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風の国《シレジア》編 王子の帰還
4-22 おかえり
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◆
突然血相を変えて幌の外へと飛び出したマルクとゾフィを追って、ユリアもソリを降りた。そして、目の前に広がる光景に唖然とする。
空が金の光に満たされていた。
三人を追いかけてきたリアンも、半分口を開けながら空を見つめている。
「師匠、何なの? これ」
「こんなことが出来るのは……。でも……。うーん、分かんないわね」
マルクは何か知っているようだが、適当に答えをはぐらかすばかりで、ユリアと視線を合わせようとしない。あちらこちらに視線をさ迷わせていた彼だが、ロードタウンの方へ顔を向けると動きが止まった。
隣にいるゾフィをつつき、そちらを見るように誘導する。言われるまま顔を向けたゾフィもわずかに目を大きくした。
「瘴気が無くなってますわね。街に掛かっていたものは極薄かったので、まぁ、そんなこともあるかもしれませんけれど、山の向こうまで綺麗になっているのは……」
「こんなことが出来るのって、――くらいだと思うんだけど、まだ――」
二人は小声で何かを喋っていたが、難しい顔で腕を組むと無言になった。ロードタウンの方を見ながらマルクは爪を噛んでいる。何か悩んでいるのだろうか。
昨日捕えた《ザーレ》人達の監視を連れてきた兵達に任せ、ロードタウンを出てきたのが一刻ほど前。ゼフィールを探しにアントリムに向かう途中だったのに、不思議な現象のせいですっかり足が止まってしまった。
「綺麗。でも、なんか悲しい光」
ユリアは降ってくる雪を手の平で受け止めた。いつもは真っ白な雪も、今は空の光を受けて薄い金色をしている。それをそっと指で包み、また開くと、手の中にはわずかばかりの水滴しか残っていない。
その様がなんとも儚い。
「悲しむ必要はない、あれは救いだからな。それより、貴様等はどこへ向かっているんだ?」
「どこって、アナタを探しにアントリムに――……。って、えぇえ!?」
ごく自然に聞こえたゼフィールの問いにマルクが返事をしかけ、声の方向へ勢いよく身体を向けた。ユリアもそちらを振り向くと、こちらを見下ろせる低い崖の端にゼフィールが腰掛けている。
何度も瞬きしながら崖端の彼を凝視してみるが、ゼフィールに見える。御者は誰かいたとは言っていなかったけれど、見落としたのだろうか。
ユリアの疑問などよそに、ゼフィールは立ち上がると、何も無い宙へ足を踏み出した。支えを無くした彼の身体は、当然のように自由落下を始める。
「ちょっと、何考えてるのよ!?」
叫びながら、ユリアは慌てて崖下へ向けて走り出した。低い崖とはいえ、落ちれば怪我は免れない高さだ。
雪に足がとられて上手く走れない。なまじ間に合ってしまっても、怪我人が増えるだけなので受け止められないのだが、それでも走らずにはいられない。
そんなユリアの前でゼフィールは重力など感じさせず着地すると、こちらを向いた。
その顔は無表情で視線は冷たく、知っている彼とは違う。
「あんた、誰よ?」
ユリアは走るのを止め、後ずさりながら銀髪の青年に尋ねた。
長い銀髪や顔の造詣、声や体型は間違いなくゼフィールだ。けれど、全身を血に染め、冷たい空気をまとう青年のことは知らない。
ゼフィールは大抵やる気なく眠そうにしていて、たまにふんわり笑ってくれれば陽だまりみたいな空間を提供してくれる。そんな奴だった。
「アナタの正体、アタシも是非教えてもらいたいわね」
「わたくしもですわ」
