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英雄
槍と弓 1
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両者は対峙する。片や時代を変えた稀代の弓使い、片や法国を変えた稀代の槍使い。名声の有無こそあれど、両者が共に強者であることは自明の理。ラインハルトが握るは自身の槍。体制低く、突進力に優れた構えを取る。
槍を構えたラインハルトは、ほんの一時、英雄と戦えることをひどく喜んだ。だがネイノートが持つ武器を見て、すぐに顔を顰める。
ネイノートが手にしていたのは、彼の家の壁に掛けられていたあの木製の弓だった。弓に詳しくないラインハルトの目からしても、その弓は良く出来たものであることが分かった。少なくとも、そこらの武具店で売買されているものよりかは大分上質であることがわかる。しかし、その弓がネイノートの持つ最上の弓でないことをラインハルトはよく知っていた。
「……黒弓ではないのか?」
「黒弓? ……あぁ、魔鋼鉄の弓のことかい?」
「物語の中の貴方は、その弓を操り巨人を倒したという。是非その力を拝見したいのだが」
ラインハルトの要望に、ネイノートは顎に手をあて考えた。
黒弓……魔鋼鉄の弓とは、かつて魔族と人間族との間に起きた戦争の際に、ネイノートが巨人を射殺すために使った弓である。
弓矢とは通常、100から150余りの距離までしか届かない。しかし当時の技工らは、新たな技術を用いることでその射程距離を大幅に引き上げることに成功した。その射程距離は従来の十倍。なんと2000の距離にまで及び、従来よりも格段に離れた場所からの狙撃を可能とした。また、射速、精度も格段に向上しており、矢の飛ぶ速度に至っては従来の五倍近くまで引きあがっている。
この驚異的な性能を持つ弓を使うことが、英雄ネイノートの最高戦術である。
だというのに今のネイノートは、何の変哲もない唯の木製の弓を持っている。それを意地の悪い手抜きだと捉えたラインハルトは、構えを一回解くと大きくため息をついた。
「ふぅ……一対一でこの距離……唯でさえ俺に有利な状況だというのに、手を抜く余裕まであるのか……それだけ力があるといいたいのか? 性格が悪いにもほどがあるぞ」
思い通りにならぬせめてもの仕返しにと、明らかな挑発を投げかける。だがネイノートの笑みは崩れない。
「本当、君は喧嘩を売るのが好きだね。でもごめんよ。あの弓はここにはないんだ。代わりにもならないけど、全力で行かせてもらうよ」
ネイノートは背負う矢筒から矢を一本取り出すと、弓に番える。それからぴたりと狙いをラインハルトに着けた。
それを見たラインハルトは、再び槍を構える。
互いに戦闘準備は整った。あとは何方かが動くだけ。
両者身動きできぬまま、暫しの時間が流れた。戦いを見守るカノンカ、カイネルも一言も発することなく行方を見守る。一方当事者であるラインハルトは、身動きできぬ現状に喘いでいた。
(なんて迫力だ……どう動いても射抜かれる光景しか浮かばない……せめて向こうから動いてくれると幾分か楽なのだが……)
人は体を動かす際、ほんの僅かだが必ず視界がぶれる。熟練した武人は訓練によりそれのぶれを最小限に抑えることが可能だが、極稀に、その最小限のぶれが勝敗を分かつ戦いに直面するときがある。ラインハルトはその時が今であると本能的に感じ取った。故に彼は、端から攻撃の考えを捨て守りに徹することに決めた。ネイノートが矢を放つのを待ち、その矢を迎え撃ってから隙をついて反撃に転じようとしたのだ。
これに対しネイノートは、ラインハルトが初手をどう動くのか、期待を込めて見守っていた。
(戦いにおいては初手が一番肝心だ。その出来栄え如何では後続の戦いを有利に支配することができる……さて、どう動く?)
弓の奥に控える眼光は鋭く、どんな隙も見逃すまいと睨みつけている。
どちらも身動き一つしないまま、二人の頬を汗が伝う。
戦いに変化が現れたのはそれから幾らもしないうちだった。
ラインハルトに動く気がないと察したネイノートの、激しい狙撃が始まったのだ。
まず一本の矢がラインハルト目掛けて飛来する。極小の風を切る音とともに迫る矢は、これまで相対したどんな弓使いの物よりも鋭く早い。そして狙いも正確無比で、正確に肩を穿ちに来ている。
「ふっ!!」
ラインハルトは短く息を吐きだしながら槍を振るった。矢じりこそ付いてはいるものの全体が木製でできた矢は、軽い音を立てて叩き折られる。傍から見ればラインハルトがネイノートの一矢を簡単に処理したようにも見える。しかし地に転がる矢を見れば、折れた場所は全体の中より遥かに後ろ側。明らかに、矢の速度に対応できていない。
休む暇もなく、後続の矢が飛来した。ラインハルトの目に映る矢は全部で三本。どんな魔法を使ったのか、三つの矢は幾らも間隔を置かずに連なって迫りくる。先程のような大振りでは、連なる三本の矢を防ぐことはできない。
(大振りでは駄目だ! 矢の速さに対応できるよう速く……速く!!)
