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転章
転章-2 継承 後編
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◆
「アレクシア様、お身体に障ります。そろそろお休みになられては?」
「ええ。でも、もう少しだけ。貴女は先にお休みなさい」
そう返すと、侍女はそれ以上何も言わずに控える。
アレクシアはそんな彼女から視線を外し、ウラノスの像を見上げた。指を組み直すと、目を閉じ軽く頭を下げる。
(ウラノスよ、どうかゼフィールを奪わないで欲しい。この国にもわたくしにも、あの子の代わりはいない)
ただ、それだけを祈る。
自らも通った儀式だ。ゼフィールが継承の間へ入って一日は何の心配もしていなかった。当時のアレクシアと同じように、あの部屋の中で微睡んでいる。そう思っていたから。
継承の儀はいい休憩時間だった。
光に包まれ眠くなり、気が付いたら終わっていた。
その間に変わったことは、頭の中に、高性能な検索機能を持った図書館を作られた、とでも言えばいいのだろうか。所蔵されているのは、歴代王の記憶という書物だ。
普段は収納されているだけなので、過去を思い出したりなどしない。けれど、そういう知識がある、ということだけは分かるようになっているのだ。そして、いざ詳細を知ろうとすれば、すぐに目的の本の、栞の挟まったページを閲覧できる。
お陰で、当時の王がどういう意図でそういう政策を行ってきたのかも分かる。一貫した国政を営むのに、これほど便利な機能はない。
図書館と栞を得るためにかかった時間がおおよそ一日だった。これは、各国、誰であっても大差ない。
けれど、待てども待てどもゼフィールは出てこない。一日半が経過した頃から礼拝堂に籠り、彼の無事を祈っているが、祈りが届いた実感はない。
何かが起きている。それは分かった。
原因を求め記憶を必死に漁り、随分と昔に、《ハノーファ》のライナルト王太子の継承に時間が掛かったと聞いた事を思い出した。芋蔓式に、《ドレスデン》と《ライプツィヒ》の王太子も継承に時間が掛かったと、先日聞いたばかりだった事も思い出す。
日々の執務に追われるあまり、記憶の片隅に追いやっていた事柄だ。
古い記憶を辿って行くと、数百年置きに長時間の継承は起こっている。それも、五王家時を同じくして、だ。
更に不思議なのはここからで、長時間の継承を受けたであろう者達の記憶は残っていない。彼らと生きた時が重なっていたであろう者達の記憶も、彼らに関する部分だけは不自然な抜けが目立つ。
一つ共通しているのは、その記憶に深い悲しみが刻みつけられている点だ。
時間は掛かろうとも、ゼフィールは継承の間から出てはくるのだろう。けれど、その時彼がどうなっているのかは分からない。彼にとって何か不都合な事が起こるのではないか。それだけが心配だ。
「陛下、王子がお戻りに!」
礼拝堂の後ろ扉から兵が駆け込んできた。
常時、兵達はアレクシアのもとへ駆け込んでなどこない。ゼフィールの身に何かあったのかと不安がよぎる。
「あの子はどちらに?」
「居場所でありますか? 申し訳ございません。王子がお戻りになられたと伝えねばと走ってきたもので、どちらにいらっしゃるかは」
「そう。気にしなくていいわ。伝えてくれて御苦労でしたね」
恐縮して頭を下げる兵を労い下がらせる。アレクシアは立ち上がると服の裾を正し、礼拝堂の出口へ向け歩き出した。
(まぁ、あの子が出てきたというのなら、わたくしが探しに行けばいいだけのことだし。とりあえず十字石を渡して、それから話を聞くのがいいかしらね)
そう思い歩き出したのだが、その脚は礼拝堂を出ることなく止まった。
探し人本人が目の前に立っていたからだ。
ゼフィールは少しばかり疲れてはいるようだったけれど、継承の間に入る前とこれといった違いは見られない。そして、微かに驚きを浮かべた変わらぬ顔で、いつものように声をかけてきた。
「まだ起きていらしたのですか? お母様。もう夜も遅い。お身体に障るのでは?」
「わたくしよりも。貴方は、どこか身体の調子が悪いところはない?」
「特にありませんが、どうかしましたか? まぁ、話は明日にしましょう。お母様にまた倒れられてしまうと、皆、困ってしまいますからね。部屋まで送りましょう」
ゼフィールが先導して歩き出そうとする。
「お待ちなさい」
その背にアレクシアは声を掛けた。腕にはまるブレスレットの一つを外し、振り返った彼に渡す。
「先に渡しておくわ。使い方は知っているわね?」
