その男、幽霊なり

オトバタケ

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師走

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「どうしました?」

 冷えた空気に晒せば少しはましになるだろうかと考え、舌を出して項垂れていると、背後から前に移動してしゃがんだ男が、不思議そうに俺の顔を覗き込んできた。

「まさか、獅子唐ではなく唐辛子だったんですか?」

 正確には唐辛子ではないが、唐辛子のような獅子唐だったのでコクンと頷く。
 舌を洗ってこようかな、とベンチを立とうとすると、半透明の整った顔が舌を出したままの俺の顔に近付いてきた。
 痺れて感覚がなくなっているはずの舌に、しっとり濡れた生暖かいものを這わされているのが、はっきりと伝わってくる。
 ねちょりねちょりねちょり、と三往復したそれが舌から消えると、目の前にあった男の顔も離れていった。

「辛みを舐めとったので、もう大丈夫ですよ」

 にこりと無邪気に笑う男の言葉で、先程の感覚は男に舌を舐められたものだったのだと分かり、体温が一気に上がっていく。
 舌が熱を持っていたから、普通に触れ合えてしまったのだろう。

「海老原の前でふざけたことするな!」
「拓也は僕のものだとカニなんとかに知らしめてやったんです」

 男に舌を舐められたこと。
 男に自分のものだと言われたこと。
 それを海老原に見せ付けようとしたこと。
 俺のことが好きだと分かる言動にキュンと胸が甘く締め付けられて、鼓動が早くなっていく。

「アンタのものになった覚えなんてない!」

 赤く染まっているだろう顔の理由が嬉しいからだと気付かれないように、怒りで血が昇っているように装い怒鳴る。

「海老原、今のは……」

 修学旅行先でキスをしようとしているところを見られ、今回は舌を舐められたところを見られてしまった。
 隠している気持ちに気付かれないように、男の変態行為に迷惑してるんだと伝わるよう顔を歪めて海老原の方を向くと、耳にイヤホンを付けて携帯を弄っていた。
 俺の視線に気付いていないようで、一人の世界に入っている。
 さっきのあれも気付かれていなかったのだろうか。
 ふぅっと安堵の息を漏らしていると、俺の視線に気付いたらしい海老原は、イヤホンを外してこちらを見た。

「どうかしたの?」
「いや、何でもない」
「あっ、そうだ」

 小首を傾げて俺を見ていた海老原が、何かを思い出したようにパチンと両手を叩き、スラックスのポケットに手を入れて財布を取り出した。

「今度の日曜まで、科学館で最新鋭のプラネタリウムやってるんだよ。チケット貰って行ったんだけど物凄く綺麗で感動しちゃったんだ。でね、チケット一枚余ってるんだけど、良かったら宇佐美くん行かない?」
「海老原は、もう見に行かなくていいのか?」

 財布からチケットを取り出して手渡してくる海老原だが、そんなに良かったならまた見に行きたいのではないか、と受け取るのを躊躇する。

「もう一回見に行きたいけど、用事があっていけないんだ」

 残念、と口をへの字に曲げた海老原に、強引にチケットを握らされる。

「じゃ、有り難く貰っておくよ」

 渡されたチケットを見ると、幾千もの光が輝く壮大な星空の写真がプリントされていた。

「実物は、この写真の何倍も綺麗なんだよ」

 写真に釘付けになっている俺に気付いた海老原が、プラネタリウムの映し出す星空を思い浮かべたのか、うっとりしたように言う。

「どんな星空が見られるのか楽しみですね」

 俺に怒鳴られて背後に戻っていた男がチケットを覗き込んできて、弾んだ声で言う。

「そうだな」

 チラッと見上げた男の顔は無邪気な笑みを浮かべていて、無垢な子供のようなその顔に俺の頬も緩んでいく。

「アンタ、星座とかにも詳しいのか?」
「八十八星座の内の半分しか分からないですね」
「星座って、八十八種類あるのか? どこで覚えてきたんだよ。まぁ、知ってても人生の役に立たないだろうけど」
「役に立つ立たないは関係なく、知識はたくさんあった方が人生は楽しいと思いますよ」

