、幼いなりに異変を感じているのかもしれない。
「兄上、外が赤いよ。今日は特別夕日がきれいなのかな?」
シューの言葉に、荷物をまとめていたライは弾かれたように顔を上げる。窓の外に視線をやったライは、はっと息を呑んだ。
――違う、夕日なんかじゃない。これは火の気配だ。この城が燃えている!
「シュー、ゼーム、僕の手をしっかりつかんで。絶対に離したらだめだよ」
そう言い聞かせ、二人の手をひいて城を飛び出す。まだそれほど火の手は広がっていなかった。
城の方を振り返る間もなく、ライは足早に歩き続けた。
本当は走りたいところだが、幼い弟たちの手を引いているので、そういうわけにもいかなかった。
◇
城を囲む森を抜ければ安心だ。
城の裏手に広がる森の向こうには、小さな町がある。王都の中心部である城下町と違って、あそこならば、まだ妖魔の手も伸びていないだろう。
草木がうっそうと生い茂った暗い森を、ライたちはひたすら歩き続けた。
しかし、城の庭園くらいしか歩いたことのない弟王子たちにとって、慣れない森は歩き辛かった。
「あにうえ、足が痛いよ」
末の王子が泣き声で言った。ライはいったん立ち止まるとゼームを背におぶってやる。
「シューは大丈夫か? よし、いい子だ。 もう少しの我慢だからね」
そう言い聞かせながら進むうちに、やっと森の出口が見えてきた。
ライはようやく歩調をゆるめた。弟王子たちも森を抜けられるとわかって、少し元気が出てきたようだ。
「ねえ、兄上。どうしてボクたちは遠い世界に行かなくちゃいけないの? 悪い魔女が来たから?」
「ぼくたちには戦う《力》があるんでしょ?どうして戦わないの?」
シューとゼームが口々に言う。ライはちょっと笑うと、ゼームを背中から降ろし、近くの岩に座らせた。
ここまで来ればもう安心だろう。ライ自身も少し疲れたため、休憩をとることにした。
休みながらライは、先ほどの質問にどうやって答えようかと頭を悩ませた。
父王のこと、妖魔とのこと、全てを理解するには、弟王子たちはあまりに幼すぎる。
けれど、嘘を教えるわけにもいかず、ライは一生懸命分かりやすい言葉を探した。
「僕にも詳しい状況が分かったわけではないんだ。ただはっきりしているのは、僕たちはもう城に戻れないということと、父上たちにもうお会い出来ないかもしれないってことだ」
「父上は悪い魔女をやっつけに行ったんだよね? ボクたちも一緒に戦わなくてもいいの?」
「父上が何のために戦っているかを知っているかい。――僕たちを、守るためだよ。それなのに僕たちが一緒に行ったら、父上のお気持ちが無駄になってしまう」
ライの言葉にゼームが悲しそうにうつむいた。シューは黙ったままじっとライの横顔に視線を注いでいた。
ライはゼームの頭をなでてやりながら、シューと視線を交わす。そのまま、再び言葉をつむいだ。
「僕たちも、誰かを守るために戦うときがあるかもしれない。けれど、それは今じゃない。大切な誰かを守るときのために、力はとっておかなくちゃいけない。だから今は妖魔とは無駄に戦うことは出来ないんだ。わかるかい?」
「大切な誰かを守るときのため……」
シューは兄の言葉を繰り返す。守るべき大切な誰か――そう考えたとき、シューの頭には自分よりもっと幼くて力の弱い妹のことが思い浮かんだ。
「ボク、ユーミィを守れるかな」
父王がいない今、彼女を守ってやれるのは自分たちしかいない。その思いはライも同じだった。
「そうだね。僕たちでユーミィリアムを守ってあげないとね。お姫様を守るのは王子としても兄としても当然のことだ」 「ボク、ユーミィのこと大好きだよ」 「そうだろ? 僕もだよ」
おとなしく兄たちの話を聞いていたゼームも、真剣なまなざしで口を開く。
「ぼくも」
三人は小さな妹姫を守る誓いをたてた。どんなことがあっても必ず守ってみせる、と。
「――!」
そのときだった。ライは近くに殺気じみた気配を感じた。すばやく剣を構える。弟王子たちも兄のただならぬ様子に驚いて立ち上がった。
ライは弟たちをかばうように立つと、剣を構えたままシューにささやいた。
「シュー、ゼームを頼む。先に行ってくれ、必ず追いつくから」
「兄上は?」
「妖魔につけられている。僕が何とかするから、早く行くんだ!」
シューの顔が一瞬不安に曇る。嫌な予感がした。さっきあんな話をしたばかりだ。
しかし、ぐずぐずしてはいられない。
シューは心を決めるとすぐに、ゼームを連れて森の外へと駆けて行った。
◇
「姿を現せ、妖魔」
剣を斜めに構え、ライは辺りを見渡した。わずかな妖気を感じ取り、木にからみついた蔓草を、剣でなぎ払う。
「ほほほほほ、ほっほっほっ」
耳障りな高笑いとともに、一人の女が木の陰から姿を現した。笑うと耳元まで裂けそうな口に尖った耳・・・・・・。
妖魔にはいろいろな種族がいる。人間とほとんど変わらぬ姿をしている者もいるが、女は一見して異形の者とわかる容姿だった。
「お前が、魔女ルーインか?」
それを聞いて、おかしそうに女は唇をゆがめた。
「ルーイン様の名前を気安く呼ぶでない。我らが女帝ルーイン様がわざわざ子供の相手などされるものか」
「ではお前は大したことないんだな」
ライは冷静に答える。それが癇に障ったのか、妖魔はカッとなった。
「クソガキがッ、だから子供は嫌いなんだよ。さっさと殺してくれるわ」
あっさり挑発に乗るあたり、単純な妖魔である。――やはり配下の者だろう。
「そう簡単に殺されるわけにはいかない」「ふん、剣術で私に向かってこようなど、愚かな者よ」
妖魔の言葉も、あながち嘘や大げさではないようだ。剣の筋は確かだった。
城仕えの剣士にも劣らないだろう。
しかも、その力は並の男よりも強い。
武勇に優れているとは言え、まだ成熟しきっていないライには受けた剣を跳ね返すことすら至難の業だった。
間合いをとりつつ、隙をうかがってみるが、妖魔には寸分の隙も見つからなかった。
しだいにライは追い詰められる。渾身の力で剣を振るいながら、思わず問いかけた。
