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第一部
《第四章》地下室の亡霊
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ラフォルテ城には、誰も近づきたがらない地下室がある。そこは常に、ひんやりとした冷気が漂っていた。特に夜中は、寒いと感じるほどに冷え込む。
「まあ、今の季節にはちょうどいいか。なかなか快適じゃねえの?」
ファイン・スレーブは、どこからか調達してきた寝具に横たわりながら呟いた。石床の冷たさは、寝具を敷き詰めても、なお伝わってくる。
部屋にランプ一つしかない薄暗さや、やけに声が大きく響くことには、もう慣れ切っていた。
ファインの問いかけに、長いため息が一つ返ってくる。
「おやおや、姫君ったら、ご機嫌斜めだねー」
からかい半分に言うと、相手はふてくされたように、寝返りをうった。
柔らかい黒髪が、 ふわっと揺れる。ほとんど伏せられた瞼の下に、わずかに蒼い瞳が見えた。
「・・・・・・ファズのくせに」
ぼそっと言われた言葉に、ファインは頬に手を当てて答えた。
「まあっ、何のことかしら、オルタード」
ふざけた返事に、オルタードはがばっと身体を起こした。
「ファイン・スレーブ・エイリアシング・ノイズ」
呪文のように、一息に言う。フルネームを呼ばれたファインは一瞬、真顔に戻った。
「一度しか言わなかったのに、よく覚えてたな」
「人の名前を覚えるのは、いちおう礼儀だから」
オルタードはふいっと顔を背ける。素っ気ない態度だが、意外に照れているのかもしれなかった。ごもっとも、とファインもからかうのを止めて呟いた。
オルタードが『死んで』から、もうじき一週間が経つ。
アルペジオの戴冠式はもう目前に迫っていた。だが、二人ともそのことは口にしない。ゆっくりと、時間だけが流れていった。
「ーーおい」
ふいにファインの顔に緊張が走る。オルタードは黙ったまま頷いた。誰かが近づいてくる気配がする。
今、人に見つかるわけにはいかない。特にギミックには。
ここ数日、ギミックが亡霊の噂について、躍起になって調べているのは知っていた。彼が本格的に城内を捜し始めれば、いつかは見つかってしまうだろう。
「腹決めたか、オルタード」
「こういう展開になるかもしれないことは、予測してた」
「上等だ」
ファインは銃を構えると、ゆっくりと戸口の方へ近づいていった。一段一段、階段を降りてくる音がする。足音は地下室の前でいったん止まり、また遠ざかっていった。
「何だ」
ファインがほっと息をついた。構えていた銃を下ろす。
「まだだ!」
オルタードが叫ぶのと、扉が開くのがほとんど同時だった。
「あ・・・・・・」
オルタードは手にしたランプで、入って来た相手を照らし出す。その姿に、息を呑んだ。
「リゾネータ?」
少し上ずった声で、オルタードが妹の名を呼ぶ。もう何年も口にしなかった名前だ。いきなり照らされて眩しそうに目を閉じたリゾネータは、その声に思わず大きく瞳を見開いた。
「兄・・・・・・様?」
ようやく我に返ったファインが、リゾネータに銃をつきつける。撃つ気はないが、このまま放っておくわけにはいかない。
「おとなしく、こっちに来てくれ」
リゾネータはぎこちなく頷くと、言われるまま部屋に入った。
部屋の中には、重い沈黙が漂っていた。兄妹に気を遣ってか、ファインは黙っている。オルタードとリゾネータも、それぞれ何から切り出せばいいのか、迷っているようだった。
しばらくして、オルタードが口を開いた。
「僕が怖くないの? リゾネータ」
「兄様のお姿が? それとも・・・・・・亡霊かもしれないから?」
リゾネータは泣きそうな声で言った。
幼い頃、兄の左腕が恐ろしかった。暗闇でも青白く光る銀の鱗や、触れると怪我しそうな角の生えた腕。
それを優しい兄の身体の一部だと認めることが、どうしても出来なかった。今も、カチカチと牙を鳴らしている龍を、怖くないとは言えない。
けれど、リゾネータは勇気をふり絞って、兄の左腕に軽く口づけた。鱗の冷たい感触が唇に残る。
オルタードは妹の思いがけない行動に、大きく目を見開いた。
「怖いわ。でも兄様が怒っていらっしゃることのほうが私には一番怖いわ」
「ーー怒ってなんかいないよ。ただ、こうやってお前と話すのは初めてだから・・・・・・」
戸惑いながらオルタードが言うと、リゾネータはほっとしたように笑った。今までずっと気に病んでいたのが、ようやく晴れる。
こんなふうに話せるなら、もっと早くに勇気を出せば良かった、とリゾネータは思った。少し弾んだ声で言う。
「たとえ亡霊でも、兄様には違いありませんもの。お会いできてよかったですわ」
その言葉に、オルタードは一瞬声を詰まらせる。
「リゾネータ、もしかして」
僕に会いにここに来たの? とは聞けなかった。腕に口づけられたくらいで舞い上がっているとは思われたくなかった。でも嬉しかったのも事実だ。
ーー妹の触れた左腕が、ひどく熱い。
「僕は亡霊じゃないよ、リゾネータ」
