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土の国《ブレーメン》編 命
5-6 こころとこころ
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大家族の食事というのは実に騒がしい。子供達は食料を奪い合い喧嘩を繰り広げ、それを叱りつける大人たちの怒声が飛ぶ。
しかし、その騒ぎも子供達の卓での話だ。
大人用の卓を囲み我関せずを貫くカーラは、バナナの葉の上に積まれた蛇の姿焼を手に取り、豪快にかぶりついた。
蛇はここでの生活における大切な肉だ。
蛇沼の外へ狩りに出掛け、獣を仕留められればその肉を食べるが、今日のようにそれどころではなかったり、収穫に恵まれない日には、沼で手軽に捕まえられる蛇に厄介になる。
今夜の食事は蛇の姿焼と蒸したバナナ。決して豪華ではないが、奴隷の身では食にありつけない日もある事を考えると、十分贅沢と言えるだろう。
五○人を超える大人数がなんとかやっていけているのも、ここで暮らしているからにすぎない。そう考えると蛇沼様々だ。
カーラは指についた脂を舐めると、隣に座るゼフィールをそれとなく見た。ずっと見ているわけではないが、彼の食は進んでいない。
見ていた間でゼフィールが口にしたのはバナナを二本。それっきり、彼の手は止まっている。
「お貴族様の口には合わないかい?」
「そういうわけじゃないんだが……」
ゼフィールの返事は歯切れが悪い。
「食欲が無くてな。もう十分だ」
そう言うと、彼は席を立ってしまった。隣に座っていたユリアも慌てて席を立とうとするが、そんな彼女の肩にゼフィールは手を置く。そして、優しく微笑んだ。
「肉になってれば蛇でも大丈夫だっただろう? お前はきちんと食べておいで。俺に付き合う必要はない」
再び彼女を座らせると、自身はさっさと部屋を出て行ってしまった。
その後を食事を終えた子供達が追う。騒がしい声が聞こえてきたので、遊び相手に選ばれたのかもしれない。
(おぅおぅ。子供達の元気さに負けるなよ~)
カーラが心の中でゼフィールに合掌している傍らで、ユリアが食事を再開した。いい具合に話のネタが出てきたので、話しかけてみる。
「あいつ、いつもあんな食べないの?」
「そうでもないんだけど。ただ、最近、肉魚をほとんど食べないのよ。なんか身体が受け付けないっぽくて。付き合いで仕方なく食べてた時もあったんだけど、後で戻してたし。特に血が滴ってたりすると、見るのも嫌みたい」
「ふーん」
空返事をしながらユリアを観察していると、彼女がゼフィールの出て行った方をチラチラ見ている事に気付いた。残りはしたが、やはり気にしているのだろう。
「ところでさ、あんたとあいつってどんな関係?」
なんとなく聞いてみた。
すると、ユリアが目を大きく見開いて、次の瞬間には胸を叩きながら卓に突っ伏す。どうやら食べていた物を詰まらせてしまったようだ。
あまりにも苦しそうなものだから背中を叩いてやる。しばらくすると落ち着いたようで、疲れた声で礼を言われた。
「あ、ありがと。死ぬかと思ったわ。急になんなの?」
「いやー。純粋な好奇心? 普通さ、偉い奴って部下に色々させて、自分はふんぞり返ってるだけじゃん。だけど、あいつは血相変えて自分で追いかけてきたからさ。彼氏?」
ユリアを見下ろしながら親指を立てる。すると、ユリアは顔を真っ赤にしながら、カーラの指を無理やり押さえつけてきた。
「違うわよ! 私達はそんなんじゃ――。弟、そう! あいつは弟なの!」
「弟ぉ? 全然似てないけど?」
「……義理だから、血はつながってないし……」
消え入りそうな声が返ってくる。
「ふーん。で、お互いまんざらじゃないって感じかね? いやー。いいね、青春で」
小さくなったユリアをカーラはケケケと笑って茶化した。それに追従して、周りの大人達も冷やかし始める。
ユリアが耳まで赤くなった。けれど、その後の彼女は意外にも言い返さず食事を再開する。嵐が過ぎ去るのを待つつもりのようだ。
反応が無ければ茶化す方も面白くない。
