白花の咲く頃に

夕立

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水の国《ライプツィヒ》編 狂楽の祀り

2-3 籠の中の鳥

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 ◆

 ぼんやりと目を開くと天蓋てんがいが見えた。細かな刺繍の施されたレースが天井から吊るされている。
 再び目を閉じ、微睡みながら身体を動かしてみると、少し動いただけで深く沈み込む感覚。身体の上に掛けられたものも手触りが良く冷たくて気持ち良い。
 懐かしい感覚だった。
 そう、まるで《シレジア》の城で暮らしていた時のような――

(そんな馬鹿な!?)

 ゼフィールは勢いよく跳ね起きた。
 感じたのは間違いなく高価な寝台の感触だった。旅から旅の貧乏暮しをしている彼が味わうはずのない感触だ。

 果たして、そこにソレはあった。
 深く沈みこむ柔らかな寝台、初夏の蒸し暑さを忘れさせてくれる絹の掛け物、寝姿を隠したり蚊帳の役割をしてくれる天蓋。
 記憶には無い物だった。
 堅い寝台で薄い毛布を被って眠っていたはずの毎日と、今の状態は、あまりにも違う。

 記憶の糸を手繰り寄せ、何があったのか思い出そうとする。
 ミーミルの町に着いたら、すぐに宿を取って横になった。翌朝泉に行き、竪琴の練習をしていたら一人の婦人と出会って――そこで記憶が途切れていた。
 記憶の中に、今の状況を説明してくれる情報は無い。

(なんだ?)

 とりあえず寝台から出ようとして違和感に気付いた。左足が何やら重い。掛け布をどけてみると、鎖のついた足枷が足首にはめられていた。ご丁寧に、痛くないよう、足枷の内側にタオルまで巻いてある。
 鎖がどこにつながっているのかと見てみると、寝台の足につながっていた。鎖の長さはとても長く、部屋の中を動く分には困らぬ程度のように見える。

 そのまま寝台を抜け出すと扉へ向かった。靴は無い。裸足だが、毛足の長い絨毯敷きの部屋だったので、気にせず歩く。
 扉のノブに手を掛け、動かそうとしたが――動かない。鍵がかかっているようだ。

(枷まで付けておきながら、扉を開けっ放しにするわけもないか)

 扉から外に出るのは諦め部屋を眺めた。
 広い部屋だ。いつも三人で借りる宿の部屋より広い。そこに、シンプルながらも品の良い調度品が置かれている。

 広い寝台の脇には小さな鏡台が置かれていた。台の上には香炉が置かれ、引き出しの中には櫛だけが入っている。
 他に部屋にあるのは、小さなテーブルと二脚の椅子、花の生けられた花瓶だけだ。
 椅子の上にはゼフィールの竪琴が置かれていた。ようやく自分の知っている物を見つけ、手にしてホッとする。

 カーテンの引かれた出窓が二つあったが、填め殺しで開けることはできなかった。窓を破って抜け出ることも考えたが、高さがある。下手に落ちれば大怪我は免れない。

(出口は無いか)

 片方のカーテンを半分だけ開けると、出窓の縁に座った。
 窓から見える景色はミーミルの町とは違う。屋敷の庭の先には、小振りな船や桟橋、水路が見える。知らない景色だった。

 外を眺めていると、小さな音をさせ扉が開いた。入って来たのは見覚えのある婦人と女中服の女性。
 半分開いたカーテンから出窓に座るゼフィールに視線を移した婦人が、優しい笑みを投げかけてくる。

「目が覚めたのね。お腹が空いたでしょう? すぐに準備させるからこちらにおいでなさい」

 婦人は極自然に侍女に準備を言い渡し、ゼフィールを椅子へ手招きした。
 ゼフィールは動かない。代わりに尋ねる。

「あんたは誰だ。俺はなぜここにいる?」

 敬語を使うのは止めた。曖昧な記憶ではあるが、彼女が今の状況を作った一因の気がしたからだ。

「言葉が汚くなったわね。それが貴方の素なのかしら? まぁ、とやかく言うつもりはないけれど。でも、人に名を尋ねる時は、まず自分からではないのかしら?」
「……ゼフィール。あんたは?」
「わたくしはヒルトルート。ヒルトルート・クリストフ。よろしくね、ゼフィール」

 出窓の方へ来てゼフィールの手を取ったヒルトルートが、彼の手を引きテーブルへと誘う。微かに漂う甘い匂いは彼女の付けている香水だろうか。
 ゼフィールを椅子へと座らせると、ヒルトルートは鏡台へ行き、櫛を手に彼の後ろに立った。

「折角綺麗な髪なのに、乱れたままではもったいないわ」

 ヒルトルートは寝起きで乱れたゼフィールの髪へ優しく櫛を入れ、丁寧に梳かしていく。

「髪なんてどうでもいい! ここはどこだ!? どうして俺はここにいるんだ!?」

 強引にゼフィールが振り返ったことで髪が櫛に絡まり、何本かが抜けた。抜けた髪を櫛から取りながら、ヒルトルートはどうという事はないといった風に答える。

「わたくしが貴方をさらったからよ」
「!?」

 あまりに突拍子もない返事に、ゼフィールは言葉を失った。彼女が狂っているのか、もしくは冗談かと凝視してみたが、その瞳に狂気の色は無い。

(この女は何を言っているんだ? 俺をさらった? 何のために? それに、なぜこんなにも堂々としているんだ?)

 ゼフィールの動揺などお構いなしにヒルトルートは腰を屈めると、彼の耳元に唇を寄せ囁く。

「泉で貴方と出会えた事こそアフロディテの祝福。貴方こそ、祀りでわたくしの願いを叶えてくれる人物に違いないわ」
(アフロディテは《ライプツィヒ》で信仰されている神だったはず。なら、ここが《ライプツィヒ》領内であることは間違いないだろう。しかし、祀りとは何だ? それに、俺が彼女の願いを叶える? 何の事だ?)