後ろにさがるユリアの肩に手を置くと、マルクとゾフィが青年の前へ立ちはだかった。大概緩い空気を垂れ流している王太子二人が、珍しく真剣な表情で目の前の青年を睨んでいる。
二人が発する威圧感が強すぎて、ユリアは身震いした。
それでも、青年は平然としている。むしろ、彼から畏怖に近い何かを感じるのは何故だろう。
青年はマルクとゾフィにチラリと視線を向けると口を開いた。
「我はフレースヴェルグ。この地を守る楔の片割れ」
「フレースヴェルグ? 《シレジア》の力の名ですわね」
「なんだって力が身体を乗っ取っちゃってるワケ? ゼフィールどうしてるの?」
「奴は目を閉じ耳を塞ぎ、内に籠っている」
「は? なんでそんな事になってるのよ? ちょっとアナタ、きちんと説明なさいな!」
マルクが青年へと近付き、法衣の胸倉を掴もうとした瞬間。青年の足元から吹きぬけた烈風によりマルクの腕が裂けた。
「あら嫌だ。ゼフィールと違って、アナタは傷付けることに抵抗無しなのね」
血を流す腕を押さえながらマルクが後ずさる。軽口を叩いてはいるが、表情は先程までより厳しい。
そんな彼にゾフィが駆けより傷口を閉じる。そのまま彼女はゼフィールへ視線を向け、唇を尖らせた。
「お優しいゼフィール様に血を流させるなんて感心しませんわね。ゼフィール様が内に籠るきっかけも、大方あなたが作ったのではなくて?」
「否定はしない。我を止めていた対が、気付いたら内に籠っていたからな。奪った命のあまりの多さに、耐えられなかったのやもしれぬな」
「奪った命って……。あなた全身血塗れですけれど、どこで何をなさってきましたの?」
「《ザーレ》の掃滅。あの国に、もはや生者はいない」
青年の言葉にマルクとゾフィが押し黙った。
マルクは何も言わないが、身体は小刻みに震えている。そして、ついには怒りが我慢の限界を超えたのか、怒鳴りながら地面に拳を叩きつけた。
「掃滅って! もっと穏便な方法もあったでしょう!? よりにもよって、ゼフィールが一番嫌がりそうなことじゃないの!」
「あの国の者達は残らず瘴気に侵されていた。浄化されるのが遅いか早いかだけの違いでしかない。貴様等なら分かっているのではないのか? もっとも、我は貴様等の小言などどうでも良い。アントリムにある珠の除去に手駒が欲しいだけだ」
青年はマルクとゾフィの横を素通りするとユリアの肩に手を置いた。
「貴様と」
彼はユリアに一触れしただけで歩みは止めず、リアンのもとで立ち止まる。
「貴様だ。貴様等二人なら珠から影響を受けない。我と共に来い」
青年が双子に冷たい目を向ける。
その視線がユリアは怖かった。けれど、ゴクリと唾を飲み込むと、青年へ向けて歩き出す。歩きながら拳を握り込んだ。
ゼフィールの顔と声で、これ以上好き勝手されるのは御免だった。
(あいつは、良くも悪くも平和主義で、妙な所が真面目で。そして、凄く優しいの。人を物みたいに扱ったりなんて絶対しない)
今の彼の行動は普段のゼフィールからかけ離れ過ぎている。不快以外の何ものでもない。
(内に籠ってるっていうんだったら、殴ってでも引っ張り出してやるんだから)
そう思ってユリアが歩いていると、鈍い音をさせながら青年がよろけた。青年の前では、リアンが呆れ顔で右手の甲を撫でている。
「まったくさー。君って昔からそうだよね。嫌な事があるとすぐどっかに隠れちゃって、一人で泣くんだよ。最近見なくなってたのに、あの癖治ってなかったのかい?」
リアンが俯いたままの青年に近付き腰を屈める。そんなリアンの顔の前に青年の左手がかざされ、リアンは叫び声を上げながら盛大に吹き飛ばされた。
そして、何かのギャグかのように綺麗に雪に埋もれる。
「貴様に力を使うのは対の抵抗が大きい。いらぬ手間を掛けさせるな」
