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夕立

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風の国《シレジア》編 王子の帰還

4-21 侵略の代償

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 ◆

 木材と石で作られた粗末な家々の並ぶ通りに、長い銀髪の青年が忽然と現れた。突然現れた青年に、周囲の人間の視線が集まる。
 彼はわずかだけ首を巡らせると、無表情に歩き出した。

『今、何が起きた?』

 説明の一つもせず、黙々と歩を進めるフレースヴェルグにゼフィールは尋ねる。
 視界が暗転したと思ったら、次の瞬間、知らぬ景色が広がっていた。何が起こったのか全く分からない。

『空間を跳んだだけだ。思っていた場所と少しばかりずれたが、これくらいなら誤差だろう』
『空間を跳んだ……。って、お前、どこに来たんだ?』
『《ザーレ》』

 告げられた国名に驚く。
 ネビスから《ザーレ》まではかなりの距離がある。それに、国境となっている険しい山脈もあったはずだ。距離も障害も、一瞬で全て飛び越えて来たというのだろうか。
 今更ながら、フレースヴェルグの能力は底が知れない。

(ここが《ザーレ》……)

 フレースヴェルグの目を通して流れる光景を眺める。
 初めて訪れた隣国は随分と寂しかった。《シレジア》と同じ気候条件のはずだが、雪は一粒たりとも降っておらず、乾いた風が微かに吹いていく。風だけではない、土地も、樹木も、何もかもが乾いて見える。
 人とて例外ではない。
 路地を歩くフレースヴェルグの姿を追いかける、、、、、人々の瞳に熱は無く、どこまでも濁っている。いや、濁り過ぎている。

 人々の目の濁りが見えた時、ゼフィールは周囲の異常さに気付いた。

(なぜ住民が俺を追いかけてきているんだ?)

 その動きは緩慢だが、蛾が灯りに群がるように四方八方から人々が集まってくる。今こうしている間にも囲いは狭くなる一方だ。

 フレースヴェルグを囲む人々から手が伸びた。
 その手が何を求めているのか分からないが、底知れぬ恐怖と嫌悪を感じる。触れられたくない。本能が訴える。

 フレースヴェルグの周囲で鮮血が飛び散った。伸びてきていた腕が風に切断され、地に落ちる。斬られたのが腕の者はまだいい。彼の進行方向にいた者は一瞬で全身を切り刻まれた。フレースヴェルグの移動に合わせ、道を塞ぐ者達が次々と肉片になり、周囲が朱に染まる。
 傍から見るその光景はただの虐殺だ。
 血生臭すぎる景色に、ゼフィールの心の中で、憎しみの為にマヒしていた部分がうずいた。

『止めろ、フレースヴェルグ! 無用な血は流すな!』
『瘴気に侵されきった者は侵されておらぬ者に惹かれる。そして襲い、瘴気に侵す。そうして瘴気の感染は広まっていく。手心を加えれば、貴様もこいつらの仲間入りだぞ?』
『瘴気に感染……? いや、そうだとしてもだ! お前何しに《ザーレ》に来たんだ!? どこか目的地があるなら、そこまで人を避けて行けるだろう? 無駄に血を流すだけなら今すぐ《シレジア》へ帰れ! ネビスの男達は助かったんだ。これ以上の血を俺は見たくない』
『呪いの元を絶つまでは帰れぬ。これは貴様の願いであり、《シレジア》の為でもある。貴様はそこから見ていろ』

 そう言われてしまっては、ゼフィールに返す言葉は無い。アレクシアの呪いを解くため、《ザーレ》に行こうとしていたのは事実だ。
 引き止めを諦め、傍観する立場に戻る。

 《ザーレ》が憎かったのは間違いない。いや、今でも憎い。目の前で民を殺され続け、こんな国など滅んでしまえばいいとさえ思った。

 しかし、それは無辜の民を傷付ける事とは一致しない。
 《シレジア》侵略を扇動する者達を排除し、国が潰れるというのなら歓迎だ。けれど、今流れているのは、何も知らぬ民の血だ。
 これでは、《ザーレ》が《シレジア》に対して行った仕打ちと、何ら変わらないのではないだろうか。