「はい。……十字石にまで縛られると、ますます逃げ出せませんね」
ゼフィールはブレスレットを腕にはめながら寂しそうに笑う。その笑みが気になってアレクシアは声を掛けようとしたのだが、その前に彼は歩き出してしまった。
ゼフィールと並び歩きながら自室への道を辿る。横を歩く彼の顔をそっと見てみても、先程一瞬見せた表情はもう無い。それが腑に落ちず、そのまま見ていると彼がこちらを向いた。
「どうかしましたか?」
「いえ。先程貴方がとても寂しそうに見えたから。わたくしの勘違いならいいのだけど」
「俺はそんな顔をしていましたか」
ゼフィールの顔に苦い色が浮かぶ。先程とは違う、けれど、とても近い雰囲気が彼から出てくる。
「はぐらかしても納得してはくれなさそうですね」
「貴方は……継承の儀で何があったの?」
みっともなく彼にしがみ付き、問い正してみたけれど、ゼフィールは顔を逸らしてしまった。目を合わさぬまま、彼が呟く。
「黄昏の贄」
その言葉にアレクシアの身体が強張る。
連綿と連なる記憶の中に何度も出てくる言葉だ。それが何を意味するのかも受け継がれている。
よくよく記憶を漁ってみると、この言葉は長時間の継承が起こった時に使われている。だというのに、記憶の欠落があまりに多くて、関連していると気付かなかった。
その剥落の仕方は、まるで、両者が関連していると気付かせないための作為すら感じる。
「まさか……貴方が贄とは言わないわよね?」
声が震える。
ゼフィールはゆっくりとアレクシアの方へ顔を戻すと、何も言わずに瞳を閉じた。
「貴方は、それを受け入れるの!?」
否定して欲しくて、つい声が大きくなった。
世界の為には必要な犠牲だと理性は理解している。そもそも、五王家自体が贄を排出するために存続してきているのだ。それをとやかく言うつもりはない。しかし、一人の母として、自らの息子を差し出すことに納得がいかない。
「貴方が贄だと言うのなら、代わりましょう。贄は差し出さねばならない。ならば、わたくしが――」
「無理ですよ」
冷たい声でゼフィールが言う。
「贄になるにも資格がいる。そして、継承の儀でそれを知る。お母様は知らされなかったでしょう? そんなお母様では、どう転んでも贄にはなれません」
服を掴むアレクシアの指を彼がゆっくりと解く。
「お母様。俺は、七つの時貴女に逃がしてもらってから、ずっと、ずっと逃げてばかりだったんです。国から逃げ、自分の心から逃げ、刺客から逃げ、多くの同胞の犠牲の上に逃がしてもらい。恰好悪いですよね」
「それは貴方のせいではないでしょう? 逃げるしかなかったから貴方は逃げた。仕事をしたにすぎないわ」
アレクシアはふるふると首を振った。そんな彼女にゼフィールが苦笑する。
「そうかもしれません。でも、このままでは、俺の人生はただ逃げるだけで終わってしまう。だからね、王子に戻ると決めた時に、一緒に決意したんですよ。もう逃げまいって」
「それとこれとは別でしょう?」
「まぁ、予想外ではありましたが。けれど、俺達が逃げれば世界は終わります。たとえ逃げても俺達は死ぬのです。自分達だけが死ぬのか、世界も道連れに死ぬのか、それだけの違いです。それなら、お母様達が生きてくれる方が有意義でしょう?」
「けれど」
「そう悲しい事ばかりでもありませんよ? 贄となれば多くの命を救える。それは、多くの命を奪った俺には贖罪です。俺なんかの命でも役に立てるのだと思うと、随分と心が軽くなりました」
目覚めてから見せたことのない澄んだ顔でゼフィールが笑う。
その笑顔を見ながら、アレクシアは彼の手を強く握った。
記憶の中のゼフィールの手はまだまだ小さかった。けれど、今は彼女より大きい。折角取り戻したこの手を、運命は再び手放せというのか。
彼にその決断をさせた運命も、それを止める術を持たぬ自分の無力さも、様々な事が呪わしい。
「そんなお顔をなさらないで下さい、お母様。確かに、俺は親不孝者になるのでしょう。ですが、その分、共にいれる時間は大切にしたいと思っているんです」
握り締めたアレクシアの手をゼフィールが優しく包みながら言う。声には優しさと労わりがあふれている。
彼にこんな気遣いをさせてしまう自分の弱さが情けない。
「俺は貴女の息子として産まれてこれて幸せでした。貴女は自慢の母親です。ですから、最期まで笑っていてください。貴女はどんな時でも笑っていたと思い続けられるように」
「そんなこと――」
無理に決まっているではないか。既に涙腺が決壊しようとしているというのに。