「あ、そう。対ってゼフィールの事? 引き籠ってるって言っても、やっぱり見てるんだね」
雪から這い出ると、リアンは身体を払いながら青年の方へ歩く。笑顔で青年の胸倉を掴んだ。青年の手が動くが、風が動く前にリアンが青年の顔を殴りつける。
「こういうのって僕のキャラじゃないんだけどさ。道を踏み外しかけてる奴を引き止めるのって、友人の役割っていうのがお約束じゃん?」
「やめんか、貴様。痛みが伝わるのは対になのだぞ」
青年の顔をリアンがまた殴る。
「自分が何されてるか分かっていいじゃん。正直さ、殴るのって僕も痛いんだよ。さっさと表に出てきてくれない? ゼフィール」
「いい加減に――」
「いい加減にするのはお前だ!」
リアンは青年に頭突きすると、額を突き付けたまま青年を睨んだ。
「ヘタレなへそ曲がりで泣き虫な奴だけど、僕の大切な弟なわけよ。さっさとゼフィールを返せ、この馬鹿!」
「……」
青年の左手が上がりかけたが、中途半端な位置でピタリと止まる。止まった手を彼は見ているが、それ以上身体は動かない。
誰もが動かずに固唾を飲んだ。
雪だけが静かに降り積もり、時を重ねて行く。
どれだけの時が過ぎたのだろうか。
青年の眉間に皺がより、小さく唇が動いた。ぎこちなく左手を下げ、胸倉を掴んだままのリアンの手を払いのける。二、三歩後ずさると、苦しそうに喘ぎ、その場にうずくまった。
心配そうなリアンが青年へ近寄ろうとする。
「……ゼフィール?」
「来る……な!」
青年の口から苦しそうな声が漏れた。何かを耐えるように雪を握り締める彼の身体からは光があふれ、空へと昇って行っている。沸き上がった光は一点に集まり、鷲の姿になると、どこかへと飛び去っていってしまった。
地上に残された身体は力なく雪の上にうずくまっている。
ユリアはゆっくりと踏み出すと、青年に向かい走った。
今手を伸ばさなければ彼が消えてしまいそうな気がして、突き動かされるように青年の元へ転がり込む。胸を押さえ顔を伏せたままの彼の肩にそっと手を置き、声を掛けた。
「ゼフィール?」
「!?」
青年はビクッと身体を震わせると、ユリアの手を乱暴に払い、逃げるかのように雪の中をもがき出した。
「ちょっと待ちなさいよ! なんで逃げるのよ!?」
少しも進めていない青年の腕を掴み、逃走を阻む。
逃げられる理由が分からない。それに、どう見ても脅えられている。
振り返った青年の顔は今にも泣きそうだった。先程までの無表情とは違う。泣きそうというのはいただけないが、この感覚は懐かしい。
「ゼフィー――」
「やめてくれ。これ以上俺に関わるな」
ゼフィールはユリアの手を振りほどくと背を向け、膝を抱え丸くなってしまった。全てを拒絶する背中が小さく震えている。
「ゼフィール」
ユリアはゼフィールの横に立つと、豪快に彼を蹴り飛ばした。ゴロゴロと転がった彼が、唖然とした顔でこちらを見つめてくる。
そんな彼にユリアはニッコリ笑いかけると、間髪いれずに彼の顔を殴った。殴られた頬を押さえながら、ゼフィールが上体を起こす。
「いきなり何するんだ!? しかもグーで殴るってなんだ!? せめて、女子ならパーだろ!」
「知らないわよそんなの! あんたね、お守りだけ置いて勝手にいなくなってんじゃないわよ! それになんなの!? ようやく見つけたと思ったら、ボロボロじゃない!」
「《シレジア》がどうなってるか分からなかったんだ。その上、俺は命を狙われる身だったしな。いきなりお前達まで連れていけるはずがないだろ」
「危ないって分かってたんだったら――」
ユリアはゼフィールの前に膝をつくと、彼の首に腕を回し、抱きしめた。
「頼ってよ。あんたが私達を心配してるのと同じだけ、私達だってあんたが心配なの。守らせてよ、私達にも」