息もつかぬ連続攻撃に、神頼みにも似た願いを抱きながらラインハルトは槍を振るった。
まずは穂先で先を飛ぶ一本目の矢を左から右に切り上げた。続いて迫る二本目の矢を、同じく穂先で左へと切り払う。そして最後の矢は、穂先が向く方へ向かって体勢を更に崩し、一連の攻撃をなんとか避けきった。
槍を構えたラインハルトは、ほんの一時、英雄と戦えることをひどく喜んだ。だがネイノートが持つ武器を見て、すぐに顔を顰める。
ネイノートが手にしていたのは、彼の家の壁に掛けられていたあの木製の弓だった。弓に詳しくないラインハルトの目からしても、その弓は良く出来たものであることが分かった。少なくとも、そこらの武具店で売買されているものよりかは大分上質であることがわかる。しかし、その弓がネイノートの持つ最上の弓でないことをラインハルトはよく知っていた。
「……黒弓ではないのか?」
「黒弓? ……あぁ、魔鋼鉄の弓のことかい?」
「物語の中の貴方は、その弓を操り巨人を倒したという。是非その力を拝見したいのだが」
ラインハルトの要望に、ネイノートは顎に手をあて考えた。
黒弓……魔鋼鉄の弓とは、かつて魔族と人間族との間に起きた戦争の際に、ネイノートが巨人を射殺すために使った弓である。
弓矢とは通常、100から150余りの距離までしか届かない。しかし当時の技工らは、新たな技術を用いることでその射程距離を大幅に引き上げることに成功した。その射程距離は従来の十倍。なんと2000の距離にまで及び、従来よりも格段に離れた場所からの狙撃を可能とした。また、射速、精度も格段に向上しており、矢の飛ぶ速度に至っては従来の五倍近くまで引きあがっている。
この驚異的な性能を持つ弓を使うことが、英雄ネイノートの最高戦術である。
だというのに今のネイノートは、何の変哲もない唯の木製の弓を持っている。それを意地の悪い手抜きだと捉えたラインハルトは、構えを一回解くと大きくため息をついた。
「ふぅ……一対一でこの距離……唯でさえ俺に有利な状況だというのに、手を抜く余裕まであるのか……それだけ力があるといいたいのか? 性格が悪いにもほどがあるぞ」
思い通りにならぬせめてもの仕返しにと、明らかな挑発を投げかける。だがネイノートの笑みは崩れない。
「本当、君は喧嘩を売るのが好きだね。でもごめんよ。あの弓はここにはないんだ。代わりにもならないけど、全力で行かせてもらうよ」
ネイノートは背負う矢筒から矢を一本取り出すと、弓に番える。それからぴたりと狙いをラインハルトに着けた。
それを見たラインハルトは、再び槍を構える。
互いに戦闘準備は整った。あとは何方かが動くだけ。
両者身動きできぬまま、暫しの時間が流れた。戦いを見守るカノンカ、カイネルも一言も発することなく行方を見守る。一方当事者であるラインハルトは、身動きできぬ現状に喘いでいた。
(なんて迫力だ……どう動いても射抜かれる光景しか浮かばない……せめて向こうから動いてくれると幾分か楽なのだが……)
人は体を動かす際、ほんの僅かだが必ず視界がぶれる。熟練した武人は訓練によりそれのぶれを最小限に抑えることが可能だが、極稀に、その最小限のぶれが勝敗を分かつ戦いに直面するときがある。ラインハルトはその時が今であると本能的に感じ取った。故に彼は、端から攻撃の考えを捨て守りに徹することに決めた。ネイノートが矢を放つのを待ち、その矢を迎え撃ってから隙をついて反撃に転じようとしたのだ。
これに対しネイノートは、ラインハルトが初手をどう動くのか、期待を込めて見守っていた。
(戦いにおいては初手が一番肝心だ。その出来栄え如何では後続の戦いを有利に支配することができる……さて、どう動く?)
弓の奥に控える眼光は鋭く、どんな隙も見逃すまいと睨みつけている。
どちらも身動き一つしないまま、二人の頬を汗が伝う。
戦いに変化が現れたのはそれから幾らもしないうちだった。
ラインハルトに動く気がないと察したネイノートの、激しい狙撃が始まったのだ。
まず一本の矢がラインハルト目掛けて飛来する。極小の風を切る音とともに迫る矢は、これまで相対したどんな弓使いの物よりも鋭く早い。そして狙いも正確無比で、正確に肩を穿ちに来ている。
「ふっ!!」
ラインハルトは短く息を吐きだしながら槍を振るった。矢じりこそ付いてはいるものの全体が木製でできた矢は、軽い音を立てて叩き折られる。傍から見ればラインハルトがネイノートの一矢を簡単に処理したようにも見える。しかし地に転がる矢を見れば、折れた場所は全体の中より遥かに後ろ側。明らかに、矢の速度に対応できていない。
休む暇もなく、後続の矢が飛来した。ラインハルトの目に映る矢は全部で三本。どんな魔法を使ったのか、三つの矢は幾らも間隔を置かずに連なって迫りくる。先程のような大振りでは、連なる三本の矢を防ぐことはできない。
(大振りでは駄目だ! 矢の速さに対応できるよう速く……速く!!)
息もつかぬ連続攻撃に、神頼みにも似た願いを抱きながらラインハルトは槍を振るった。
まずは穂先で先を飛ぶ一本目の矢を左から右に切り上げた。続いて迫る二本目の矢を、同じく穂先で左へと切り払う。そして最後の矢は、穂先が向く方へ向かって体勢を更に崩し、一連の攻撃をなんとか避けきった。
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