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長月
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「あれは、シャボン玉ですか?」
カレーを食べ終えて幸せな気分で廊下を歩いていると、隣を歩いていた男が急に止まった。
男が指差している窓の外を見ると、透明な球体がプカプカ浮かんでパァンと弾けた。
「中庭で誰かが吹いてるんじゃないか」
「行ってみませんか?」
「別にいいけど」
陽射しを浴びてキラキラ光るシャボン玉と同じように瞳を輝かせる男は、時々本当に無邪気な顔をするよな、とクスリと笑って中庭に向かう。
シャボン玉は俺と海老原が昼休みを過ごすベンチの方から飛んできていて、二人の秘密の場所を他人に汚されたような気がして眉間に皺が寄る。
「海老原?」
いつものベンチにいたのは海老原で、ベンチの上で体育座りをして立てた膝に顔を埋めている。
泣いているのだろうか?
声を掛けてもいいものか考えていると、海老原を護るようにベンチの周りに沢山のシャボン玉があがった。
シャボン玉はベンチの後ろの木の根元からあがっているようでそこを見ると、芝生に寝転がってストローを吹き、プカプカとシャボン玉をあげている金髪頭があった。
水風船を十個買い、成瀬を足止めしてくれた、あの桃井優一先輩だ。
桃井先輩の吹いたシャボン玉は、寄り添うように海老原の体を包んだ後、その華奢な体の中にある哀しみや苦しみを引き連れていくように天に昇っていく。
「戻りましょうか」
「そうだな」
今の海老原には、俺は必要ないようだ。
拒絶されたわけではなく、まだ出番ではないというだけ。
今の海老原には、桃井先輩の静かな優しさがある。
桃井先輩の優しいシャボン玉に俺の心も癒されたのか、穏やかな気持ちで校舎に戻った。
文化祭終了まで、あと一時間だ。
「一度クラスを見てきてもいいか?」
「水風船の売れ行きが気になりますものね」
俺が作っているのを傍らで品質管理の鬼のようにチェックしていたので、男も水風船の売れ行きが気になるのだろうか。
俺がクラスに寄りたかった理由も水風船の売れ行きを確認する為だったので、最後の客寄せで賑やかな廊下をクラスに向かって進む。
教室内は俺が店番をしていた時と同様に繁盛していて、ほくそ笑みながら水風船屋を覗くと、浴衣姿の柚木が無表情で店番をしていた。
「売れ行きはどうだ?」
「残りはこれだけだ」
俺の声に顔を上げた柚木は一瞬眉を顰めた後、小さく溜め息をついて二十個程の水風船が浮かぶビニールプールを指差した。
よしよし、上出来の売れ行きだ。
あと一時間あれば、完売するだろう。
「柚木は一番目の当番だっただろ? なんでここの店番をしてるんだ?」
確か、海老原と一緒に金魚掬い屋の店番をしていたはずだ。
俺と同じで、黙々と作っていた金魚の売れ行きを見に来たのか?
それならば、なぜ水風船屋の店番をしているのだろう。
「俺は責任者だから一日通してクラスの監視をしているんだ。君みたいに無責任に楽しむ暇なんてない」
心底嫌そうな顔をして吐き捨てる柚木は、気持ち窶れているように見える。
「飯も食ってないのか?」
「一食くらい抜いても死なない」
「俺が店番を代わってやるから、飯食って来いよ」
「君に借りなど作りたくない」
「借りを返して欲しいなんて思っていない。俺だけ無責任に楽しんでるだなんだ嫌味を言われるのが嫌なだけだ。さっさと行けよ。終了の放送が流れるまで帰って来るな」
腕組みをして顎で出口を差すと、チッと舌打ちをした柚木は面倒臭そうに立ち上がって教室を出ていった。
「お固い蜜柑ですね」
「蜜柑じゃない、柚だ。さぁて、水風船を売り切るぞ」
「ええ。買わずにはいられない宣伝文句を伝授しましょうか?」
「必要ない」
フフフと楽しそうに笑う男は、俺に恥ずかしい言葉を言わせる気満々だ。
誰が男の伝授する怪しい宣伝文句なんか言うものか。
ギロッと男を睨むと、残りの水風船を売り切る為に、作り笑顔の仮面を被り接客モードに入った。
文化祭の終了を告げる放送が流れ、放送終了と同時に教室に戻ってきた柚木の指示で撤収作業が始まった。
残り十五分のところで最後の水風船を売り切った俺は、清々しい気持ちで浴衣から制服に着替え、文化祭の終了の放送が流れる頃には水風船屋の小道具は殆ど片付け終えていた。