「……駄目だ。もう俺には関わるな。俺の手は血まみれで、お前達の側にいる資格は――」
「そんなの関係無い!」
叫ぶと、彼を抱く腕に力を込める。
「あんたが血まみれでも、王子でも、たった三人の姉弟じゃない! 一人で抱え込まないで。その重荷は私達も一緒に背負うから。だから、そんな寂しいこと言わないで」
「ユリア……」
おずおずと、ゼフィールの腕がユリアの背に回る。その腕には次第に力が籠り、胸に顔を埋めた彼は縋るように彼女を抱いてきた。
「一人でよく頑張ったわね」
ユリアはゼフィールの頭を撫でた。
いつもは綺麗で柔らかな彼の髪なのに、今は血で汚れバリバリになっている。服も、蒼と朱に染まり斑だ。
どれだけの流血現場をくぐり抜ければこんなにも血に染まるのだろう。そして、その事が、わずかな血さえ嫌う彼の心にどれだけの傷を負わせたのかと考えると、胸が締め付けられる。
そんな二人のもとにリアンも近寄ってきた。やってらんないよ、と、肩を竦める彼は、二人のすぐ側で雪に足をとられ前のめりに倒れる。
「ちょっ! 二人とも避けてー!!」
「?」
「!?」
叫び声で迫りくるリアンに気付いたからといって、すぐに避けられる体勢ではない。
リアンの頭は見事なまでに目の前の二人の頭に当たり、三人仲良く悶絶しながら雪の上を転がるハメになった。
「あんた何考えてんの!? たんこぶできたじゃない!」
「僕も好きでコケたんじゃないって! 不可抗力だよ!」
「お前ら……」
ひとしきり文句を言い合い、それにも疲れると、川の字になって雪の上に転がった。ユリアは身体を動かすと、真ん中に寝転がっているゼフィールを見る。
さっきまでは酷く落ち込んでいた彼だが、今は静かに空を眺めている。こうやっていると、いつも三人で馬鹿をやっている時みたいで、今の今まで感じていた不安なんて勘違いだったのではないかと思えてくる。
ゼフィールを挟んでユリアの反対側で寝転がりながら、リアンが尋ねた。
「ゼフィールさ。僕達の鉄の掟覚えてる?」
「誕生日は三人一緒に祝うってあれか?」
「そ。で、君の誕生日はいつだったっけ?」
「お前達の五日後だな。仕方ないだろ、いれなかったんだから」
「大分過ぎちゃったけど、お祝いしないとね。三人分まとめて。リアン、美味しい物期待してるわ!」
ユリアは満面の笑顔を作ってリアンに向ける。一瞬、なんとも残念そうな顔をしたリアンだったが、諦めたようにため息をついた。
「はいはい。おかしいなぁ。僕も祝われる立場のはずなんだけど。まぁ、いつもの事だからいいけどさ」
「スコーン作ってくれよ。ベリーが入ってるやつ」
「は? ちょっとそれ、僕《シレジア》に来て初めて食べたんだけど、どうやって作れと」
料理上手なリアンにしては珍しく本気で困っている。そんな彼を見ながら薄い笑みを浮かべているゼフィールの目から涙が流れた。
その涙にぎょっとして、ユリアは彼を覗き込む。
「ちょっとゼフィール。リアンの頭突きまだ痛いの? あ、そうだ。今度黙っていなくなったら、罰としてリアンの頭突きをお見舞いするわね」
「ちょっと。それって、僕も痛いんですけど、あの」
げんなりとリアンがこちらを見てくる。
ゼフィールが良からぬ事をする時は大抵リアンが絡んでいるので、一蓮托生でいいと思うのだが、彼的には不服らしい。
不出来な弟の不満など一々聞いていられないので、無視して口を開く。
「「まぁ、ともかく」」
不思議と、リアンと言葉が重なった。リアンも驚いてユリアを見ている。
双子だからか、なんとなく分かる事がある。きっと、二人共言いたい事は同じだ。
だから、一緒に口に出す。
「「お帰り。ゼフィール」」
ゼフィールの眉間に皺が寄り、唇が細かく震えた。流れる涙を隠すかのように目元を腕で隠したけれど、口元には笑みが浮かんでいる。
