白花の咲く頃に

夕立

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風の国《シレジア》編 王子の帰還

4-6 ロードタウン離宮 前編

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 ゼフィールは部屋に戻ると寝台の上に転がった。懐かしい味だった上に、大食漢な兵達に釣られて食べ過ぎてしまった。少し腹が重い。

 ゴロゴロしていると扉がノックされた。身を起こしながら返事をするとエレノーラが入ってくる。ただ、彼女は薪を詰め込んだ籠を持っていて、それがとても重そうだ。

 慌ててエレノーラのもとへ駆け寄り薪籠を取り上げる。持ってみると、やはりそれなりの重量があった。
 小さくため息をつくと、暖炉の横へ適当に薪を積みながら彼女へ言う。

「言ってもらえれば俺が運んだのに。今度から声をかけてくださいね」
「そんな。ゼファー様にこのような事までさせるわけには参りません」

 エレノーラがふるふると首を横に振るが、こちらとしても細腕の彼女にこんな力仕事をさせたくない。どうしたものかと考え、それじゃぁ、と小指を出した。

「二人で運びましょう。俺の方が力があるし、二人で運べば効率的でしょう? じゃあ、約束で」

 エレノーラは困ったように差し出された指を見ていたが、おずおずと自らの小指を絡めた。そして、指切りをして指を離す。薪積みを再開したゼフィールを見ながらぽつりと呟いた。

「ゼファー様はお優しい。ですが、少し強引な所がおありですね」
「そうですか?」
「ええ。それに、そんなに何もかも自分でなされてしまっては、私の仕事が無くなってしまいます」

 暖炉に火種を作り、薪をくべながら彼女は少し困ったように笑う。半分本気、半分冗談といったところだろうか。
 空になった薪籠を脇へ寄せつつエレノーラがゼフィールへ振り向いた。

「ゼファー様。ご用を待つ間、私、編み物をしたいのですが。宜しいですか?」
「どうぞ。俺は自由にするので、エレノーラ殿も楽にしてください」
「良かった。ありがとうございます」

 エレノーラは満面の笑みを浮かべると、部屋の片隅から毛糸玉と編み棒の入った籠を持ってきてソファに座る。ゼフィールに一度笑いかけると編み物を始めた。
 ゼフィールも彼女の斜め向かいのソファに腰掛けその様子を眺める。見慣れない指と棒の動きを観察していると面白い。彼女が指と棒を少し動かすだけで、一本の毛糸が編み込まれていく様は何とも不思議だ。

 じっと観察していると、エレノーラが手を止め、恥ずかしそうにゼフィールに視線を向けた。確かに、ずっと見られているとやり難いかもしれない。

 ゼフィールは荷の中から竪琴を取り出すと寝台に座った。夕食の時に聞いた曲を思い出しながら弦を爪弾いてみる。知っている曲が多かったが、中には知らない曲もあった。しばらく音を探していると、段々と曲の感じが分かってきて、指もスラスラ動くようになってくる。

 そうこうして何曲か練習していると、エレノーラが小声で唄を添えてくれるものがあった。曲調からして民謡だろうか。こっそり彼女の様子を見てみると、編み物に集中している中、無意識に唄が漏れている感じだ。
 彼女の歌声は優しく温かい。もっと聴いていたくて、しばらく同じ曲を繰り返した。

『はぁーい。そろそろロードタウンに着いたかしら?』

 突然頭の中に響いた声に思わず指が乱れ、何本か違う弦を弾いてしまった。エレノーラが歌うのを止め不思議そうにこちらを見ている。
 ゼフィールは居心地悪く頭を掻くと、彼女に苦笑を返した。

「すいません。耳障りでしたね」
「いえ。私もはしたないまねをしてしまって。ゼファー様の奏でる曲は優しくて、つい聴き入ってしまいますね。《ドレスデン》の王子様が、もっと曲を学ばせたいと思われるのも納得です」
「ありがとうございます。俺は、貴女の唄もとても綺麗だと思いますよ」
「唄? ……まぁ、私ったらお恥ずかしい」