「放送が流れ終わるまでが文化祭だ。勝手に片付けているな」
「売るものが無いのに店を開いている意味なんてない。片付けないでほかっておくなんて時間の無駄だ」
俺が早々に片付けを始めていたのが気に入らないらしい柚木は、冷たい口調で怒りをぶちまけてきた。
だが、水風船屋より早く完売して終了を告げる放送が流れた時には完全撤収されていた輪投げ屋には、文句一つ垂れていない。
まだ、俺に一位を取られたのを根に持っているのだろう。
「早く帰ってガリ勉君は勉強したいんだろ? ガリ勉君が一位を取り返して誰かさんに当たらなくてもいいように、さっさと片付けるぞ」
撤収が終わったクラスは、通常の終業時間より早くても帰っていいとのことだった。
散々目の敵にされて苛々が溜まっていた俺の皮肉に思い切り顔を歪めた柚木だが、何も言わずに片付けを始めたばかりの金魚掬い店に向かっていった。
「宇佐美くん」
背後からした聞き慣れた声に振り返ると、憑きものが取れたようにすっきりした顔の海老原がいた。
「体調は良くなったか?」
「お陰さまで、ゆっくり休んだら前より良くなっちゃったよ」
ニコッと小さな口から白い歯を見せて笑う海老原を見て、もう心配はいらないな、と優しく包んでくれていた桃井先輩に感謝した。
「文化祭は楽しめた?」
「まぁ、そこそこ」
何度も心が沈みかけたので楽しめたかどうか微妙だ、という顔をした俺の隣では、満面の笑みを浮かべて右手でオッケーマークを作っている男。
二人の顔を交互に見た海老原が、よかった、と口角を上げて撤収の輪の中に入っていった。
俺もその後を追い、一日限りの祭りの跡を消し、日常の教室に戻していった。
カレーを食べ終えて幸せな気分で廊下を歩いていると、隣を歩いていた男が急に止まった。
男が指差している窓の外を見ると、透明な球体がプカプカ浮かんでパァンと弾けた。
「中庭で誰かが吹いてるんじゃないか」
「行ってみませんか?」
「別にいいけど」
陽射しを浴びてキラキラ光るシャボン玉と同じように瞳を輝かせる男は、時々本当に無邪気な顔をするよな、とクスリと笑って中庭に向かう。
シャボン玉は俺と海老原が昼休みを過ごすベンチの方から飛んできていて、二人の秘密の場所を他人に汚されたような気がして眉間に皺が寄る。
「海老原?」
いつものベンチにいたのは海老原で、ベンチの上で体育座りをして立てた膝に顔を埋めている。
泣いているのだろうか?
声を掛けてもいいものか考えていると、海老原を護るようにベンチの周りに沢山のシャボン玉があがった。
シャボン玉はベンチの後ろの木の根元からあがっているようでそこを見ると、芝生に寝転がってストローを吹き、プカプカとシャボン玉をあげている金髪頭があった。
水風船を十個買い、成瀬を足止めしてくれた、あの桃井優一先輩だ。
桃井先輩の吹いたシャボン玉は、寄り添うように海老原の体を包んだ後、その華奢な体の中にある哀しみや苦しみを引き連れていくように天に昇っていく。
「戻りましょうか」
「そうだな」
今の海老原には、俺は必要ないようだ。
拒絶されたわけではなく、まだ出番ではないというだけ。
今の海老原には、桃井先輩の静かな優しさがある。
桃井先輩の優しいシャボン玉に俺の心も癒されたのか、穏やかな気持ちで校舎に戻った。
文化祭終了まで、あと一時間だ。
「一度クラスを見てきてもいいか?」
「水風船の売れ行きが気になりますものね」
俺が作っているのを傍らで品質管理の鬼のようにチェックしていたので、男も水風船の売れ行きが気になるのだろうか。
俺がクラスに寄りたかった理由も水風船の売れ行きを確認する為だったので、最後の客寄せで賑やかな廊下をクラスに向かって進む。
教室内は俺が店番をしていた時と同様に繁盛していて、ほくそ笑みながら水風船屋を覗くと、浴衣姿の柚木が無表情で店番をしていた。
「売れ行きはどうだ?」
「残りはこれだけだ」
俺の声に顔を上げた柚木は一瞬眉を顰めた後、小さく溜め息をついて二十個程の水風船が浮かぶビニールプールを指差した。
よしよし、上出来の売れ行きだ。
あと一時間あれば、完売するだろう。
「柚木は一番目の当番だっただろ? なんでここの店番をしてるんだ?」
確か、海老原と一緒に金魚掬い屋の店番をしていたはずだ。
俺と同じで、黙々と作っていた金魚の売れ行きを見に来たのか?