そして、彼は小さく呟いた。
「ただいま」
突然血相を変えて幌の外へと飛び出したマルクとゾフィを追って、ユリアもソリを降りた。そして、目の前に広がる光景に唖然とする。
空が金の光に満たされていた。
三人を追いかけてきたリアンも、半分口を開けながら空を見つめている。
「師匠、何なの? これ」
「こんなことが出来るのは……。でも……。うーん、分かんないわね」
マルクは何か知っているようだが、適当に答えをはぐらかすばかりで、ユリアと視線を合わせようとしない。あちらこちらに視線をさ迷わせていた彼だが、ロードタウンの方へ顔を向けると動きが止まった。
隣にいるゾフィをつつき、そちらを見るように誘導する。言われるまま顔を向けたゾフィもわずかに目を大きくした。
「瘴気が無くなってますわね。街に掛かっていたものは極薄かったので、まぁ、そんなこともあるかもしれませんけれど、山の向こうまで綺麗になっているのは……」
「こんなことが出来るのって、――くらいだと思うんだけど、まだ――」
二人は小声で何かを喋っていたが、難しい顔で腕を組むと無言になった。ロードタウンの方を見ながらマルクは爪を噛んでいる。何か悩んでいるのだろうか。
昨日捕えた《ザーレ》人達の監視を連れてきた兵達に任せ、ロードタウンを出てきたのが一刻ほど前。ゼフィールを探しにアントリムに向かう途中だったのに、不思議な現象のせいですっかり足が止まってしまった。
「綺麗。でも、なんか悲しい光」
ユリアは降ってくる雪を手の平で受け止めた。いつもは真っ白な雪も、今は空の光を受けて薄い金色をしている。それをそっと指で包み、また開くと、手の中にはわずかばかりの水滴しか残っていない。
その様がなんとも儚い。
「悲しむ必要はない、あれは救いだからな。それより、貴様等はどこへ向かっているんだ?」
「どこって、アナタを探しにアントリムに――……。って、えぇえ!?」
ごく自然に聞こえたゼフィールの問いにマルクが返事をしかけ、声の方向へ勢いよく身体を向けた。ユリアもそちらを振り向くと、こちらを見下ろせる低い崖の端にゼフィールが腰掛けている。
何度も瞬きしながら崖端の彼を凝視してみるが、ゼフィールに見える。御者は誰かいたとは言っていなかったけれど、見落としたのだろうか。
ユリアの疑問などよそに、ゼフィールは立ち上がると、何も無い宙へ足を踏み出した。支えを無くした彼の身体は、当然のように自由落下を始める。
「ちょっと、何考えてるのよ!?」
叫びながら、ユリアは慌てて崖下へ向けて走り出した。低い崖とはいえ、落ちれば怪我は免れない高さだ。
雪に足がとられて上手く走れない。なまじ間に合ってしまっても、怪我人が増えるだけなので受け止められないのだが、それでも走らずにはいられない。
そんなユリアの前でゼフィールは重力など感じさせず着地すると、こちらを向いた。
その顔は無表情で視線は冷たく、知っている彼とは違う。
「あんた、誰よ?」
ユリアは走るのを止め、後ずさりながら銀髪の青年に尋ねた。
長い銀髪や顔の造詣、声や体型は間違いなくゼフィールだ。けれど、全身を血に染め、冷たい空気をまとう青年のことは知らない。
ゼフィールは大抵やる気なく眠そうにしていて、たまにふんわり笑ってくれれば陽だまりみたいな空間を提供してくれる。そんな奴だった。
「アナタの正体、アタシも是非教えてもらいたいわね」
「わたくしもですわ」
後ろにさがるユリアの肩に手を置くと、マルクとゾフィが青年の前へ立ちはだかった。大概緩い空気を垂れ流している王太子二人が、珍しく真剣な表情で目の前の青年を睨んでいる。
二人が発する威圧感が強すぎて、ユリアは身震いした。
