その男、幽霊なり

オトバタケ

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お花見デート

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 チュッチュッと触れ合うだけのキスが、爽やかな朝に相応しくない濃厚なものへと変わり、淫らな水音を立て始めた。ジュッジュッと舌を絡ませ合いながら、熱くなってきた体を教えあうように密着させる。二人分の熱で体が溶けて、一つの塊になっていくようだ。
 こうやってずっと繋がって一つになっていれば、不安に苛まれたり、嫉妬に狂ったりすることはないのだろう。でも、全く違う二つの魂だから惹かれあったんだ。一つにはなれないから、こうやって繋がった瞬間に泣きたいくらいの幸福を感じるんだ。
 そうなんだ。今、とても幸せなんだ。官能を刺激するようなキスをしているのに、心が穏やかで温かい理由が分かった。

 いやらしいのに心地好いキスを堪能していると、コホンと遠慮がちな咳払いが聞こえた。花がくしゃみをしたような可愛らしい声に、オオイヌノフグリの咲く天国の入口に飛んでいた意識が戻ってくる。
 そうだ。この家には俺たち以外に、鈴を転がすような声を出す人物がいたのだ。黒髪の美女の姿が脳裏に浮かんで唇を離そうとする。だが、俺の意識がキスから逸れたことが気に食わないのか、抱き締める力を強めてきた雅臣に口内の愛撫を激しくされる。俺が気付いたということは、雅臣も妹が側にいることが分かっているはずだ。それなのに、見せ付けるように派手な水音を立ててきて、羞恥で顔が熱くなってくる。
 もうやめてくれ。バシバシと背中を叩き付けると、やっと唇を解放してもらえた。恥ずかしくて妹の顔など見られないので、酸欠の振りをして雅臣の胸に顔を埋める。

「何か用でも?」

 雅臣が満足そうな手付きで俺の背中を撫でながら、妹に問う。キスを邪魔されたのが不満なのか、不機嫌な声だ。

「拓也さんに御挨拶したいと思ったの」
「挨拶ならば後からでも出来るでしょう」
「だって、あのまま声を掛けなかったら致しちゃいそうだったじゃない。お出掛けするって聞いていたから気を遣ったのよ」
「気を遣うというのは、声を掛けないことを言うんです」

 雅臣が、はぁっと吐いた溜め息が旋毛に掛かる。
 妹は俺達の関係を知っていて応援してくれているとは聞いていた。しかし、兄が男といやらしいキスをしている現場を見たら、目を背けたくなるものだろう。それなのに彼女は特に動揺した様子もなく、のほほんとした口調で語ってくる。安心したというか、そんな素っ気ない態度なのかと気が抜けたというか、張り詰めていたものが弛んで脱力してしまう。
 雅臣の胸から顔を離して妹の方をそっと窺う。ばっちり目が合ってしまい、ニコリと花が綻ぶような笑顔を向けられた。魅力的な体は、白のブラウスと紺色のスカートで包まれていて、何も身に付けていなくても漂っていた気品溢れるお嬢様度がアップしている。
 さっき石のように固まり見つめ合っていた時は、嫉妬のフィルターが掛かっていてはっきり見えていなかったのか、ちゃんと見ると雅臣に顔立ちがよく似ている。すうっと通った鼻梁と程よい厚みのある唇の形は、瓜二つだ。
 兄妹の共通点を探すように妹を凝視してしまっていたのか、妹は恥ずかしそうに目を伏せた。対して兄は、自分以外を見るなとでも言わんばかりに、俺の顔を胸に埋めさせた。怒っているのか、トクトクと少し早めに打つ鼓動を頬に感じながら、俺の視線を独占したがる雅臣に喜びを覚える。

「拓也さん、愚兄がお世話になっています。本当は大空で飛び回りたいのに頑なに籠から出ようとしなかった兄に、飛び立つ勇気を与えてくださってありがとうございます。それから、兄を人間らしくしてくださったのも、本当に嬉しくて喜んでいるの」
「拓也に会うまで僕は、人間ではなかったと言うんですか?」
「えぇ。独占欲も執着心もなかったじゃないの。人生を達観した振りをした操り人形だったわ。そんな兄様が恋をしたらこんな可愛くなっちゃうんだもの、私可笑しくて……」