代わりにそう言って、ちらっとファインの方を見る。全てをリゾネータに話していいものか迷ったのだ。ファインは素知らぬ顔で、大きく欠伸をした。
「実はーー」
オルタードは今までの経緯を話し始めた。
「まあ、今の季節にはちょうどいいか。なかなか快適じゃねえの?」
ファイン・スレーブは、どこからか調達してきた寝具に横たわりながら呟いた。石床の冷たさは、寝具を敷き詰めても、なお伝わってくる。
部屋にランプ一つしかない薄暗さや、やけに声が大きく響くことには、もう慣れ切っていた。
ファインの問いかけに、長いため息が一つ返ってくる。
「おやおや、姫君ったら、ご機嫌斜めだねー」
からかい半分に言うと、相手はふてくされたように、寝返りをうった。
柔らかい黒髪が、 ふわっと揺れる。ほとんど伏せられた瞼の下に、わずかに蒼い瞳が見えた。
「・・・・・・ファズのくせに」
ぼそっと言われた言葉に、ファインは頬に手を当てて答えた。
「まあっ、何のことかしら、オルタード」
ふざけた返事に、オルタードはがばっと身体を起こした。
「ファイン・スレーブ・エイリアシング・ノイズ」
呪文のように、一息に言う。フルネームを呼ばれたファインは一瞬、真顔に戻った。
「一度しか言わなかったのに、よく覚えてたな」
「人の名前を覚えるのは、いちおう礼儀だから」
オルタードはふいっと顔を背ける。素っ気ない態度だが、意外に照れているのかもしれなかった。ごもっとも、とファインもからかうのを止めて呟いた。
オルタードが『死んで』から、もうじき一週間が経つ。
アルペジオの戴冠式はもう目前に迫っていた。だが、二人ともそのことは口にしない。ゆっくりと、時間だけが流れていった。
「ーーおい」
ふいにファインの顔に緊張が走る。オルタードは黙ったまま頷いた。誰かが近づいてくる気配がする。
今、人に見つかるわけにはいかない。特にギミックには。
ここ数日、ギミックが亡霊の噂について、躍起になって調べているのは知っていた。彼が本格的に城内を捜し始めれば、いつかは見つかってしまうだろう。
「腹決めたか、オルタード」
「こういう展開になるかもしれないことは、予測してた」
「上等だ」
ファインは銃を構えると、ゆっくりと戸口の方へ近づいていった。一段一段、階段を降りてくる音がする。足音は地下室の前でいったん止まり、また遠ざかっていった。
「何だ」
ファインがほっと息をついた。構えていた銃を下ろす。
「まだだ!」
オルタードが叫ぶのと、扉が開くのがほとんど同時だった。
「あ・・・・・・」
オルタードは手にしたランプで、入って来た相手を照らし出す。その姿に、息を呑んだ。
「リゾネータ?」
少し上ずった声で、オルタードが妹の名を呼ぶ。もう何年も口にしなかった名前だ。いきなり照らされて眩しそうに目を閉じたリゾネータは、その声に思わず大きく瞳を見開いた。
「兄・・・・・・様?」
ようやく我に返ったファインが、リゾネータに銃をつきつける。撃つ気はないが、このまま放っておくわけにはいかない。
「おとなしく、こっちに来てくれ」
リゾネータはぎこちなく頷くと、言われるまま部屋に入った。
部屋の中には、重い沈黙が漂っていた。兄妹に気を遣ってか、ファインは黙っている。オルタードとリゾネータも、それぞれ何から切り出せばいいのか、迷っているようだった。
しばらくして、オルタードが口を開いた。
「僕が怖くないの? リゾネータ」
「兄様のお姿が? それとも・・・・・・亡霊かもしれないから?」
リゾネータは泣きそうな声で言った。
幼い頃、兄の左腕が恐ろしかった。暗闇でも青白く光る銀の鱗や、触れると怪我しそうな角の生えた腕。
それを優しい兄の身体の一部だと認めることが、どうしても出来なかった。今も、カチカチと牙を鳴らしている龍を、怖くないとは言えない。
けれど、リゾネータは勇気をふり絞って、兄の左腕に軽く口づけた。鱗の冷たい感触が唇に残る。
オルタードは妹の思いがけない行動に、大きく目を見開いた。
「怖いわ。でも兄様が怒っていらっしゃることのほうが私には一番怖いわ」
「ーー怒ってなんかいないよ。ただ、こうやってお前と話すのは初めてだから・・・・・・」
戸惑いながらオルタードが言うと、リゾネータはほっとしたように笑った。今までずっと気に病んでいたのが、ようやく晴れる。
こんなふうに話せるなら、もっと早くに勇気を出せば良かった、とリゾネータは思った。少し弾んだ声で言う。
「たとえ亡霊でも、兄様には違いありませんもの。お会いできてよかったですわ」
その言葉に、オルタードは一瞬声を詰まらせる。
「リゾネータ、もしかして」
僕に会いにここに来たの? とは聞けなかった。腕に口づけられたくらいで舞い上がっているとは思われたくなかった。でも嬉しかったのも事実だ。
ーー妹の触れた左腕が、ひどく熱い。
「僕は亡霊じゃないよ、リゾネータ」
代わりにそう言って、ちらっとファインの方を見る。全てをリゾネータに話していいものか迷ったのだ。ファインは素知らぬ顔で、大きく欠伸をした。
「実はーー」
オルタードは今までの経緯を話し始めた。
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