幼い時からそうだが、彼のお願いは随分と無茶なものが多い。一人っ子だからと、甘やかして育てたのがいけなかったのかもしれない。
「アレクシア様、お身体に障ります。そろそろお休みになられては?」
「ええ。でも、もう少しだけ。貴女は先にお休みなさい」
そう返すと、侍女はそれ以上何も言わずに控える。
アレクシアはそんな彼女から視線を外し、ウラノスの像を見上げた。指を組み直すと、目を閉じ軽く頭を下げる。
(ウラノスよ、どうかゼフィールを奪わないで欲しい。この国にもわたくしにも、あの子の代わりはいない)
ただ、それだけを祈る。
自らも通った儀式だ。ゼフィールが継承の間へ入って一日は何の心配もしていなかった。当時のアレクシアと同じように、あの部屋の中で微睡んでいる。そう思っていたから。
継承の儀はいい休憩時間だった。
光に包まれ眠くなり、気が付いたら終わっていた。
その間に変わったことは、頭の中に、高性能な検索機能を持った図書館を作られた、とでも言えばいいのだろうか。所蔵されているのは、歴代王の記憶という書物だ。
普段は収納されているだけなので、過去を思い出したりなどしない。けれど、そういう知識がある、ということだけは分かるようになっているのだ。そして、いざ詳細を知ろうとすれば、すぐに目的の本の、栞の挟まったページを閲覧できる。
お陰で、当時の王がどういう意図でそういう政策を行ってきたのかも分かる。一貫した国政を営むのに、これほど便利な機能はない。
図書館と栞を得るためにかかった時間がおおよそ一日だった。これは、各国、誰であっても大差ない。
けれど、待てども待てどもゼフィールは出てこない。一日半が経過した頃から礼拝堂に籠り、彼の無事を祈っているが、祈りが届いた実感はない。
何かが起きている。それは分かった。
原因を求め記憶を必死に漁り、随分と昔に、《ハノーファ》のライナルト王太子の継承に時間が掛かったと聞いた事を思い出した。芋蔓式に、《ドレスデン》と《ライプツィヒ》の王太子も継承に時間が掛かったと、先日聞いたばかりだった事も思い出す。
日々の執務に追われるあまり、記憶の片隅に追いやっていた事柄だ。
古い記憶を辿って行くと、数百年置きに長時間の継承は起こっている。それも、五王家時を同じくして、だ。
更に不思議なのはここからで、長時間の継承を受けたであろう者達の記憶は残っていない。彼らと生きた時が重なっていたであろう者達の記憶も、彼らに関する部分だけは不自然な抜けが目立つ。
一つ共通しているのは、その記憶に深い悲しみが刻みつけられている点だ。
時間は掛かろうとも、ゼフィールは継承の間から出てはくるのだろう。けれど、その時彼がどうなっているのかは分からない。彼にとって何か不都合な事が起こるのではないか。それだけが心配だ。
「陛下、王子がお戻りに!」
礼拝堂の後ろ扉から兵が駆け込んできた。
常時、兵達はアレクシアのもとへ駆け込んでなどこない。ゼフィールの身に何かあったのかと不安がよぎる。
「あの子はどちらに?」
「居場所でありますか? 申し訳ございません。王子がお戻りになられたと伝えねばと走ってきたもので、どちらにいらっしゃるかは」
「そう。気にしなくていいわ。伝えてくれて御苦労でしたね」
恐縮して頭を下げる兵を労い下がらせる。アレクシアは立ち上がると服の裾を正し、礼拝堂の出口へ向け歩き出した。
(まぁ、あの子が出てきたというのなら、わたくしが探しに行けばいいだけのことだし。とりあえず十字石を渡して、それから話を聞くのがいいかしらね)
そう思い歩き出したのだが、その脚は礼拝堂を出ることなく止まった。
探し人本人が目の前に立っていたからだ。
ゼフィールは少しばかり疲れてはいるようだったけれど、継承の間に入る前とこれといった違いは見られない。そして、微かに驚きを浮かべた変わらぬ顔で、いつものように声をかけてきた。
「まだ起きていらしたのですか? お母様。もう夜も遅い。お身体に障るのでは?」
「わたくしよりも。貴方は、どこか身体の調子が悪いところはない?」
「特にありませんが、どうかしましたか? まぁ、話は明日にしましょう。お母様にまた倒れられてしまうと、皆、困ってしまいますからね。部屋まで送りましょう」
ゼフィールが先導して歩き出そうとする。
「お待ちなさい」
その背にアレクシアは声を掛けた。腕にはまるブレスレットの一つを外し、振り返った彼に渡す。
「先に渡しておくわ。使い方は知っているわね?」
「はい。……十字石にまで縛られると、ますます逃げ出せませんね」
ゼフィールはブレスレットを腕にはめながら寂しそうに笑う。その笑みが気になってアレクシアは声を掛けようとしたのだが、その前に彼は歩き出してしまった。
