白花の咲く頃に

夕立

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木の国《ドレスデン》編 風の王子

1-1 入れぬ祖国

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「観光で入国は許可出来ない。帰りなさい」

 《シレジア》国境の関所で言われた言葉がこれだった。そう言ったきり兵はダンマリを決め込んでいる。前に並んでいた者達もことごとく入国を拒否されていたし、粘っても無駄だろう。
 あっさりと引きさがり、ゼフィールはその場を後にした。

「やっぱり駄目だったみたいね」

 関所から去るゼフィールの横に少女が並び後ろを振り返る。彼女の快活な黒い瞳に浮かんでいるのは"残念"という感情だ。

「残念だったな、ユリア」
「本当ね。でも、ゼフィールほどじゃないと思うわ」

 ユリアはゼフィールの背をバンと叩くと真っ直ぐ駆けだした。その途中で、長い黒髪を翻らせながら後ろを振り向く。

「先にリアンの所に戻って駄目だった事を教えてくる。ゼフィールも早く来るのよ」

 それだけ言うと、彼女は街道の先へと走り去ってしまった。
 街道を吹き抜ける風に、ゼフィールの長い銀髪が揺れる。

(いつものことながら、自分勝手で無駄に元気だよな)

 苦笑を浮かべつつ乱れた髪を背に流すと、ゼフィールは少しだけ歩くペースを速めた。

 関所へ続く街道沿いには何組かの集団がそれぞれの馬車を中心に集まっている。誰もかれも関所で姿を見た者達ばかりだ。
 満載の荷馬車で乗り付けている者、明らかに体調の悪そうな者、観光客。目的はそれぞれ違うようだが、ここでたむろしているという事は、等しく追い返されたのだろう。

 そんな集団の一つに近付くと、ユリアと喋っていた黒髪黒瞳の青年がゼフィールに気付き軽く手を振った。ユリアの双子の弟、リアンである。

「お帰り。ユリアに聞いたよ。駄目だったんだって? やっぱりお姉さんの言っていたとおりだったね」
「だな。ここまで入れないものだとは思ってもみなかった」
「お互い困りましたね」

 リアンの言ったお姉さん――巡礼服を着た女性が苦い顔をした。彼女の隣の男二人も「まったくだ」と溜め息を漏らす。そんな二人と視線を交わすと、巡礼服の女性はゼフィールの方を向き微笑んだ。

「これ以上ここにいてもしょうがありませんし、帰りましょう。お話はリアンさんとユリアさんから伺っています。あなたも一緒に馬車へどうぞ」
「入国出来なかった時の事を考えて無かったのは大失敗だったよね。まぁ、今更だけどさ」
「話には聞いていた私でも、巡礼ならば入れるだろうと楽観視したくらいですし。何も知らなかったのであれば仕方もないかと。入国制限が掛かっているのは《シレジア》だけですから。さ、どうぞ」

 巡礼服の女性に促され馬車に乗りこむ。ゼフィール達三人と巡礼服の女性、剣を持った男が乗り終わると、御者は馬車を出した。

 商隊に拾われて一○年。
 一七になったゼフィールは、商隊を離れ《シレジア》へ戻る決意をした。
 それに一緒に付いてきたのがユリアとリアンだ。本当は一人で出て行くつもりだった。なのに彼らは笑って付いてきて、今に至る。

 ユリアとリアンは幼いゼフィールを滝つぼで拾ってくれた姉弟だ。ゼフィールと同じ年で、互いに拾われた境遇ということもあり、三人は姉弟のように育った。
 一人というのはやはり心細い。なので、彼らが一緒に来てくれた事はとてもありがたかった。

 心理的な負担が減るのもそうだが、実務的な面で彼らに助けられることも多い。今だって、リアンが帰りの足を確保してくれていたお陰で、すんなり次の行動に移れた。
 そんな彼は、先程から一人ぼやき続けている。

「君を待っている間にそこら辺にいた人達に聞いたんだけど、巡礼、行商、旅行、治療、全部入国許可が下りなかったらしいよ」
「それで駄目なのに、どんな理由なら入れるんだ?」
「さぁ? 僕が聞きたいくらいだよ」

