その男、幽霊なり

オトバタケ

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お婆様とバラ

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 オルゴールの奏でるメロディーのような、お婆様の思い出話に耳を傾けていると、扉が乱暴に開かれた。ドタドタと近付いてくる足音に振り返ると、青い瞳が俺を捉えて、ほっとしたように細められた。

「拓也……」

 ゆっくりと歩を進めてテラスに出てきた雅臣が、何十年か振りに再会したかのように、俺の名を呼ぶ。愛しくて堪らないのだと痛いほどに伝わってくる声色に、嬉しさが込み上げてくる。だが、それ以上に焦ってしまう。いくら二人の関係を知られているとはいえ、肉親の前で二人きりの時のような空気を醸し出すのは、心の内を覗かれるのと同じくらい恥ずかしい。

「話し合いは済んだのか?」
「えぇ」

 牽制も込めてぶっきらぼうに言ったのに、見られて恥ずかしいものなど何もないと言わんばかりに、雅臣は甘い声で返してきた。

「楽しい時間は、もう終わりなのね」

 記憶の波間にたゆたっていたような虚ろな瞳に俺と雅臣を映したお婆様が、思い出旅行の終わりを寂しがるように呟く。

「また今度も、お話を聞かせてください」
「ウフフ、ありがとう」

 次回の約束を口にすると、少女のような無垢な笑顔を浮かべてお婆様は喜んだ。
 お婆様の中には、最愛の人との記憶が残っている。それを誰かに語ることで、記憶が心臓のように脈打つんだ。
 体の死を迎えても、お婆様の中にいる先代の総裁は生き続けている。それは、お婆様の作り出した愛しい人にそっくりな偽物なのかもしれない。お婆様が体の死を迎えた時、魂同士で再会するまでの寂しさを紛らわせる繋ぎだとしても、お婆様にとっては大切な偽物なのだ。偽物を作ってもらえるほど、先代の総裁は愛されていたということなのだろう。

「昼食の用意ができたようなので、食堂に行きましょう」
「あぁ」

 雅臣に言われ、急に腹の虫が騒ぎだした。いつもより早起きして家を出たから、朝食を食べたのも早かったのだ。

「お婆様は行かれないんですか?」

 俺が席を立っても座ったままのお婆様に、疑問に思って問い掛ける。

「私はここでいただくわ」

 ゆっくりと俺に向けられた瞳は、現実の世界ではないものを映し始めているようだった。思い出に飲み込まれてしまうかもしれない。そんな危うさを感じるが、とても幸せそうな顔を見せられたら、止めることはできない。雅臣もそう思ったのか、そっとお婆様の部屋を後にした。

「拓也さん、ようこそいらっしゃいました」

 中世ヨーロッパの城のような豪華な食堂に入ると、先に席に着いていた千鶴さんが立ち上がって会釈してくれた。シャンデリアの下に置かれた、金で縁取りされた白いダイニングテーブルには千鶴さんしか居らず、旦那である紀藤の姿はどこにもない。

「オニは、海外出張中なんですよ」

 キョロキョロと室内に視線を巡らせていた俺の考えていたことに気付いたのか、雅臣が耳打ちして教えてくれる。千鶴さんに視線を戻すと、どことなく寂しげに見えた。雅臣が小声で告げてきたということは、紀藤のことには触れない方がいいということなのだろう。

「先日は、ありがとうございました」

 ぺこりと頭を下げてくる千鶴さん。新総裁ならびに婚約発表の席に出席したことを言っているのだろう。すれ違い様、おめでとうと声を掛けることはできたが、ちゃんと話す機会はなかった。

「その……こっちこそ、色々とありがとう」

 千鶴さんの働きかけがあって雅臣と再会でき、互いの本心をぶつけ合えて、やっぱり二人ではないと駄目なんだと愛を確認できたんだ。言葉では言い表せないくらいの感謝を、深々と頭を下げることで伝える。

