白花の咲く頃に

夕立

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木の国《ドレスデン》編 風の王子

1-5 帰らずの森 前編

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 ◆

 二日後の朝、約束通りマルクが宿へとやってきた。
 彼は四頭の馬を連れており、寝袋、水、食料、その他こざこざとした備品が括りつけられている。

 ざっと見てもかなりの量だ。これだけの用意を必要とするような場所に行くとは思っていなかった。よくよく考えてみると依頼の詳細を知らない。
 なんとも面倒臭そうな感じだが、欲しい情報が情報だ。それなりの対価が必要になるのも仕方ないと割り切る。

「マルガレーテ。どこで何をするのか詳細を教えてくれ」
「そういえば言ってなかったわね。まぁ、でも。先は長いし、目的地に向かいながら追々話すわ」

 人中で話すにははばかられる内容なのか、マルクはその場で詳細を語らず馬を引き歩き出した。ゼフィール達もそれぞれ馬を引き彼に続く。
 街門を出ると馬に乗り、街道に沿って北上した。馬上からは普段見る景色とは違う景色が見え、なだらかに続く草原から風が運んでくる緑の匂いが清々しい。

 商隊にいた頃もたまに馬に乗ることがあった。それを思い出すとなんだか懐かしい。その時覚えた乗馬のお陰で今困らないのだから、世の中色々できるようになっておくものだ。



 道中の村で宿を取ったり野宿をしながら目的地を目指すこと七日。
 街道からも逸れ、馬を北東へ進めていると、鬱蒼うっそうとした森が見えてきた。

(何だ?)

 ムズムズする感覚に、ゼフィールは首の後ろに手を当てた。肌を触ってみても特に何も無い。周辺を見回してみてもおかしなものは見当たらなかった。
 進むにつれて違和感は強くなっていったが、誰もそんなそぶりは見せない。変化といえば、馬の歩みが少し鈍くなってきたくらいだ。

(馬の歩調が乱れてきたせいで酔ったか?)

 なんとなくそんな事を考えながら馬の背を撫でる。
 時が経つほどに馬の足は重くなり、やがて、どれだけ促しても進まなくなった。

「これ以上この子達に乗って行くのは無理みたいね。目的地はすぐそこの森の中だし、歩きましょ」

 マルクが馬を近くの木立ちにつなぐ。彼に倣いゼフィールも馬を降りた。正直、どうしようもなく気分が悪かったので、馬から降りられたのはありがたい。

 そこからは森に向かい歩く。
 馬にさえ乗っていなければ症状も治まってくるだろう、と、ゼフィールは楽観視していた。しかし、一向に改善してこない。
 よほどきつそうに見えたのか、横を歩くユリアが心配そうにこちらを見上げてきた。

「ちょっとゼフィール、大丈夫なの? 顔色悪いけど」

 軽く手を上げユリアに大丈夫と返し、前を行くマルクに尋ねる。

「おい、マルガレーテ。何なんだこの辺? 空気が悪いというか、気持ちが悪いんだが」

 これまで感じたことのない不快感に眉根が寄る。
 少し前までは馬に酔ったのだろうと思っていた。
 だが、違う。
 淀んだ空気を吸ってるような気持ち悪さなのだ。周辺の景色もわずかながら黒く霞んで見える。森の方ほど霞みは濃く深い。

「ゼフィールも感じるのね? アタシだと首の後ろがむず痒いくらいの違和感しか感じないけど、アナタの方が感受性が強いのね」

 立ち止ったマルクが首の後ろをボリボリ掻きながら森に視線を向ける。その仕草は少し前のゼフィールの仕草と大差ない。彼も同じものを感じているようだ。

「アナタ達も何か感じる? ちょっとした違和感とかでもいいんだけど」

 マルクがユリアとリアンに振り向いた。双子は互いに顔を見合わせたが、何も感じないと首を横に振る。

「魔力のあるアタシとゼフィールは感じて、魔力の無いユリアちゃんとリアン君は感じない、と。やっぱり、ここら辺の魔力か精霊に異常が起きてるのかしらね」

 珍しく難しい顔をしてマルクが視線をさ迷わせる。そんな彼のボヤキを拾ったらしきユリアが、興味深そうな声を出した。

「魔力があるってことは、師匠も魔法使えるの?」
「ええ、少しだけどね」
「どんなの? やっぱり師匠らしくすごい派手な魔法なの?」
「ざーんねん。アタシの得意な魔法は精神に作用する魔法だから、すんごい地味よ。相手に幻覚を見せたり、ちょっとだけアタシの指示どおりに動いてもらったり出来るんだけど。まぁ、使う事なんてほとんど無いわね」

 手をヒラヒラさせながらマルクが答える。行動はいつもと変わらずおばさん臭いのだが、森にむける視線だけはとても鋭い。しかし、それも一瞬の事で、いつもの緩い雰囲気に戻ると軽い調子で森を指した。

「ここで見てても何もわからないし、行きましょうかね。ゼフィールは、それ、どうしようもないから。慣れるか我慢するかして頂戴」

 そう言うと、マルクは再び森に向かって歩き出す。ゼフィールも彼に続いた。

 やってきた森は《ドレスデン》領の北東に位置しており、《シレジア》との国境をまたいでいる。それはつまり、この森さえ越えられれば、関所を通らずとも《シレジア》へ入れるということを意味している。

 しかし、マルクいわく、この森を抜けて《シレジア》に入るのは不可能に近いらしい。少し入った程度では分からないが、奥へ行くと森は深く険しくなり、抜け出せなくなるそうだ。

 それでも、《シレジア》に密入国しようとする輩は後を絶たず、《ドレスデン》の騎士が定期的に巡回し、人の気配がないか監視している。密入国を試みるような者はほとんどが犯罪者であり、国家間の問題を起こす原因となりえるからだ。

