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夕立

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風の国《シレジア》編 王子の帰還

4-9 人と神と

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 ◆

 《シレジア》に入国して二週間が経ち、自由移動の許可が下りた。
 その間、ゼフィールを一人置いて帰るわけにはいかない交易隊も共に足止めを食らっていたのだが、ようやく帰還してもらえる。

 帰路についた交易隊を見送り、ゼフィールは一つの集団のもとへ向かった。
 食料をアントリムへ運ぶソリが出ると聞いたので、それに同乗させてもらえるよう話をつけておいたのだ。

 集団の脇に、荷を抱えたエレノーラが立っている。いつもは笑ってばかりいる彼女なのに、今日の表情はどこか浮かない。

「寒い中お待たせしてすいません。荷を」
「はい。本当に、行かれてしまわれるんですね」
「ええ。貴女には本当にお世話になりました」

 エレノーラから荷を受け取る。彼女が悲しそうな顔をしたので、ゼフィールは逆に笑って彼女の手を取った。

「仕事柄手荒れは仕方ないのでしょうが、その治療くらいの魔力は割いてもバチは当たらないと思いますよ。王子もそれを望まれるでしょう」
「はい」
「じゃあ、行きます。お元気で」
「ゼファー様も」

 最後にもう一度エレノーラに微笑んでソリに乗る。それからそう待たされず、集団は出発した。



 特に何の問題も無く旅程は進む。
 しかし、アントリムまで残り半分といった所で、同行する灰髪の男達が騒ぎ出した。

(何だ?)

 ゼフィールも外を覗いてみると、空からフレースヴェルグが滑空してきて、ゼフィールの乗るソリの幌に留まる。
 フレースヴェルグは翼を広げると二メートル弱にもなる巨大な鷲だ。小振りな哺乳類程度なら捕食してしまう鷲が降りてくれば、驚かれもするだろう。

『皆お前に脅えているぞ。人騒がせだな』
『人の感情に我は関与しない。我は行きたい所に行くのみだ』

 鳥が人に気を使えというのは無理な話だと思うのだが、なまじ会話が出来るせいで、常識を期待してしまう。しかし、否と言い切ったからには、今後も気遣いなどしないのだろう。
 やれやれ、と、ゼフィールは肩をすくめた。

『それで、何か用か?』
『貴様に見せたいものがある。目を閉じろ』

 特にやる事は無かったので、言われるまま目を閉じる。すると、段々と身体の感覚が鈍くなり、次いで訪れたのは飛翔感。

『いいぞ、目を開けるといい』

 言われ、目を開けて飛び込んできたのは、荷を運ぶソリの列だった。地面はぐんぐん遠ざかり、列も小さくなっていく。森や集落、様々なものが小さく眼下に流れた。
 視線を上げてみると、雲がすぐそこにある。

(空?)

 フレースヴェルグに大空へさらわれたのかと心配になったが、爪を立てられている痛みは感じない。それどころか、身体の感覚は曖昧だ。鮮明なのは視界と思考くらいだろうか。

『俺は今、どういう状態なんだ?』
『貴様の肉体は地上のままだ。意識だけ我と共にあり、我の目から世界を視ている』
『何でもありだな、お前』
『本来ならば貴様もできることだ。我等は対の存在、優劣は無い。貴様が力の扱い方を知らぬだけだ』
『力の扱いを知らないのは認めるとして。対とはどういう意味だ?』
『対は対だ。それより、あれを見ろ』

 そう言うと、フレースヴェルグは西の方角へと首を巡らせた。
 雪の積もった稜線の先に黒い霞みが見える。続いて示された三カ所にも極薄く掛かっている黒い霞み。
 これだけ関わってくれば、さすがに触れずとも分かる。あれは瘴気だ。

 ただ、瘴気の掛かっている場所が気になる。
 瘴気が一際濃い、稜線の向こうはおそらく《ザーレ》。薄い瘴気が掛かっている一カ所はロードタウン。後の二カ所は北方の高山の麓と、北東の方角。