 クスクスと、鈴の音のような笑い声を立てる妹。雅臣が変わったことを、本当に喜んでいるのだと分かる。
 それと同時に、俺が雅臣の初めての感情を引き出し、それを独占しているのだと改めて分かった。雅臣本人から何度も告げられていたが、第三者の、それも雅臣の最も近くにいた人物からそれを知らされると、本当のことなんだと実感が沸く。

「今、雅臣が自由に羽ばたいているのは本人の努力の結果だ。それに君が、千鶴さんが一条の人達を説得してくれたことが大きな手助けになった。礼を言うのは俺の方だ。雅臣の鎖を解いてくれて、俺の隣に戻って来られるようにしてくれて、ありがとう」

 雅臣の腕を解いて顔を上げ、千鶴さんの黒褐色の瞳を見つめて真摯に告げる。
 クスリと微笑む、全てを優しく包み込むような顔は誰かに似ている。あぁ、聖母マリアだ。小学五年の時に引っ越した街にあった、古い教会のステンドグラスに描かれていた、赤ん坊のキリストを見つめているマリアの表情にそっくりな千鶴さんに、感謝の祈りを捧げたくなる。
 不安が消えると、空っぽの胃が飯はまだかと騒ぎ始めた。

「雅臣達は朝飯食ったのか?」
「いえ、まだ頂いていません」
「これ……」

 母が作ってくれたサンドイッチの包みを持っていたはずの右手を上げるが、そこには何も握られていない。

「あれかしら?」

 ちょこんと首を傾げながら千鶴さんが指差す、玄関を上がってすぐの所に、アルミの包みが落ちていた。浴室から出てきた千鶴さんと目が合った時、雅臣に浮気をされたと勘違いして、ショックで落としてしまっていたのだろう。
 サンドイッチを取るため立とうとしても、雅臣が蛸のように絡み付いていて動けない。離せ、と怒るように身を捩っても、腰に回された腕の力は弱まることなく、寧ろ強まっている。
 仕方なく、雅臣をヤドカリの家のようにくっ付けたまま這って、サンドイッチの包みを取りに行く。

「これ朝食用にって母さんが持たせてくれたんだ。でも二人分しかない」

 ただでさえ腹が減っていたのに、千鶴さんとの関係を疑ってしまって高速コンピューター並みに様々なことを考えたため、脳も疲れて栄養を欲しているのか、いつも以上に腹の虫が鳴いている。雅臣と二人で分けても足りないかもしれない空腹具合なのに、三人で食べたら、全然足りないぞと腹の虫が暴動を起こすのは確実だ。

「千鶴の分は必要ありませんよ。さぁ、お母様のサンドイッチを頂いてデートに出発しましょう」

 俺の脇の下に腕を差し込み、無理矢理立たせてくる雅臣。

「千鶴さんの分がいるだろ」

 雅臣が俺の家族を大切に扱ってくれるように、俺も雅臣の家族を大事にしたい。俺達を応援し、雅臣に代わって跡を継ぐと言ってくれている千鶴さんなら尚更にだ。

「千鶴はすぐに帰るから心配ありませんよ」
「私、帰らないわよっ!」

 雅臣の言葉に対し、おしとやかなお嬢様とは思えない金切り声を出した千鶴さんに、吃驚して肩が跳ねる。大丈夫だと宥めるように背中を撫でてくれる雅臣を、怒りで顔を赤く染めた千鶴さんが涙目で睨んでいる。

「オニに連絡しておきました。じきに迎えに来るでしょう」
「あんな奴の顔なんか見たくないわっ! それと兄様、もう何度言ったか分からないけれど、キトウは鬼の鬼頭ではなく糸へんの紀藤よ」

 紀藤が何者なのか分からないが、一条の関係者なのは確かだろう。相変わらず他人の名前を正確に呼ばない雅臣に、吹き出しそうになる。
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