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迷走の果てに
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瞼を開いた先にあったのは、清潔感のある白い天井だった。この光景を見るのは何度目だろう。桃井総合病院の病室の天井をぼんやりと眺める。
段々と寝起きの頭がはっきりしてくる。操られていた期間の記憶も、記憶喪失だった期間の記憶も、勿論それ以前の記憶も、全て思い出した。
上半身を起こそうとするが、何か薬を使われているのか体が動かない。諦めて視線だけで室内を確認するが、雅臣の姿はどこにもない。
部屋のカーテンは開いていて眩しい日差しが射し込んでいるので、今は昼なのだろう。倒れたのは夕方だったから、随分眠っていたのだな。
「っ……」
記憶が途切れる前の光景を思い返して血の気が引いていく。
雅臣が怪我をした。掌が血塗れになるくらいに出血していた。もう血は止まったのだろうか? まさか、あのまま溢れ続けて……。青白い顔で微動だにせず横たわる雅臣の姿が脳裏を過り、恐怖で体が震えだす。
指先を掠めただけだと、心配ないから大丈夫だと、そう言っていた。雅臣が掛けてくれた言葉を呪文のように繰り返し、脳内の青白い顔を消していく。
シャボン玉が弾けるように、痛ましげな雅臣の姿が消えて安堵した刹那、血溜まりの中に倒れる女生徒の姿が浮かんだ。俺が、俺が、三輪さんを……
「うわぁぁぁ!」
喉が潰れそうなほどの大声で叫んでしまう。
「ウサミン、どうしたの?」
ガラガラと扉が開き、白衣姿の桃井先輩が飛び込んできた。ベッドサイドに駆け寄り、落ち着けと宥めるように胸を摩ってくる。本当に欲しい掌ではないけれど、痛みを癒すような温もりに、少しずつ落ち着きを取り戻していく。
「桃井先輩は、全部知ってるんですか?」
「お坊っちゃまが知ってる情報は知ってるよぉ」
雅臣も桃井先輩に検査をしてもらっていたのだ。相談する相手としては、医者であり友人である桃井先輩は最適だろう。
「俺が三輪さんを……殺したって、ことも?」
犯してしまったことの重さに声が震える。
桃井先輩は慈愛に満ちた微笑を向けてくるだけで、何も言わない。
「体を動かせるようになったら読んでごらん」
枕元に何かを置き、静かに病室を出ていく桃井先輩。
目を開いたら雅臣の腕の中にいますように。ギュッと目を瞑り、現実逃避するように願う。
目を開けると、白かった部屋が朱色に染まっていた。今までのことは全て夢だったのだろうか。淡い期待を胸に抱き、体を起こそうと腹筋に力を入れる。ギギギと鳴るような、油切れのロボットのようなぎこちない動きだが、なんとか上半身を起こすことができた。
少し高くなった視界を見渡す。期待も虚しく、そこは昼間に見た殺風景な病室のままだった。夕日で染まっていただけか。窓の外に目を遣り、半分ほど地平線に沈んだ太陽を見て思う。
ガサッと、何かが掌に当たる。何だろうとシーツの上を見ると、白い封筒があった。体を動かせるようになったら読んでごらん、と桃井先輩が言っていたものだ。
見てはいけない、だけど見なくてはいけない。負け戦だと分かっているのに、使命感に燃えて出陣する侍のような気持ちで、封筒を手に取る。意を決するように唾を飲み込み、封を開けて中の便箋を取り出す。
「ん?」
便箋にびっしりと綴られていたのは見覚えのない文字で、大量の疑問符が頭上に浮かぶ。丸みを帯びた女子が書くような文字で書かれた手紙は、誰がしたためたものなのだう? 俺が読んでいいものなのかと躊躇いながらも、冒頭に目を通す。
『宇佐美くんへ』
そう始まっている手紙に、俺に宛てたものだと分かり、読み進める。
『謝って済むことじゃないって分かってる。でも、宇佐美くん、ごめんね。一条くんも、本当にごめんなさい。』
いきなりの謝罪に混乱する。俺と雅臣に謝っている、この手紙の書き手は誰だ?
『宇佐美くんが好きだったのは本当です。でも今思うと、アイドルに憧れている感覚に近かったのかもって思うの。転校したての宇佐美くんは、クールな一匹狼って感じで凄く格好良かった。』
俺が好きだった? 内容に不気味さを感じ、このまま読み進めるべきか迷う。だが、冒頭の謝罪の意味が知りたくて続きに目を通す。
『夏休み明けくらいかな、宇佐美くんの雰囲気が変わったのは。テレビの向こうのアイドルが、クラスメイトになった感じっていうのかな。凄く人間らしくなったの。』
夏休み明けということは、雅臣に出会ったあとだ。誰だか分からない手紙の書き手にも、雅臣によって変わり始めた俺がバレていたのか。羞恥で顔が熱くなっていくが、第三者にも雅臣の影響を感じ取られたことに嬉しさを感じる。
『告白しようって近付いていった時の宇佐美くん、本当に幸せそうな笑みを浮かべて電話してて、あぁ、好きな人が出来たから雰囲気が柔らかくなったんだって気付いたの。返事は分かってたけど、気持ちの整理をしたくて強引に告白しちゃって、あの時は迷惑掛けちゃったね。』
苦笑しながら書いたのだろうと、文字から伝わってくる。だが次の瞬間、記されている内容の意味を理解し、一気に血の気が引いていった。
今まで、俺に告白してきたのは二人だけだ。一人は、永久に共に歩むことを誓いあった相手である、雅臣。もう一人は……三輪さん。茶番劇に巻き込み、深く傷付け、俺が殺してしまった相手だ。この手紙を書いたのは三輪さんなのか?