『国内の三カ所に近付くと魔力を吸われる故、我は近寄れぬ。アレクシアの息子よ、貴様ならば動けるだろう。国と母を助けたくば貴様が動け』
『待て、お母様を助けるとはどういうことだ? 何か知っているのか!?』
『アレクシアは眠っている。精霊達に守られながらな。目覚めさせられるのは貴様だけだ』
「お母様はど――」

 突然感覚が元に戻った。気が付けばソリの上で、何も無い空間へ向けてゼフィールは手を伸ばしている。そんな彼を、目の前の男が驚いた顔で見ていた。

「良く眠ってましたね。自分なんて、あの鷲がまた戻ってくるんじゃないかと怖くて、ビビりっ放しですよ」
「うん? ああ。たまに、無駄に図太いって言われます」

 何事も無いかのように座り直しながら、ゼフィールは愛想笑いを浮かべた。意識が空を飛んでいた間、身体の方は傍から見れば眠っている状態だったようだ。

(あいつ、また、言いたいことだけ言って行ったな)

 変わらぬ景色をぼんやりと眺めながら、フレースヴェルグとの会話を思い出す。彼の不思議な力にも驚いたが、対という言葉がやはり気になった。
 エンベリー王家の家紋には空木うつぎと鷲が描かれているが、それが、フレースヴェルグを指しているのだろうか。

(いや、それよりも。お母様だ)

 フレースヴェルグはアレクシアが眠っていると言っていた。それは、彼女の生存を意味している。連絡が付かないと聞いた時から最悪の事態も覚悟してきたが、そうではなかったらしい。

(生きていてくれて良かった)

 もたらされた知らせに目元が熱くなる。ゼフィールは下を向き、そっと目頭を押さえた。
 どういう形であれ、生きてさえいてくれれば、また会える機会はあるだろう。彼女が眠っている場所を探し出さねばならないが、永遠に会えない事と比べれば天地の差だ。

 ゼフィールが動かなければ女王を助けられぬとフレースヴェルグは言った。自分の意思とは関係なしに、やらねばならない事が増えているのは気に食わないが、それも甘んじて受け入れよう。
 アレクシアはゼフィールを産み、育て、逃がそうとしてくれた、残った唯一の肉親なのだ。彼女の為になら、出来る事はやろうではないか。


 ◆

 王都アントリムに到着すると、灰髪の男達は持ってきた食料の半分を街で下ろした。残りは城に運ぶらしいのだが、ゼフィールに入城許可があるわけではない。ついて行っても時間を無駄にするだけなので、城に向かう途中の宿で降ろしてもらった。
 少し驚いたのは、ゼフィールだけでなく、数人の男達もソリを降りたことだ。

「あなた方は城で暮らしているとばかり思っていました」
「そりゃあ買い被り過ぎですよ詩人殿。自分達みたいな下っ端は宿暮らしです。まぁ、城だと堅苦しいんで、こっちの方が楽でいいですけど。ここの部屋は《ザーレ》よりずっと快適ですしね」
「あなた方は《ザーレ》のご出身で?」
「ええ。ここと同じで寒い国でしてねー。詩人殿は《ドレスデン》でしたか? あちらは暖かいらしいので羨ましいですよ。それではお先に」

 ここを定宿にしているらしい灰髪の男ザーレ人達は、受付で鍵を受け取ると、さっさと自分達の部屋へと引き上げていく。彼らの受付が終わるのを見計らって、ゼフィールは受付の青髪の少年に話しかけた。

「しばらく滞在したいんだが、部屋は空いているか?」
「大丈夫です。お兄さんは彼らとは別口ですか?」
「ああ。何か問題でも?」
「いいえ。最近は外からのお客様は珍しいので。あ、ここに記帳お願いします」

 帳簿に名を書き部屋の鍵を受け取る。階段を降りて部屋に入ると、荷を置き、竪琴だけ持って街へ出掛けた。

 一○年ぶりに歩いたアントリムは思っていたより小さな街だった。
 それは、ゼフィールの背が伸びて建物が低く見えたからであり、他国の王都も見て、比較対象ができたからだろう。
 気候の関係上、《シレジア》の建物は地下に潜る傾向がある。寒さに曝される地上ではなく、温度の安定している地下に籠る方が燃料が必要無いからだ。