 ヒルトルートが口を開くたびに謎だけが増える。ゼフィールの眉間に皺が寄った。
 問いを返そうにも、何から問えばいいのかすらハッキリしない。少しでも問題を理解しようと頭を動かしていたが、はたと気付いた。

(いや、別に分かる必要はない。帰れさえすれば全て関係なくなる)

 そう、ヒルトルートの言っている事は、全て彼女の側からの意見だ。別段こちらが聞かなければならぬ理由は無い。
 今なら扉の鍵は開いている。部屋から出るため、ゼフィールは椅子から腰を浮かせた。

「あんたにとって神の祝福でも、俺には違う。帰る」
「それは駄目よ。貴方には祀りで頑張ってもらわねばならないのだから。それに、枷があるのに、どうやってここから出て行くのかしら?」

 立ち上がりかけたゼフィールをヒルトルートが押し留めた。そして、さり気無く足元を指摘する。
 視線をそちらに向けて、ゼフィールは舌打ちした。
 動転し過ぎてすっかり忘れていたが足枷があった。靴は最悪無くてもどうにでもなるが、枷だけは外してもらわねばどうしようもない。今のままでは、ミーミルに帰るどころか、この部屋から出ることすら出来ない。

 ゼフィールが大人しく椅子に座りなおすと、ヒルトルートはわずかだけほっとした表情を見せた。そして、顔に優しい笑みを浮かべる。

「貴方が大人しくなってくれて良かったわ。折角目を覚ましたのに、また眠らせてしまうのでは可哀想だもの」
「何の事だ?」
「これを覚えているかしら?」

 そう言うと、ヒルトルートは胸元のブローチを指さした。薔薇の細工の施されたソレは、忘れもしない。彼女がゼフィールへとくれようとした品だ。
 肯定の意を込めてゼフィールは頷いた。

「このブローチのピンには速効性の薬が仕込んであるの。逞しい男の方でも一瞬で意識を失ってしまうのよ。貴方が強く反抗するようなら、これで寝てもらう事も考えていたのだけれど、その必要はなさそうで良かったわ」

 ヒルトルートの言葉にゼフィールは顔をゆがめた。
 彼女からブローチを受け取ろうとした時に感じた小さな痛み、それが、ピンで刺された時のものなのだろう。そうして眠らされ、その間に知らぬ地へと移されてしまった。
 彼女の話が事実なのだとしたら、下手に逆らうべきではないだろう。彼女の言ではないが、そう何度も眠らされたいものではない。
 そうなれば、今の状態から抜け出せる道は一つしか見当たらない。

「祀りとは何だ? あんたは俺に何をさせたい?」

 ヒルトルートは答えない。口元をわずかに歪ませ、泣きたいような憎らしいような複雑な表情を見せる。それだけだ。
 問いに答える事はせず、彼女は再びゼフィールの髪を梳かし始めた。再度同じ問いをしてみたが、答えは返ってこない。
 質問に答える時間はもう終わり、と、いうことだろうか。

(分からない……)

 結局彼女からそれ以上の情報は引き出せなかった。自分のいる場所、置かれている状況、祀り、ヒルトルートの願い、彼女の心の内。分からない事だらけだ。

 扉が開き、侍女が料理を乗せた台車を押してきた。テーブルに手際よくシルバーが並べられ、野菜と魚介を和えた前菜が置かれる。普通ならば美味しいはずの品なのだろうが、今は味など分かる気がしなかった。


 ◆

 部屋の中でゼフィールは基本的に自由だった。
 自由と言っても何もない部屋なので、何をすることも出来ないのだが、部屋の中に監視がいるということはない。
 出来る事も無かったので、窓辺に座り、考え事をしながら竪琴を奏で日々を過ごした。

 朝になるとヒルトルートが起しに来て、ゼフィールの髪を梳かし、食事を一緒にとる。暇つぶしに曲を奏でていると、ふらりと彼女がやってきて、静かにコーヒーを飲んでいた。
 顔を合わす時間が増えた分だけ交わす言葉も増えたが、この場所や、彼女の願いは判らずじまいだった。

 一つ確かなのは、ヒルトルートがゼフィールに危害を加える気が無いということだろうか。行動に大幅な制限が掛かっているものの、それだけだ。

 そんな一週間が過ぎた頃、足枷が外された。逃亡防止のためか、相変わらず靴は与えられなかったが、部屋の外に出ることは許された。
 特に反抗せず、逃亡の意思を見せなかったのが良かったのかもしれない。正確には、逃亡する余地が見出せなかっただけなのだが。

(彼女は俺に何をさせたいんだ? 今のままだと愛玩動物ペットと同じ扱いだが)

 屋敷の中を散歩しながら、ヒルトルートがゼフィールをさらった理由を考える。逃走が厳しい以上、さっさと彼女の望みとやらを叶えて解放してもらいたいのだが、肝心の願いが分からない。

(そもそも、祀りとは何だ? それで俺が彼女の願いを叶える? 何かを行う催しなのか?)

 廊下を適当に右に曲がる。広い屋敷だ。考え事ばかりに集中していると部屋が分からなくなりそうだった。それでも考える事は止められない。
 気が付けば廊下の突き当たりに来ていた。壁には大きな画が飾られている。

 そこに描かれているのは、少し若いヒルトルートと一人の青年。
 短い白髪をオールバックにまとめた青年は、優しそうな緑の瞳でこちらに微笑んでいる。仲睦まじそうに並ぶヒルトルートも、見たことのない優しい笑みを浮かべていた。
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