「いつまでも立ったままでは、給仕が食事を運べなくて困ってしまいますよ」

 ちょっと意地悪で、だけれど温かみのある兄の声で言われて、ぱっと顔をあげる。同じタイミングで顔をあげた千鶴さんと目が合い、可笑しくなって吹き出してしまう。

「拓也、此方にどうぞ」

 楽しげに笑う俺と妹に嫉妬したのか、雅臣が俺の背中を押して千鶴さんの視線から外そうとする。独占欲丸出しのその姿を見て、千鶴さんの可愛らしい笑い声は止むことはない。

「拓也さんは、女神様かもしれないわ」

 席に着くと、すぐに昼食が運ばれてきた。海鮮がたくさん入ったトマトソースのパスタを食べていると、千鶴さんが突拍子もないことを言い出した。

「女神……様?」
「えぇ、拓也さんは兄様の鎖を解いてくれ、私を渇望していた鎖で繋いでくれた」

 千鶴さんに崇拝するように見つめられたので、首を振って否定する。

「切っ掛けは俺だったとしても、願いを叶えたのは雅臣本人であり、千鶴さん本人だ」
「ウフフ、ありがとうございます」

 春の野原に咲く花達のような微笑みを浮かべた千鶴さんが、一条への思いを語り始める。それに耳を傾けながら、食事を進めていく。



「ん?」

 西日が眩しくて目が覚める。瞼を開いた先にあったのが見慣れた自室とは違って一瞬混乱するも、すぐにどこなのか分かる。

「雅臣の部屋か……」

 起き上がって背伸びをしながら、確認するように一人ごちる。
 昼食が終わっても、暫く食堂で千鶴さんの話を聞いていた。決意を語ることで気合いを入れるように、喋り続けた千鶴さん。饒舌なのは、最愛の伴侶と離れ離れの寂しさもあるのだろうと思い、千鶴さんが満足できるまで聞き手に回っていた。不機嫌そうに腕を組みながらも席を立たなかった雅臣も、俺と同じ気持ちだったのだろう。
 三時過ぎに、少し話がしたいと先代総裁の第一秘書である紀藤の父が食堂に入ってきて、経営とは無関係の俺は雅臣の部屋に下がった。ベッドに寝転び、食堂を出ていく俺を見る雅臣の、捨て犬のような庇護欲を刺激してくる瞳を思い浮かべていたら、いつの間にか眠ってしまっていたようだ。

「雅臣……」

 一人きりの部屋で、急に不安が襲ってきた。雅臣は俺の記憶の中で生きている人間で、現実世界にはいないのではないか?
 現実逃避するように再び布団に潜りこもうとしていると、ゆっくり開いた扉から人が入ってくる気配がした。

「拓也、お疲れ様でした」

 俺を抱き締め、労るように背中を撫でてくれる大きな掌。あまりに心地好い感触に、これは夢なのか現実なのか分からなくなってくる。

「俺、アンタを好きでいてもいいのかな?」
「好きでいてもらわなくては困ります」

 拗ねたように囁きながら、絶対に手離さないとばかりに掻き抱いてくる雅臣。
 嫌というほど生を感じさせられる力強さ。その声が、その匂いが、その温もりが、雅臣の全てが俺を満たしていく。

「疲れているのはアンタの方だろ」

 昼寝をした挙げ句、寝惚けて迷走してしまったことを謝るように、今度は俺が雅臣の背中を摩る。気持ちよさそうに、体を預けてくれる雅臣。

「夕食の準備ができています。食堂に行きましょうか」

 暫く俺の胸で甘えていた雅臣が、残念そうに言う。
 雅臣から離れてベッドを降りると、意味ありげな瞳で見つめてきた。青い瞳に、雄の炎が宿っている。

「拓也、戻ったら……」
「あぁ、分かった」

 夜の誘いに頷き、戦の前の腹拵えをしに食堂に向かう。
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