話題を終わらせるつもりで、カーラはユリアに一言だけ言う。
「まぁさ。大切に思ってるなら、あいつの手を離さないでいてやりなよ。あーいうタイプはさ、気が付いたらいなくなってたりするから」
「お、珍しくカーラが真面目じゃないか。体験談?」
「あっはっはっ。そりゃ内緒だよ。秘密が多いほど女の魅力は増すってもんだろう? あんた達、あたしに惚れるなよ? あ、もうベタ惚れか」
どっと笑いが起き、肯定と否定の声が上がる。そして、そこかしこで下世話な話が始まりだした。
そんな中で、ユリアは自らの手をぼんやりと眺めている。カーラの言った事を考えてくれているのかもしれない。
刹那の快楽に溺れてしまうカーラには、互いを深く想うような恋はできない。本人達は肯定しないが、さらってきた二人の関係はとても眩しく見えた。
◆
「なぁなぁ、兄ちゃんが悪い奴ら追っ払ったんだろ? 強いんだろ? 俺にも剣教えてくれよ」
目を輝かせた少年が部屋の隅のガラクタの山に突っ込み、ガラガラと崩し始めた。稽古用の棒があと一本が見つからないらしい。
崩れた山からは粗末なボールや積木が転がり出てきている。どうやら、子供達のおもちゃの山のようだ。
連れられるままゼフィールがやってきたここは、遊び部屋なのだろう。
子供達は転がるおもちゃを拾うとそこかしこで遊び始めた。
少年が二本目の棒を探し出すのを待ちつつ、ゼフィールは他の子達が怪我をしないよう見守る。
たまにボールが飛んできては投げ返し、人形遊びを求められたら付き合った。
そうこうしている間に、馴染み深い物が山から転がり出てきたので手に取る。
買うには高価なので盗品なのだろうが、竪琴だ。しかし、全く手入れされず弦が緩みきっている。
(これじゃ、まともな音は出ないな)
竪琴を膝に乗せて弦を締め直す。道具が無いので大変だが、できないという程ではない。少し締めては弦を弾き、音を確かめ微調整を繰り返した。
その様子を、傷を癒してやった少女がじっと見ている。
「竪琴に興味があるのか?」
「竪琴……。それの名前?」
「そう。こうやって弦を弾いて、音を奏でるんだ」
二、三本の弦を弾いて音を出してやる。調律が終わっていないので音がおかしいが、説明する分には問題ない。
「たまに出る音と違う。不思議」
「調律が終わったらもっと変わるぞ。聴かせてやるから少し待っててくれ」
「ん」
少女はこくりと頷いてゼフィールの前で座り込んだ。作業を続ける手元を飽きもせずずっと見ている。
丁度いい機会だったので、気になっていたことを彼女に尋ねた。
「お前はユリアを軽々と持ち上げてたな。魔法というのは分かったんだが、どうやったんだ?」
「ユリア? あのうるさい女? 魔法で軽くした。軽ければ持てる。私の魔法カーラと同じ。コレ、自慢」
「ああ、それで」
どうりで浮かせた時のユリアが軽かったはずだ、と、納得する。
「崖の上からユリアを運んだのもお前か?」
「ん。あいつずっとうるさかった」
「だろうなぁ」
その光景が容易に想像でき、苦笑いが浮かんでしまう。騒ぎまくったあげくがあの猿ぐつわというわけだ。手足も縛られていたのだから、暴れもしたのだろう。
そんな彼女を運ぶのは大変だったに違いない。誘拐は犯罪だが、少女に少し同情してしまう。
「大変だったな」
「ん。でも、お陰でカーラ手伝えた。嬉しい」
嬉しそうに少女が表情を崩す。
「お前はカーラとどうやって知り合ったんだ?」
「鉱山から逃げた時、カーラが拾ってくれた」
「鉱山? 子供にできる仕事なんてあるのか?」
「掘り出したキラキラの原石、魔法で軽くする。それ運ぶ」
「ああ……そういう仕事をさせられるのか」
ゼフィールは相槌を打った。
貴金属の産出国として名をはせる《ブレーメン》では、それに従事する人口が多く、しかしながら、重労働である故に奴隷が投入されるのも頷ける。
けれど、可哀想に、とは思う。魔法を常に行使するのは負担だし、もしも、魔力が切れても鉱石を運ぶノルマがあるのだとしたら、その苦労は想像を絶する。
今更ではあるけれど、当時の苦労を労うつもりで少女の頭を撫でた。
