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神無月
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校門の前まで来ると、海老原が曲がっていく方の門に見覚えのある人影があり、足が止まった。
待ち伏せしていた人物の顔を確認した海老原は、視界から消すように俯いて小刻みに震えだした。
どうしてアイツがここにいるんだ?
震える海老原越しに、愛しそうにこちらを見つめている成瀬を睨む。
「ウサミン、エビちゃん、どうしたの?」
ウ、ウサミン? まさか、俺のことか?
少し鼻にかかった柔らかい声がした方に振り返ると、学ランのボタンを全て外し、更に中のシャツのボタンも三分の一を外して、大きく開いた胸元に光るシンバーのネックレスを揺らしながら、やぁ、と右手をあげて近付いてくる桃井先輩がいた。
桃井先輩は、俺と海老原の背中をぽんぽんと叩いた後、成瀬の方に向かっていく。
「お兄さん、こんな目のつく所で待ち伏せなんかしちゃったらエビちゃんに変な噂が立っちゃうよ? 大切な子が傷付いても平気なんだ」
「そんなつもりは……。僕はただ、光と話がしたくて……」
柔らかい口調で話す桃井先輩の表情は見えないが、成瀬の怯えた顔から察するに見ない方がいい顔をしていると思われる。
いつも笑顔で穏やかなイメージの桃井先輩の、見たら縮みあがってしまうような表情とはどんなものなのか気にはなるが。
「また学校に来られても迷惑なんで、一度ちゃんと話してきます」
何かを決意したようにふぅっと大きく息を吐いた海老原が、二人に歩み寄って告げる。
「光!」
嬉しそうに目を輝かせ、今にも海老原に飛びかかりそうな勢いの成瀬。
「エビちゃん?」
成瀬から護るように海老原の前に立ち、海老原の華奢な肩に手を乗せて心配そうに顔を覗き込む桃井先輩。
「ボクは大丈夫ですから。桃ちゃん先輩、後で……」
「うん。終わったら電話してね」
海老原の決意を感じ取ったのか、いつもの柔らかな笑顔を浮かべた桃井先輩は、耳に拳を当て電話をするポーズをすると校舎の方へ戻っていった。
「行きましょう」
抑揚のない声で告げ、ずんずん歩き出す海老原の後を、成瀬は散歩に連れていってもらう犬のように尻尾を振って付いていった。
「修羅場ですね」
ぼーっとテレビドラマを見るように一部始終を見ていた俺は、男が漏らした一言で我に返る。
「修羅場、なのか?」
修羅場というのは、もっとこう殴りあったり罵りあったり、激しいものじゃないのか?
先程までの静かなやり取りを思い返して、首を傾げる。
「海老原、大丈夫なのか?」
「彼は強いですから、信じて待っていましょう」
二人の去っていった道の先を見つめて呟くと、安心させてくれるように優しく微笑みながら男が言った。
「俺、何の役にも立たなかったな……」
俺なんか、いてもいなくても関係なく繰り広げられていた三人の攻防を思い返して溜め息をつく。
巻き込まれたところで何も出来なかっただろうが、蚊帳の外というのもやるせない。
「隣にいることでカニなんとかの支えになっていたはずですよ」
「あそこで桃井先輩が現れなきゃ、いつまでも海老原は震えて成瀬の視線に耐え続けることしか出来なかったはずだ。俺は何の支えにもなっていなかった。それに桃井先輩は海老原と成瀬の事情を知っていたみたいなのに、俺は何も聞かされていない」
成瀬と向かい合う勇気を与えたのは紛れもなく桃井先輩で、向かい合って乱れるであろう心を鎮めて欲しいと頼ったのも桃井先輩だ。
全てを晒け出さず絶対的に信頼し必要としている相手がいない俺を、求め必要としてくれる人などいるわけないと分かっているのに、俺の存在価値などないのかと虚しくなってくる。
「僕は、健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、拓也と分かち合い拓也と共にいたいと思っています」
俺の左手を掴み、空いている左手を自分の心臓の上に当て、結婚式で神に誓うような言葉を厳粛に言う男。
その顔には、いつもの大人の余裕も、俺を惑わせる妖艶さも、小馬鹿にして見下すような様もなく、少年のような純粋さだけがあった。
