その男、幽霊なり

オトバタケ

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葉月

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「他に寄りたい店はあるか?」

 カラーヒヨコで下がったテンションを上げなければ、せっかく進んだ男の成仏への道が後退してしまうし、俺もこの胸のモヤモヤを取り除きたい。

「彼方にしましょうか」

 顎に手を置いて安全確認をする車掌のようにぐるりと周りを見渡した男の目が、男子中学生達の群がっている店の前で止まる。
 漂流物を避けて泳ぐように人波をすり抜け、そこに向かう。

「射的か……」

 まだ幼さの残るニキビ面の男子中学生達が、わいわい叫びながら雛壇に並べられた商品をライフルで狙っている。

「苦手でしたか?」
「苦手じゃない」

 苦手も何もやったことがない。今からやって、得意か苦手か判断するんだ。

「何が欲しいんだ?」
「其れがいいですね」

 貴方に取れるんですか、と言っているような挑発的な笑みを男に向けられ、絶対に取ってギャフンと言わせてやると心に固く誓う。
 ねじり鉢巻をしたおっちゃんに金を渡し、玩具のライフルと玉が五つ入った皿を受け取る。
 ライフルを構え、男の細い指が差した青い瞳の黒猫のぬいぐるみに標準を合わせる。

 ポータブルゲーム機やブリキのロボット、アイドルの生写真にお菓子等様々なものが並ぶ中で、男は何故あのぬいぐるみを欲しがったのだろう?
 男が欲しいと言って手に入れても最終的には俺のものになるわけだが、正直ぬいぐるみなんていらない。
 でも、黒猫の男と同じ青い双眸を見る度に、男の挑発に勝った余韻に浸れるのも悪くない。

 一発で仕留めてやる、と気合いを入れて放った玉は、雛壇の最上段に居るぬいぐるみの遥か頭上のビニールの壁に当たった。
 パァンパァンパァンと小気味いい音を響かせ三発続けて打つが、ぬいぐるみに掠りもしない。

「無理でしたか……」
「無理じゃない。今までのは肩慣らしで今から本番だ」

 最後の玉を詰めながら、隣で三歳位の息子にミニカーをプレゼントすべく奮闘している父親に聞こえないよう、小声で男に宣言する。
 慎重に狙いを定めて引き金を引こうとすると、俺の指に半透明の指が重なった。

「最後は一緒に」

 耳元で囁かれた蜂蜜のような甘ったるくて粘っこい声で背筋がゾクリとして、その感触を消そうと背中に力を入れたら指にも力が入ってしまい、引き金を引いてしまった。
 外した、と落胆しながら玉を放ってしまった方を見ると、黒猫のぬいぐるみが居ない。

「はい、お兄ちゃん、おめでとう」

 ねじり鉢巻のおっちゃんがニカァと前歯の金歯を見せて笑い、ぬいぐるみを手渡してくる。

「あ……どうも」

 それを受け取り、黒猫の無愛想な澄まし顔を見つめる。

「ありがとうございました」

 黒猫と同じ青い双眸を細めて礼を言ってきた男が、黒猫のピンと立っている両耳の間を愛おしそうに撫でる。

 急に神殿に向かう人波が早くなったので携帯で時刻を確かめると、花火の打ち上げ時間が迫っていた。
 人波は、花火鑑賞ポイントの神殿の裏の土手に向かっているのだろう。
 俺も人波に混ざって土手を目指す。

 神殿を越えてすぐのところで、松並木の間にある細い道が目に入った。
 何かに導かれるように、人波から離れてその道に向かう。

 暫く進むと、小さな社があった。
 祭りの煌びやかな灯りも花火に沸き立つ人々の声も届かない、神の聖域のような静かな場所だ。
 時空の歪みにでも迷い込んでしまったのか、と先程までの喧騒が嘘のような静寂に不安を感じ始めた時、ドォーンと地響きが轟き、社を護るように覆い隠している木々の間に花火が上がった。
 木々に花が咲いたような光景に息を呑む。
 これはこれで綺麗なのだが、花火を見るのが目的ならば物足りないだろう。

「よく見えるように木の後ろに回るか?」
「いいえ。僕らの為だけに咲いてくれる花を愛でましょう」

 僕らの為だけ、って自分を中心軸にして地球が回っているとでも思い込んでるのかよ。
 でも、人々の足が祭りで沸き立つ本殿に向いている中、存在を忘れられたようなこの小さな社に気付いた俺達へのご褒美に、木々が美しい花を咲かせてくれているように見えるのは確かだ。
 失礼します、と社の石垣に腰を下ろし、男と並んで花火の花を咲かす木々を眺める。

「一瞬で消えゆくものはどうしてこんなに美しいんでしょうね」

 ドォーンと桜色の花火が咲き、桜吹雪のように火花が闇に消えていく。

「刹那的なものに惹かれる日本人の血のせいじゃないか」

 アンタも、パッと咲いてパッと消えたのか?
 正確な年齢は分からないが、成人したかしないか位だと思われる男の横顔を見つめる。

「僕の顔は、花火よりも美しいですか?」
「はぁ? 馬鹿じゃねーの。ちゃんと花火を見てるのか確認しただけだ」

 悔しいけれど、クスリと笑う男の顔だけは綺麗だ。
 その造りのせいもあるけれど、短かった人生がより美しいと思わせるのだろうか。

「拓也は何色が好きですか?」
「好きな、色?」
「ええ」

 様々な色の花火の花を咲かせては散らせていく木々を眺めていると、不意に男が訊ねてきた。

「青、かな」
「何故です?」
「何故って、好きに理由が必要なのか?」

 昔から洋服でも玩具でも、青いものに惹かれていた。
 ただなんとなくなので、理由なんて分からない。

「僕は黒が好きです。様々な色を美しく浮かび上がらせるのに、決して受け入れない」

 男が見つめる先では青い花火が咲き、漆黒の空に溶け込むのを拒絶されたように消えていく。
 それは涙のようで、とても哀しく見えた。

「受け入れないんじゃなく、受け入れても変わらない、じゃないのか?」
「なるほど。全てを受け入れる優しさと、受け入れても変わらない強さ。だから美しいと感じるんですね」

 目から鱗をポロリと落としたような顔で俺を見る男。
 再び咲いた青い花火が、漆黒の空に吸い込まれていく。

「綺麗ですね」
「あぁ。すぐに消えても人々の心に残るように、花火職人が一粒一粒思いを込め火薬を詰めて作ってるんだろうな」
「一年かけて力を蓄え、やっと咲く花の美しさと同じなのですね」

 刹那の儚い命だと分かっているからこそ、全てを懸けて咲き誇る。だから、こんなにも美しいんだろう。
 クライマックスを迎え、高鳴る心音のように次々と打ち上がる花火を目に焼き付けていく。
 本当に綺麗ですね、という男の呟きを聞きながら。
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