白花の咲く頃に

夕立

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火の国《ハノーファ》編 死に至る病

3-2 エミ

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 ◆

 少女が目覚めたのは陽がとっぷり暮れてからだった。

「目が覚めた?」

 起き上がった少女にユリアが声をかける。少女はキョトンとユリアを見、次いで、周囲を見回した。左から右に首を動かした後は、不思議そうにユリアに視線を戻す。
 今まで寝ていたのだ。状況の変化についてこれていないのだろう。だというのに、ユリアは一方的に話を続ける。

「どこか痛いところとかない? お腹空いてない? 何か食べる?」
「痛い所はないけど――」

 たどたどしく少女が答えていると、彼女のお腹がグーっと鳴った。ユリアはニコリと笑うと、荷の中からパンを取り出し少女に渡す。
 それを受け取った少女が、パンとユリアを見比べながら尋ねた。

「いいの?」
「いいのいいの。そんな物しかないけど食べて」
「ありがとう」

 少女は固いパンを小さく千切りながら口へ運ぶ。
 そこへ、リアンが器を持って現れ、少女の前に座るユリアを押しのけた。ユリアから上がる非難の声は完全に無視する気らしい。満面の笑みで少女からパンを取り上げ、代わりに、持っている器を渡す。

「もう、ユリア。こんな固いパンだけだと食べるの大変でしょ? ゴメンね。ガサツな姉で。あ、これ、僕の作ったスープなんだけど一緒にどうぞ。浸してやれば、パンも少しは食べやすくなるだろうし」
「あんたね、人をどかすにも、もうちょっとやり方があるでしょ?」
「あー、もう。ユリアうるさいよ。この子が驚いちゃってるじゃん。あ、気にしないで食べてね」

 目の前で始まった言い合いに少女は少しだけ戸惑ったようだが、言われるまま匙を口に運んだ。すると、少女の目が大きく開く。

「おいしい」
「良かった。僕、料理には自信があるんだよね。僕達もう食べ終わってるから、気にしないでゆっくり食べてよ」

 少女はコクリと頷くと、黙々と食事を始めた。スープのお陰で固いパンも食べやすくなったようで、どんどん食が進む。すっかり食べ終わると、彼女は満足した顔でリアンに器を返した。

「ごちそうさまでした」
「はい、お粗末様でした」

 少女の食べっぷりに満足したのか、リアンもニコニコとそれを受け取る。返された器を片付けつつ、リアンは少女に声をかけた。

「ご飯も終わったし、君のこと聞いていいかな? 君も僕達のことが分からないだろうし、お互いに自己紹介しない?」
「うん」
「それじゃ、まずは僕から。僕はリアン。で、こっちが姉のユリア。あそこでマントに包まってるのがゼフィール。ちょっとした旅の途中なんだ。君は?」
「あたしはエミ。えと、お婆ちゃんの家から、この先の村に帰る途中」
「エミちゃんって言うの。よろしくね」

 ユリアがエミの手を取りぶんぶんと握手する。そんなユリアに、エミは少しだけ困ったような顔を向けた。

「あの、お姉ちゃん達は馬車に乗っていた人? ごめんなさい。あたし、ぜんぜん覚えてなくて」

 頭を下げたエミを横目に、双子が顔を見合わせた。二人とも表情は苦い。無言で何かを押し付け合っていたようだが、口を開いたのはリアンだった。

「あのね、エミちゃん。僕達、君が乗ってたっぽい馬車が、何かに襲われた跡で君を見つけたんだ。何があったか覚えてる?」
「え? 馬車がおそわれた……? ぁ――」

 エミの顔が苦悶に歪む。彼女は両手で頭を抱えると小さくうずくまった。どうやら泣き出してしまったようで、すすり泣く声まで聞こえる。
 嫌なことを思い出させてしまったのかもしれない。
 ボロボロと泣くエミをユリアがぎゅっと抱きしめた。

「怖い目にあったのね。なのに、何も考えずに思い出させちゃってごめん。もう思い出さなくていいのよ」

 エミの頭をユリアは優しく撫でる。
 そうしているうちにエミも落ち着いたようで、泣き声もやがて聞こえなくなった。

 エミが落ちついたのを見計らい、ゼフィールは彼女の側でしゃがんだ。話しかけようかと思ったのだがエミが気付いてくれない。どうしたものかと困っていると、気を利かしたユリアがエミに呼びかけ、ゼフィールの方を指さしてくれた。
 エミがこちらを見たので、手の平にリスを乗せ見せる。

「このリスはお前のペットか?」
「この子誰?」
「お前の居場所を教えてくれてな。その後もほとんどお前の側にいたから、ペットなんだろうと思ってたんだが――」

 話の途中でリスがエミへ向かって飛んだ。彼女の服の袖にしがみつくと、スルスルと肩口へ登っていく。キュイキュイ鳴きながらリスが首の回りを器用に走り回ると、くすぐったいのかエミが笑顔になった。エミは首元に手をやりリスを手の平に移動させ、互いに見つめ合いながら笑っている。
 彼女のペットではなかったようだが、辛い事を忘れさせる助けにはなってくれたようだ。

