その男、幽霊なり

オトバタケ

文字の大きさ
上 下
18 / 179
長月

しおりを挟む
「あれは、シャボン玉ですか?」

 カレーを食べ終えて幸せな気分で廊下を歩いていると、隣を歩いていた男が急に止まった。
 男が指差している窓の外を見ると、透明な球体がプカプカ浮かんでパァンと弾けた。

「中庭で誰かが吹いてるんじゃないか」
「行ってみませんか?」
「別にいいけど」

 陽射しを浴びてキラキラ光るシャボン玉と同じように瞳を輝かせる男は、時々本当に無邪気な顔をするよな、とクスリと笑って中庭に向かう。
 シャボン玉は俺と海老原が昼休みを過ごすベンチの方から飛んできていて、二人の秘密の場所を他人に汚されたような気がして眉間に皺が寄る。

「海老原?」

 いつものベンチにいたのは海老原で、ベンチの上で体育座りをして立てた膝に顔を埋めている。
 泣いているのだろうか?
 声を掛けてもいいものか考えていると、海老原を護るようにベンチの周りに沢山のシャボン玉があがった。

 シャボン玉はベンチの後ろの木の根元からあがっているようでそこを見ると、芝生に寝転がってストローを吹き、プカプカとシャボン玉をあげている金髪頭があった。
 水風船を十個買い、成瀬を足止めしてくれた、あの桃井優一先輩だ。
 桃井先輩の吹いたシャボン玉は、寄り添うように海老原の体を包んだ後、その華奢な体の中にある哀しみや苦しみを引き連れていくように天に昇っていく。

「戻りましょうか」
「そうだな」

 今の海老原には、俺は必要ないようだ。
 拒絶されたわけではなく、まだ出番ではないというだけ。
 今の海老原には、桃井先輩の静かな優しさがある。
 桃井先輩の優しいシャボン玉に俺の心も癒されたのか、穏やかな気持ちで校舎に戻った。

 文化祭終了まで、あと一時間だ。

「一度クラスを見てきてもいいか?」
「水風船の売れ行きが気になりますものね」

 俺が作っているのを傍らで品質管理の鬼のようにチェックしていたので、男も水風船の売れ行きが気になるのだろうか。
 俺がクラスに寄りたかった理由も水風船の売れ行きを確認する為だったので、最後の客寄せで賑やかな廊下をクラスに向かって進む。
 教室内は俺が店番をしていた時と同様に繁盛していて、ほくそ笑みながら水風船屋を覗くと、浴衣姿の柚木が無表情で店番をしていた。

「売れ行きはどうだ?」
「残りはこれだけだ」

 俺の声に顔を上げた柚木は一瞬眉を顰めた後、小さく溜め息をついて二十個程の水風船が浮かぶビニールプールを指差した。
 よしよし、上出来の売れ行きだ。
 あと一時間あれば、完売するだろう。

「柚木は一番目の当番だっただろ? なんでここの店番をしてるんだ?」

 確か、海老原と一緒に金魚掬い屋の店番をしていたはずだ。
 俺と同じで、黙々と作っていた金魚の売れ行きを見に来たのか?
 それならば、なぜ水風船屋の店番をしているのだろう。

「俺は責任者だから一日通してクラスの監視をしているんだ。君みたいに無責任に楽しむ暇なんてない」

 心底嫌そうな顔をして吐き捨てる柚木は、気持ち窶れているように見える。

「飯も食ってないのか?」
「一食くらい抜いても死なない」
「俺が店番を代わってやるから、飯食って来いよ」
「君に借りなど作りたくない」
「借りを返して欲しいなんて思っていない。俺だけ無責任に楽しんでるだなんだ嫌味を言われるのが嫌なだけだ。さっさと行けよ。終了の放送が流れるまで帰って来るな」

 腕組みをして顎で出口を差すと、チッと舌打ちをした柚木は面倒臭そうに立ち上がって教室を出ていった。

「お固い蜜柑ですね」
「蜜柑じゃない、柚だ。さぁて、水風船を売り切るぞ」
「ええ。買わずにはいられない宣伝文句を伝授しましょうか?」
「必要ない」

 フフフと楽しそうに笑う男は、俺に恥ずかしい言葉を言わせる気満々だ。
 誰が男の伝授する怪しい宣伝文句なんか言うものか。
 ギロッと男を睨むと、残りの水風船を売り切る為に、作り笑顔の仮面を被り接客モードに入った。