それでも、青年は平然としている。むしろ、彼から畏怖に近い何かを感じるのは何故だろう。
青年はマルクとゾフィにチラリと視線を向けると口を開いた。
「我はフレースヴェルグ。この地を守る楔の片割れ」
「フレースヴェルグ? 《シレジア》の力の名ですわね」
「なんだって力が身体を乗っ取っちゃってるワケ? ゼフィールどうしてるの?」
「奴は目を閉じ耳を塞ぎ、内に籠っている」
「は? なんでそんな事になってるのよ? ちょっとアナタ、きちんと説明なさいな!」
マルクが青年へと近付き、法衣の胸倉を掴もうとした瞬間。青年の足元から吹きぬけた烈風によりマルクの腕が裂けた。
「あら嫌だ。ゼフィールと違って、アナタは傷付けることに抵抗無しなのね」
血を流す腕を押さえながらマルクが後ずさる。軽口を叩いてはいるが、表情は先程までより厳しい。
そんな彼にゾフィが駆けより傷口を閉じる。そのまま彼女はゼフィールへ視線を向け、唇を尖らせた。
「お優しいゼフィール様に血を流させるなんて感心しませんわね。ゼフィール様が内に籠るきっかけも、大方あなたが作ったのではなくて?」
「否定はしない。我を止めていた対が、気付いたら内に籠っていたからな。奪った命のあまりの多さに、耐えられなかったのやもしれぬな」
「奪った命って……。あなた全身血塗れですけれど、どこで何をなさってきましたの?」
「《ザーレ》の掃滅。あの国に、もはや生者はいない」
青年の言葉にマルクとゾフィが押し黙った。
マルクは何も言わないが、身体は小刻みに震えている。そして、ついには怒りが我慢の限界を超えたのか、怒鳴りながら地面に拳を叩きつけた。
「掃滅って! もっと穏便な方法もあったでしょう!? よりにもよって、ゼフィールが一番嫌がりそうなことじゃないの!」
「あの国の者達は残らず瘴気に侵されていた。浄化されるのが遅いか早いかだけの違いでしかない。貴様等なら分かっているのではないのか? もっとも、我は貴様等の小言などどうでも良い。アントリムにある珠の除去に手駒が欲しいだけだ」
青年はマルクとゾフィの横を素通りするとユリアの肩に手を置いた。
「貴様と」
彼はユリアに一触れしただけで歩みは止めず、リアンのもとで立ち止まる。
「貴様だ。貴様等二人なら珠から影響を受けない。我と共に来い」
青年が双子に冷たい目を向ける。
その視線がユリアは怖かった。けれど、ゴクリと唾を飲み込むと、青年へ向けて歩き出す。歩きながら拳を握り込んだ。
ゼフィールの顔と声で、これ以上好き勝手されるのは御免だった。
(あいつは、良くも悪くも平和主義で、妙な所が真面目で。そして、凄く優しいの。人を物みたいに扱ったりなんて絶対しない)
今の彼の行動は普段のゼフィールからかけ離れ過ぎている。不快以外の何ものでもない。
(内に籠ってるっていうんだったら、殴ってでも引っ張り出してやるんだから)
そう思ってユリアが歩いていると、鈍い音をさせながら青年がよろけた。青年の前では、リアンが呆れ顔で右手の甲を撫でている。
「まったくさー。君って昔からそうだよね。嫌な事があるとすぐどっかに隠れちゃって、一人で泣くんだよ。最近見なくなってたのに、あの癖治ってなかったのかい?」
リアンが俯いたままの青年に近付き腰を屈める。そんなリアンの顔の前に青年の左手がかざされ、リアンは叫び声を上げながら盛大に吹き飛ばされた。
そして、何かのギャグかのように綺麗に雪に埋もれる。
「貴様に力を使うのは対の抵抗が大きい。いらぬ手間を掛けさせるな」
「あ、そう。対ってゼフィールの事? 引き籠ってるって言っても、やっぱり見てるんだね」
雪から這い出ると、リアンは身体を払いながら青年の方へ歩く。笑顔で青年の胸倉を掴んだ。青年の手が動くが、風が動く前にリアンが青年の顔を殴りつける。