ゼフィールと並び歩きながら自室への道を辿る。横を歩く彼の顔をそっと見てみても、先程一瞬見せた表情はもう無い。それが腑に落ちず、そのまま見ていると彼がこちらを向いた。
「どうかしましたか?」
「いえ。先程貴方がとても寂しそうに見えたから。わたくしの勘違いならいいのだけど」
「俺はそんな顔をしていましたか」
ゼフィールの顔に苦い色が浮かぶ。先程とは違う、けれど、とても近い雰囲気が彼から出てくる。
「はぐらかしても納得してはくれなさそうですね」
「貴方は……継承の儀で何があったの?」
みっともなく彼にしがみ付き、問い正してみたけれど、ゼフィールは顔を逸らしてしまった。目を合わさぬまま、彼が呟く。
「黄昏の贄」
その言葉にアレクシアの身体が強張る。
連綿と連なる記憶の中に何度も出てくる言葉だ。それが何を意味するのかも受け継がれている。
よくよく記憶を漁ってみると、この言葉は長時間の継承が起こった時に使われている。だというのに、記憶の欠落があまりに多くて、関連していると気付かなかった。
その剥落の仕方は、まるで、両者が関連していると気付かせないための作為すら感じる。
「まさか……貴方が贄とは言わないわよね?」
声が震える。
ゼフィールはゆっくりとアレクシアの方へ顔を戻すと、何も言わずに瞳を閉じた。
「貴方は、それを受け入れるの!?」
否定して欲しくて、つい声が大きくなった。
世界の為には必要な犠牲だと理性は理解している。そもそも、五王家自体が贄を排出するために存続してきているのだ。それをとやかく言うつもりはない。しかし、一人の母として、自らの息子を差し出すことに納得がいかない。
「貴方が贄だと言うのなら、代わりましょう。贄は差し出さねばならない。ならば、わたくしが――」
「無理ですよ」
冷たい声でゼフィールが言う。
「贄になるにも資格がいる。そして、継承の儀でそれを知る。お母様は知らされなかったでしょう? そんなお母様では、どう転んでも贄にはなれません」
服を掴むアレクシアの指を彼がゆっくりと解く。
「お母様。俺は、七つの時貴女に逃がしてもらってから、ずっと、ずっと逃げてばかりだったんです。国から逃げ、自分の心から逃げ、刺客から逃げ、多くの同胞の犠牲の上に逃がしてもらい。恰好悪いですよね」
「それは貴方のせいではないでしょう? 逃げるしかなかったから貴方は逃げた。仕事をしたにすぎないわ」
アレクシアはふるふると首を振った。そんな彼女にゼフィールが苦笑する。
「そうかもしれません。でも、このままでは、俺の人生はただ逃げるだけで終わってしまう。だからね、王子に戻ると決めた時に、一緒に決意したんですよ。もう逃げまいって」
「それとこれとは別でしょう?」
「まぁ、予想外ではありましたが。けれど、俺達が逃げれば世界は終わります。たとえ逃げても俺達は死ぬのです。自分達だけが死ぬのか、世界も道連れに死ぬのか、それだけの違いです。それなら、お母様達が生きてくれる方が有意義でしょう?」
「けれど」
「そう悲しい事ばかりでもありませんよ? 贄となれば多くの命を救える。それは、多くの命を奪った俺には贖罪です。俺なんかの命でも役に立てるのだと思うと、随分と心が軽くなりました」
目覚めてから見せたことのない澄んだ顔でゼフィールが笑う。
その笑顔を見ながら、アレクシアは彼の手を強く握った。
記憶の中のゼフィールの手はまだまだ小さかった。けれど、今は彼女より大きい。折角取り戻したこの手を、運命は再び手放せというのか。
彼にその決断をさせた運命も、それを止める術を持たぬ自分の無力さも、様々な事が呪わしい。
「そんなお顔をなさらないで下さい、お母様。確かに、俺は親不孝者になるのでしょう。ですが、その分、共にいれる時間は大切にしたいと思っているんです」
握り締めたアレクシアの手をゼフィールが優しく包みながら言う。声には優しさと労わりがあふれている。
彼にこんな気遣いをさせてしまう自分の弱さが情けない。
「俺は貴女の息子として産まれてこれて幸せでした。貴女は自慢の母親です。ですから、最期まで笑っていてください。貴女はどんな時でも笑っていたと思い続けられるように」
「そんなこと――」
無理に決まっているではないか。既に涙腺が決壊しようとしているというのに。
幼い時からそうだが、彼のお願いは随分と無茶なものが多い。一人っ子だからと、甘やかして育てたのがいけなかったのかもしれない。
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