縋るような青い双眸の放つ光は、どことなく危うくて頼りなくて、支えてやらなくてはという気にさせる。
俺だけを見て俺だけを必要としてくれている、というのが伝わってくる視線が心地好くて、それに応えるように男に手を伸ばそうとしてはっとする。
「ば、馬鹿じゃねーの」
必要とされているのが嬉しくて、なんだか擽ったくて、胸がほんのり温かくなってしまったのを隠すようにぶっきらぼうに吐き捨てると、クスクスと笑いながら後ろを付いてくる男に振り返ることなく家路を急いだ。
十月も残り僅か。
朝晩はだいぶ冷え込むようになったが昼間はぽかぽか陽気で、昼飯を食べた後は、こうやってベンチの背凭れに体を預けてうとうとしながら、気持ちいい一時を過ごしている。
「あ、カクッてなった。可愛い」
「拓也、そんな無防備な姿は僕以外の前で見せてはいけません」
クスクス笑う海老原の声と、キーキー怒る男の声で、微睡みかけていた意識は現実に引き戻される。
「気持ちよく寝かかってたのに騒ぐな!」
「気持ちいいなんて卑猥な言葉、カニなんとかの前で言ってはいけません」
「気持ちいい、のどこが卑猥なんだ?」
「宇佐美くんは、絶対言わさそうだよね」
「普通に気持ちよかったら、気持ちいいって言うだろ。海老原まで意味の分からないことを言うな!」
後少しで夢の世界に旅立てるところを邪魔されて苛々しているのに、うすら笑いを浮かべた男と海老原の意味不明な発言が更に苛立たせる。
成瀬と一悶着あった翌日、ありがとう、とだけ告げてきた海老原は、前髪と眼鏡で上半分が隠れていても分かるくらい何か吹っ切れたような清々しい顔をしていた。
自らの力で決着を着けたという自信なのか、折れそうな華奢な体がとても逞しく見えた。
海老原は、俺なんかより大人で強い。
ガキの俺には海老原の心の傷は衝撃的過ぎて受け止められないから、わざと話さないのかもしれない。
頼り甲斐がないからではなく、海老原の優しさから話してくれないのだと考えると、心の中に吹いていた虚しさの風は収まっていった。
待ち伏せしていた人物の顔を確認した海老原は、視界から消すように俯いて小刻みに震えだした。
どうしてアイツがここにいるんだ?
震える海老原越しに、愛しそうにこちらを見つめている成瀬を睨む。
「ウサミン、エビちゃん、どうしたの?」
ウ、ウサミン? まさか、俺のことか?
少し鼻にかかった柔らかい声がした方に振り返ると、学ランのボタンを全て外し、更に中のシャツのボタンも三分の一を外して、大きく開いた胸元に光るシンバーのネックレスを揺らしながら、やぁ、と右手をあげて近付いてくる桃井先輩がいた。
桃井先輩は、俺と海老原の背中をぽんぽんと叩いた後、成瀬の方に向かっていく。
「お兄さん、こんな目のつく所で待ち伏せなんかしちゃったらエビちゃんに変な噂が立っちゃうよ? 大切な子が傷付いても平気なんだ」
「そんなつもりは……。僕はただ、光と話がしたくて……」
柔らかい口調で話す桃井先輩の表情は見えないが、成瀬の怯えた顔から察するに見ない方がいい顔をしていると思われる。
いつも笑顔で穏やかなイメージの桃井先輩の、見たら縮みあがってしまうような表情とはどんなものなのか気にはなるが。
「また学校に来られても迷惑なんで、一度ちゃんと話してきます」
何かを決意したようにふぅっと大きく息を吐いた海老原が、二人に歩み寄って告げる。
「光!」
嬉しそうに目を輝かせ、今にも海老原に飛びかかりそうな勢いの成瀬。
「エビちゃん?」
成瀬から護るように海老原の前に立ち、海老原の華奢な肩に手を乗せて心配そうに顔を覗き込む桃井先輩。
「ボクは大丈夫ですから。桃ちゃん先輩、後で……」
「うん。終わったら電話してね」
海老原の決意を感じ取ったのか、いつもの柔らかな笑顔を浮かべた桃井先輩は、耳に拳を当て電話をするポーズをすると校舎の方へ戻っていった。
「行きましょう」
抑揚のない声で告げ、ずんずん歩き出す海老原の後を、成瀬は散歩に連れていってもらう犬のように尻尾を振って付いていった。
「修羅場ですね」
ぼーっとテレビドラマを見るように一部始終を見ていた俺は、男が漏らした一言で我に返る。
「修羅場、なのか?」
修羅場というのは、もっとこう殴りあったり罵りあったり、激しいものじゃないのか?