「こういうのって僕のキャラじゃないんだけどさ。道を踏み外しかけてる奴を引き止めるのって、友人の役割っていうのがお約束じゃん?」
「やめんか、貴様。痛みが伝わるのは対になのだぞ」
青年の顔をリアンがまた殴る。
「自分が何されてるか分かっていいじゃん。正直さ、殴るのって僕も痛いんだよ。さっさと表に出てきてくれない? ゼフィール」
「いい加減に――」
「いい加減にするのはお前だ!」
リアンは青年に頭突きすると、額を突き付けたまま青年を睨んだ。
「ヘタレなへそ曲がりで泣き虫な奴だけど、僕の大切な弟なわけよ。さっさとゼフィールを返せ、この馬鹿!」
「……」
青年の左手が上がりかけたが、中途半端な位置でピタリと止まる。止まった手を彼は見ているが、それ以上身体は動かない。
誰もが動かずに固唾を飲んだ。
雪だけが静かに降り積もり、時を重ねて行く。
どれだけの時が過ぎたのだろうか。
青年の眉間に皺がより、小さく唇が動いた。ぎこちなく左手を下げ、胸倉を掴んだままのリアンの手を払いのける。二、三歩後ずさると、苦しそうに喘ぎ、その場にうずくまった。
心配そうなリアンが青年へ近寄ろうとする。
「……ゼフィール?」
「来る……な!」
青年の口から苦しそうな声が漏れた。何かを耐えるように雪を握り締める彼の身体からは光があふれ、空へと昇って行っている。沸き上がった光は一点に集まり、鷲の姿になると、どこかへと飛び去っていってしまった。
地上に残された身体は力なく雪の上にうずくまっている。
ユリアはゆっくりと踏み出すと、青年に向かい走った。
今手を伸ばさなければ彼が消えてしまいそうな気がして、突き動かされるように青年の元へ転がり込む。胸を押さえ顔を伏せたままの彼の肩にそっと手を置き、声を掛けた。
「ゼフィール?」
「!?」
青年はビクッと身体を震わせると、ユリアの手を乱暴に払い、逃げるかのように雪の中をもがき出した。
「ちょっと待ちなさいよ! なんで逃げるのよ!?」
少しも進めていない青年の腕を掴み、逃走を阻む。
逃げられる理由が分からない。それに、どう見ても脅えられている。
振り返った青年の顔は今にも泣きそうだった。先程までの無表情とは違う。泣きそうというのはいただけないが、この感覚は懐かしい。
「ゼフィー――」
「やめてくれ。これ以上俺に関わるな」
ゼフィールはユリアの手を振りほどくと背を向け、膝を抱え丸くなってしまった。全てを拒絶する背中が小さく震えている。
「ゼフィール」
ユリアはゼフィールの横に立つと、豪快に彼を蹴り飛ばした。ゴロゴロと転がった彼が、唖然とした顔でこちらを見つめてくる。
そんな彼にユリアはニッコリ笑いかけると、間髪いれずに彼の顔を殴った。殴られた頬を押さえながら、ゼフィールが上体を起こす。
「いきなり何するんだ!? しかもグーで殴るってなんだ!? せめて、女子ならパーだろ!」
「知らないわよそんなの! あんたね、お守りだけ置いて勝手にいなくなってんじゃないわよ! それになんなの!? ようやく見つけたと思ったら、ボロボロじゃない!」
「《シレジア》がどうなってるか分からなかったんだ。その上、俺は命を狙われる身だったしな。いきなりお前達まで連れていけるはずがないだろ」
「危ないって分かってたんだったら――」
ユリアはゼフィールの前に膝をつくと、彼の首に腕を回し、抱きしめた。
「頼ってよ。あんたが私達を心配してるのと同じだけ、私達だってあんたが心配なの。守らせてよ、私達にも」
「……駄目だ。もう俺には関わるな。俺の手は血まみれで、お前達の側にいる資格は――」
「そんなの関係無い!」
叫ぶと、彼を抱く腕に力を込める。