 巡回騎士にしか知られていないが、王家の直轄地であるこの森の中には"ウルズの泉"と呼ばれる泉がある。存在そのものが秘匿されている霊験あらたかな泉で、そこが今回の目的地だ。

(この森を越えれば《シレジア》か……)

 目と鼻の先にある故国に、ゼフィールの望郷の念が刺激される。帰りたい、と思う。同時に、帰りたくない、とも。

 国を出奔して一○年。
 努めて考えぬようにしてきたが、周囲にあった暖かくて優しい環境は懐かしい。そんな想いに付きまとうのが死への恐怖だ。自分や周囲の者が血に染まる悪夢にうなされた日も少なくなかった。

「――ル。ちょっとゼフィール聞いてる?」

 マルクに呼ばれゼフィールは我に返った。どうやら、歩きながら物思いにふけっていたらしい。

「うん? ああ、すまない。何の話だ?」
「君がぼーっとしてるなんて珍しいね」

 リアンに指摘されたが、本当にらしくない。不快な空気の中に時折感じる《シレジア》の空気が故国を思い出させるのかもしれない。

「だからね、泉に着くまでの間に、行方不明になった巡回騎士がいないか気を付けておいて欲しいのよ。一応それも母に言われてる事だから。で、なんでこんな事頼まれたのかっていうと――」

 巡回に出た部隊の一つが、いつまで経っても帰って来ないのが騒ぎの発端だったらしい。彼らが帰ってくるはずの日数が経過しても、帰ってくるどころか連絡すら来ない。
 不審に思った別動隊が二度ほど捜索隊を出したが、捜索隊もまた消息を絶ってしまった。

 ここに至って、監視の任にあたっていた騎士達は、自分達が直面している問題を国に報告。
 その原因究明と行方不明者の捜索を、マルクを通してゼフィール達も引き受けた形になる。
 かなり大事おおごとで、ゼフィールは、正直、少し驚いた。

「でね、行方不明になった人達って、みんな"ウルズの泉"方面に行ってたんですって。だから、アタシに泉を見て来いって母が言い出したみたいなの。なんかここら辺空気悪いし、物騒な話なのに、可愛い息子に行かせるなんて酷い話だと思わない?」

 愚痴をこぼしつつマルクが森を進む。
 寒冷地である《シレジア》に接する森だけあって、温暖なレンツブルク近郊の森とは植生が違う。
 ブナやシイを中心とした森の足元は、その根を守るようにコケが覆っている。所々大きなシダが育っているが、その多くは腰にも届かず、歩く邪魔にはならない。
 木々の間から細い光が差し込み、日々の喧騒から離れた静かな森はとても美しい場所だった。

 もちろん、ゼフィールには不快な空気も感じるし、黒い霞みも見える。それでも、それが無い姿が想像できる程度にこの森の清涼感は強い。
 そう考えると、"ウルズの泉"は何らかの力を持った神聖な泉で、それに異常が起きていると言われても納得できた。



「ちょっと待って頂戴」

 しばらく進んでいると、先頭を行くマルクが止まった。彼は一本の樹の表面を手でなぞると、足で周辺の草をかき分けだす。

「この樹、刃物で切りつけた傷があるわ。地面にも数人で踏み荒らした形跡があるわね」
「こっちにもあるよ。えーと、あっちから来て、ここで何かあって、そっちに行ったのかな?」
「足跡が深いから重い者達よねぇ。騎士達がここを通ったのかしら?」

 森の奥から続いてきている足跡は、樹の周辺で乱れてはいるが続きがある。樹に刃物の傷があり、足跡が乱れているということは、ここでいさかいでもあったのかもしれない。

「とりあえず、この足跡を追いかけてみましょ」

 マルクが足跡を辿り始める。
 残された足跡の中に一つだけ異質なものを認め、ゼフィールは眉をひそめた。

「足跡の中の一つが、凄く嫌な感じがするな」
「嫌な感じってどんなさ?」
「そうだな。黒いもやっとしたものがこびり付いて、筋を引いてるというか……」

 視えているものの表現に少し困った。
 泥にまみれた靴で、引きずるように歩けばこうなるのだろうか。その泥から、森に漂う黒い霞みを濃縮したような気配はするのだが、今一正体がハッキリしない。
 説明しようにも、自分がよく分かっていないせいで、なんとも掴みどころがない。

 ゼフィールが言葉選びに困っていると、しれっとマルクが会話に入ってきた。

「ゼフィールが言っているのは瘴気のコトじゃないかしら?」
「瘴気?」
「精霊って知ってるかしら? それのバランスが崩れたり、他にも色々要素が重なると悪いものが溜まってきちゃって、嫌ーな空気ができるのよ。締め切った部屋で淀んだ空気が熟成されたモノみたいな感じ? この森に入る前から漂ってるんだけど、彼の見てるのは、それが濃くなったやつだと思うわよ」

 マルクの例えを聞いてリアンが嫌そうな顔をした。言いえて妙だが、ゼフィールが感じている不快感はその感覚に近い。

 この世界の現象は様々な精霊の力がバランスを取ることで営まれている。吹く風一つ取っても、風の精霊力が強過ぎれば嵐になってしまう。

 ゼフィールの風の操作にしても、魔力を媒介にして彼等の動きを操っているだけだ。ならば他のものも操れてよさそうなものだが、それは出来なかった。
 家宝の存在故に扱える力なのか、生来の才能なのか。判断はつかない。

「その瘴気って僕達には見えないの?」
「薄い瘴気だと魔力が無い人には見えないわね。濃くなってくれば魔力が無くても見えるけど、そんな瘴気なんて出会いたくないわ」

 足跡の一つにチラリと視線を向け、マルクが肩を竦めた。
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