 リアンが肩をすくめた。他の同乗者達も溜め息をついている。これは全員が答えを知りたい事柄だろう。
 答えは欲しいが答えられる者はいない。解決できない事はとりあえず棚上げして、ゼフィールは目下の疑問をリアンに尋ねた。

「それで、この馬車はどこに行くんだ?」
「レンツブルクだって。《シレジア》の入国方法を調べるにも大きい街の方がいいし、ちょっと生活費とかも稼いでおきたいから、ちょうど良かったっていうか。そんな馬車に乗れたなんて、やっぱり僕ってついてるよね。そもそもさぁ――」

 リアンのお喋りが中身の無いものに変わる。適当に相づちを打ちつつゼフィールは外を眺めた。
 周囲には青々とした草原が広がり、遠くには豊かな森が見える。
 今いるのは、《シレジア》の南西に隣接する木の国|《ドレスデン》。豊かな森林と農地、安定した気候を有する大陸一の農業国だ。

 馬車の向かうレンツブルクは《ドレスデン》の王都であり、今いる場所から数日南下した位置にある。馬車で移動中、特に出来る事も無い。適当に寝て過ごそうかとゼフィールが思い始めたその時――
 御者台から悲鳴が上がり馬車が止まった。
 外を覗いた剣士が舌打ちする。

「野盗だ! 追っ払うまで馬車から出ないようにな!」

 剣士が剣を抜きながら外へと飛び出した。続いてユリアも外に飛び出し、彼の横に並ぶ。

「嬢ちゃん、危ないから中に――」
「大丈夫。私、剣を使えるから。野盗の相手は今までもしてきたし、私も手伝うわ」

 ユリアも剣を抜き、襲いかかってきた賊の短剣を受け止めた。そのまま剣の角度を変え刃を流す。脇ががら空きになった賊の懐に潜り込むと、剣の柄で彼の鼻面を殴りつけた。
 盛大に血を噴き出す鼻を押さえながら賊がうずくまる。そんな彼の首の後ろをユリアが柄で殴ると、白目を剥いて賊は倒れた。

「どう? まだ心配?」

 二人目の賊を叩き伏せながらユリアが剣士に尋ねる。そんな彼女に剣士はニカッと笑いかけると、自身も襲いかかってくる賊をいなした。

「それじゃ、手伝い頼むわ。正直俺だけじゃ捌ききれるか心配だったんだよな。頼りにしてるぜ。あ、こいつら殺さないようにな。捕まえて国に差し出せば報奨金貰えるからよ」
「分かったわ。任せて。あ、リアンー。転がした連中がまた暴れ出さないように、今のうちに縛っといてー」
「そりゃいいな。坊主、荷物置き場に縄がある。使ってくれ」

 リアンがげんなりとした表情になった。渋々と荷物置き場を漁り、縄を見つけ出すと肩に掛ける。

「こんな危ない事に僕までかり出すなんて、ユリア人使い荒いよ」

 ボヤキながら短剣を取り出してリアンも外へ出た。彼の方へ向かってきた賊の突進をひょいっとかわすと、その背を蹴り飛ばし、ユリアの前に転がす。
 蹴り飛ばした賊はユリアに任せて既に倒れている賊の所へ行くと、器用に縄で縛りあげ、終わると他の賊を捕縛に向かった。身軽なものである。

 そんな彼らの奮戦ぶりを馬車の中からゼフィール達が見守っていると、幌の中に御者が転がり込んできた。何事かと見てみると、顔をしかめる彼の腕には布が巻かれており、血で赤く染まっている。
 巡礼服の女性がその布を外し、痛ましそうに傷を見つめた。

「癒して差し上げられれば良かったのですが、私ではまだ修行が足りず、治癒魔法を与えられていないのです。傷薬を持っていますので、これを――」

 手荷物から傷薬を取り出しかけた女性の手をゼフィールは止めた。そして御者の前にしゃがむ。

「傷を」

 御者が腕を前に差し出した。患部の上にゼフィールはそっと手をかざす。すると、優しい光が男の傷を包み、あっという間に傷が癒えた。
 すっかり傷の無くなった腕を御者は不思議そうにさすっている。その光景を見た巡礼服の女性が、感激した様子でゼフィールを見つめた。