 恥じらうエレノーラは編み物を再開しようとし、何かを思い出したのか、編みかけの棒を籠に入れた。

「申し訳ありません。少しやらねばならない事があるので出掛けて参ります。また戻ってきますので」
「はい。行ってらっしゃい」

 ゼフィールは部屋から出て行くエレノーラを見送ると、溜め息をつきながら竪琴を寝台に置いた。
 折角穏やかな時間を過ごせていたのに、邪魔をしてくれたマルクが少し恨めしい。

『今日着いた。何か用か?』
『あら? なんか不機嫌? 別に用は無かったんだけど、なんとなく』

 寝台を一発殴った。
 こちらが何をしているか知らないマルクに罪は無いのだが、何もあのタイミングでなくても良かったではないか。と、文句の一つも言いたくなってしまう。
 若干ながらイラつく自分を認識し、ゼフィールは部屋の中を歩いた。

 昔はこんなに心が揺れなかったように思う。
 城で暮らしていた頃、日々は穏やかで平らだった。そんな生活がゼフィールに強い負の感情を抱かせる事はもちろんない。

 命を狙われて初めて、トラウマになるほどの恐怖を知った。
 けれど、その感情は幼いゼフィールには手に余るもので。それ以来、殺されかけた時の恐怖を思い出さぬよう、なるべく心を殺して生きてきた。
 その試みはある意味成功していたのだろう。商隊の庇護というぬるま湯に浸っている間、ゼフィールが何かに心を大きく動かすことは無かった。
 怒ったり悲しんだりが少ない半面、楽しさや喜びも薄い生活だった。

 変わったのは旅に出てからだ。
 行く先々で多くの人に出会った。善人だけでなく悪人もいた。嬉しいこと楽しいこと、悲しいこと憎いこと。そして愛しいこと。色々な事があった。誰かと出会い、何かが起こる毎に、少しずつ心がほぐれたような気がする。
 遠回りとも思える旅が無ければ、今こうして、様々な事を感じられるようにはなっていなかっただろう。

 負の感情は扱いが難しい。気を付けないと、理性など簡単に飲み込んでしまいそうになる。だが、暗い部分を受け入れる事で、逆の感情の温かさも知れた。

 暖炉の前まで行くと、エレノーラの編みかけの毛糸が目に留まる。少しだけ触れてみると、毛糸自体に守りの魔力が込められていた。それを編み込んだ部分には彼女の魔力も加わり、守りの力が強化されているようだ。そして伝わってくる温かな"想い"。
 防御魔法を込めた服には、魔力だけではなく守りたいという想いも共に込められているのだろう。込められた想いが守りの力を更に強いものにしてくれる、そんな気がした。

 優しい想いに触れ少しだけ気分が落ち着く。ソファに座り背もたれに体を預けた。

『ユリアとリアンはどうしてる?』
『二人とも元気っちゃー元気ね。ユリアちゃんが発作起こしちゃって、すごく苦しそうにはしてたけど。話には聞いてたけど、ちょっと可哀想だったわ』
『そうか。だが、発作が出なくなるには時が経つのを待つしかないからな……』
『よく彼女の側から離れる気になれたわね』
『逆だ。今だから離れたのもある。今のあいつの側に俺はいない方がいい。さすがに、無い物はねだれないだろう?』
『そんなものかしらね。あ、そうそう。二人には気付かれないように護衛を付けてあるんだけど、守るだけじゃらちがあかないから、ゾフィにも連絡してみたの。彼女の事覚えてる?』

 聞き慣れない名前に天井を見上げる。
 マルクと共通の知り合いのゾフィといえば、《ライプツィヒ》のゾフィ・アイゲル王女だろうか。幼いゼフィールが《ドレスデン》滞在中に、たまたま彼女も《ドレスデン》を訪れていた。それで、子供同士一緒に遊んだという程度の記憶しかないのだが、その人物で正解なのだろうか。

『《ライプツィヒ》のゾフィ王女か? 名前程度しか覚えてないが』
『そのゾフィよ。その様子だと《ライプツィヒ》に行った時会わなかったのね。彼女はアナタのコト知っている様子だったけど』
『彼女がどうしたんだ?』
『彼女も十字石持ってるから教えてあげたのよ。アナタの国の誰かがゼフィールに刺客を出してるわよって。そしたら彼女、すんごい怒っちゃって。犯人を炙り出して粛清するとか言ってたわ。彼女って結構苛烈だから、何するのか怖いわね~』