便箋を持つ手が震えてくる。直ぐに手放し、頭から布団を被って夢の中に逃げ込みたい。だが、最後まで読まなければならないという使命感で、小刻みに震えながらも読み進める。
『風間さんに出会ったのは、修学旅行から帰ってすぐのことだった。失恋したヒロインを気取って高いヒールで街を歩いていたら、地面にダイブしちゃったの。ギャグにしか見えない転び方に周りの人が失笑して見下してくる中、手を差し伸べてくれたのが風間さんだった。』
突然出てきた風間なる人物に、何を伝えたいのか分からなくなってくるが、冒頭の謝罪に繋がる話なのだろう。
『それが切っ掛けで、風間さんと食事に行ったりドライブしたりするようになって、お付き合いすることになったの。風間さんと一緒にいると幸せで胸が満たされたの。』
雅臣と一緒にいると感じる幸せを、三輪さんは風間なる人物と共にいることで感じていたのか。どういう理由でかは分からないが、胸を焦がす相手がいたのに、その想いを俺に抱くような状況にして茶番劇に巻き込み、その揚げ句に……。脳裏に浮かびそうになった血塗れの三輪さんを、手紙に集中することで打ち消す。
『新学期が始まって、宇佐美くんと一条くんが一緒にいるところを見て、宇佐美くんを変えたのが一条くんなんだって分かった。宇佐美くんにフラれたお陰で風間さんに出会えて、愛し愛される幸福を知ったから、同性同士で困難もあるだろうけど、二人にもずっと幸せでいて欲しいなって見守ってたの。』
偽の恋人ごっこに終止符を打った時の、母のような慈愛に満ちた顔で微笑む三輪さんが思い浮かぶ。罪悪感で痛む胸に奥歯を噛み締めて耐えながら、続きを読む。
段々と寝起きの頭がはっきりしてくる。操られていた期間の記憶も、記憶喪失だった期間の記憶も、勿論それ以前の記憶も、全て思い出した。
上半身を起こそうとするが、何か薬を使われているのか体が動かない。諦めて視線だけで室内を確認するが、雅臣の姿はどこにもない。
部屋のカーテンは開いていて眩しい日差しが射し込んでいるので、今は昼なのだろう。倒れたのは夕方だったから、随分眠っていたのだな。
「っ……」
記憶が途切れる前の光景を思い返して血の気が引いていく。
雅臣が怪我をした。掌が血塗れになるくらいに出血していた。もう血は止まったのだろうか? まさか、あのまま溢れ続けて……。青白い顔で微動だにせず横たわる雅臣の姿が脳裏を過り、恐怖で体が震えだす。
指先を掠めただけだと、心配ないから大丈夫だと、そう言っていた。雅臣が掛けてくれた言葉を呪文のように繰り返し、脳内の青白い顔を消していく。
シャボン玉が弾けるように、痛ましげな雅臣の姿が消えて安堵した刹那、血溜まりの中に倒れる女生徒の姿が浮かんだ。俺が、俺が、三輪さんを……
「うわぁぁぁ!」
喉が潰れそうなほどの大声で叫んでしまう。
「ウサミン、どうしたの?」
ガラガラと扉が開き、白衣姿の桃井先輩が飛び込んできた。ベッドサイドに駆け寄り、落ち着けと宥めるように胸を摩ってくる。本当に欲しい掌ではないけれど、痛みを癒すような温もりに、少しずつ落ち着きを取り戻していく。
「桃井先輩は、全部知ってるんですか?」
「お坊っちゃまが知ってる情報は知ってるよぉ」
雅臣も桃井先輩に検査をしてもらっていたのだ。相談する相手としては、医者であり友人である桃井先輩は最適だろう。
「俺が三輪さんを……殺したって、ことも?」
犯してしまったことの重さに声が震える。
桃井先輩は慈愛に満ちた微笑を向けてくるだけで、何も言わない。
「体を動かせるようになったら読んでごらん」
枕元に何かを置き、静かに病室を出ていく桃井先輩。
目を開いたら雅臣の腕の中にいますように。ギュッと目を瞑り、現実逃避するように願う。
目を開けると、白かった部屋が朱色に染まっていた。今までのことは全て夢だったのだろうか。淡い期待を胸に抱き、体を起こそうと腹筋に力を入れる。ギギギと鳴るような、油切れのロボットのようなぎこちない動きだが、なんとか上半身を起こすことができた。
少し高くなった視界を見渡す。期待も虚しく、そこは昼間に見た殺風景な病室のままだった。夕日で染まっていただけか。窓の外に目を遣り、半分ほど地平線に沈んだ太陽を見て思う。
