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風の国《シレジア》編 王子の帰還
4-13 悲鳴 後編
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再び冷水を掛けられ、ゼフィールの目が覚めた。
「お休みのところ申し訳ないが、そろそろ起きて頂こうか」
アイヴァンの声が頭上から降ってくる。顔を上げてみると、房の中にはアイヴァンと青年、さっき出て行ったはずの兵と見慣れぬ侍女がいた。
(なぜ侍女がここに?)
わずかに首を傾げ――言われた側から首を傾げた自分に呆れる。だが、その動きで疑問はアイヴァンに伝わったらしい。答えが返ってきた。
「なぜ彼女がここにいるのか不思議であられるのだろう? 貴方をいくら傷めつけても何も喋らぬようなのでな。代わりに彼女に苦しんでもらおうという話だ。世の中には、他人が苦しむ方が効く者もいるのでな。やれ」
「はっ」
「!?」
びくついている侍女に兵が素早く縄を掛ける。そんな為に連れて来られたとは彼女も思っていなかったようで、声が震えている。
「宰相閣下、冗談でございましょう?」
「冗談ではない。せいぜい、苦しむ様をこの方にお見せしてくれ」
その言葉を合図に侍女の地獄が始まった。
兵は侍女の口に布を噛ませると、彼女の髪を掴み床へ激しく打ち付けた。固い物がぶつかる音と、くぐもった彼女の叫びだけが牢に響く。
そんな光景を見るのも聞くのも嫌で、ゼフィールは目を閉じ顔を背けた。なのに、ゼフィールの顔をアイヴァンが掴み、事が行われる方を向かせ目を開けさせる。
必死に抵抗を試みてみるが、力が入らず、暴力の現場が目に飛び込んでくる。
「嫌……だ……」
「貴方のために貴方の国民が犠牲になっているのだ。きちんとご覧なさい」
「止めるんだアイヴァン! なぜこんな酷いことを! 彼女は何も関係ないだろう!」
青年がアイヴァンに飛びついた。しかし、あっけなく払い除けられてしまう。そんな青年を、アイヴァンは蔑みの目で睨んだ。
「今はお前のしゃしゃり出る場面ではない。大人しく控えているか出て行け」
一括され、青年は目を塞ぎ耳を覆い、その場にうずくまってしまう。
青年のようにゼフィールもなりたかった。こんな酷い暴力など見たくないし聞きたくもない。
侍女が助けを求め叫ぶ。
しかし、それは叶わず、ただただ折檻だけが繰り返される。
彼女がこんな目に合っているのはゼフィールのせいだ。目を背けてはならないのだろう。
けれど、見続けるのはあまりに辛い。
「もう、止めてくれ……」
ゼフィールの頬を透明な雫が流れた。
「お母様の部屋への特殊な入り方など知らないのは本当だ。それに、俺はお母様にお会いしたかっただけだ。今更地位に未練などない。国が欲しいのなら好きにすればいい。だから、関係無い者を傷付けるのは……止めてくれ」
己への暴力なら耐えられる。しかし、それを他の誰かが代わりに受けるとなると、心が痛い。自分の為に周囲が傷付くのはもう嫌だった。
「ようやく喋る気になられたか。己より民を慈しみ愛せる。それも、王家の者の特性かもしれんな。貴方の母君もそういう人だった」
アイヴァンは寂しそうにゼフィールを一瞥すると、兵達の方へ歩いて行った。ボロボロにされた侍女が彼に助けを求める。そんな彼女を見下ろしながら、アイヴァンは兵が腰に下げていた剣を抜いた。
「貴方が五年早くお産まれになっていれば、儂は《ザーレ》と手を組む事などなかった。王配殿下を殺めた後に《ザーレ》が暴走などしなければ、貴方を失う事もなかった。儂の後継者にしようとお育てしていた貴方さえ失わなければ、心がこんなに空虚になる事もなかった」
独白のように呟くアイヴァンの剣が侍女を貫く。アイヴァンが、茫然とする兵へも剣を振りかぶったので、ゼフィールはとっさに風で妨害しようとした。