「お前、名前は?」
ルーインの配下にこんな腕の立つ剣士がいたとは知らなかった。
そもそも妖魔は、魔法を使った攻撃を得意とするものだ。剣で戦う妖魔など珍しかった。
「お前ごときに教える名などないッ」 言いざま振り下ろされた剣をかわし、ライは大きく後ろに跳びのいた。
そのまま間合いをとる。剣ではなく《力》を使うためのものだ。
妖魔はわずかにひるむ。月の加護により与えられた王族の《力》。
魔法の一種といえど、その威力は計り知れない。それを使いこなせるのは龍族を除き、人間では直系の王族だけだ。
ルーインの《力》封じの雲に雷鳴がとどろく。ひとすじの稲妻が真っすぐにライに降りた。
バチバチと音をたて、紫電が刀身に絡みつく。初めて王族の《力》を目の当たりにした妖魔は、思わず息を呑んだ。
「光使い、か。ルーイン様の作戦を逆手にとるとは・・・・・・」
今は強い光を帯びた剣で、ライは再び戦いに挑む。剣の威力が数倍に上がっている。一つ一つの攻撃に、先ほどは感じなかった確かな手ごたえを感じた。
「おのれッ」
妖魔から余裕の表情が消える。女のものとは思えないすさまじい力で襲いかかった。
――またもや形勢が逆転する。剣技では妖魔の方が数段上のようだった。ライの顔に焦りの色が浮かぶ。やはり、《力》を制御されている状態では無理があるのだろうか。
何よりも、自分の得意とする武術がこの妖剣士の前ではまったく通じないことが悔しかった。
「そこまでよ」
ふいに空から声がした。ライだけではなく妖魔も動きを止めた。
「ルーイン様・・・・・・?」
「何ッ!」
妖魔の言葉にライは思わず空を見上げる。
「どこ見ているの、こっちよ」
今度は地上で声がした。ざわざわと木々の葉が音をたてた。ルーインの姿は見えない。声だけが、まるで風のように辺りを巡る。
「そんな子供相手に、いつまで手間取るつもり? 私の命令を忘れたのじゃないでしょうね?」
「しかし、こやつ《力》を使います」
「それが何? そのくらい大したことないわ。ねえ王子、本来の力はそんなものじゃないでしょう?」
歌うような声で魔女は言った。ライは唇をかみしめる。
本来の《力》の程度を知られている。――油断できない相手だ。
「私は王族を滅ぼす。一人残らずね。――お前はまんまと王子の策略にかかったのよ、クルーエルティ。他の王子たちが遠くに逃げられるように、自分が時間稼ぎをするつもりだった。そうよね、王子」
魔女が言った言葉の内容を、なぜかライは気に留めなかった。知らず知らず、その声の美しさに囚われていた。
魔女というから、醜くしわがれた声を想像していたが、その声が若々しく、一度聞いたら忘れられない魅惑的な声だった。
「早く追いかけなさい、一人たりとも逃がしたら承知しないわよ」
ルーインに言われ、弾かれたようにクルーエルティは走り出す。
「待て、勝負はまだついていない」
ようやく我に返ったライの言葉にも、クルーエルティはちらりと目をやっただけで、そのまま消え去った。
「心配いらないわ。あなたの相手は私がしてあげる。ただし、長い時間をかけて」
どこか残忍な響きのする声でルーインは言った。ライは体の自由を奪われているのに気づく。その手から、剣が落ちた。
大地に突き刺さった剣から、次第に《力》が消えていくのを、ライはじっと見つめていた。
「すぐに楽に死なせてあげるほど、私の憎しみは弱いものじゃないの。苦しんで苦しんで苦しみなさい。永久にね」
その声とともに、ライのつま先に激痛が走った。身体を動かせないライはただじっと痛みに耐えるしかなかった。
しかし、自分のつま先に目をやった瞬間、思わずライは声を上げた。
すでにライのつま先の色は失われ、灰色の石のようになっていた。痛みは今度は足首へと這い上がってくる。
耐え難い痛みと、身体の感覚と色が失われていく恐怖。
静かな森に、ライの悲鳴が響き渡った。
どのくらいの時間が経っただろうか。
森は何事もなかったように、静寂を取り戻した。
――大地に突き刺さった剣だけが、そこにかつて持ち主がいたことを物語っていた。
to be continued...
6
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
【取り下げ予定】愛されない妃ですので。
ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。
国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。
「僕はきみを愛していない」
はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。
『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。
(ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?)
そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。
しかも、別の人間になっている?
なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。
*年齢制限を18→15に変更しました。
王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る
家紋武範
恋愛
王妃は自分の人生を憂いていた。国王が王子の時代、彼が六歳、自分は五歳で婚約したものの、顔合わせする度に喧嘩。
しかし王妃はひそかに彼を愛していたのだ。
仲が最悪のまま二人は結婚し、結婚生活が始まるが当然国王は王妃の部屋に来ることはない。
そればかりか国王は側室を持ち、さらに二人目の側室を王宮に迎え入れたのだった。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる