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夕立

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転章

転章-6 会する五国 後編

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「助かった、ゾフィ。正直うんざりしてたんだ」
「ああいうのが面倒な時は踊っている方が逃げられますのよ」
「よく知ってるな」
「伊達に、有閑貴族の多い《ライプツィヒ》の社交界で鍛えられておりませんのよ」

 余裕、とばかりにゾフィが笑う。その笑みに合わせて、周囲の子女達のざわめきが大きくなった。
 身体を密着させ踊りながら囁き笑い合っていれば、周囲からはそういう関係に見えるのかもしれない。ざわめきもそれが理由だろう。だが、ゾフィの言うとおり、踊っていれば何も言われない。人が多少引くまで彼女に付き合ってもらえば何かと楽だろう。

 二曲目になると隅に避けていた者達も踊りの輪に戻り、若君達も姫君達をダンスに誘いだした。ゼフィールの周囲に侍っていた者達も少しずつ動き、いい感じにバラけだしている。

 マルクのもとにも若者が挨拶に訪れ、共にいるユリアにも声をかけていた。大抵は挨拶だけで終わるのだが、たまにしつこい輩がいて彼女を困らせているようだ。そんな者達は、大抵マルクとリアンのからかいの対象にされ、あしらわれている。
 彼らがついていれば、ユリアも変な男に絡まれないだろう。

「ご自分が"憂いの君"と呼ばれているのをご存じでして?」

 ステップを踏みながら、唐突にゾフィがそんなことを言いだした。理由が分からず、ゼフィールは首を傾げる。

「俺が? なんでだ?」
「早めに城にいらした姫君が庭で貴方をお見かけしたそうでしてよ。目を伏せたお顔が憂いを帯びていてたまらないとかで、舞踏会が始まる前から、姫君達の間では貴方の話題で持ち切りだったみたいですわ」
「考え事をしながら散歩してただけだが……。世の中恐ろしいな」

 ヨハンがユリアに声をかけているのが見えた。最初は戸惑っていた彼女だが、一度驚いた顔になった後は彼と真剣に話を始めたようだ。
 ヨハンがしれっとユリアの腰に手を回し、彼女をバルコニーへと誘導して行く。
 幸か不幸か、邪魔をしそうなマルクもリアンも近くにいない。

「声をかけてもらいたい姫君達が貴方の周りに侍り、その姫君達を誘いたい若君達が周囲を囲む様は見ていると可笑しかったですわ。なのに、肝心の貴方は誰にも興味を示しませんし」
「よく見てるな」
「人の色恋沙汰は大好物ですの。巻き込まれるのは御免ですけれど」

 ゾフィはチラリとバルコニーへ視線を向けると、小さく溜め息をついた。

「ユリア様が気になるのでしょう? 先程から視線が彼女ばかり追いかけてましてよ。パートナーの私ではなく、他の女ばかり見てるだなんて、失礼にも程がありますわ」
「そんなことは――」
「目が泳いでますわよ。この曲が終わったら解放して差し上げますわ。さっさと彼女のもとにお行きになられたら?」

 言葉のとおり、曲が終わるとゾフィは身体を離し優雅に礼をした。ゼフィールも彼女に礼を返す。最後に顔を見合すと、ゾフィに微笑んだ。

「ゾフィ。お前のそういうサバサバしたところ、俺は好きだよ」
「今更優しくなさらないで結構でしてよ。早くお行きになって」

 いつもの扇子を取り出した彼女はそれで顔を扇ぎ出す。話す事はもう無い、ということだろう。
 ゼフィールは軽やかに身を翻すとバルコニーに向けて歩き出した。途中話しかけてくる者達を笑顔でかわし、足早に広間を横切る。

 辿り着いた広いバルコニーは室内と全く違う世界だった。光源は月明かりとガラス扉越しに漏れてくる室内の明かりだけ。人いきれでむっとする室内とは違い、生ぬるいながらも新鮮な空気を風が運んできてくれる。

 ダンスのせいでアルコールが回ったのか、少しクラクラする。ここなら酔いを醒ますにもちょうど良さそうなのだが、今はそれどころではない。
 暗がりの中に隠れるように愛を囁き合っているカップル達の中にユリアを見つけ、ゼフィールは静かにそちらへ歩を向けた。

「異国の地で貴女と出会えたのも運命でしょう」
「えと、あの……」
「しかし、そのスカーフ。失礼ですがドレスに少々合っていないように思います。むしろ無い方が貴女の美しさを損なわないかと」

 明らかに動揺しているユリアの胸元へヨハンが手を伸ばす。
 手がスカーフに届く直前でゼフィールは彼の手首を掴んだ。顔には笑みを張りつけたまま、手首を掴む手に力を込める。

「それを勝手に外されては困りますね。悪い虫が付かないように付けてあるのですから。効果はあまり無いようですが」
「おや、これは《シレジア》の……」

 驚いた顔でヨハンが腕を引く。ゼフィールは彼から手を離すと、ユリアとヨハンの間に身体を割りこませ、自らの後ろに彼女を隠した。
 ゼフィールの服の背中辺りをユリアがきゅっと掴む。軽く振り返り流し眼で彼女を見ると、ゼフィールは尋ねた。

「一応確認するが。ユリア、彼が好きなのか?」
「な!? そんなわけ無いじゃない! さっき会ったばかりで、ちょっと話をしようって言われただけよ」
「それじゃぁ、今度から気を付けるんだな。こんな所にのこのこ付いてきたら、脈ありと思われても仕方ないぞ」
「何? 私が悪いの? そんなこと知ら――」

 騒ぐユリアの口に軽く人差し指を立て黙らせる。

「こんな場所で騒ぐな。周りが注目するだろ。《ブレーメン》の王太子にスキャンダルでも作って帰らせる気か?」
「え? 王太子?」

 キョトンとしているユリアはとりあえず放置して、ヨハンへと向き直る。

「こんなじゃじゃ馬ですが、彼女は俺のものなので。申し訳ありませんが、手を出さないで頂けますか?」
「ああ、いや、失礼。君のものに手を出すつもりはありませんよ。彼女が美しく、《ブレーメン》の民に多い黒目黒髪をしていたから、つい話しかけてしまった次第です。君とは個人的に話がしてみたかったんですよ。こんな詰まらない事で芽を摘むのは愚かですからね」
「彼女が《ブレーメン》の民、だと?」
「そう思っただけですよ。本人に聞かねば分かりませんがね」

 ヨハンは両手を軽く上げ後ろへさがる。そして、興味深げにユリアへと視線を向けた。つられて、ゼフィールもユリアを見る。

「出身の話は聞いたことがありませんでしたが。《ブレーメン》、ですか。彼女が産まれた国なら興味がありますね。何せ一度も行ったことがないので」
「おや、そうなのですか? ならば一度外遊にでもいらしてみますか? 私も《シレジア》に興味があるので、ぜひ話を伺いたい。お互い有意義な時間になると思いますよ」
「そう、ですね――」

 考える振りをして下を向く。都合良く誘いが出てきてくれて笑みが浮かんだ。
 すぐにでも飛びつきたい内容だが、即答して怪しまれては困る。たっぷりと考えるように時間を置き、不自然な笑みを消して答えを返した。

「御迷惑でなければ、《ブレーメン》に帰られる時に同行させて頂けるとありがたいです。《シレジア》に帰ってしまうと、また出掛けて来るのが面倒なので。個人的な興味なので従者達は《シレジア》に帰らせて、俺と彼女と、あと一人二人くらいですかね?」
「構いませんよ。それなら私と同じ馬車に乗れば宜しいでしょう。道中も楽しくなりそうですしね。では私は先に部屋に戻ります。後日、楽しみにしておきますよ」
「俺もです。宜しくお願いします」

 ヨハンと握手をし、部屋へと戻って行く彼を見送る。
 思わぬ展開だったが、《ブレーメン》に行く算段を付けられた。一先ず、第一段階はクリアだろう。
 ほっとして手すりに寄りかかり、風にあたっていると脇をユリアがつついてくる。

「ねぇ、《ブレーメン》に行くの?」
「ああ。丁度《ブレーメン》に行く口実が欲しかったんだ。正直助かった。お前まで巻き込んだのは悪かったけどな。まぁ、リアンも連れて行くから、観光だと思って二人で楽しくやってくれ」
「何それ? それに、その口ぶりだと、細かいことは教えてくれないんでしょ? それだと、私はダシにされるだけされて、また蚊帳の外じゃない」
「仕方ないだろう? お前達にも話せないことはある。ただ、言っておくが――」

 ゼフィールは不服そうに唇を尖らせるユリアの腰に手を回し、彼女を自分の方へと引きよせた。ユリアが驚いて身を捩るが、気にせず力任せに抱きしめ耳元で囁く。

「お前をダシには使ったが、嘘は言っていない。お前を俺のものにしたいし、産まれた国だというのなら、見てみたい」
「ちょっと、なんなの急に!?」
「お前、自分がどれだけ挑発的な格好してるか分かってるのか? 忘れてるかもしれないが、俺も男なんだけど?」

 少しだけ抱く力を緩めるとユリアを見つめ、彼女の濡れた下唇を指でなぞった。
 動揺のせいか、ユリアの黒い瞳が揺れる。
 普段見せない彼女のそんな表情を見るのが中々に楽しい。もっと困らせたいと思うのは、意地が悪いだろうか。

「なぁ、ユリア。俺は今、久々に気分がいいんだ」
「それは良かったわね! だから何だっていうのよ!?」

 お怒り気味のユリアがゼフィールの手を払いのける。
 ゼフィールは小さく笑うと、払われたばかりの手で彼女の手を掴んだ。

 今ならどんな自分でも許せそうな気がした。
 だから、調子に乗ってユリアに顔を近付け、後少しで互いの唇が触れるという所で止める。

「キスしていい?」
「!?」

 腕の中でユリアの身体が強張るのが分かった。答えが返ってくるのをのんびり待ちながら、腕の中の彼女の感触を楽しむ。
 返ってきた彼女の答えは否だったようで、全力で身体を離された。

「そんなにお酒の臭いさせて言わないでよ! 馬鹿っ!!」

 言い捨てながら庭への階段を下って行くユリアを見送ると、可笑しくなって、ゼフィールは声を出して笑った。受け入れて欲しいはずなのに、あの態度こそ彼女らしいと思ってしまう。
 思いっきり笑ったら視界が揺れた。倒れる前に手すりに寄りかかり身体を支える。

(これ、思ったより深く酔ってるんじゃないか? 俺)

 酒臭いなどと言われてしまったし、きっと、そうなのだろう。となると、気分が良いのもそのせいかもしれない。

(まぁ、それならそれでもいいか)

 夜空を見上げる。
 酒の力でも借りねば気持ちを伝えることは永遠に無かっただろう。少しばかり関係はぎくしゃくするかもしれないが、否定の言葉を言われたわけではない。全く線が無い、というわけでもないのだろう。
 それが分かった。そう考えれば、悪いことばかりでも無い。

 だが、いつまでも見世物にされるのは気に食わない。暗がりに顔を向け、声をかける。

「そこで覗き見してる二人出て来いよ。バレバレだぞ」
「あらやだ、バレてた?」
「中々美味しい場面でしたわ。続きが気になる展開ですわね」

 悪びれもせず暗がりからマルクとゾフィが顔を出し、ゼフィールの両脇を固める。これだけ堂々としていると不快感も消えるから不思議だ。

「それにしても、どういう心境の変化ですの? 以前はそんなそぶり、欠片も見せていなかったと思うのですけれど」
「なんなんだろうな? 終わりが見えたら残したくなったのかな。彼女に俺という男が生きていたっていう何かを」

 その気持ちは気付いたらゼフィールの中に芽生えていた。元々ユリアに対して持っていた家族愛と相似していたせいで、恋心なのだと気付くことすらなく。
 漠然とその存在に気付いたのは、彼女が血に塗れたゼフィールを受けとめてくれた時だっただろうか。
 それでも、多くの命を奪った自分が幸せになってはならないという罪の意識と、姉弟だからと、常識という重しで想いを抑え込んだ。

 しかし、罪の意識はユリアによって薄められ、姉弟と言っても義理という事実が抑制を緩くした。
 そこに突き付けられた贄という運命。
 命の対価に、少しぐらいの幸せを得てもいいのではないかと開き直りかけていた。
 止めは酒だったわけだが。

 情け深く、同じ位置から世界を見ようとしてきた彼女なら、共に作った思い出もたくさん覚えていてくれるだろう。そして、大切な彼女が生きる世界だからこそ、命を捧げる価値がある。

「気持ちは分かりますわ」
「まぁ、好きに生きればいいと思うのよ。アタシ達だって好き勝手してるし。って、ちょっとゼフィール! ここで寝ようとしないで! ちょっと!」

 マルクが慌てふためいている声が聞こえるが、眠気はもう限界だ。彼に任せれば、次目覚める時は寝床にいるだろう。
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