それならば、なぜ水風船屋の店番をしているのだろう。
「俺は責任者だから一日通してクラスの監視をしているんだ。君みたいに無責任に楽しむ暇なんてない」
心底嫌そうな顔をして吐き捨てる柚木は、気持ち窶れているように見える。
「飯も食ってないのか?」
「一食くらい抜いても死なない」
「俺が店番を代わってやるから、飯食って来いよ」
「君に借りなど作りたくない」
「借りを返して欲しいなんて思っていない。俺だけ無責任に楽しんでるだなんだ嫌味を言われるのが嫌なだけだ。さっさと行けよ。終了の放送が流れるまで帰って来るな」
腕組みをして顎で出口を差すと、チッと舌打ちをした柚木は面倒臭そうに立ち上がって教室を出ていった。
「お固い蜜柑ですね」
「蜜柑じゃない、柚だ。さぁて、水風船を売り切るぞ」
「ええ。買わずにはいられない宣伝文句を伝授しましょうか?」
「必要ない」
フフフと楽しそうに笑う男は、俺に恥ずかしい言葉を言わせる気満々だ。
誰が男の伝授する怪しい宣伝文句なんか言うものか。
ギロッと男を睨むと、残りの水風船を売り切る為に、作り笑顔の仮面を被り接客モードに入った。
文化祭の終了を告げる放送が流れ、放送終了と同時に教室に戻ってきた柚木の指示で撤収作業が始まった。
残り十五分のところで最後の水風船を売り切った俺は、清々しい気持ちで浴衣から制服に着替え、文化祭の終了の放送が流れる頃には水風船屋の小道具は殆ど片付け終えていた。
「放送が流れ終わるまでが文化祭だ。勝手に片付けているな」
「売るものが無いのに店を開いている意味なんてない。片付けないでほかっておくなんて時間の無駄だ」
俺が早々に片付けを始めていたのが気に入らないらしい柚木は、冷たい口調で怒りをぶちまけてきた。
だが、水風船屋より早く完売して終了を告げる放送が流れた時には完全撤収されていた輪投げ屋には、文句一つ垂れていない。
まだ、俺に一位を取られたのを根に持っているのだろう。
「早く帰ってガリ勉君は勉強したいんだろ? ガリ勉君が一位を取り返して誰かさんに当たらなくてもいいように、さっさと片付けるぞ」
撤収が終わったクラスは、通常の終業時間より早くても帰っていいとのことだった。
散々目の敵にされて苛々が溜まっていた俺の皮肉に思い切り顔を歪めた柚木だが、何も言わずに片付けを始めたばかりの金魚掬い店に向かっていった。
「宇佐美くん」
背後からした聞き慣れた声に振り返ると、憑きものが取れたようにすっきりした顔の海老原がいた。
「体調は良くなったか?」
「お陰さまで、ゆっくり休んだら前より良くなっちゃったよ」
ニコッと小さな口から白い歯を見せて笑う海老原を見て、もう心配はいらないな、と優しく包んでくれていた桃井先輩に感謝した。
「文化祭は楽しめた?」
「まぁ、そこそこ」
何度も心が沈みかけたので楽しめたかどうか微妙だ、という顔をした俺の隣では、満面の笑みを浮かべて右手でオッケーマークを作っている男。
二人の顔を交互に見た海老原が、よかった、と口角を上げて撤収の輪の中に入っていった。
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