 終わらない虐殺、流れ続ける血に気が遠くなりかける。
 そんなゼフィールの視界に蛍のような光が飛び込んできた。いくつも漂う光は、フレースヴェルグの周囲をしばらく漂うと彼の中へと消えて行く。
 身体の中へ入り込んだ光から力が流れ込んできた。それはそのままゼフィールの魔力へと変換され、身体を満たしていく。

『この光はなんだ?』
『命の残滓。死によって浄化された者達の命の輝き、生命力とでも言おうか。貴様の魔力はほぼ空だった上に、我も空間転移で多くの魔力を消費した。その穴埋めに利用させてもらおう』
『お前、力を回復するために彼らを殺してるのか!?』
『気付かぬのか? 吸収された力に一切の穢れが無いことに。この地も、民も、長い時間瘴気に曝されたことで、瘴気による浸食はその生命と分かつことが出来ぬほどになっている。もはや、彼らを瘴気の穢れから祓い清められるのは、死のみだ』

 大きく頑丈な門扉に道を阻まれ、フレースヴェルグが地を蹴った。身体は軽やかに宙を舞い、閉ざされた門を難なく超える。そして、粗末な街には不釣り合いな、大きく立派な建物のバルコニーへと降り立った。

 随分とチグハグな建物だった。建物の大部分は街と同じ石と木材で作られているのに、所々白亜の石材が混ざっている。それは、《シレジア》ではありふれたネビス産の石材で、順次立て直しているようだった。

(くだらない)

 その様子を冷めた目で見つつ、ゼフィールは心の中で吐き捨てた。
 老司祭が不思議がっていた。いつまでも切り出している石材を何に使っているのかと。
 この光景を見れば使用先は一目瞭然だ。この建物の改修、それで間違いないだろう。こんな事のために劣悪な環境下で重労働を課せられ、多数の死者を出し続けていたのかと思うといたたまれない。

 フレースヴェルグが室内へと続くガラス扉に手を掛ける。扉は当然開かない。しかし、次の瞬間粉々に砕け、外との仕切りとして用を為さなくなった。
 フレースヴェルグは砕けたガラスを踏み越え建物内へと侵入する。行くべき場所が分かっているのか、足取りに迷いはない。

 ガラスが割れる音を聞きつけたのか兵が集まってきた。フレースヴェルグを取り押さえようと武器を突き付けてくる。
 そして、繰り返される惨劇。
 辺りに塗りたくられる血、血、血――。

 障害となるものは人だろうと物だろうと尽く取り除き、フレースヴェルグは一つの部屋に辿り着いた。

 そこは、この国から非常に浮いた部屋で、粗末な街と対照的に豪華すぎる調度品が並べられていた。しかし、置かれている物にひんはなく、趣味が悪い。

 そんな部屋のただ中には、周囲の者より明らかに高価な衣服を身に付けた老人がいた。
 衣服だけは立派なのだが、特に威厳があるという訳でもなく、どこにでもいそうな男だ。ただ、彼は肝が座っているようで、濁った瞳をフレースヴェルグに向けただけで、ソファでくつろぎ続けている。

「貴様、何者だ! ここが王の私室と知っての所業か!?」

 部屋にはべっていた騎士の一人が、抜いた剣をフレースヴェルグに向けながら怒鳴った。
 部屋には老人以外にも四人の人物がいる。薄い衣服の女と文官風の男。剣を携えている騎士が二人。丸腰の二人はさっさと老人の近くへ逃げたが、騎士達はフレースヴェルグへと剣を突き付けてきている。

 もっとも、そんな脅しなどフレースヴェルグには効果がないらしい。障害など無いかのように老人――《ザーレ》王へと歩み寄る。

「止まれ! 貴様、それ以上近寄ると斬り捨てるぞ!」
「貴様に用は無い」

 騎士の一人が凄むのと、見えない圧力によって壁に打ち付けられたのは、ほぼ同時だった。調度品をいくつか壊しながら壁に激突した男は、壁に血の糸を引きながら崩れ落ち、動かない。
 それを見た他の者達はゴクリと唾を飲み込むと、後ろへ下がった。
 王の側元まで辿り着いたフレースヴェルグが老人を見下ろす。