 文化祭の終了を告げる放送が流れ、放送終了と同時に教室に戻ってきた柚木の指示で撤収作業が始まった。
 残り十五分のところで最後の水風船を売り切った俺は、清々しい気持ちで浴衣から制服に着替え、文化祭の終了の放送が流れる頃には水風船屋の小道具は殆ど片付け終えていた。

「放送が流れ終わるまでが文化祭だ。勝手に片付けているな」
「売るものが無いのに店を開いている意味なんてない。片付けないでほかっておくなんて時間の無駄だ」

 俺が早々に片付けを始めていたのが気に入らないらしい柚木は、冷たい口調で怒りをぶちまけてきた。
 だが、水風船屋より早く完売して終了を告げる放送が流れた時には完全撤収されていた輪投げ屋には、文句一つ垂れていない。
 まだ、俺に一位を取られたのを根に持っているのだろう。

「早く帰ってガリ勉君は勉強したいんだろ? ガリ勉君が一位を取り返して誰かさんに当たらなくてもいいように、さっさと片付けるぞ」

 撤収が終わったクラスは、通常の終業時間より早くても帰っていいとのことだった。
 散々目の敵にされて苛々が溜まっていた俺の皮肉に思い切り顔を歪めた柚木だが、何も言わずに片付けを始めたばかりの金魚掬い店に向かっていった。

「宇佐美くん」

 背後からした聞き慣れた声に振り返ると、憑きものが取れたようにすっきりした顔の海老原がいた。

「体調は良くなったか?」
「お陰さまで、ゆっくり休んだら前より良くなっちゃったよ」

 ニコッと小さな口から白い歯を見せて笑う海老原を見て、もう心配はいらないな、と優しく包んでくれていた桃井先輩に感謝した。

「文化祭は楽しめた?」
「まぁ、そこそこ」

 何度も心が沈みかけたので楽しめたかどうか微妙だ、という顔をした俺の隣では、満面の笑みを浮かべて右手でオッケーマークを作っている男。
 二人の顔を交互に見た海老原が、よかった、と口角を上げて撤収の輪の中に入っていった。
 俺もその後を追い、一日限りの祭りの跡を消し、日常の教室に戻していった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

塾の先生を舐めてはいけません(性的な意味で)

ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
個別指導塾で講師のアルバイトを始めたが、妙にスキンシップ多めで懐いてくる生徒がいた。 そしてやがてその生徒の行為はエスカレートし、ついに一線を超えてくる――。

実力を隠し「例え長男でも無能に家は継がせん。他家に養子に出す」と親父殿に言われたところまでは計算通りだったが、まさかハーレム生活になるとは

竹井ゴールド
ライト文芸
 日本国内トップ5に入る異能力者の名家、東条院。  その宗家本流の嫡子に生まれた東条院青夜は子供の頃に実母に「16歳までに東条院の家を出ないと命を落とす事になる」と予言され、無能を演じ続け、父親や後妻、異母弟や異母妹、親族や許嫁に馬鹿にされながらも、念願適って中学卒業の春休みに東条院家から田中家に養子に出された。  青夜は4月が誕生日なのでギリギリ16歳までに家を出た訳だが。  その後がよろしくない。  青夜を引き取った田中家の義父、一狼は53歳ながら若い妻を持ち、4人の娘の父親でもあったからだ。  妻、21歳、一狼の8人目の妻、愛。  長女、25歳、皇宮警察の異能力部隊所属、弥生。  次女、22歳、田中流空手道場の師範代、葉月。  三女、19歳、離婚したフランス系アメリカ人の3人目の妻が産んだハーフ、アンジェリカ。  四女、17歳、死別した4人目の妻が産んだ中国系ハーフ、シャンリー。  この5人とも青夜は家族となり、  ・・・何これ? 少し想定外なんだけど。  【2023/3/23、24hポイント26万4600pt突破】 【2023/7/11、累計ポイント550万pt突破】 【2023/6/5、お気に入り数2130突破】 【アルファポリスのみの投稿です】 【第6回ライト文芸大賞、22万7046pt、2位】 【2023/6/30、メールが来て出版申請、8/1、慰めメール】 【未完】

同僚に密室に連れ込まれてイケナイ状況です

暗黒神ゼブラ
BL
今日僕は同僚にごはんに誘われました

柔道部

むちむちボディ
BL
とある高校の柔道部で起こる秘め事について書いてみます。

大学生はバックヤードで

リリーブルー
BL
大学生がクラブのバックヤードにつれこまれ初体験にあえぐ。

処理中です...