先程までの静かなやり取りを思い返して、首を傾げる。
「海老原、大丈夫なのか?」
「彼は強いですから、信じて待っていましょう」
二人の去っていった道の先を見つめて呟くと、安心させてくれるように優しく微笑みながら男が言った。
「俺、何の役にも立たなかったな……」
俺なんか、いてもいなくても関係なく繰り広げられていた三人の攻防を思い返して溜め息をつく。
巻き込まれたところで何も出来なかっただろうが、蚊帳の外というのもやるせない。
「隣にいることでカニなんとかの支えになっていたはずですよ」
「あそこで桃井先輩が現れなきゃ、いつまでも海老原は震えて成瀬の視線に耐え続けることしか出来なかったはずだ。俺は何の支えにもなっていなかった。それに桃井先輩は海老原と成瀬の事情を知っていたみたいなのに、俺は何も聞かされていない」
成瀬と向かい合う勇気を与えたのは紛れもなく桃井先輩で、向かい合って乱れるであろう心を鎮めて欲しいと頼ったのも桃井先輩だ。
全てを晒け出さず絶対的に信頼し必要としている相手がいない俺を、求め必要としてくれる人などいるわけないと分かっているのに、俺の存在価値などないのかと虚しくなってくる。
「僕は、健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、拓也と分かち合い拓也と共にいたいと思っています」
俺の左手を掴み、空いている左手を自分の心臓の上に当て、結婚式で神に誓うような言葉を厳粛に言う男。
その顔には、いつもの大人の余裕も、俺を惑わせる妖艶さも、小馬鹿にして見下すような様もなく、少年のような純粋さだけがあった。
縋るような青い双眸の放つ光は、どことなく危うくて頼りなくて、支えてやらなくてはという気にさせる。
俺だけを見て俺だけを必要としてくれている、というのが伝わってくる視線が心地好くて、それに応えるように男に手を伸ばそうとしてはっとする。
「ば、馬鹿じゃねーの」
必要とされているのが嬉しくて、なんだか擽ったくて、胸がほんのり温かくなってしまったのを隠すようにぶっきらぼうに吐き捨てると、クスクスと笑いながら後ろを付いてくる男に振り返ることなく家路を急いだ。
十月も残り僅か。
朝晩はだいぶ冷え込むようになったが昼間はぽかぽか陽気で、昼飯を食べた後は、こうやってベンチの背凭れに体を預けてうとうとしながら、気持ちいい一時を過ごしている。
「あ、カクッてなった。可愛い」
「拓也、そんな無防備な姿は僕以外の前で見せてはいけません」
クスクス笑う海老原の声と、キーキー怒る男の声で、微睡みかけていた意識は現実に引き戻される。
「気持ちよく寝かかってたのに騒ぐな!」
「気持ちいいなんて卑猥な言葉、カニなんとかの前で言ってはいけません」
「気持ちいい、のどこが卑猥なんだ?」
「宇佐美くんは、絶対言わさそうだよね」
「普通に気持ちよかったら、気持ちいいって言うだろ。海老原まで意味の分からないことを言うな!」
後少しで夢の世界に旅立てるところを邪魔されて苛々しているのに、うすら笑いを浮かべた男と海老原の意味不明な発言が更に苛立たせる。
成瀬と一悶着あった翌日、ありがとう、とだけ告げてきた海老原は、前髪と眼鏡で上半分が隠れていても分かるくらい何か吹っ切れたような清々しい顔をしていた。
自らの力で決着を着けたという自信なのか、折れそうな華奢な体がとても逞しく見えた。
海老原は、俺なんかより大人で強い。
ガキの俺には海老原の心の傷は衝撃的過ぎて受け止められないから、わざと話さないのかもしれない。
頼り甲斐がないからではなく、海老原の優しさから話してくれないのだと考えると、心の中に吹いていた虚しさの風は収まっていった。
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