「侵略者の王よ、ついが貴様に説明を求めている。《シレジア》侵略の理由を述べよ」
「侵略じゃと? 否。儂らは《シレジア》人共に代わって資源を有効活用してやってるにすぎん。侵略だなどと言われるとは心外じゃな。そう言うということは、お主、《シレジア》の手の者か?」

 王が眠そうな目でこちらを見上げる。フレースヴェルグは老人の問いには答えず、わずかに片眉だけを上げた。

「解せぬな。《シレジア》と《ザーレ》、採れるものはさして変わらぬだろうに。わざわざ山脈越えまでして何を得る?」
「はっ。これは笑わせてくれる。《シレジア》人自身が資源の塊ではないか。そのあふれる魔力を集めれば魔晶石を作り出し、老いれば青き血を搾り取ってやればいい。奴らこそ、まさに無限の富を生む雌鳥」

 王は手を叩きながら嬉しそうに笑う。
 彼にとって《シレジア》人はただの資源なのだろう。ここまで突き抜けていると、怒りを通り越して諦観しか沸かない。

「そうして搾り取った富で国は豊かになったのか? 見た所、貴様の周囲にのみ富が偏っているようだが」
「まずは儂が豊かになるのは当然であろう。儂は《シレジア》の王家より豊かになってみせる! あいつらのすました顔を見下してやるんじゃ。儂が豊かになり、富を使うことで、下々の者にも、じき、恩恵が広がるかもしれんの。時間はかかるだろうがな」
「そうか。対は、もはや貴様の戯言など聞きたくないそうだ。口を閉じて良いぞ」
「馬鹿が! 口を閉じるのは貴様の方だ!」

 王が手を掲げると、それを合図に残った騎士がフレースヴェルグに襲いかかった。後ろから裂帛の一撃が迫る。
 けれど、それは届かずじまいだった。

 その部屋にいる《ザーレ》人全ての頭部が吹き飛んでいた。司令塔を失った身体が次々と地に崩れる。かつて王であった老人も例外ではなく、頭部を失った身体はソファの上のオブジェと化している。

『アレクシアの息子よ、貴様の母を蝕んでいる呪いの正体を知っているか? それはこ奴等の嫉妬だ。嫉妬が瘴気によって力を得、ついには命を脅かす程にまでなった。中でも強い負の感情を放つ王を殺せば、少しは収まるかと思っていたが――』

 転がる死体は蛍のような光を生み、塵すら残さなかった。光だけがフレースヴェルグの元へ集まってきて、彼の中へと吸収されていく。

『一向に収束の兆しは見られない。城下で民の様子を見た時から薄々予想はしていたが、奴の負の感情は瘴気と混じり国を蝕み、国民全てを呪いの発生源としてしまったようだな』

 フレースヴェルグは誰もいなくなった部屋を横切り窓へと向かった。この部屋にもう興味はないのか、《ザーレ》王が座っていたソファの横を過ぎた時も、一瞥いちべつすらしない。
 窓を割り外へと飛び立つと、建物の最も高い屋根へと降り立った。そこから空を見渡し、視線を街へと下ろす。

 空はくすんでいた。濃厚な瘴気により霞んでいる。
 遠い《シレジア》の地からでも確認できるほどの瘴気だ。それに長時間曝されるとは、どれほどの苦しみになるのだろう。

 身体の中で魔力の動きを感じた。
 それは、今まで使っていた魔力の比ではない。その膨大さと今いる場所から、ゼフィールはこれから行われる事をなんとなく察し、訴えた。

『嫌だ。止めろ。それだけは俺にさせないでくれ』
『アレクシアの息子よ、泣くな。呪いの元を浄化しつくせば彼女は目覚めるだろう。この国の民にとっても浄化は救いだ。満たされることのない嫉妬から解放されるのだからな』

 フレールヴェルグは両手を広げ空へと掲げると、瞳を閉じ上を向く。

「哀れな亡者達よ、我が貴様等を死者の園ニヴルヘイムへと連れて行こう。心安らかに眠るがよい」

 幾筋もの光が天を貫き、空が金の光に満たされた。
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