 背の低い建物の多い街の中、目立って高い建物が二つある。王城と大教会だ。
 勾配の急な屋根と、尖塔を多く取り入れたデザインが特徴的な建物で、これなら降った雪も自然と下に落ち、重みで屋根が潰される事はない。

 その目立つ建物の一つ、大教会の扉をくぐると、ゼフィールは講堂へと進んだ。
 ここは亡き父がアレクシアと結婚前に働いていた場所だ。ほんのたまに訪れるくらいしかしていなかった場所だが、それでも懐かしい。

 講堂内は当時と何も変わっていなかった。太い柱が支える天井は緩くカーブを描き、とても高い。壁の窓には神話の場面場面を切り取ったステンドグラスがはめ込まれており、室内に柔らかな光を導いている。
 正面に目を向けると天井まである巨大なステンドグラスが壁を覆っており、その前に大きなパイプオルガンが、更に前には五体の像が置かれている。
 ステンドグラスから注ぐ淡い光と、優しい蝋燭の明かりに照らされる講堂内の雰囲気は、一種独特だ。

 設えられた長椅子に腰かけると、目を閉じ神に祈った。
 アレクシアの無事を、民の安寧な生活を、双子達の幸せを。

 祈ってはみたが、ゼフィールに信仰心は無い。幼い頃から神話を聞かされ、週末には礼拝に参加していたけれど、それは生活の一部にすぎず、神に帰依しているわけではなかった。
 幼い彼には、大人達が神に祈りを捧げる行為が不思議でならなかったものだ。
 しかし、今はよくわかる。
 神にすら祈りたくなる、そういう時があることが。

 五体の像の中心に鎮座する天空神ウラノス。彼が《シレジア》の地を守ってくれていると父は言っていた。
 だが、本当に存在し、守ってくれているというのなら、今の国の惨状は何なのだろう。大いなる存在である神からしてみれば、これくらいは些事とでもいうのだろうか。
 文句の一つも言いたいところだが、普段信仰も何もしていないゼフィールが文句を言うのは、お門違いもいいところだろう。

「こんにちは異国の方。こちらには巡礼ですか?」

 ぼんやりとウラノスの像を眺めていると横から声を掛けられた。声の方に顔を向けてみると、白髪混じりの青髪の老人が柔和な瞳でこちらを見ている。
 ゼフィールは首を横に振ると、手に持つ竪琴を軽く上げ、老人に笑みを返した。

「いいえ、俺は聖職者ではないので。旅の詩人で、《シレジア》の曲を学びに来ているんです。ここなら讃美歌でも聞けるのではないかと思ったんですが」
「そうだったのですね。これは珍しいお客様だ。しかし、残念なことに、今、オルガンを演奏できる方がどなたもいらっしゃらないのです」
「それはタイミングが悪かったようで。いつになったら奏者の方はお戻りになられますか?」
「いつお戻りになられるのでしょうねぇ」

 困ったように老人が頭を掻く。
 その反応に、ゼフィールは、おや、と首を傾げた。法衣ローブこそ着ていないが、老人は教会関係者だと勝手に思い込んでいた。しかし、違うのかもしれない。

「失礼ですが、あなたは教会関係者ではないのですか?」
「いえいえ、私はただの近所の住民です。司祭様方がいらっしゃらない間、教会の手入れをさせて頂いているにすぎません」
(司祭がいない? そんな事があるのか?)

 いぶかしみながら講堂を見渡す。あちらこちらを掃除したり手入れしたりしている者達は数名いる。けれど、誰一人として法衣は着ていない。
 老人の言葉を額面通り受け取るなら、あの中に唯の一人も司祭はいないということになる。百名を超える司祭がいた大教会から、一人すらいなくなるなどあるのだろうか。

「その……。司祭様方が皆様いらっしゃらないとして、いつお戻りになるといった言伝もないのですか?」

 そんな事はありえないだろうと思いながら老人に尋ねる。しかし、老人は残念そうに首を横に振った。

「ありません。我々も、司祭様方はすぐに戻られるだろう思い、待ち続けて七年です。ですが、登城されたっきり、どなたもお戻りになられていらっしゃいません」
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