ガサッと、何かが掌に当たる。何だろうとシーツの上を見ると、白い封筒があった。体を動かせるようになったら読んでごらん、と桃井先輩が言っていたものだ。
見てはいけない、だけど見なくてはいけない。負け戦だと分かっているのに、使命感に燃えて出陣する侍のような気持ちで、封筒を手に取る。意を決するように唾を飲み込み、封を開けて中の便箋を取り出す。
「ん?」
便箋にびっしりと綴られていたのは見覚えのない文字で、大量の疑問符が頭上に浮かぶ。丸みを帯びた女子が書くような文字で書かれた手紙は、誰がしたためたものなのだう? 俺が読んでいいものなのかと躊躇いながらも、冒頭に目を通す。
『宇佐美くんへ』
そう始まっている手紙に、俺に宛てたものだと分かり、読み進める。
『謝って済むことじゃないって分かってる。でも、宇佐美くん、ごめんね。一条くんも、本当にごめんなさい。』
いきなりの謝罪に混乱する。俺と雅臣に謝っている、この手紙の書き手は誰だ?
『宇佐美くんが好きだったのは本当です。でも今思うと、アイドルに憧れている感覚に近かったのかもって思うの。転校したての宇佐美くんは、クールな一匹狼って感じで凄く格好良かった。』
俺が好きだった? 内容に不気味さを感じ、このまま読み進めるべきか迷う。だが、冒頭の謝罪の意味が知りたくて続きに目を通す。
『夏休み明けくらいかな、宇佐美くんの雰囲気が変わったのは。テレビの向こうのアイドルが、クラスメイトになった感じっていうのかな。凄く人間らしくなったの。』
夏休み明けということは、雅臣に出会ったあとだ。誰だか分からない手紙の書き手にも、雅臣によって変わり始めた俺がバレていたのか。羞恥で顔が熱くなっていくが、第三者にも雅臣の影響を感じ取られたことに嬉しさを感じる。
『告白しようって近付いていった時の宇佐美くん、本当に幸せそうな笑みを浮かべて電話してて、あぁ、好きな人が出来たから雰囲気が柔らかくなったんだって気付いたの。返事は分かってたけど、気持ちの整理をしたくて強引に告白しちゃって、あの時は迷惑掛けちゃったね。』
苦笑しながら書いたのだろうと、文字から伝わってくる。だが次の瞬間、記されている内容の意味を理解し、一気に血の気が引いていった。
今まで、俺に告白してきたのは二人だけだ。一人は、永久に共に歩むことを誓いあった相手である、雅臣。もう一人は……三輪さん。茶番劇に巻き込み、深く傷付け、俺が殺してしまった相手だ。この手紙を書いたのは三輪さんなのか?
便箋を持つ手が震えてくる。直ぐに手放し、頭から布団を被って夢の中に逃げ込みたい。だが、最後まで読まなければならないという使命感で、小刻みに震えながらも読み進める。
『風間さんに出会ったのは、修学旅行から帰ってすぐのことだった。失恋したヒロインを気取って高いヒールで街を歩いていたら、地面にダイブしちゃったの。ギャグにしか見えない転び方に周りの人が失笑して見下してくる中、手を差し伸べてくれたのが風間さんだった。』
突然出てきた風間なる人物に、何を伝えたいのか分からなくなってくるが、冒頭の謝罪に繋がる話なのだろう。
『それが切っ掛けで、風間さんと食事に行ったりドライブしたりするようになって、お付き合いすることになったの。風間さんと一緒にいると幸せで胸が満たされたの。』
雅臣と一緒にいると感じる幸せを、三輪さんは風間なる人物と共にいることで感じていたのか。どういう理由でかは分からないが、胸を焦がす相手がいたのに、その想いを俺に抱くような状況にして茶番劇に巻き込み、その揚げ句に……。脳裏に浮かびそうになった血塗れの三輪さんを、手紙に集中することで打ち消す。
『新学期が始まって、宇佐美くんと一条くんが一緒にいるところを見て、宇佐美くんを変えたのが一条くんなんだって分かった。宇佐美くんにフラれたお陰で風間さんに出会えて、愛し愛される幸福を知ったから、同性同士で困難もあるだろうけど、二人にもずっと幸せでいて欲しいなって見守ってたの。』
偽の恋人ごっこに終止符を打った時の、母のような慈愛に満ちた顔で微笑む三輪さんが思い浮かぶ。罪悪感で痛む胸に奥歯を噛み締めて耐えながら、続きを読む。
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