 無駄な知識だと馬鹿にした俺を諭すように、大人の余裕を感じさせる笑みを浮かべて語りかけてくる男にイラッとする。

「俺は広く浅くより、狭く深くなんだよ。好きなことを深く追求したいんだよ」
「浅くともたくさんのことを知って、其処から好きなことを見つけるべきではないですか?」

 チケットの星空の写真を見つめながら、脱線した話題で言い合いをしていると、ふと隣から視線を感じた。
 慌てて振り向いたが、海老原はこちらの様子になど興味がないといった感じで、またイヤホンをして携帯を弄っていた。
 ほっと胸を撫で下ろして男の方に顔を戻し、挑発的な笑みを浮かべてやる。

「広く浅くって言うなら、プラネタリウムに行くまでに八十八星座全部覚えてこいよ」
「ええ。でも僕は一人では動けないので、拓也が八十八星座を調べてくれなければ覚えられませんからね」
「うっ……分かったよ。帰りに図書室に寄ってくから、ちゃんと覚えろよ。言っとくけど、俺は本を捲るだけで読まないからな」
「しっかり覚えて優しく丁寧に教えてあげますからね」

 耳許に口を近付けてきた男が、艶かしい声で囁いてくる。
 腰の辺りに甘い痺れが走り、腹の奥がザワザワと騒ぎ出して、北風に晒されて冷えた体に一気に熱が戻ってくる。
 今まで何度もからかわれてきた艶っぽい冗談も、気持ちを自覚した後だとムカムカよりもムラムラの比率のが大きくなってしまうから困る。

「もう昼休みが終わるから戻るぞ」

 二人とは顔を合わさずに立ち上がる。
 今は真っ昼間でここは学校だ、と目覚めそうになっている雄に言い聞かせながら、教室へ向かって歩き出した。


 土曜日、明日が最終日だという最新鋭のプラネタリウムを見る為、自転車で十五分ほど走った先にある科学館を目指す。
 空は快晴で陽射しも降り注いではいるが、頬に当たる風は氷のように冷たい。

「寒っ」

 ずずず、と鼻水を啜りながら自転車を漕いでいると、頬がほんのり温かくなるのを感じた。
 チラッと視線を落とすと、半透明の掌が頬を包んでいた。

「温かくなりましたか?」

 背後からの声に振り返ると、荷台に優雅に横座りをしている男が笑いかけてきた。

「あんまり変わらない」

 その優しい笑顔につられて顔が弛みそうになったのを隠す為、素っ気なく答えて前を向く。
 男の掌自体には温もりはないので頬の冷たさは変わらないが、胸の奥が擽ったくなってほんのり温かくなった。
 男に触れられると、安心するような満たされるような気持ちになる。
 ちゃんと男はここにいて、俺に触れたいと思っているんだと分かるから、そう思うのだろうか。

 日に日に男への想いは募っていくが、それを隠す為に減らず口や冷たい態度が増してしまっている。
 駄々っ子を宥めるように大人の余裕の笑みで応じてくれている男だが、いつか呆れられてその笑顔が消えるのかもしれないという恐怖心が、天の邪鬼な態度をとる度に膨らんでいく。
 頬には、まだ男の掌が当てられている。絶対に離したくない掌が……。
 こんなにも誰かを求め、失うことに怯える女々しい自分がいたなんて知らなかった。
 急に恥ずかしくなって、照れ隠しで邪魔だと振り払おうと上げかけた手を、顔が見えない今だけは素直になろう思い直してハンドルに戻して、科学館までの残りの道を男に包まれたまま進んだ。

 その後、科学館で出会った人物によって、俺と男の運命が大きく動き出すことになるなどとは露知らずに……。
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