(駄目だ、魔力が……)
生じた風は弱く、アイヴァンの動きを止めるには至らない。
兵の首が斬り飛ばされ床に転がった。
「今の風を起こしたのは貴方か? やはり、というか。王家の者は庶民とは違った力をお持ちだな」
アイヴァンは血を噴き出す死体の上に剣を投げ捨てると、台の上に置かれた珠を手にした。アイヴァンの不可解な行動にゼフィールが息を飲もうとも、アイヴァンは平然としている。
「お忘れか? 儂は、赤い血が流れる、魔力すら持たぬ半端者。この珠の影響は受けぬ」
自虐的に笑いながらアイヴァンは珠を叩いた。そして、ゼフィールの方へと歩いて来る。
アイヴァンの表情から何を考えているのか読みとろうと試みたが、何も分からない。そもそも、誰よりも国を愛し、民の為の政を行っていたはずの彼が、なぜこうも変わってしまったのか。
分からず、ゼフィールは叫んだ。
「アイヴァン、なぜだ!? 何があっても、お前は……、お前だけは俺達を裏切らないと思っていたのに!」
「なぜ。どうして。あの時こうだったなら。儂も随分悩んだ。しかし、全ては遅すぎたのだよ、王子。ふむ、貴方には知る権利があるな。王配殿下の殺害も、今の《シレジア》の変容も、二○年余りの歳月を掛けて、全て儂が手を引き、行った事だ。お恨み頂いて構わない」
目の前にまで来たアイヴァンが珠をかざす。
「しかし、儂はもう疲れたし、今更国がどうなろうとも構わない。それで、近々ロードタウンを《ザーレ》にくれてやろうと思う。奴等はあの地をずっと欲していたからな。あそこにはエレノーラがいただろう。お会いになられたか?」
「!?」
珠がゼフィールに押し付けられ、身体から急速に力が抜けた。薄れゆく意識の中にアイヴァンの声が滑り込んでくる。
「もうお会いする事は無いだろうが、成長が見れて嬉しかった。そして、さらばだ。王子」
『マルク、ロードタウンだけでも解放し……て』
意識が途切れる間際、ゼフィールの心が悲鳴を上げた。
「お休みのところ申し訳ないが、そろそろ起きて頂こうか」
アイヴァンの声が頭上から降ってくる。顔を上げてみると、房の中にはアイヴァンと青年、さっき出て行ったはずの兵と見慣れぬ侍女がいた。
(なぜ侍女がここに?)
わずかに首を傾げ――言われた側から首を傾げた自分に呆れる。だが、その動きで疑問はアイヴァンに伝わったらしい。答えが返ってきた。
「なぜ彼女がここにいるのか不思議であられるのだろう? 貴方をいくら傷めつけても何も喋らぬようなのでな。代わりに彼女に苦しんでもらおうという話だ。世の中には、他人が苦しむ方が効く者もいるのでな。やれ」
「はっ」
「!?」
びくついている侍女に兵が素早く縄を掛ける。そんな為に連れて来られたとは彼女も思っていなかったようで、声が震えている。
「宰相閣下、冗談でございましょう?」
「冗談ではない。せいぜい、苦しむ様をこの方にお見せしてくれ」
その言葉を合図に侍女の地獄が始まった。
兵は侍女の口に布を噛ませると、彼女の髪を掴み床へ激しく打ち付けた。固い物がぶつかる音と、くぐもった彼女の叫びだけが牢に響く。
そんな光景を見るのも聞くのも嫌で、ゼフィールは目を閉じ顔を背けた。なのに、ゼフィールの顔をアイヴァンが掴み、事が行われる方を向かせ目を開けさせる。
必死に抵抗を試みてみるが、力が入らず、暴力の現場が目に飛び込んでくる。
「嫌……だ……」
「貴方のために貴方の国民が犠牲になっているのだ。きちんとご覧なさい」
「止めるんだアイヴァン! なぜこんな酷いことを! 彼女は何も関係ないだろう!」
青年がアイヴァンに飛びついた。しかし、あっけなく払い除けられてしまう。そんな青年を、アイヴァンは蔑みの目で睨んだ。
「今はお前のしゃしゃり出る場面ではない。大人しく控えているか出て行け」