 十字石を持っているのなら王太子なのだろう。ならば、祀りの時に貴賓席にいた彼女がゾフィということになる。マルクの言い方は軽いが、声には真剣味があった。ひょっとしたら、本当に大規模な粛清を行うのかもしれない。
 遠目には大人しそうな人物に見えたが、見かけによらないものだ。

 何にせよ、国が動いてくれるのであれば、巻き添えで双子が狙われることは無くなるだろう。朗報だった。

『あ、そうそう。ねぇ、そっちで《ザーレ》の話って聞かない?』
『《ザーレ》? なんで急に《ザーレ》なんだ?』

 突然飛んだ話題にゼフィールは首を傾げた。
 《ザーレ》自体は知っている。東を《シレジア》、南を《ドレスデン》に接する小国だ。隣国なので名くらいは知っている。
 それをこのタイミングで尋ねられる理由が分からなかった。

『いえね、《ザーレ》が軍拡してるって噂が入ってきてるんだけど、ハッキリしなくて。《シレジア》なら別の情報持ってないかなーと思ったのよ』
『そんなこと言われてもな。少なくとも、俺が今日街を歩いた限りでは《ザーレ》の名は聞かなかった』

 違和感が無かったわけではない。けれど、それが《ザーレ》と関係しているのかは分からない。マルクに話すのであれば、もう少し関係性がハッキリしてからの方がいいだろう。

『ふーん。まぁ、何か分かったら教えて頂戴』
『分かった』
『で、それはそれなんだけど、ちょっと聞いてくれる?』
(また始まったか)

 念話から意識を逸らし、ソファにだらしなく横になる。意識を逸らしても頭の中に声が聞こえてくるのが念話の欠点だが、それでも聞き流す程度はできる。
 ロードタウンへ移動中も、事あるごとにマルクはやたらとお喋りを始めた。始まりの言葉は、大抵"ちょっと聞いてくれる?"だ。話の内容は実に空っぽで、真面目に聞こうとすれば労力だけを無駄にするハメになる。

(よくもまぁ、こんなに喋る事があるもんだな)

 中身は空っぽなのだが、ある意味尊敬できなくもない。それでも話に付き合うには限度がある。適当に相槌を打つのすら面倒臭くなってきた頃、扉を叩く音がした。エレノーラかと思い返事をしたが誰も入ってこない。

『ちょっとゼフィール聞いてるの?』
『聞いてる。というか、お前、うるさいって言われたことない?』
『よくゾフィに言われるのよねー』

 思わず突っ込みたくなったが、余計うるさくなりそうだったので言葉を飲み込む。
 それより今は扉だ。
 誰が叩いたのかと開けてみたが、そこには誰もいない。廊下に出て周囲を見回してみると、開けた扉の影にエレノーラが座り込んでいた。

「エレノーラ!?」

 声をかけてみたが、彼女は力なく座り込んだまま動かない。失礼かとは思ったが、抱きかかえて部屋に運び入れ寝台に寝かせた。

『それでゾフィなんだけど――』
『今忙しい、またな』

 やかましいマルクの念話を強引に切り上げ、真っ青なエレノーラの顔を覗き込む。
 彼女はほんの少し前までは朗らかに笑っていた。だというのに、短い間に何があったというのだろうか。

 怪我をした様子はなかった。ならば病かとエレノーラの首筋に手を当ててみたが、熱くも冷たくもない。苦しそうでもなく、ただ憔悴しているように見える。

「……――様……」

 エレノーラの唇が小さく声を紡いだ。薄らと瞼をあげ、焦点の合っていない瞳でゼフィールを見つめ手を伸ばしてくる。

「ゼフィール様、私を置いていかないで……」

 言葉と共に彼女の目から涙が零れた。本名を呼ばれドキッとしたが、意識があるようには見えない。夢と現の間をさ迷っている感じだ。
 そんなエレノーラの手をゼフィールは両手で優しく包んだ。

「俺はここにいる。だから、ゆっくりお休み、エレノーラ」

 声が届いたのか、エレノーラは微笑むと瞳を閉じた。静かな寝息が聞こえてくる。
 彼女の寝顔を眺めつつ、ささくれて冷たいエレノーラの手をゼフィールはしばらく離さなかった。
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