「治癒魔法が扱えるだなんて! どちらかの司祭様でいらっしゃいますか?」
「いや。生まれつき使えるだけだから、そんな大したものじゃない」
「そうなのですか? ではきっと、とても神に愛され産まれていらしたのですね」

 色々と勘違いしている女性にゼフィールは曖昧な笑みを返す。
 《シレジア》では誰もが治癒魔法を使えた。なので、幼いゼフィールはそれが普通だと思っていた。普通ではないと知ったのは商隊に拾われてからだ。
 祖国と外界。細かな事まで含めると、違いはとても多い。

「おーい。賊どもの掃除終わったんだけど。治癒できるなら俺も頼むわー」

 後方から声が聞こえた。振り向いてみると、剣士が馬車に寄りかかりながらこちらを見ている。大怪我こそないが、小さな裂傷が多数あるようだ。

「お疲れ様」

 剣士に労いの言葉をかけてゼフィールは彼に手をかざした。傷を癒しながら外に視線を向けると、賊達が縄で巻かれ転がされている。彼らは等しく血に汚れており、無傷の者はいない。
 そんな中で、ユリアは一切の傷も無く、返り血すら浴びていなかった。普通の少女に見えるのに、剣の実力にだけはいつも舌を巻く。

「賊達の傷も癒していいか?」
「あー。構わんよ。あいつらには自分で歩いてもらう方が連れて行くのも楽だし」

 許可を貰うと、ゼフィールは早速賊達の傷を癒して回った。襲いかかってきた相手とはいえ、怪我人を放置しておくのは居心地が悪い。よく甘いと言われるが、性格なのでこればかりはどうしようもない。

「この連中って、国につき出したらどれくらいの報償金貰えるんです?」

 ゼフィールが癒した賊を馬車の後方につなぎながら、リアンが剣士に話を振った。

「最近賊が増えてるらしくてなー。結構いい額になるぜ。そうだな、お前さんトコの嬢ちゃんくらい腕があれば、レンツブルクの酒場に出てる依頼なんかもこなせるんじゃないか? 荒っぽいものが多いが、割はいいぜ」
「へー」

 その話題はリアンの興味を引いたようで、依頼の受け方を根ほり葉ほり尋ねている。レンツブルクに着いたら酒場で仕事を受けるつもりかもしれない。

 最後の賊を癒し終わった。ゼフィールが去ろうとすると、その賊は額を地に押し付けながら頭を下げてくる。

「兄ちゃん、まじスマンかった! 世の中あんた達みたいな優しい人もいるんだな。改心してマジメに働くぜ」
「そう。頑張るんだな。とりあえず頭を上げてくれ。そこまでされる程の事を俺はしていない」

 ゼフィールは土下座する賊の横に座り、頭を上げさせようと彼の肩に手をかけた。その腕を賊の左手が掴む。
 馬鹿な、と思って賊を凝視すると、彼の足元に刃物で切断された縄が転がっていた。賊の右手には短剣が握られており、これで縄を切ったのは明白だ。

「……なんてなぁ! 甘いんだよ!」

 ニヤツキながら賊が短剣を振りかぶった。逃げたかったが、腕を掴まれているせいで賊から離れられない。 

 迫りくる白刃にゼフィールは目を見開いた。
 この光景には見覚えがある。
 幼い日のあの時と同じだ。
 このままだとあの刃で貫かれ、血が――

「――嫌だ……」

 ゼフィールの呟きに呼応して彼の足もとから風が噴き出した。
 強風にゼフィールの髪がなびく。風は意思を持っているかの如く賊に絡みつくと、そのまま彼を吹き飛ばした。

 吹き飛ばされた賊を剣士が慌てて縄で縛り直す。ゼフィールの側にはユリアとリアンが駆け寄ってきた。

「ゼフィール大丈夫?」
「君、あんなことも出来たんだね。僕知らなかったよ」
「俺も知らなかった」

 自らの行いに茫然としながら、ゼフィールは右手中指にはまる指輪を撫でた。
 それは《シレジア》王家に伝わる秘宝の一つ、風のオパール。五歳の時ゼフィールが受け継いだものの一つで、風の聖霊の加護を与えてくれるものだ。

(風の聖霊達。俺を守ってくれたのか?)

 優しい風がゼフィールの頬を撫でていった。
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