一括され、青年は目を塞ぎ耳を覆い、その場にうずくまってしまう。
青年のようにゼフィールもなりたかった。こんな酷い暴力など見たくないし聞きたくもない。
侍女が助けを求め叫ぶ。
しかし、それは叶わず、ただただ折檻だけが繰り返される。
彼女がこんな目に合っているのはゼフィールのせいだ。目を背けてはならないのだろう。
けれど、見続けるのはあまりに辛い。
「もう、止めてくれ……」
ゼフィールの頬を透明な雫が流れた。
「お母様の部屋への特殊な入り方など知らないのは本当だ。それに、俺はお母様にお会いしたかっただけだ。今更地位に未練などない。国が欲しいのなら好きにすればいい。だから、関係無い者を傷付けるのは……止めてくれ」
己への暴力なら耐えられる。しかし、それを他の誰かが代わりに受けるとなると、心が痛い。自分の為に周囲が傷付くのはもう嫌だった。
「ようやく喋る気になられたか。己より民を慈しみ愛せる。それも、王家の者の特性かもしれんな。貴方の母君もそういう人だった」
アイヴァンは寂しそうにゼフィールを一瞥すると、兵達の方へ歩いて行った。ボロボロにされた侍女が彼に助けを求める。そんな彼女を見下ろしながら、アイヴァンは兵が腰に下げていた剣を抜いた。
「貴方が五年早くお産まれになっていれば、儂は《ザーレ》と手を組む事などなかった。王配殿下を殺めた後に《ザーレ》が暴走などしなければ、貴方を失う事もなかった。儂の後継者にしようとお育てしていた貴方さえ失わなければ、心がこんなに空虚になる事もなかった」
独白のように呟くアイヴァンの剣が侍女を貫く。アイヴァンが、茫然とする兵へも剣を振りかぶったので、ゼフィールはとっさに風で妨害しようとした。
(駄目だ、魔力が……)
生じた風は弱く、アイヴァンの動きを止めるには至らない。
兵の首が斬り飛ばされ床に転がった。
「今の風を起こしたのは貴方か? やはり、というか。王家の者は庶民とは違った力をお持ちだな」
アイヴァンは血を噴き出す死体の上に剣を投げ捨てると、台の上に置かれた珠を手にした。アイヴァンの不可解な行動にゼフィールが息を飲もうとも、アイヴァンは平然としている。
「お忘れか? 儂は、赤い血が流れる、魔力すら持たぬ半端者。この珠の影響は受けぬ」
自虐的に笑いながらアイヴァンは珠を叩いた。そして、ゼフィールの方へと歩いて来る。
アイヴァンの表情から何を考えているのか読みとろうと試みたが、何も分からない。そもそも、誰よりも国を愛し、民の為の政を行っていたはずの彼が、なぜこうも変わってしまったのか。
分からず、ゼフィールは叫んだ。
「アイヴァン、なぜだ!? 何があっても、お前は……、お前だけは俺達を裏切らないと思っていたのに!」
「なぜ。どうして。あの時こうだったなら。儂も随分悩んだ。しかし、全ては遅すぎたのだよ、王子。ふむ、貴方には知る権利があるな。王配殿下の殺害も、今の《シレジア》の変容も、二○年余りの歳月を掛けて、全て儂が手を引き、行った事だ。お恨み頂いて構わない」
目の前にまで来たアイヴァンが珠をかざす。
「しかし、儂はもう疲れたし、今更国がどうなろうとも構わない。それで、近々ロードタウンを《ザーレ》にくれてやろうと思う。奴等はあの地をずっと欲していたからな。あそこにはエレノーラがいただろう。お会いになられたか?」
「!?」
珠がゼフィールに押し付けられ、身体から急速に力が抜けた。薄れゆく意識の中にアイヴァンの声が滑り込んでくる。
「もうお会いする事は無いだろうが、成長が見れて嬉しかった。そして、さらばだ。王子」
『マルク、ロードタウンだけでも解放し……て』
意識が途切れる間際、ゼフィールの心が悲鳴を上げた。
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