「あんたが血まみれでも、王子でも、たった三人の姉弟じゃない! 一人で抱え込まないで。その重荷は私達も一緒に背負うから。だから、そんな寂しいこと言わないで」
「ユリア……」
おずおずと、ゼフィールの腕がユリアの背に回る。その腕には次第に力が籠り、胸に顔を埋めた彼は縋るように彼女を抱いてきた。
「一人でよく頑張ったわね」
ユリアはゼフィールの頭を撫でた。
いつもは綺麗で柔らかな彼の髪なのに、今は血で汚れバリバリになっている。服も、蒼と朱に染まり斑だ。
どれだけの流血現場をくぐり抜ければこんなにも血に染まるのだろう。そして、その事が、わずかな血さえ嫌う彼の心にどれだけの傷を負わせたのかと考えると、胸が締め付けられる。
そんな二人のもとにリアンも近寄ってきた。やってらんないよ、と、肩を竦める彼は、二人のすぐ側で雪に足をとられ前のめりに倒れる。
「ちょっ! 二人とも避けてー!!」
「?」
「!?」
叫び声で迫りくるリアンに気付いたからといって、すぐに避けられる体勢ではない。
リアンの頭は見事なまでに目の前の二人の頭に当たり、三人仲良く悶絶しながら雪の上を転がるハメになった。
「あんた何考えてんの!? たんこぶできたじゃない!」
「僕も好きでコケたんじゃないって! 不可抗力だよ!」
「お前ら……」
ひとしきり文句を言い合い、それにも疲れると、川の字になって雪の上に転がった。ユリアは身体を動かすと、真ん中に寝転がっているゼフィールを見る。
さっきまでは酷く落ち込んでいた彼だが、今は静かに空を眺めている。こうやっていると、いつも三人で馬鹿をやっている時みたいで、今の今まで感じていた不安なんて勘違いだったのではないかと思えてくる。
ゼフィールを挟んでユリアの反対側で寝転がりながら、リアンが尋ねた。
「ゼフィールさ。僕達の鉄の掟覚えてる?」
「誕生日は三人一緒に祝うってあれか?」
「そ。で、君の誕生日はいつだったっけ?」
「お前達の五日後だな。仕方ないだろ、いれなかったんだから」
「大分過ぎちゃったけど、お祝いしないとね。三人分まとめて。リアン、美味しい物期待してるわ!」
ユリアは満面の笑顔を作ってリアンに向ける。一瞬、なんとも残念そうな顔をしたリアンだったが、諦めたようにため息をついた。
「はいはい。おかしいなぁ。僕も祝われる立場のはずなんだけど。まぁ、いつもの事だからいいけどさ」
「スコーン作ってくれよ。ベリーが入ってるやつ」
「は? ちょっとそれ、僕《シレジア》に来て初めて食べたんだけど、どうやって作れと」
料理上手なリアンにしては珍しく本気で困っている。そんな彼を見ながら薄い笑みを浮かべているゼフィールの目から涙が流れた。
その涙にぎょっとして、ユリアは彼を覗き込む。
「ちょっとゼフィール。リアンの頭突きまだ痛いの? あ、そうだ。今度黙っていなくなったら、罰としてリアンの頭突きをお見舞いするわね」
「ちょっと。それって、僕も痛いんですけど、あの」
げんなりとリアンがこちらを見てくる。
ゼフィールが良からぬ事をする時は大抵リアンが絡んでいるので、一蓮托生でいいと思うのだが、彼的には不服らしい。
不出来な弟の不満など一々聞いていられないので、無視して口を開く。
「「まぁ、ともかく」」
不思議と、リアンと言葉が重なった。リアンも驚いてユリアを見ている。
双子だからか、なんとなく分かる事がある。きっと、二人共言いたい事は同じだ。
だから、一緒に口に出す。
「「お帰り。ゼフィール」」
ゼフィールの眉間に皺が寄り、唇が細かく震えた。流れる涙を隠すかのように目元を腕で隠したけれど、口元には笑みが浮かんでいる。
そして、彼は小さく呟いた。
「ただいま」
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