「大変だったのに、よく頑張ったな」
「今幸せ。だから、いい」
少女がニッと笑う。
ゼフィールも笑みを返すと、調律の終わった竪琴の弦を流し弾いた。
すると、今まで思い思いに遊んでいた子供達がこちらに注目し、周囲に集まってくる。
子供達の移動がおさまると、ゼフィールはゆっくりと曲を奏で始めた。
選んだのは短めの曲だ。最初は暗めに始まるけれど、最後は明るく爽やかに終わる。子供達の未来を想ってこの曲を選んだ。
今は苦しくとも、その先には明るい未来が訪れるようにと、願いを込めて音を紡ぐ。
一時は明るい曲を弾けなくなっていたけれど、最近ではその症状も随分治まった。
ユリアのお陰。全てはその一言に尽きる。
彼女におまじないを掛けてもらってからは、もう、がむしゃらだった。
前向きになれと言われても、すぐに変われるわけがない。それなら形から、と、ユリアが明るい曲を聞きたがっていたのもあって、時間を見つけては竪琴を練習した。
そんなゼフィールの横に彼女がひょこりやってきて、うたた寝をしていることもあれば、泣き言を聞いてくれる日もあった。
そんな毎日を積み重ねているうちに、少しずつ明るい曲が弾けるようになる。できることの変化に伴って、心持も変わった。
あの日々があってくれたお陰で、心の重しはかなり軽くなったのだ。
その途中で継承の儀を受ける。
以来、ゼフィールの見る世界は色褪せてしまった。その中にあって、不思議と、ユリアの周囲だけは変わらず鮮やかに見えた。
様々なものが指の隙間から零れ落ちていく世界で、彼女の存在と、真っ直ぐな言動だけはいつでも信じられた。
そんなユリアが笑ってくれるなら、そのために頑張ろうと決めた。どれだけ辛くても、彼女の前でだけは笑っていようと、自らに誓いを立てた。
今進む道は終わりへの旅路だ。もちろん彼女にそれを教えはしない。けれど、最期のその時まで、共に歩んで欲しいと願ってしまう。
(残される方の身にもなれってもんだよな)
小さく自嘲して、すぐに笑みを消した。
関係を深めたくて、これまでの関係はすでに壊してしまった。ならば、どこまでも利己的に開き直るしかない。
曲が終わった。
しかし、子供達は動かない。誰も彼も期待の眼差しでゼフィールを見つめ続けている。
(分かりやすいな)
くすりと笑うと、ゼフィールは次の曲を奏で始めた。
あんなに騒がしく暴れていた子供達なのに、今は微動だにせず静かにしている。音楽がよほど珍しかったのだろう。
だが、子供達が静かにしているからといって、ここの住人全てが静かにしているわけではない。遊び部屋を訪ねてきたカーラは、曲の途中だろうと躊躇せず声をあげた。
「おーいガキどもー。そろそろ寝る時間だから、おもちゃ片付けな~」
彼女がパンパンと手を叩く。ゼフィールも曲を奏でるのを止めた。すると、子供達から不満の声が上がる。
「えー、もう少しだけー」
「駄目だよ。また明日弾いてもらいな」
「はーい」
カーラの号令に、子供達は散らかしたままのおもちゃを片付け始める。ゼフィールも少しだけそれを手伝ってやった。
片付けの目途が立つと、後は子供達に任せカーラの横に行く。
「早いな。もう寝るのか」
「薪も油も貴重品だからね。太陽と共に起きて、寝るのさ。朝さえ起きれるのなら、大人の寝る時間はとやかく言わないけどね。けど、子供はもうお終い」
「子供にはいいかもな。ところで、この竪琴、そこから出てきたんだが、しばらく借りてもいいか?」
「構わないよ。どうせ誰も弾けないし。いやー、ここでまともな曲が聞けるなんてビックリしたね。暇な時に他の連中にも聴かせてやってくれよ。あ、あんたどうせ暇だろ? ちょっと男の子達寝かしつけて来てくんない? あんたもそのまま寝ちゃってくれて構わないしさ」
そう言うと、カーラは女の子達を連れてさっさと行ってしまった。
「じゃ、兄ちゃんは俺らと一緒に行こうぜ!」
男の子達に引っ張られるように男部屋へ向かう。部屋に辿り着いても少年達は興奮して中々寝ない。
少しズルいが、子守唄を奏で、それに眠りの魔力を乗せた。
同室にいた他の男達も寝てしまったが、気にしない事にする。
(そのまま寝ていいと言われても、こう早いとな)
疲れてはいたが、全く眠る気になれず、ゼフィールは洞穴の外へ抜け出した。
しかし、その騒ぎも子供達の卓での話だ。
大人用の卓を囲み我関せずを貫くカーラは、バナナの葉の上に積まれた蛇の姿焼を手に取り、豪快にかぶりついた。
蛇はここでの生活における大切な肉だ。
蛇沼の外へ狩りに出掛け、獣を仕留められればその肉を食べるが、今日のようにそれどころではなかったり、収穫に恵まれない日には、沼で手軽に捕まえられる蛇に厄介になる。
今夜の食事は蛇の姿焼と蒸したバナナ。決して豪華ではないが、奴隷の身では食にありつけない日もある事を考えると、十分贅沢と言えるだろう。
五○人を超える大人数がなんとかやっていけているのも、ここで暮らしているからにすぎない。そう考えると蛇沼様々だ。
カーラは指についた脂を舐めると、隣に座るゼフィールをそれとなく見た。ずっと見ているわけではないが、彼の食は進んでいない。
見ていた間でゼフィールが口にしたのはバナナを二本。それっきり、彼の手は止まっている。
「お貴族様の口には合わないかい?」
「そういうわけじゃないんだが……」
ゼフィールの返事は歯切れが悪い。
「食欲が無くてな。もう十分だ」
そう言うと、彼は席を立ってしまった。隣に座っていたユリアも慌てて席を立とうとするが、そんな彼女の肩にゼフィールは手を置く。そして、優しく微笑んだ。
「肉になってれば蛇でも大丈夫だっただろう? お前はきちんと食べておいで。俺に付き合う必要はない」
再び彼女を座らせると、自身はさっさと部屋を出て行ってしまった。
その後を食事を終えた子供達が追う。騒がしい声が聞こえてきたので、遊び相手に選ばれたのかもしれない。
(おぅおぅ。子供達の元気さに負けるなよ~)
カーラが心の中でゼフィールに合掌している傍らで、ユリアが食事を再開した。いい具合に話のネタが出てきたので、話しかけてみる。
「あいつ、いつもあんな食べないの?」
「そうでもないんだけど。ただ、最近、肉魚をほとんど食べないのよ。なんか身体が受け付けないっぽくて。付き合いで仕方なく食べてた時もあったんだけど、後で戻してたし。特に血が滴ってたりすると、見るのも嫌みたい」
「ふーん」
空返事をしながらユリアを観察していると、彼女がゼフィールの出て行った方をチラチラ見ている事に気付いた。残りはしたが、やはり気にしているのだろう。
「ところでさ、あんたとあいつってどんな関係?」
なんとなく聞いてみた。
すると、ユリアが目を大きく見開いて、次の瞬間には胸を叩きながら卓に突っ伏す。どうやら食べていた物を詰まらせてしまったようだ。
あまりにも苦しそうなものだから背中を叩いてやる。しばらくすると落ち着いたようで、疲れた声で礼を言われた。
「あ、ありがと。死ぬかと思ったわ。急になんなの?」
「いやー。純粋な好奇心? 普通さ、偉い奴って部下に色々させて、自分はふんぞり返ってるだけじゃん。だけど、あいつは血相変えて自分で追いかけてきたからさ。彼氏?」
ユリアを見下ろしながら親指を立てる。すると、ユリアは顔を真っ赤にしながら、カーラの指を無理やり押さえつけてきた。
「違うわよ! 私達はそんなんじゃ――。弟、そう! あいつは弟なの!」
「弟ぉ? 全然似てないけど?」
「……義理だから、血はつながってないし……」
消え入りそうな声が返ってくる。
「ふーん。で、お互いまんざらじゃないって感じかね? いやー。いいね、青春で」
小さくなったユリアをカーラはケケケと笑って茶化した。それに追従して、周りの大人達も冷やかし始める。
ユリアが耳まで赤くなった。けれど、その後の彼女は意外にも言い返さず食事を再開する。嵐が過ぎ去るのを待つつもりのようだ。
反応が無ければ茶化す方も面白くない。
話題を終わらせるつもりで、カーラはユリアに一言だけ言う。
「まぁさ。大切に思ってるなら、あいつの手を離さないでいてやりなよ。あーいうタイプはさ、気が付いたらいなくなってたりするから」
「お、珍しくカーラが真面目じゃないか。体験談?」
「あっはっはっ。そりゃ内緒だよ。秘密が多いほど女の魅力は増すってもんだろう? あんた達、あたしに惚れるなよ? あ、もうベタ惚れか」
どっと笑いが起き、肯定と否定の声が上がる。そして、そこかしこで下世話な話が始まりだした。
そんな中で、ユリアは自らの手をぼんやりと眺めている。カーラの言った事を考えてくれているのかもしれない。
刹那の快楽に溺れてしまうカーラには、互いを深く想うような恋はできない。本人達は肯定しないが、さらってきた二人の関係はとても眩しく見えた。
◆
「なぁなぁ、兄ちゃんが悪い奴ら追っ払ったんだろ? 強いんだろ? 俺にも剣教えてくれよ」
目を輝かせた少年が部屋の隅のガラクタの山に突っ込み、ガラガラと崩し始めた。稽古用の棒があと一本が見つからないらしい。
崩れた山からは粗末なボールや積木が転がり出てきている。どうやら、子供達のおもちゃの山のようだ。
連れられるままゼフィールがやってきたここは、遊び部屋なのだろう。
子供達は転がるおもちゃを拾うとそこかしこで遊び始めた。
少年が二本目の棒を探し出すのを待ちつつ、ゼフィールは他の子達が怪我をしないよう見守る。
たまにボールが飛んできては投げ返し、人形遊びを求められたら付き合った。
そうこうしている間に、馴染み深い物が山から転がり出てきたので手に取る。
買うには高価なので盗品なのだろうが、竪琴だ。しかし、全く手入れされず弦が緩みきっている。
(これじゃ、まともな音は出ないな)
竪琴を膝に乗せて弦を締め直す。道具が無いので大変だが、できないという程ではない。少し締めては弦を弾き、音を確かめ微調整を繰り返した。
その様子を、傷を癒してやった少女がじっと見ている。
「竪琴に興味があるのか?」
「竪琴……。それの名前?」
「そう。こうやって弦を弾いて、音を奏でるんだ」
二、三本の弦を弾いて音を出してやる。調律が終わっていないので音がおかしいが、説明する分には問題ない。
「たまに出る音と違う。不思議」
「調律が終わったらもっと変わるぞ。聴かせてやるから少し待っててくれ」
「ん」
少女はこくりと頷いてゼフィールの前で座り込んだ。作業を続ける手元を飽きもせずずっと見ている。
丁度いい機会だったので、気になっていたことを彼女に尋ねた。
「お前はユリアを軽々と持ち上げてたな。魔法というのは分かったんだが、どうやったんだ?」
「ユリア? あのうるさい女? 魔法で軽くした。軽ければ持てる。私の魔法カーラと同じ。コレ、自慢」
「ああ、それで」
どうりで浮かせた時のユリアが軽かったはずだ、と、納得する。
「崖の上からユリアを運んだのもお前か?」
「ん。あいつずっとうるさかった」
「だろうなぁ」
その光景が容易に想像でき、苦笑いが浮かんでしまう。騒ぎまくったあげくがあの猿ぐつわというわけだ。手足も縛られていたのだから、暴れもしたのだろう。
そんな彼女を運ぶのは大変だったに違いない。誘拐は犯罪だが、少女に少し同情してしまう。
「大変だったな」
「ん。でも、お陰でカーラ手伝えた。嬉しい」
嬉しそうに少女が表情を崩す。
「お前はカーラとどうやって知り合ったんだ?」
「鉱山から逃げた時、カーラが拾ってくれた」
「鉱山? 子供にできる仕事なんてあるのか?」
「掘り出したキラキラの原石、魔法で軽くする。それ運ぶ」
「ああ……そういう仕事をさせられるのか」
ゼフィールは相槌を打った。
貴金属の産出国として名をはせる《ブレーメン》では、それに従事する人口が多く、しかしながら、重労働である故に奴隷が投入されるのも頷ける。
けれど、可哀想に、とは思う。魔法を常に行使するのは負担だし、もしも、魔力が切れても鉱石を運ぶノルマがあるのだとしたら、その苦労は想像を絶する。
今更ではあるけれど、当時の苦労を労うつもりで少女の頭を撫でた。
「大変だったのに、よく頑張ったな」
「今幸せ。だから、いい」
少女がニッと笑う。
ゼフィールも笑みを返すと、調律の終わった竪琴の弦を流し弾いた。
すると、今まで思い思いに遊んでいた子供達がこちらに注目し、周囲に集まってくる。
子供達の移動がおさまると、ゼフィールはゆっくりと曲を奏で始めた。
選んだのは短めの曲だ。最初は暗めに始まるけれど、最後は明るく爽やかに終わる。子供達の未来を想ってこの曲を選んだ。
今は苦しくとも、その先には明るい未来が訪れるようにと、願いを込めて音を紡ぐ。
一時は明るい曲を弾けなくなっていたけれど、最近ではその症状も随分治まった。
ユリアのお陰。全てはその一言に尽きる。
彼女におまじないを掛けてもらってからは、もう、がむしゃらだった。
前向きになれと言われても、すぐに変われるわけがない。それなら形から、と、ユリアが明るい曲を聞きたがっていたのもあって、時間を見つけては竪琴を練習した。
そんなゼフィールの横に彼女がひょこりやってきて、うたた寝をしていることもあれば、泣き言を聞いてくれる日もあった。
そんな毎日を積み重ねているうちに、少しずつ明るい曲が弾けるようになる。できることの変化に伴って、心持も変わった。
あの日々があってくれたお陰で、心の重しはかなり軽くなったのだ。
その途中で継承の儀を受ける。
以来、ゼフィールの見る世界は色褪せてしまった。その中にあって、不思議と、ユリアの周囲だけは変わらず鮮やかに見えた。
様々なものが指の隙間から零れ落ちていく世界で、彼女の存在と、真っ直ぐな言動だけはいつでも信じられた。
そんなユリアが笑ってくれるなら、そのために頑張ろうと決めた。どれだけ辛くても、彼女の前でだけは笑っていようと、自らに誓いを立てた。
今進む道は終わりへの旅路だ。もちろん彼女にそれを教えはしない。けれど、最期のその時まで、共に歩んで欲しいと願ってしまう。
(残される方の身にもなれってもんだよな)
小さく自嘲して、すぐに笑みを消した。
関係を深めたくて、これまでの関係はすでに壊してしまった。ならば、どこまでも利己的に開き直るしかない。
曲が終わった。
しかし、子供達は動かない。誰も彼も期待の眼差しでゼフィールを見つめ続けている。
(分かりやすいな)
くすりと笑うと、ゼフィールは次の曲を奏で始めた。
あんなに騒がしく暴れていた子供達なのに、今は微動だにせず静かにしている。音楽がよほど珍しかったのだろう。
だが、子供達が静かにしているからといって、ここの住人全てが静かにしているわけではない。遊び部屋を訪ねてきたカーラは、曲の途中だろうと躊躇せず声をあげた。
「おーいガキどもー。そろそろ寝る時間だから、おもちゃ片付けな~」
彼女がパンパンと手を叩く。ゼフィールも曲を奏でるのを止めた。すると、子供達から不満の声が上がる。
「えー、もう少しだけー」
「駄目だよ。また明日弾いてもらいな」
「はーい」
カーラの号令に、子供達は散らかしたままのおもちゃを片付け始める。ゼフィールも少しだけそれを手伝ってやった。
片付けの目途が立つと、後は子供達に任せカーラの横に行く。
「早いな。もう寝るのか」
「薪も油も貴重品だからね。太陽と共に起きて、寝るのさ。朝さえ起きれるのなら、大人の寝る時間はとやかく言わないけどね。けど、子供はもうお終い」
「子供にはいいかもな。ところで、この竪琴、そこから出てきたんだが、しばらく借りてもいいか?」
「構わないよ。どうせ誰も弾けないし。いやー、ここでまともな曲が聞けるなんてビックリしたね。暇な時に他の連中にも聴かせてやってくれよ。あ、あんたどうせ暇だろ? ちょっと男の子達寝かしつけて来てくんない? あんたもそのまま寝ちゃってくれて構わないしさ」
そう言うと、カーラは女の子達を連れてさっさと行ってしまった。
「じゃ、兄ちゃんは俺らと一緒に行こうぜ!」
男の子達に引っ張られるように男部屋へ向かう。部屋に辿り着いても少年達は興奮して中々寝ない。
少しズルいが、子守唄を奏で、それに眠りの魔力を乗せた。
同室にいた他の男達も寝てしまったが、気にしない事にする。
(そのまま寝ていいと言われても、こう早いとな)
疲れてはいたが、全く眠る気になれず、ゼフィールは洞穴の外へ抜け出した。
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