「そいつに礼を言うのを忘れずにな。気に入ったのなら仲良くしてやってくれ」

 エミの頭にぽんと手を置くと、ゼフィールは元々座っていた場所へ戻った。

「リアン、俺は先に寝る。見張りの交代の時起してくれ」
「了解。お休み」

 リアンに声をかけそのまま横になる。
 目を閉じていても聞こえてくるリアン達の陽気な話し声。あれならエミも寂しくないだろう。

「あいつ無愛想でごめんね。まぁ、悪い奴じゃないから許してやってよ。エミちゃんを見つけたのも彼だし」
「見張りって何?」
「何かと物騒だからさ、交代で誰かが起きてるようにしてるんだ。ってわけで、夜も誰かが起きてるから、何かあったら言ってよ」
「うん」

 その後も特に何の問題も起こらず、夜は静かに更けていった。



 翌日エミと話をしてみると、彼女の向かっていた村は、三人も寄るつもりだった村だということが分かった。
 とりあえずエミを送り届けねばならぬので、行き先が同じというのは都合が良い。当初の予定通り寂れた街道を進んだ。

 街道をエミは自分の足で歩いている。緩やかな登りの続く道は決して楽ではないのだが、文句の一つも言わない。頑張るエミをたまに褒めながら、三人は彼女の歩みに合わせて進んだ。三人の時に比べれば格段にペースは落ちたが、急ぐ旅でもない。
 褒められると、エミもまんざらではなさそうに喜んだ。

 少し休憩をしようという話になり、ゼフィールは一本の木の下で寝転がった。
 目的の村に近付くにつれて少しずつ標高が上がり、見渡す景色は岩とわずかに生えた草、背の低い木々ばかりになってきている。
 その中で見つけた、ある程度高さのある木だったので、久々の木陰を楽しみたかった。

 漫然と転がっていると、一匹のリスがゼフィールの顔元にやってきた。エミが可愛がっているリスだ。

「どうしたんだ、お前? ご主人様とはぐれたのか?」

 リスの鼻面に指を差し出すと、指の匂いを嗅がれ、小さな両手で抱かれた。餌と勘違いしてかじられると痛そうだが、幸いにも齧らないでくれるようだ。リスの愛らしい仕草に笑みがこぼれる。

「ラスクー。ラスク。どこ行ったのー?」

 エミの声が聞こえた。声に反応しているのか、リスの耳がピクピク動いているが、ゼフィールの指は離さない。

(ラスクって何だ? ひょっとして、お前のことか?)

 マイペースなリスに心の中で問いかけてみるが、答えてくれるはずもなく。特に何の反応もしないでいると、木陰からエミがひょっこり顔を覗かせた。
 彼女は最初、周囲をキョロキョロ見回していたが、ゼフィールの方を見ると、嬉しそうに笑う。

「ラスク、こんな所にいたんだ~」

 声を弾ませながらエミが駆けてくる。その途中で躊躇ちゅうちょするように一旦止まり、ゆっくりと歩いて来た。

「ほら、ご主人様が迎えにきたぞ」

 ゼフィールはリスの鼻面をツンと小突いてエミの方へ行かせた。彼女はリスを拾い上げると、寝転がるゼフィールの傍に座る。
 そばに留まったのに少女は何を喋るわけでもない。その沈黙に微妙な居心地の悪さを感じ、ゼフィールは口を開いた。

「ユリアやリアンの所に行かないのか?」

 エミを拾って以来、ゼフィールは彼女とほとんど喋っていない。ゼフィールが話さなくともマメなリアンが彼女の面倒は見てくれるし、ユリアもちょこちょこ話しかけていた。
 顔を隠したままの無愛想な人物に近寄らないのは当たり前だろう。ゼフィールがエミの立場であっても距離を置く。

「ラスクがあなたの所にはよく行くから。その……怖い人じゃないのかなって」

 最後の方は消え入りそうな声でエミが答えた。怖い人と思われていたようだが、自分の態度を振りかえると納得してしまう。
 そんな怖い人の側にも、リスがいるからという理由だけで来るのだから、ペットの力とは偉大だ。

「ラスクというのは、そのリスの名前か?」
「うん。可愛いでしょ?」
「そうだな。そいつに合ってると思う。何でラスクって付けたのか教えてくれるか?」

 普段エミと接していないので彼女の喜びそうな話題が思いつかない。なので、無難にラスクの話題を選んだ。
 この選択は正解だったようで、エミの目が輝く。

「あのね、お母さんがいつも言ってるの。"ラタトスク"っていうリスの神様が、あたし達を悪いものから守ってくれるって。この子があたしを助けてくれたんだったら、あたしにとっては神様だから。神様からお名前をもらって、ラスクって付けたの」

 エミの言っていることが分かるのか、ラスクは彼女の手の平の上でドヤとばかりに胸を反らせた。その癖に、自らの尻尾の重みでバランスを崩し、後ろ向きに倒れる。その様を見てエミがクスクスと笑った。

 エミは嫌味の無い可愛らしい少女だ。
 耳の下の長さで切り揃えた亜麻色の髪をカチューシャでまとめ、大きな茶色い瞳が興味深げに様々な世界を映す。言動は年相応に無邪気で、いるだけで心を和ませてくれる。

 起き上がると、ゼフィールはエミの小さな頭へぽんと手を置いた。

「良い友達ができて良かったな」
「うん!」

 ゼフィールが置いた手に、自らの手を重ねながらエミが大きく頷いた。

「あたし、ゼフィールさんとも友達になりたいな! リアンお兄ちゃんやユリアお姉ちゃん、あと、ラスクみたいに!」

 エミの突然の告白に驚く。子供の感情表現のなんと真っ直ぐなことか。

「ああ。俺もエミと仲良くなりたいな」

 フードの下に笑顔を隠しながら、ゼフィールはエミの頭を撫でた。
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